日ノ影線の無人駅の鑑定

幹線、支線を問わず、敗戦から昭和40年頃迄、九州の小駅では入場券の売れ行きはとても悪く、赤線10円券時代には、年に数枚しか発行されなかった駅がかなりあったようです。宮原線の鑑定でも使用しましたが、大分鉄道管理局の鉄道統計年報には、戦前だけでなく、戦後の昭和27年度から30年度迄の駅別入場料収入が記録されていて、戦前と比較しながら戦後の入場券発行枚数を鑑定することが可能になりました。不人気な駅だらけだった日ノ影線(後の高千穂鉄道)の入場券発行枚数を鑑定してみましょう。

駅名 入場料金(円) 残存10円券
S9 S10 S11 S12 S13 S14 S15 S16 S27 S28 S30 印刷時期 発行日付 券番
西延岡 30.4/1無人 1 0 0
行縢 47.7/22無人 1 20 0 0 門司1期 S39.11.3 0015
日向岡元 47.7/22無人 1 1 2 1 10 0 20
曽木 47.7/22無人 11 5 5 4 1 0 0 0
川水流 4 1 1 1 30 0 70
早日渡 47.7/22無人 1 0 0 0
槇峰 47.7/22無人 7 9 12 26 17 530 410 700
日向八戸 47.7/22無人 9 34 28 380 220 150 門司1期 S39.10.18 0187

上表に示すように 昭和47年迄、終着駅だった日ノ影駅以外は、戦前から入場券の売れ行きが芳しくなく、戦後は発行枚数が十分の一以下に悪化してしまいました。特に、西延岡、行縢、日向岡元、曾木、早日渡の5駅は、当時の国鉄でも屈指のチョー不人気駅だったことを示しています。S39.11.3に発行された行縢の裏面が、色鉛筆チェックなしの券番=0015なので、S28.4.1〜S39.11.2の11年半の間に発行された入場券は11枚以下だったと鑑定できます。10円券の発行枚数としては相模線の宮山や深名線の白樺よりも少なく、もしも昭和30年代に無人化されていたら、手に入れるのは非常に困難だったことでしょう。同様にチョー不人気だった曾木と早日渡の10円券発行枚数も同じくらい少なかったと推測できます。S40.9.17曾木で発行された門司印刷1期券は生存が確認されていますが、早日渡の10円券は確認しておりません。ところで、戦前に5銭券が20枚発行された西延岡の10円券を手に入れるのは殆んど不可能かもしれません。無人化の3年前から2年間の発行枚数がゼロだったからです。なお、風聞では、S47.7.22に無人化されたと言われる日向岡元は、昭和37年度以降の駅別旅客取扱収入表に名前が載っていません。停車場変遷大事典(*)では、「S36.10.1 一般運輸営業→旅客」なので、S36.10.1に無人化されたと考えるのがリーズナブルかもね。

*:"停車場変遷大事典 国鉄・JR編U"、日本交通公社、pp771