第9回 赤線消えても赤一条

(素人のための赤線20円券入門)

昭和41年3月、駅の入場料金が10円から20円に値上げされたその時、70年間の長きに亘って入場券を飾っていた横一条の赤線が消えてしまった。入場券といえば赤一条だったので、その時の衝撃は、あまりにも大きいものだった。が しかし、どういう風の吹き回しか、一部の駅では赤線入りの20円券が売られたという。左は、函館本線・小沢駅で発行された入場券3枚。上から順に、赤線10円券、白券20円券、赤線20円券。文言や句読点や活字の配置などは、いずれも札幌印刷場の10円末期券の様式。赤線20円券は、白券20円券への切替時、大量に余った赤線入りの用紙を捨ててはモッタイナイと流用したと言われており、これまでに、札幌、仙台、新潟、名古屋、高松、門司の印刷場で発行されたことが確認されている。赤線入りの入場券には、今もなお、高齢で熱心なファンが生存しているため、希少性の高い赤線20円券はとても人気がある。

左上は、札幌印刷場の入場券。夕張線・清水沢駅発行の赤線20円券。北海道の入場券に特徴的な真っ白な紙を使用していて、様式は、札幌印刷場の赤線10円末期券(左中)と同じ。






稚内駅が発行した入場券(左下)のように、中には、真っ白ではなくて、ベージュ色の紙を使用したものもある(⇒自動券売機発行券)。北海道では、その他の多くの駅で赤線20円券の発行が確認されている。

左上は、磐越西線・安子ヶ島駅発行の仙台印刷赤線20円券。
様式は、仙台印刷場の赤線10円末期券(左下)と同じ。


仙台印刷場の赤線20円券も、多くの駅で発行されたことが確認されている。




左上は、信越本線・高田駅発行の新潟印刷赤線20円券。
様式は、新潟印刷場の赤線10円末期券(左下)と同じ。


新潟印刷場の赤線20円券は、直江津、明覚(八高線)、秋田などの駅で発行されたことが確認されている。



左上は、あのオバマ(小浜)線の東小浜駅発行の名古屋印刷赤線20円券。様式は、名古屋印刷場の赤線10円末期券(左下)と同じ。


名古屋印刷場の赤線20円券は、数が少なく、他に、蒲郡(東海道本線)、千種(中央本線)などの駅で発行されたことが確認されている。


左上は、土讃線の琴平駅発行の高松印刷赤線20円券。様式は、高松印刷場の赤線10円末期券(左下)と同じ。
高松印刷場の赤線20円券は、高松や栗林(高徳本線)など20近い駅で発行されたことが確認されている。

ところで、四国高松印刷場の赤線20円券の様式は、駅毎に違いはなく、統一されているのに対して、末期の赤線10円券は、枝葉末節において、様式上の違いがあって面白い。

その典型的な例として、土讃線・板東駅(活字の組方が特徴的)と高徳本線・徳島駅(「ん」の後ろに句読点(。)がない)を左に示す。

左上は、日豊本線・南宮崎駅発行の門司印刷赤線20円券。
様式は、門司印刷場の赤線10円末期券(左下)と同じ。

この他に、桂川(筑豊本線)、上亀山(勝田線)などの駅で発行されたことが確認されている。




この珍券の発行状況は、国鉄よりも入場券収集家の方が把握しているという。が しかし、新線や新駅開業時のような事前周知がなかったためか、高名な収集家でも全駅の切符を揃えるのは至難だそうで、今もなお、「赤線20円券発見!」の報が届く。