地盤沈下



 いつも朝10時に起きることにしていた。その日も、朝10時に起きて普通に学校へ行くはずだった。
だがその日、俺を起こしたのはデジタル仕様の目覚まし時計ではなく、友人の「チキン」という男の声だった。

 「ヘイ!起きてるか。大変だぜ、ミスター。」 

いつも以上にチキン(弱虫)ぶりを発揮させた物言いで、奴は俺を起こした。この際だから断っておくが、俺の本名は「ミスター」ではない。
もちろん、長島茂雄とも関係はない。なぜなら、俺はアメリカ人だからだ。なぜこの名で呼ばれることになったかは、長くなるので後々明らかにしていくことにしよう。

 「どうしたんだ、チキン。俺の眠りを妨げるのには、それなりのきちんとした理由が必要だぜ。」

 「あのさぁ、だからチキンって呼ぶなって言ってるだろ。まぁいいや。そんなことより大変なんだよ。急に地盤沈下が世界各地で起こり出したらしいんだ。」

 「何だそれ。それで?それのどこが大変なんだよ。」

 「地球が今よりも小さくなるんじゃないかな。たぶん。」

 「それだけ?」

 上記の通り、俺とチキンが軽口を叩き合っている時にそれは起こった。
突然の地鳴りとともに、俺は一瞬宙に浮く感覚を味わい、その後すぐに地面に叩きつけられた。

 「おいおいおい!何だ今のは?」

 「いてて。なっ、すごいだろ?これが世に言う地盤沈下ってやつだよ。突然電話されても文句は言えないだろ。どうなんだ。」

 なぜか受話器の向こうのチキンの声は嬉しそうだった。まるで自分が地盤沈下を起こしているような口ぶりだ。

 「お前、なんでそんなに嬉しそうなんだ。」

 「だって、学校が休みになるかもしれないだろ。それに、嫌な先生がケガしたら、かなり嬉しい。」

 こいつは、事態を軽く考え過ぎだ。いわゆるクレイジーだ。俺は、現在の状況を知るためにTVをつけた。

 いない。NEWS番組らしき画面が映っているのだが、NEWSキャスターがいない。

 そう思っていたら、約4秒後に机の下からNEWSキャスターが起きあがってきた。

 「いやぁ、効くなぁ。まいったまいった。」

 自分のほっぺたをさすりながらイスに座りなおしている姿は、少し恥ずかしそうだった。俺は普段のクールな顔とは一味も二味も違った彼の意外な一面を見た気がした。だが油断は禁物。その後、彼の口から重大な情報が出てきた。

 「この地盤沈下は、どんどんひどくなって来ているようです。要するに、1回目で10センチ落ちるとします。すると2回目は20センチ、3回目は30センチというように、回を重ねるごとに落差が増していっていっているようなのです。」

 俺は、自分の顔がみるみる青ざめていっている事を自覚した。このぺースで落差が増していったら、確実にいつか落下の衝撃で俺は死ぬことになる。何か対策を考えなければならないと思っていたら、いつのまにかチキンが俺の部屋に無断で入ってきていた。

 「学校の様子を見に行こうよミスター。どの先生がケガしているか気になるじゃん。俺ね、ジェシー先生はケガしてないといいと思うんだ。いい先生だからさ。」

 こいつは本当に馬鹿なのだと俺は再確認し、そのついでにチキンに聞いてみた。

 「それより何かいい対策は無いのか。お前だって死にたくはないだろ。」

 「痛くないと思いこめばいいんじゃないの。わかんないけどさぁ。」

 こいつは本当に役立たずだと再々確認、殴ろうとしたがそれはやめた。こいつの言うとおり、確かに「痛くなく」すればいいのだ。

 「布団だ。ありったけの布団を敷け!そうすればしばらくはもつだろ。」

 5分ほどで、俺の部屋は布団が敷き詰められた状態になった。そしてまた10分ほどかけて、地盤沈下の時に倒れるかもしれないタンスや机などの家具を外へ運び出した。
 部屋に帰ってきたところで、たちの悪いデジャヴュのようにそれは起こった。空気が震動、ジェットコースターの落下寸前感覚を味わい、落ちてゆく。俺とチキンは、ふかふかの布団の上にパサリと落ちた。

 同時に、近隣の家々から「ビタン、ビタン」と、人がどこかに叩きつけられる音が聞こえてきた。俺は笑った。そして思った。俺は、あいつらとは違う。俺の体からは、あんなマヌケな音は出させやしないぞ。

 そして次の瞬間、チキンの口から重大な情報が飛び出した。その内容は、今までチキンと呼んでいたことを謝りそうになるくらいグレイトだった。

 「俺ね、朝はいつもパターンが決まってるんだ。まず、起きたらトイレに行くでしょ。その後は洗面所で3回あくびをして顔を洗うんだ。それからおいしい朝食をたべるんだ。朝は必ずハムとトースト2枚に砂糖たっぷりのコーヒーを飲むよ。フィル・ジャクソンの『モーニング・デリバリー』を観ながらね。それから・・・ギャフン!」

 怒りのあまり、チキンの背中に強烈な蹴りを浴びせていた。チキンは体を弓のようにしならせてゆっくりと倒れた。

 「いててて・・・。完全に直情型だね君は。どうせ蹴るなら、話を最後まで聞いてからにしてくれよ。まぁいいけどさ。・・・でね、俺は今日、まず1回目の地盤沈下で目が覚めたんだ。2回目は顔を洗ったあと。3回目は『モーニング・デリバリー』を観終わったあとね。今日のフィルのトークはいまいちだったけどね。」

 俺が不満そうな顔をしていることに気付いたらしく、お偉いさんのように笑いながら次の言葉をすぐに言った。

 「俺はね、朝の行動にどのくらい時間がかかっているかは頭に入っているんだ。」

 俺はあまりその言葉の意味が理解できなかった。すると、チキンはこう続けた。

 「地盤沈下は、きっかり20分ごとに起こっているよ。」

 ナイスチキン。俺は初めて彼に感謝した。20分に1回というペースと、毎回10センチくらい落差が増していることを念頭において対策を練っていけば、死ぬことは無いかもしれない。

 20分間。その間にいったい何をするべきだろう。布団で痛みを和らげる方法もあまり長くは続かない。まずは、布団に代わる手段を探す必要がある。

 「何か、布団より役に立つものは無いかな。」

 「痛くない方法ってこと?そうだねぇ、でもやっぱり学校に行きたいね。窓ガラスとか割れてないかなぁ。」

 何でこいつはこんなに学校に行きたいのだろう。まったく呆れてしまう。だが、ふとあることに気付き、俺は思い直した。学校に行くのは選択肢として間違ってはいない。学校には大型のトランポリンがある。それの上にいれば、20メートルくらいまでは大丈夫だろう。
 学校までは歩いて15分。もう一回、ここで地盤沈下を待ってから行けばよいだろう。やっぱりチキンより断然切れ者だ俺は。ふふ。

 20分後、俺たちは学校の前に到着した。
学校の様子はめちゃくちゃだった。窓ガラスはまんべんなく割れ、サッカーゴールは地面にめり込むように倒れていた。同じく、サッカー部の奴らも一様に頭から校庭にめり込んでいた。その様子はイースター島のモアイ像を思わせた。俺とチキンは奴らを尻目に、ただちに体育館に直行し、トランポリンの上で一心不乱に飛び続けた。
 チキンはトランポリンの才能を開花させた。次々とアクロバティックな飛び方を身につけていった。初めて自分の才能に気づいたチキンの顔は輝いていた。こんな状況で才能を発揮しても意味が無いことは、彼の顔を見ているとなかなか言い出せなかった。俺はこの先のことを考えながら、近づいたり遠ざかったりする体育館の天井をずっと見ていた。

 

 あれから、何年経っただろうか。俺は今、空にいる。結局、チキンは生き残ることができなかった。トランポリンの上での生活が始まって3ヶ月後、体育館の天井の鉄骨に頭をぶつけて死んだ。死んだ後もしばらくトランポリンの上で跳ねていた彼の死体は何だか哀しく、おかしかった。 
 俺は何とか生き延びて、パラシュートを手に入れた。いったいどれくらいの時間、空にいるだろうか。まだ地上は見えてきそうにない。

                                            

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