第3回 上流列車の切符の巻

明治45年、新橋〜下関間を結ぶ日本初の特別急行列車が誕生した。その時の特急列車は、1等、2等の上級等の客車のみで編成されており、3等車は連結されていなかった。まさに、上流の、上流による、上流のための列車で、下流の平民には無縁の存在だったのだ。この特急の最後部には、展望車と呼ばれる超豪華な客車が連結されていた(*)。左の切符は、当時の特急券で、上が1等用で下が2等用。収集家から画像を送って頂いた博物館級の大変に貴重な実券である。いずれも漢字右書きで、字紋はない。

*:改札口第2号、東横乗車券研究会(平成13年10月14日)


左の2枚は大正初期に発行された特急券。上の1等券も収集家から画像を送って頂いたもの。その時から字紋が入り、左書きになった。
この時も、特急列車には下流平民のための3等車はついていなかった。3等車のみで編成された特急「桜」が登場するのは、これから10年後(大正12年7月)のことである。





昭和初期まで、1・2等連結の上流列車は特急「富士」だけだったが、昭和5年10月から1・2・3等連結の超特急「燕」が、さらに昭和12年8月から各等連結の特急「鴎」が加わり、上流列車は3本になった。3等特急「桜」は、昭和9年から2等車が連結されたものの、1等車は連結されることはなかった。桜は平民特急といわれる所以である。

左の3枚は、上から順に、「富士」(第1、第2列車)、「燕」(第11、第12列車)、「鴎」(第1031列車、第1032列車)の1等展望車用特急券。
最後に上流列車の仲間入りを果たした「鴎」は、一番最初に大戦の影響を受けて、昭和18年2月に廃止され、6年足らずの短命に終わったという。そのため、鴎の1等特急券はあまり残っていないようだ。



昭和18年7月、軍事輸送優先により、特急列車は廃止され、急行に格下げされたが、富士や燕は、特急料金を徴収する第1種急行列車として存続された。が しかし、その時、燕は1等車や食堂車等が廃止され、1等車連結の上流列車は富士(第1、第2列車)だけになってしまった。左の2枚は、その時の1等列車急行券A型(上)とB型(下)。
かろうじて残った第1種急行列車も9ヵ月後の昭和19年4月には全廃され、上流列車は姿を消してしまった。短命に終わった第1種列車急行券は数が少なく貴重品。特に、富士のみに連結されていたとされる1等車の切符はとても珍しい。

敗戦で日本人はみんな下流になり、代わって上流に君臨した白人占領軍は、白帯入りの1等車をことのほかお気に入りで、全てを接収し、黄色人種には乗せなかったとか。これって、ホントーの話かもよ。