失われた駅の知られていたエピソード

戦中や終戦直後に失われた駅についての情報はとても少ない。生きていた時は有人駅だったのか、乗車券や入場券は売っていたのか、どのくらい繁盛していたのか等々... 実は、これまで断片的に引用してきた昭和11年度鉄道統計資料に、昔々に失われた駅に関する営業記録が残されているのを発見したので、その中から興味深い事実を3つご紹介しましょう。

エピソード1:失われた銀河鉄道の駅は人気者だった。

以下は昭和11年度鉄道統計資料の各駅取扱収入表から釜石線の失われた駅を抜き出したもの。銀河鉄道のモデルとされた岩手軽便鉄道が鉄道省に買収された年度の統計資料は、軽便鉄道の失われた駅が人気者だったことを記録している。

駅名 旅客収入 貨物
収入
合計 停車場変遷大事典より
旅客運賃 手荷物
運  賃
小荷物
運  賃
郵便物
運  賃
入場料 雑収
総旅客 定期旅客
(内訳)
鳥谷ケ崎 8,482 179 37 524 55 23 9,121 9,121 ・11.8/1岩手軽便鉄道買収。停留場→停車場。旅客、手荷、小荷及旅客附随小荷の取扱を為す
・18.9/20運輸営業は之を廃止す(ルート変更のため廃止)
仙人峠 9,829 26 73 636 18 35 10,591 10,214 20,805 ・T3.5/15貨→般。旅客営業開始
・11.8/1岩手軽便鉄道花巻仙人峠間鉄道及仙人峠大橋間
 索道を買収
・25.10/10廃止。仙人峠〜陸中大橋の索道も廃止
(参考)平倉 1,434 89 10 51 7 1,502 1,356 2,858 ・11.3/25客→般。停留場→停車場
・11.8/岩手軽便鉄道買収。
・25.10/10改軌に伴い改キロ。手荷、小荷及び貨物の取扱
 は廃止し、同停車場においては東北本線黒沢尻・盛岡間
 及び釜石線各停車場に発着する旅客に限り取り扱う

鉄道省に買収された昭和11年度は営業期間が8ヶ月にもかかわらず、鳥谷ケ崎に55円、仙人峠に18円の入場料が記録されている。入場料に見合う枚数の赤線5銭入場券が発行されたとすれば、年に換算して、鳥谷ケ崎は1500枚、仙人峠は500枚も売れたことになる。これだけの枚数が売られたのなら、今もなお、かなりの枚数が地元在住の鉄の古老に愛蔵されているかもしれない。一方、開業以来の無人駅と思われた平倉は、不人気だったけれども、貨物も取り扱う実に立派な駅だったようだ。今も健在ではあるけれど、戦前は、殆んど入場券が売れなかったようだし、S25年に無人化されたらしいので、入場券が残っている可能性は極めて少ないかもね。

エピソード2:盲腸線の終着駅は不人気者だった。

鉄道ネットワークから取り残されがちな盲腸線は 延伸計画が有るか無いかで、その後の運命が大きく変わってくるのは周知の事実である。特に、路線長が短く、延伸計画を持たない路線の場合、終着駅がよほど繁盛していない限り、殆んどが廃止または転換され、姿を消している。下表は、昭和11年度鉄道統計資料に示された新湊線の各駅取扱収入表。終着駅・新湊は、それなりの旅客収入を上げ、入場券も赤線5銭券に換算して約1000枚も売れていて、人気駅だったのに、昭和26年に旅客営業廃止に追い込まれてしまった。ということは、幻の新湊駅入場券は、戦前の方が入手しやすいかもよ。

駅名 旅客収入 貨物収入 合計
旅客運賃 手荷物運賃 小荷物運賃 郵便物運賃 入場料 雑収
総旅客 定期旅客
(内訳)
新 湊 線
 吉  久 6,711 1,436 50 431 6 20 7,218 125,228 132,446
 中伏木 6,297 641 18 406 6 28 6,755 347,177 353,932
 新  湊 41,069 7,289 632 3,929 208 49 251 46,128 234,170 280,298

上述のように、延伸計画のない盲腸線の終着駅の殆んどは人気者だった。一方、当然のことながら、終着駅が不人気でも、延伸計画有りの盲腸線は、その後予定通りに延長された路線の殆んどが、今もなお、生存している。そんな延伸計画有りの盲腸線の中で、貫通を前に失われた例外的な終着駅として、旧橋場線終着駅・橋場駅があるという。昭和11年度鉄道統計資料の橋場線を見れば、橋場駅がチョー不人気な終着駅であるのは明らかで、その不人気さが災いしたのか、昭和19年には雫石〜橋場間が休止になり、終着駅の座を雫石に譲ってしまったという。そんなわけで、橋場駅の入場券は発行枚数が非常に少なかったようだ。

駅名 旅客収入 貨物収入 合計
旅客運賃 手荷物運賃 小荷物運賃 郵便物運賃 入場料 雑収
総旅客 定期旅客
(内訳)
大  釜 3,785 429 10 58 5 11 3,869 3,182 7,051
小岩井 9,606 450 77 268 4 25 9,980 8,338 18,318
雫  石 25,783 1,763 87 349 82 47 44 26,392 62,116 88,508
橋  場 2,919 193 3 16 4 2,942 11,268 14,210

昔々、骨董趣味や廃線巡りに全く興味の無かった若かりし chabin は、橋場線の終着駅が雫石であることに何の疑念も持たずに、訪れた雫石駅小岩井駅に礼儀を尽くして購入した赤帯入場券のパンチ位置におおいに満足し、クリスマスの橋場線を写しただけで意気揚々と引き上げたのでした。今にして思えば、あの時、「橋場線の終着駅なのに、どうして橋場駅の入場券はないの?」と質問して、駅員さんを困らせれば良かった(?)と、後悔する chabin でした。

エピソード3:昔々は大人気だった海水浴駅。

娯楽が少なかった時代、海水浴は平民のささやかな楽しみだった。そんな海水浴客のために、夏の間だけ開業する仮の駅(仮停車場、臨時乗降場)が戦前から設置されていた。仮の駅とはいえ、不正防止のため、各駅には駅員さんが配置され、出札や集改札を行っていたらしい。昭和11年度鉄道統計資料の各駅取扱収入表には、海水浴客用と思われる仮停車場の営業記録が記載されている。海水浴客用以外の仮停車場の一部とS27、S28年度鉄道統計年報に登場する長崎本線・横島と一緒にして、下表に示す。これらの中には、前述の呉線・狩留家や東海道本線・袖師の他にも、記録のなかった呉線・安芸浜崎だけでなく なんと 入場料が計上された関西本線・午起や北陸本線・浜黒崎も載っているではないか! 

駅名 旅客収入 停車場変遷大事典より
年度 旅客運賃 定期旅客 手荷物 小荷物 入場料 雑収
山陰本線・白兎 S11 418 ・T14.7/6毎年夏季中、旅客、手荷及旅客附随小荷の取扱を為す。開閉期日及旅客取扱区間は関係停車場に之を掲示す ※海水浴客
・17.4/1旅客手荷に限り取扱を為す。配達の取扱を為さず
・44.3/1廃止
関西本線・午起
S11 1,802 9 5 4 8 ・6.7/7必要の時期に限り、旅客、手荷及旅客附随小荷の取扱を為す。開閉期日及旅客取扱区間は関係停車場に之を掲示す ※海水浴客
・17.4/1旅客手荷に限り取扱を為す。配達の取扱を為さず

・23.8/30廃止
・29.6/1仮停車場→停車場。旅客取扱開始
・39.10/1廃止
北陸本線・浜黒崎 S11 972 11 2 7 1 ・T15.7/3東岩瀬水橋間に左の仮停車場を設置し必要の時期に限り旅客、手荷及旅客附随小荷の取扱を為す。開閉期日及旅客取扱区間は関係停車場に之を掲示す ※海水浴客
・17.4/1旅客手荷に限り取扱を為す。配達の取扱を為さず
・23.8/30これを廃止する
(参考)
東海道本線・袖師
S11 4,915 24 13 7 23 19 ・T16.7/3興津江尻間に停車場を設置し毎年必要の時期に限り旅客、手荷及旅客附随小荷の取扱を為す。開閉期日及取扱区間は関係停車場に之を掲示す ※海水浴客
・17.4/1旅客手荷に限り取扱を為す。配達の取扱を為さず
・44.10/1仮停車場→臨時乗降場
・46.10/1廃止
(参考)
呉線・狩留家浜
S11 1,706 1 ・S2.7/7必要の時期に限り、旅客、手荷及旅客附随小荷の取扱を為す。但し手荷物の配達を為さす。開閉期日及旅客取扱区間は関係停車場に之を掲示す ※海水浴客
・17.4/1旅客手荷に限り取扱を為す。配達の取扱を為さず
・42.8/1廃止
(参考)
呉線・安芸浜崎
S11 720 1 2 ・15.7/21毎年必要の時期に限り、旅客、手荷及旅客附随小荷の取扱を為す。但し手荷物の配達を為さす。開閉期日及旅客取扱区間は関係停車場に之を掲示す ※海水浴客
・17.4/1旅客手荷に限り取扱を為す。配達の取扱を為さず
・42.8/1廃止
(参考)
長崎本線・横島
S27 167,950 3,815* 135 ・27.7/5旅客取扱開始。但し、開閉期日については、必要のつど関係停車場に掲示する
 ※海水浴客
・37.6/1廃止
S28 168,005 3,095* 250
(おまけ1)
伯備線・酒津
S11 785 2 ・29.4/1旅客の取扱を開始する。但し、開閉期日及び取扱区間は、鉄道管理局長が定める
 ※観桜
・37.6/1廃止
(おまけ2)
日豊本線・心岳寺
S11 293 ・M41.7/28重富二哩六十七鎖地点に仮乗降場を設置し之を心岳寺仮乗降場と呼称し毎年
 八、九両月平松神社大祭執行の期に限り開設す
・42.8/1廃止
*:不足賃

白兎や午起の入場券があれば、縁起切符としてサイコーだったのに、国鉄さん、残念でした。ところで、鉄道統計資料には、昔々に廃止された駅の旅客取扱収入が記録されています。有人駅時代の人気度が分かって、とても面白いですよ。

これらについては、そのうちにご紹介することにして、ネットツアー2009は The End にします。それでは、良い年をお迎え下さい。