旅行記少年ダム C無物街−其ノ弐−



 喫茶店主、他の皆さんがジリジリと僕らを取り囲む。あるお客さんはコーヒーカップ、またあるお客さんはスプーン、喫茶店主ボーナムさんはホウキ。そう、各自の手には武器が握られている。喫茶店主ボーナムさんがふと、唐突に歩みを止めた。

 「おいおいおいおい!何やってる!お客さん!手に持ってるもの、置きなよ。冗談じゃないよ。」

 慌ててる。だってワイシャツを後ろ前逆に着てるくらいだもの。それにすごい剣幕。どうしたんだろう。

 「コーヒーカップ、だめでしょ!最小限しかないんだから!あんたのスプーンも!もったいない!こんなことで無駄にできないんだからもう。営業できなくなるでしょ。」

 「僕は武器が必要だと心から思ってる。悪いけど、このスプーンを離すつもりはないよ。」

 お客さんも譲らない。典型的な内輪もめだ。わりと内輪もめには目がない方なんだけど、今回のは中の上ってとこかな。いずれにしても、僕はボーナムさんに不意打ちをすることにした。罪悪感はあるけれど、このままじゃらちがあかない。

 「あの、そもそも喫茶店は必要ですか!各自が家でコーヒー飲めば良いのではと思うんです。」

 言った。悪いけど言ったから。言ってしまったよ。ボーナムさんはまん丸な目をさらに丸くして、棒立ちになった。彼の、イソギンチャクみたいに汗まみれの顔の中央部に位置する口が、開いた。

 「どうゆうくぉとですか。」

 「喫茶店は必要ない施設で、店主であるあなたは、バカみたいに長年に渡ってこの無駄な店舗を運営してきたということです。」

 「嘘だよ。そんなはずないよ。みんな、美味しいって・・・」

 「皆さん、同情していたんですよ。あなたがかわいそうだから。哀しいコーヒーを毎日飽きもせずに作っていたんですから。」

 「やめてよ!」

 「無駄コーヒー!」

 「やめてぇ!!」

 「無駄オープンカフェ!」

 「いやぁ!」

 「喫茶店!」

 「ぐばぁ!!」

 ボーナムさんは耳から軽めに鮮血を噴き出し、ズドンという騒音とともに卒倒した。床の上で、獲れたてのカツオを思わせる動きをかましている。その一方で僕は、恐怖に震えていた。会話の途中から、悪魔に魅入られたように僕の口は勝手に動いていた。しゃべりながら自分の口を触っていたけど、やはり他人の口を触っているような感覚があった。

 ガチャ。背後で、そんな僕の恐怖感を遮る音がした。受話器をとる音だ。その受話器に向かってゼンブが大声で言った。

 「皆さん、必要な存在ですかー!」

 受話器の向こう側から、「ひぁ」「きゅう」「あばぁ」というような、僕にも聞こえるくらい大きく、しかも個性あふれる悲鳴が漏れてきた。彼はさっき、ボーナムさんが連絡した相手にリダイヤルしたらしい。

 「よし。」

 満足そうに、ゼンブは僕に向かって頷いた。彼の、微量の後悔すら探知させない晴れやかな笑顔ときたら。悪魔だ。

 「・・・悪魔だ。あんたら悪魔だ。こんな大規模なアイデンティティー侵害やらかすなんて・・・。」

 青白い顔でお客さんたちが言った。ゼンブはそんな彼らに向かって、勝利を確信したかのように、ピースサインを作った。

 「行こう。」

 ゼンブの掛け声を合図に、僕らは出口へ駆け出した。「逃がすか」という意思をまとい、お客さんたちも後を追ってきた。

 「あなた方、必要な存在じゃないですよぉ。」

 お客さんたちは「ぎゅん」という悲鳴とともに、後方へ吹っ飛んだ。ゼンブの断定的な言い方はダメージが大きかったようだ。

 「効いたね。」

 ゼンブは満面の笑みで言った。僕はこんな大騒動を巻き起こしたことが怖くて笑えなかった。店のドアから外の廊下に出ると、遠くから物騒な人達が走ってきた。

 「銃だ!」

 思わず叫んだ。軍隊のような格好、手には銃を持った集団のお出ましだ。僕らは本能的に、全力で逃げ出していた。

 「皆さん、必・・」

 「無駄だよ。」

 ゼンブが言った。振り返ると、皆、耳から黄色いものが飛び出ているのが見えた。アンビリーバブル。耳栓だ。これじゃ、アイデンティティー攻撃が通用しない。こちらが立ち止まる気配がないと気付いたのか、彼らは急に発砲してきた。後ろでパスンパスンと乾いた音が鳴る。前方に見える、ビルの出口のドアにいくつかの穴があいた。だだっ広い空間に銃声が轟く中、背負ったリュックサックを縦横無尽に揺らしながら、僕らは走る。何とか出口にたどり着き、同時にドアに向かってとび蹴りを繰り出した。

 ガシャン、とドアが素早く開き、僕らは転がるように外へ飛び出した。息つく間もなく、僕らは走った。誰もいない道路に慌ただしい足音が響く。僕もゼンブも息遣いがヒィヒィしてきた。限界は近いけども、走るしかない。足の回転数を維持しながら振り向くと、あきらめの悪い人達が銃をぶっ放しながら爆走してくるのが見えた。車に乗り込む輩も見える。逃げられそうもない気がした。ゼンブも同じ気持ちなのだろう。後ろを振り返って苦い顔つきになった。
 と、数十メートル前方のマンホールの蓋が突然持ち上がり、中から太った男性が顔を出した。その瞬間、もぐら叩きゲームの記憶が稲妻のようによみがえったが、まぁそれはいいや。とにかく、中の男性が叫んだ。

 「飛び込め!」

 「くおおおおおお!」

 僕らは素直に従うしか逃れる術がなかったわけで、雄叫びを上げつつ急加速して、おっしゃるとおりに飛び込んだ。そして、叫んだ男性に乗っかりつつ、下へ速やかに落下した。と言っても、どっちが上かなんかなんて分からないほどゴチャゴチャしてたけど。

 「ちゃぽん!」

 教科書どおりの音をたてて、あっという間に水中へ。男性がクッションになったし、下は水だし。そんなこんなで幸いにも僕は無傷だった。ゼンブも無事だといいけど。生暖かい水中にいつまでもいるわけにはいかない(男性の上にいるわけだし)ので、むっくりと起き上がり、ピュウと水を吹いてみた。立ち上がると、水深は1mくらいだったことに、はっとする。さらには周りを見回すが、視界には完全な闇だけが見えていた。
 モゾモゾという気配の後、急に辺りが明るくなった。男性が懐中電灯のスイッチを入れたのだ。やはり、僕らはトンネルの構造をした下水道の中にいた。オレンジ色の明かりの中に、ゼンブが、壁にもたれて荒い息を吐いているのが見えた。良かった、無事みたいだ。男性は2人に押しつぶされたにもかかわらず、へっちゃら!に見えた。だって、いつの間にかチョコ食ってる。僕とゼンブは手持ち無沙汰で、何となくその姿を眺めていた。男性はチョコを完食すると、ゲップをひとつして言った。

 「どぉよ?映画みたいだったでしょ。」

 確かに映画みたいな展開だったけど、それを口に出して指摘されてもなぁと思った。

 「いやいやいやいや。助かって良かったね。とりあえずはもう安心だから。」

 そう言って巨体所持男性はひとり何度も頷いた。僕は「デブだな」と少し感じた。


    続く                      TOPへ。