4.舞鶴線の鑑定

 山陰本線・綾部駅と小浜線・東舞鶴駅を結ぶ舞鶴線は、開業時から廃止・改称・無人化されずに 今もなお 入場券を発売し続けている駅は始発の綾部だけと言うレアな路線です。今回の鑑定目的は、入場券が失われた舞鶴線各駅の入場券発行枚数を推定することです。それでは「駅の統計情報」をもとに鑑定してみましょう。

駅名 入場料金(円) 残存赤線入場券 備考
T12 S13 S31* S37 発行時期等 発行日付 券番
梅迫 48.4/1無人 24 45 4,580 3,150 10円大阪5期 S41.2.9 5368
真倉 26.9/1開業、48.4/1無人 480 250 10円大阪4期 S41.2.9 542
舞鶴 19.4/1西舞鶴に改称 965 2,441 昭和初期# S16.3.31 不明 #:天理参考館所蔵
新舞鶴 14.6/1東舞鶴に改称 1470 2,715 大正後期 不明 4484
海舞鶴 T13.4/12旅客営業廃止 53
東門 21.9/1北吸に改称 5 (0)
北吸 31.4/8無人、47.11/1廃止 0
中舞鶴 38.2/1無人?、47.11/1廃止 474 385 2,940 2,230
*:S31は旅客雑収入

 上表のように戦前の鉄道統計年報には入場料金が記載されているので、各駅の入場券発行枚数は次の通りだったことが分かります。

(1)人気駅だった舞鶴と新舞鶴

 昭和10年頃には年間数万枚の入場券が売れていて、中央本線飯田町(昭和8年7月15日廃止)と同じくらいの人気駅だったらしい。そのため、かなりの枚数が生存している模様。駅名改称後も人気は変わらなかったようで、昭和37年度の入場料金も、西舞鶴=340,740円、東舞鶴=366,990円也で、幹線の中堅駅並みの金額を計上しています。

(2)戦前は人気駅だった中舞鶴

 終着駅だったので、戦前は年間1万枚近くを発行していたけれども、昭和37年度には223枚しか売れない普通の駅になっていた中舞鶴。昭和38年度の鉄道統計年報に中舞鶴の名前が見当たらないことから、昭和37年度中に無人化されたと考えて間違いないでしょう。

(3)普通の駅だった梅迫と海舞鶴

 海舞鶴は年間500〜1000枚程度が売れていた普通の駅だったけれども、廃止が昔々のその昔だったので、入場券を手に入れるのはとても難しい。が しかし、海舞鶴の累積発行枚数は1万枚を越えていたと推定されるので、旧家の蔵にまだ眠っている券があるかもよ。


(4)不人気駅だった真倉

 赤線10円券時代には入場料収入が梅迫の10分の1だった真倉駅。当然、入場券の発行枚数も梅迫の10分の1で、昭和37年度は25枚。残された赤線10円券の印刷時期と券番もそれを示しています。

(5)チョー不人気駅だった東門、北吸

 もともと入場料収入の少なかった東門は 大正15年度以降、1円を記録した昭和16年度以外は収入なしのチョー不人気駅で、5銭券の推定発行枚数は350枚。戦後の鉄道統計年報は 入場料金が記載されている年度が少ないので、改称後の北吸の発行枚数を推定するのは難しいけれども、10円券は数枚しか(または1枚も)発行されないチョー不人気駅だったのは間違いなく、生存している可能性は東門以上に低いと思われます。もしかして、奇跡的に地元の鉄人が愛蔵しているかもね。