札沼線の失われた駅の鑑定

札沼北線として昭和6年に開業した石狩沼田〜中徳富(後の新十津川)間は、昭和47年には廃止されてしまいました。戦時中に不要不急路線として休止された区間だったので、さぞや不人気な駅だらけだったと思いきや、さにあらず。戦前は、殆んど全ての駅で年間百枚以上の入場券が売れていて、それなりに繁盛していたようです。入場料収入だけ見る限りは、今も生存している石狩金沢や中小屋や本中小屋の方が不人気だったことを示しています(下表参照)

駅名 入場料金(円)
S6 S7 S8 S9 S10 S11 S12 S13 S14 S15 S16 S35 S36
雨龍 47.6/19廃止 16 22 32 41 60 66 61 78 96 83 129 2,060 2,150
石狩追分 47.6/19廃止 3 5 2 1 5 2 6 9 14 12 14 490 150
 47.6/19廃止 14 21 32 33 31 35 35 39 53 68 69 9,230 11,090
碧水 47.6/19廃止 7 7 3 9 15 14 11 10 7 8 11 840 260
北龍 47.6/19廃止 6 10 19 16 22 22 31 36 35 51 49
(参考)
石狩金沢 54.2/1無人 1 3 40 10
中小屋 54.2/1無人 2 3 3 3 3 4 4 220 430
本中小屋 54.2/1無人 1 40 70
晩生内 47.7/22無人 9 15 19 19 19 17 15 340 250

残念ながら、戦後の入場料記録は、昭和35、36年度の2年間しか見当たりませんが、当時の石狩金沢と本中小屋は、年間入場券発行枚数が十枚以下というチョー不人気駅だったことに変わりなかったようです。また、残存する10円券の様式と券番が入場料記録と矛盾しないため、各駅の入場券は正常な順番で発行されていたことが分かります。
この表で注目すべきは、昭和6〜16年度の11年間に北龍で約6000枚の5銭入場券が発行されたことです。発行枚数だけで考えれば、昭和54年に無人化された駅の10円券の方がずーっと少なかったかもよ。