6.久留里線の鑑定

 久留里線は、赤線入場券の生存が確認されている駅の少ない路線です。昭和29年に無人化された上総清川、俵田、平山の入場券が希少なのは理解できますが、昭和43年までは駅員が配置され 切符を売っていたとされる小櫃と上総松丘の赤線10円券までもが 幻の切符と言われているのは何故でしょうか? 戦前(T12〜S16年度)と戦後(S37〜S39年度)の鉄道統計年報に 久留里線各駅の入場料金が記載されていますので、その辺の様子を探ってみましょう。

駅名 入場券発行枚数* 残存赤線入場券
S11 S12 S13 S14 S15 S16 S37 S38 S39 発行時期等 発行日付 券番
上総清川 29.9/26無人 20 100 180
横田 80 60 20 20 40 5 14 5 10円東京1期 S40.7.31 0083
馬来田 31 30 9 26 24 41 24 29 22 10円東京3期 S40.7.31 0507
小櫃 43.10/1無人 20 20 20 20 80 0 0 0
俵田 29.9/26無人 20 20
久留里 440 540 500 660 720 660 59 48 49 10円東京3期 S40.7.31 0971
平山 29.9/26無人
上総松丘 43.10/1無人 180 160 160 160 240 240 0 0 0
上総亀山 100 160 40 200 260 200 8 13 36 10円東京1期 S40.8.2 0145
*:S11〜S16は入場料金×20、S37〜S39は入場料金÷10で換算した枚数。
(注)発行枚数が空白欄の駅は、鉄道統計年報に駅名が記載されていないことを示す。

 上表は久留里線が全通した戦前(S11〜S16年度)と戦後(S37〜S39年度)の入場料収入を入場券発行枚数に換算したもの。S17年度からS36年度までの入場料収入の記録はありませんが、これを見れば、馬来田以外は戦前と戦後で年間発行枚数に大きな変動があることが分かります。また、各駅の発行枚数を次のようにして鑑定することが可能です。

(1)戦前戦後を通して年間約30枚を発行していた馬来田駅

 入場料収入が約300円と低いわりには、S40.7.31に発行された東京印刷3期券の券番が0507と大きな数値です。S40年度になって発行枚数が急増したと考えるのは不自然で、もしかすると東京10円3期券に切り替わった時の最初の券番は0001でなかったのかもしれません。

(2)発行枚数が戦前の10分の1に激減した久留里駅と上総亀山駅

 久留里も馬来田と同様、入場料収入のわりに、S40.7.31に発行された東京印刷3期券の券番が0971と大きな数値なので、最初の東京10円3期券の券番は0001でなかったのかもしれません。上総亀山は、S40.8.2に発行された切符が券番0145の東京印刷1期券なので、年間平均発行枚数=145枚÷13年9ヶ月 ⇒ 10.5枚/年! 鉄道統計年報とよく符合します。

(3)発行枚数が戦前の半分以下に減った横田駅

 S40.7.31発行の東京印刷1期券の券番が0083なので、10円券の年間平均発行枚数=83枚÷13年9ヶ月 ⇒ 6枚/年! かなり不人気な駅だったようです。これも鉄道統計年報とよく符合しますね。

(4)戦後は赤線10円券を売らなかった(?)小櫃駅と上総松丘駅

 駅年表様のHPによれば、両駅の入場料収入に関して共通する点は以下の通り。

 @S37〜39年度の入場料収入は0円。
 AS32〜36年度の旅客雑収入は非常に少ない(5年間の雑収入合計は、小櫃=80円、上総松丘=130円)。
 BS24〜S28年度の旅客雑収入はやや少ない(5年間の雑収入合計は、小櫃=3463円、上総松丘=3365円)。
 C開業から5〜6年間の入場料収入は、ほぼ同じで約9円/年。

 なお、小櫃は、S12年度からS16年度末までに発行された5銭入場券は推定約1800枚。上総松丘は、開業(昭和11年3月25日)からS16年度末までに発行された5銭券は推定約1200枚。そして、恐らく10円券の発行枚数は多くて10枚程度か? とすれば、生存の可能性は、戦前の方が高いかもね。

(5)S29年に無人化された3駅(上総清川、俵田、平山)を探すなら戦前の5銭入場券

 この3駅の5円券・10円券が生存している可能性はとても低く、もしかして1枚も発行されなかったのかもしれません。一方、上総清川と俵田は、開業からS17年度末迄の間に発行された入場券の枚数を次のように推定できますので、生存の可能性がないとは言えません。

 @上総清川駅:国有化のT12年度からS16年度までに発行された5銭入場券は推定約800枚。
 A俵田駅:開業からS16年度までに発行された5銭入場券は推定約600枚。


 が しかし、鉄道統計年報に たった1度(S12年度)だけ、しかも入場料金=「−」で登場する平山については、終戦迄は無人駅だったかもしれませんし、戦後も、他の2駅より桁外れに旅客雑収入が少なかったので、ホントーに1枚も無いかもよ。