しばらく悲しみを乗り越える主人公を気取りながら闊歩していると、ゼンブの言ったとおり、街が見えた。いや、街なんだろうか。だってさ、猛烈な大きさのビルが一棟立っているだけだ。他にあるのは、電柱と道路。なぜか、通りには人が一人も歩いていなかった。
「これが街なの?街というよりビルじゃないか。」
「そうさ。これがナッシング・タウンだよ。」
たぶん、前もって下調べしていたんだろう。ゼンブは驚きもせずに、煙草をくゆらせている。とりあえず、だいぶ歩いたし、喫茶店でも入ろうかという事で話はまとまった。僕らは、「正面玄関」と書かれたシンプルなドアを開けた。大きいビルのくせに、ドアは手動だ。
中に入ると、かなりガランとした空間が現れた。薄暗くて細部までは良く見えないけれど、花も何も飾られてやしない。無表情な壁にたくさんのドアが羅列されている。一言で言えば殺風景だ。ゴウンゴウンと何かのコンプレッサーのような音が、どこかで低く唸り声を上げている。
「私がこの街の案内係です。何か御用ですか。」
後ろで声がした。こっちがまだその存在にすら気付いていないのに、もう自己紹介を終わらせた人が僕の背後に立っているらしい。
「ええと、こんにちは。ちょっと、旅行の途中に立ち寄ったんですけど、喫茶店を探していて。」
尋問されているような口調で焦っちゃって、つい急いで答えた。ついでに、答えてから急いで振り向き、案内係の風貌も観察した。で、笑っちゃった。ブフッて笑っちゃった。
「何がおかしいのですか。」
案内係は眉を片方ピクリと上げて言った。タカのような鋭い顔つき。頭に百科事典を乗せているみたいに伸びた背筋。でも、着ている服は上下おそろいの黒いスウェットなんだもの。ゼンブだって、相変わらず煙草を吸っているけど、その煙草はモーターみたいに震えている。笑いをこらえているに違いないんだ。
「ごめんなさい、笑うつもりは全然なくて。でも、まさか上下スウェットだとは思わなくて。」
「なるほど。旅行者は皆、この服装に驚くようですね。しかし、この服装は一番無駄がないのです。動きやすいし、汗の吸収具合も良い。黒なら汚れも目立たないですし。」
「はぁ。そうですか。」
そう言うしかなかった。こんなに理路整然と答えられたんじゃ納得するしかない。それに、だだっ広く薄暗いホールに三人きり。不毛な話し合いを続けていても、寂しいだけだしね。
「でも、接客という点で考えるとその服装はマナー違反になる恐れは無いのですか。」
あちゃあ。僕がせっかくとりなそうと思ってたのに、ゼンブが参戦してきた。案外、勝気だからなぁゼンブは。ほら、見てよあの目。相手をやり込めたくてしょうがないっていう目だよ。
「服装で相手を判断しようという発想そのものが無駄なのですよ。あなた方は、何が本当に必要なものなのかを少し考えた方がいいかもしれませんね。」
「いや、それはおかしい。人間というものは・・モガ。」
「喫茶店は4番のドアです。ごゆっくりどうぞ。」
案内係はゼンブの口を片手で押さえつつ、ひとつのドアを指差した。ゼンブはその手を払いのけると、何か言いたそうな顔をしていたが、すぐに4番のドアに向かって歩き出した。僕は、急いで駆け寄った。
「僕らはよそ者なんだから、あんまり騒ぎを起こさない方がいいよ。」
「分かってる。ちょっと遊んでやっただけさ。」
ゼンブは不愉快そうな顔をしたまま答えた。バタム。背後でドアの閉まる音が聞こえた。振り向くと、そこには案内係の姿は無かった。どこかの部屋に入ったらしい。再び、静寂の中に僕とゼンブだけが取り残された。
「とにかく、熱いコーヒーでも飲んでゆっくりしようよ。」
「そうだね。」
僕らは、「4番・喫茶店」と書かれたドアを開けた。コーヒーの香ばしい香りが鼻をつついてきた。その香りは確かにちょっと嬉しかったけど、店内の様子は異様だった。板張りの床にカウンター。でも、テーブルと椅子が無い。4、5人のお客さんが、床に座ってコーヒーを飲んでいる。驚いたけど、とりあえず僕らも他のお客さんのように、カウンター近くの床に座ってみた。
なんとなく、周りからの視線を感じる。店主もお客さんも黒いスウェットを着ている中で、僕らだけが色の付いた服を着ている。当然かもしれないな。ゼンブは、さっきの事もあったせいか、何も言わずにアグラをかいて煙草を吸っている。
「ご注文は。」
カウンターの向こうから店主らしきおじさんが聞いてきた。なにしろ、皆が黒いスウェットを着ているので、「店主らしき」と表現するしかないんだ。
「キリマンジャロはありますか。」
ゼンブがそう言うと、2秒くらいの沈黙の後、店内にドッと笑いが巻き起こった。雰囲気的には失笑という感じだった。店主らしきおじさんなんか、カウンターをこれでもかというほど叩きながら大笑い。往年のジョン・ボーナムみたいなドラミングだ。ひとしきり笑った後、ボーナムさんは息を整えながら言った。
「あんた、ここに何を飲みに来たんだ。」
「コーヒーですよ。」
ゼンブがムッとした表情で答える。でも、彼が怒るのももっともだ。僕だって、何で皆が笑ったのか分からない。
「そうだろう。じゃあ、コーヒーを飲みゃあいいんだ。キリマンジャロだなんて無駄な事は言わんでいい。それに、あんた。ピアスを2個も付けているみたいだが、それはどういうことだい。」
今度は矛先が僕に向けられた。
「いや、その方がおしゃれというか・・。」
「ピアスを付けているという事実が欲しいなら、一個で十分なはずだと思うがね。」
「違います!2個は付けなきゃ『おしゃれ』っていう事実は得られないんだ!!」
ピアスにまでケチをつけられたら、さすがに僕だって黙っていられない。負けるもんか。
「ふぅん。そうかい。なら、3個でも4個でも付けりゃいい。そうすりゃ、『とてもおしゃれ』って言ってもらえるんじゃないのかい。まったく、必要も無いもん耳にぶらさげてりゃ世話ねぇよ。で、あんたもコーヒーでいいのかい。キリマンジャロはねぇけどな。」
「じゃあ、聞きますが、あなたは必要なのか。あなたは無駄な存在じゃないと言えるのか。」
ゼンブが言った。その途端、店内の空気が深海のような雰囲気に変化した。僕は、正直に言って爽快な気分だった。うまくやり込めてくれたゼンブと早くハイタッチしたかった。
「あなた達、何て事を・・・。もうおしまいだぞ。」
青ざめた顔で、お客の一人が言った。でも、突っかかってきたボーナムさんが悪いんだ。そんな顔したってだめだ。ボーナムさんはワナワナと震えながら、壁に備え付けてあった電話に手を伸ばした。どこかにダイヤルしている。
「こちら4番喫茶店。アイデンティティー侵害だ。あぁ。タブーを言いやがったんだ。すぐ来てくれ。あぁ。」
電話を切ったボーナムさんはこちらに振り返ると、半泣きの恐ろしい顔で睨み付けてきた。
「それだけは言っちゃいけねぇんだ。・・・それなのに・・・」
良く分からないが、ゼンブは相当まずい事を言ったらしい。お客さん達とボーナムさんは、それぞれ武器になりそうなものを手に取り、こちらへゆっくりと歩み寄ってきている。なんだかピンチだ。僕らは、黒いスウェットに完全包囲されている。
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