勝手に鑑定「特急展望車の切符」

特急券に赤帯が3本入っていた頃までは、国鉄特急列車の本数はとても少なかった。例えば、四国には1本の特急も走っていなかったし、房総半島などは、特急はおろか、急行列車も全く走っていなかった。旅の強い味方といえば、どこまで乗っても お値段=百円の準急だった。当時の特急は、庶民や学生にとって、乗る機会が極めてレアな、憧れの列車だったのだ。特急自体が雲の上の存在なのだから、ましてや 1等展望車にいたっては、まさに宇宙の果ての銀河のような存在といっても過言ではなかった。そんなわけで、国鉄特急から展望車がなくなって40年以上が経つ現代にあっても、特急展望車の切符は大変な人気者。今もなお、高値で取り引きされるマニア垂涎の切符とか。
このコーナーでは、東横乗車券研究会が発行した改札口第2号「特集:展望車の変遷」に基づいて、展望車の切符を勝手に鑑定してみましょう。


1.展望車の誕生

明治45年、新橋〜下関間に登場した特急列車の最後尾に連結されたのが展望車といわれている。当初、特急は1本(後の「富士」)だけだったが、昭和4年に3等車のみで編成された「桜」が、また、昭和5年には、東京〜神戸間を結ぶ超特急「燕」が登場した。燕には昭和6年から展望車が連結されたという。昭和12年から、東京〜神戸間に特急「鴎」が登場し、展望車を連結した特急は3本になった。展望車特急3本の体制は、戦況が悪化する昭和18年まで続いたという。下表に、特急展望車の切符の変遷と勝手な鑑定結果を示す。

年次 特急展望車の切符 概要 chabinの勝手な鑑定結果 最近10年間の取引価格
M45〜 創設期  右書きで”特別急行列車券”のタイトル。1等は黄色の字紋で、400哩迄は白ヌキ線1本、401マイル以上は2本が斜めに入っている。 博物館級の逸品、というより、実券は博物館も持っていないらしい。残存枚数は多くて数枚かもね。 不明。
大正初期 大正前期券 左書きで、”壹等 特別急行券”のタイトルに1等は黄色の”てつどうゐん”の字紋で、”特急”の赤影文字入り。 発行期間が比較的長かったためか、非常に稀ではあるが、時々発掘される。それでも、実券を入手するのはチョー難しい。 稀に、入札誌やネットオークションに出品され、その都度、十数万円以上の高額で落札されている。
T9〜 大正後期券  ”特別急行列車券”のタイトルに戻る”。特急”の赤影文字入りには変化なし。  発行期間が短かったため、1等券はとても少ないらしい。 不明。
T12〜 赤斜線哩表示券  特の文字が2つ並んで印刷される。250哩迄1本、500哩迄2本、501マイル以上3本と、乗車距離に応じて斜めの赤線が入る。 特特別急行列車”というユニークな表示の赤線入り特急券は、とても人気がある。1等501哩以上赤線3条の実券は高名な収集家も所有していないかも。 不明。
S2〜 同上(算用数字) 特別急行列車券”のタイトルに戻る。哩表示が算用数字に変わった。 発行期間が短かったためか、1等501哩以上赤線3条入りの実券は激レアらしい。 不明。
S5〜 粁程表示初期券
乗車距離表示が哩から粁に変わる。 上と同様に、1等801粁以上赤線3条入りの実券を見かけることは殆んどない。 不明。
S7〜 粁程表示後期券 ”特別急行券”のタイトルになる。 発行期間が長く、特急の本数が3本だったことから、かなりの枚数が生存している。特急展望車の切符の中で、一番手に入れやすい券かも。 時々、入札誌やネットオークションに出品され、3万円前後で落札されている。

:2等、3等券で代用

2.戦時下の特急展望車

戦時下の昭和18年7月、軍事輸送優先のため、特急列車は廃止され、急行に格下げとなった。燕からは、1等車や食堂車等が廃止され、展望車連結の特急として唯一残った富士も、燕とともに昭和19年4月に廃止され、特急も展望車も日本から姿を消したという。この半年間に展望車の切符として1等の列車急行券(特急列車群)が発行された。A型B型が残されている。

3.戦後復活特急券

昭和24年9月、戦後復活した特急「平和」は展望車を連結していた。昭和35年6月、電車特急「こだま」にパーラーカーが連結されるまでの11年間、東海道本線の客車特急「つばめ」と「はと」には展望車が連結されていた。この間の展望車の切符の変遷を下表に示す。

年次 特急展望車の切符 概要 chabinの勝手な鑑定結果 最近10年間の取引価格
S24〜 線なし特急券 斜め赤線がなくなった。1等券は黄色字紋。「平和」はS25に廃止され、「つばめ」になる。S25.5から「はと」が運転される。 発行期間が短かかったので、2等券や3等券でも人気が高い。特に僅か3ケ月で廃止された「平和」の特急券は収集家の憧れの切符。1等展望車の券はまさに幻の逸品! 昭和の特急券の中で最も高値で取り引きされている様式。ある入札誌で、平和の1等券に25万円の値が付いたとか。
S26〜 赤斜線3条特急券 斜めの赤線が3条入るようになる。 発行期間は7年間と比較的長かったけれども、展望車連結特急は戦前よりも少ない2本だったので、戦前の粁程表示後期券よりも残存枚数が少ないらしい。 何度か、入札誌やネットオークションに出品され、3万円前後で落札されている。
S33.2〜 愛称入り特急券 列車番号の代わりに、愛称が記入されるようになる。 発行期間が1年足らずだったので、列車名印刷の常備券は発行枚数が少なく、2等や3等券でも入手困難。特に、列車名常備の1等券は殆んど残っていない希少券らしい。 不明。
S33.10〜 赤縦線3条特急券 斜め赤線3条から縦の赤線3条に変わる。3等級が廃止されたS35.6月まで発行されている。 発行期間が2年足らずだったので、1等展望車の券は貴重品。特に、列車名常備券は大変希少かも。 稀に、入札誌やネットオークションに出品され、列車名手書き券なら3万円前後、列車名常備券なら7万円以上の高額で落札されたことがある。

:2等券で代用

4.パーラーカー登場と特別座席券

客車特急「つばめ」、「はと」の廃止に伴い、昭和35年6月から1等展望車に変わる豪華車両パーラーカーを東海道本線の電車特急「こだま」と「つばめ」に連結。物凄く大きな窓と定員僅か18名というチョー豪華な室内を誇っていた。

年次 特急展望車の切符 概要 chabinの勝手な鑑定結果 最近10年間の取引価格
S35.6 等級表示なし 3等級制から2等級制に切り替わる時期に当たったため、2等扱いで発行された。等級表示はなく、新1等の淡黄緑色字紋である。 発行期間が僅か1ケ月の希少券として有名な切符。でも、当時、物凄く注目されたパーラーカーなれば、残存枚数はかなりあるかも。 ネットオークションに一度出品されたことがあり、8万円以上の高額で落札されている。
S35.7〜 1等表示券 1等表示の淡黄緑色字紋。S37.1から通行税1割に減税。  全盛期には12両の151系パーラーカー(クロ151)が運用され大人気を博したので、発行枚数は多かったらしい。
この世に2枚残るクロ151の忘れ形見は ⇒ 
こちら
時々、入札誌やネットオークションに出品され、3万円前後で落札されている。交趣の入札で12枚が出品され、全て3〜4.5万円で完売したのは記憶に新しい。
 S35.7〜 一様式券
特別急行券との一様式券。名古屋と大阪地区で発行された。  発行された地区が限られていたためか、殆んど見かけない希少券。 不明。

今から50年前、品川駅の臨時ホームに回送中の特急「こだま」が停車しているのを発見し、「スワッ 窓からパーラーカーを眺めてみよう!」と勇んでひと気のないホームに降り立ったまではよかったけれども、巨大な窓が近づくにつれて、そのあまりの神々しさに足がすくみ、恐れ多くて近寄るのがはばかられて、すごすごと引き返してしまった若かりし chabin でした。

5.都落ちしたパーラーカーの特別座席券

昭和39年10月1日、東海道新幹線開業に伴い、パーラーカー連結特急は山陽路に転出した。都落ちしたパーラーカーは乗客が激減。1650円の特別座席券を500円に大幅値下げしたにもかかわらず、いつもガラガラだったという。

年次 特急展望車の切符 概要 chabinの勝手な鑑定結果 最近10年間の取引価格
S40.10〜 特別座席券・額面500円 東海道本線時代と同じ様式の1等淡黄緑色字紋。額面500円で発行。 都落ちしたパーラーカーの切符として最もポピュラーな券といわれているが、しかし、下関駅での発行頻度は週1枚のペースで、殆んど売れていなかった。 不明。
S41.3〜 ○○号特別座席券・A型 列車の愛称をタイトルに表示する様式に変更された。 実券は、切符屋さんも見た事がないという幻の切符。専門書にも見本券しか載っていない。 ネットオークションに過去一度だけ出品されたことがあり、5万円以上の高額で落札されている。
S41.3〜 ○○号特別座席券・D型 列車の愛称をタイトルに表示する様式のD型券。 昭和の特急列車の切符としては、赤線なしの平和号1等特急券と並んで、一番人気なんだとか。 ある入札誌では、ななんと、31万円の高値で落札されてしまった。

東海道の華と活躍したパーラーカーも都落ちしてからは全くの不人気で、等級制が廃止された昭和44年に姿を消してしまった。一番不人気だった展望車の切符が一番高価な切符になってしまったとは、なんとも皮肉なもんですね。

「展望車の切符」の 勝手でデタラメな鑑定結果が大変お見苦しくなりましたことをお詫びいたします。でも、ここに示した切符の実券を全て収集することができれば、展望車切符博物館をオープンすることも夢ではないかもよ。