第4回 哺乳類牽引鉄道の切符の巻

古来より、人や荷物を運搬するための動力として、従順なる哺乳動物が用いられてきた。明治期にも、蒸気機関車の代わりに哺乳類を使った鉄道が少なからず存在したといわれている。左は、明治31年に開業した金石馬車鉄道の金石(かないは)より金沢(かなざは)までの乗車券。発行時に切符の左側が切り取られているので横幅が短くなっているが、裏面英語標記の実に立派なエドモンソン型の硬券乗車券。元はA券だったらしい。明治期に特有な漢数字標記の発行日付(十月十八日?)が押してある。


左の切符は、東京馬車鉄道(東京電車鉄道、東京鉄道を経て、東京市電となる)が発行した見開き式のパスポートライクな特別乗車券で、通用は明治卅三年六月卅日限り(?)。馬車鉄道はその3年後に電車化されたという。切符は使用されなかったか、デッドストックだったのか、保存状態すこぶる良し。


左は、明治卅四年十二月発行の浅草千住間特別乗車券を名乗る正体不明の乗車券。ペラペラな軟券でもなく、硬券でもなく、半硬券でもない、妙な切符。半硬券よりも薄くて硬い。

ひょっとして、どこかの馬車鉄道の切符かもね。




幻の人車鉄道の乗車券は、想定内の軟券だった。軟券といっても、ペラペラではなくて、ザラザラした和紙みたいな手触りのする切符。どっちが表なのか、分からない。
鍋山人車鉄道は鍋山鉱山より栃木まで客や石炭を運んだ人車鉄道で、明治33年開業とされる。他の人車鉄道が短命だったのに対し、動力をディーゼル機関車に変更する昭和16年まで活躍していた長生きの人車鉄道だったという。


明治の鉄道といえば陸蒸気(おかじょうき)とお思いでしょうが、ボンビーな「民」にとっては、高価で維持管理が大変な蒸気機関車を動力に使用するのは、リスクが大きかったらしい。何十トンもある鉄の塊が走ってもダイジョブダの線路建設だけでも大変だったようだ。構造改革の御世にあって、自分の懐を痛めることなく、新幹線や高速道路などのチョーリスキーな事業に湯水のごとく税金を投入して、そのツケを、弱きをくじく消費税大増税で「民」に支払わせる「官」からは、とっても考えられない妙案だったかもね。