のざわざわ

交差点に立ち尽くす僕の目の前を、

濃紺のアタッシュケースを下げた会社員と、

黒皮の聖書を両手に抱えた牧師と、

うつむき加減の映画評論家と、

おまんじゅうの入った袋を振り回す男子中学生と、

道路に唾を吐こうともくろむ外国人サッカー選手と、

時計屋さんの孝行息子と、

生クリームとチョコレートに苺を加えたクレープを頬張る主婦と、

四面楚歌を全身で体感中の指名手配犯と、

東京に出てきたばかりなのにあっという間に友達が出来た大学一年生と、

往復ビンタに定評の有る女優と、

これからポケットティッシュを300個配らなければならないフリーターと、

「陰口を叩き殺す」という表現を思いついたものの使い道に困っている作家と、

住宅ローンを組んだ帰りの大工さんと、

ぴかぴかに磨かれたメルセデスベンツと、

よれよれのスーツを着たおばさん刑事と、

猫背のマラソンランナーと、

口の周りについたケチャップをぬぐう老婆と、

牛丼屋の看板をまぶしそうに見やる船乗りと、

エレガントな髪型の高校球児と、

赤ら顔の元栃木県知事と、

8時間後に誕生日を迎える家具職人と、

「はばかり君」の商標登録に向かう専務と、

いつもお世話になってばかりの先輩と、

あずかったお金で「金箔ファイター」のシールを買ってしまった小学生と、

つい先日生まれたばかりの博之君と、

胸の大きく開いたカットソーを着たベテランと、

人の多さに顔をしかめるマルチーズと、

体脂肪19%のバレエダンサーと、

衝動買いを悔やむ女子高校生と、

ウナギの養殖のプロと、

お気に入りの傘の出番を喜ぶあなたと、

とある事情で家路を急ぐテレビリポーターと、

最近になってようやくヘソクリを始めたパートのおばさんと、

言葉遣いは乱暴だけど根は優しい料理長と、

近所の子から貰ったどんぐりを胸ポケットに入れた野球解説者と、

買った電球を右手でこねくり回す弁護士と、

携帯電話のボタンを長押しする暴力団員と、

ヘリコプターの音に耳をふさぐ塾講師と、

カリカリに焼いたベーコンのような腕時計をした歯科助手と、

大きな大きな靴を履いたマジシャンと、

口の中のもやしを舌で再確認するNISSANの職員と、

ワンカップのお酒の残量を凝視するそば屋の店主と、

MP3プレイヤーをくりくりするホステスと、

しゃっくりの頻度に怯える整体師と、

恍惚とした表情の17歳と、

秒読み段階に入ったスペースシャトルと、

湿気でくるんとなった髪に手をやるオフィスレディと、

秘密を抱えたお坊さんと、

サングラスの奥に涙を浮かべたロックスターと、

とことんボーイッシュな女の子と、

ワイシャツの袖をまくる業界関係者と、

静かな午後を過ごすはずだった老紳士と、

14年前に祖国を売った元スパイと、

手紙を握り締めた少年と、

視察を放棄した駐日大使と、

首からカメラをぶら下げたごみ処理業者と、

レインコートを着た文学青年と、

両手に雨の詰まったビニール袋を抱えた中年男性と、

急用を思い出したことを忘れてしまった編集者と、

鷲鼻の妊婦と、

両腕を縛られた人質と、

避難訓練中の児童と、

ファースト写真集「笑顔の女」が好評発売中のグラビアアイドルと、

皮下脂肪を軽くつまんだ看護士と、

絵の上手いボイラー技師と、

トランクス派の体育教師と、

疎開先から逃げ出してきたのだろう幼い頃の祖父と、

彼らの影たちが、

もしくは計64人と1匹分の影たちが、


通り過ぎていった。

僕は何故だかとてもほっとして、

再び歩き出した。



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