僕が、ある山間の村を訪れた時の話をここに記しておこうと思う。記す事によってのみ、僕は救われると思うからだ。
村を訪れたのは、2月くらいだったと思う。詳しく年月を記すのは、ここでは控えておく。思い出そうとすると、とても頭が痛くなる。その痛みは、まるであれみたいだ。駄目だ、「あれ」が何かさえも思い出せやしない。ひどく頭が痛い。僕は、この偏頭痛のせいで大学受験を大失敗した。両親は勉強をし直して来年も受ければいいと言ってくれたけれど、僕は来年も偏頭痛が起こる気がして、気が滅入っていた。だから、リフレッシュをしようと思った。旅に出ようと思った。できれば遠くへ行きたかった。そして、てきとうに電車を乗り継ぐうちにこの村に着いた。そうだ、老人の話を書くのだった。僕の話はもういい。老人の話を書かなくては。
そう、とにかく。とにかく、僕が老人に出会ったのはその村の駅のホームだった。老人は肩に積もる雪を払おうともせずに、一心不乱にホームに止まっている電車の窓を拭いていた。老人は孫の頭をなでるかのごとく、愛しそうな目で窓を拭いていた。僕はなんとなく話しかけてみたくなった。
「こんにちは。寒いですね。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
老人はこちらをチラリと見ただけで、何も答えなかった。僕は「冬なんだから寒いのは当たり前だな」と思い直し、ちょっと工夫してまた話しかけた。
「おいくつですか。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
今度は僕を見ようともしなかった。大失敗だ。でも、大学受験よりはまだいい方だ。大丈夫だ。落ち込むな。自分を落ち着かせて考え直した。老人をどうしても振り向かせたかった。老人をGETできる質問はどれだ。電車か。あれほど丁寧に拭いていたのだから、大切なもののはずだ。僕は、自分にゴーサインを出した。さぁ、質問の始まりだ。
「魅力的な電車です、これは。とても綺麗に磨き上げられていて、太陽光に照らされて輝いたら、いっそう綺麗なんでしょう。あいにく、今日は曇りだけれども。」
僕はゆっくり丁寧に、そしてきっぱりと長いセリフを言い終えた。言いたいことは言った。あとは、老人の返事を待つのみだ。
「・・・・・・・・・。そうだろう。とても綺麗だ。」
BINGO!答えてくれた。セリフを言うと同時に、老人は振り向いた。老人は素早く体を回転させながら振り向いた。両足のかかとを軸にして回っていたのを今でもはっきりと覚えている。回転の動作にともない、老人の足元の雪が舞い上がる。老人はゆっくりと歩み寄ってきた。足取りはしっかりしている。僕の1メートル手前で立ち止まると、握手を求めてきた。ごつごつとしていて、浅黒い手だった。近くで見た老人は、かなり鋭い眼光の持ち主だ。綺麗な白髪を短く刈り込んでいる。背丈はおよそ1メートル65センチ。青いツナギに黒い長靴。髭は剃っている。気が付くと僕はこれらのデータを手帳に書きこんでいた。僕の悪い癖だ。僕は手帳をすぐにリュックにしまった。老人はそんな僕の様子を黙って見ていたが、やがて口を開いた。
「名前は何だ。」
僕は面食らった。そんな唐突に名前を聞かれるとは思わなかったからである。僕は慌てて答えた。
「シバタです。シバタ・キャリストです。」
「そうか・・・・。ファーストネームはどっちだね。シバタか、キャリストか。」
「シバタです。あの、あなたの名前は・・・・。」
「ロウジンと呼んでくれればけっこうだ。」
「ロウジン・・・ですか。名前がロウジンなのでしょうか。あの・・・・・・・、本名は・・・」
「とにかく、ロウジンと呼んでもらえればそれでいい。私は満足だ。」
また怒らせてしまったのだろうか。僕はすっかり落ち込んでしまい、何を話したらいいか分からなくなってしまった。すると、またロウジンは唐突に聞いてきた。
「この村をどう思うかね、シバタ君。」
もう勘の良い方ならお気づきだろう。そう。僕は慌てた。
「どう・・・・・、そうですね。静かでいいと思います。空気も綺麗だし。」
「静か・・・・・・か。」
ロウジンはそうつぶやき、口元に微笑を浮かべた。
「静か・・・確かにそうだな。では、なぜ静かなのか分かるかね。」
僕が答える隙もなく、ロウジンはまた話し始めた。
「答えは極めてシンプルだ。シンプル・イズ・ベストという言葉があるが、あれは私も同感だ。どんな問題であっても、その根底にあるものは極めてシンプルだ。それが政治であっても経済であってもだ。いいかい。この村が静かなのは、『過疎化』が原因だ。原因はそれだけだ。若い人はほとんどが出ていってしまった。村に残っているのは老人だけだ。老人が大声を出すなんてことはありえない。人口も少ない。だから、静かだ。」
僕はまた余計なことを言ってしまったのだろうか。老人はあきらかに苛立っている。そう思っていたら、ふいに老人の顔が穏やかになった。老人はさらに言った。
「私は長年、その解決策を考え続けてきた。本当に長い間考え続けてきた。そして、ひとつの結論に達した。答えはいつもシンプルだ。私はそれを忘れかけていた。いいかい。過疎化を救うには、人を惹きつけるものが必要だ。そうだろう?この村の目玉と言えるものだ。」
老人の言う事は確かにもっともだ。各地の村でも盛んに「村おこし」が行われている。だいたい、祭りやテーマパークで村おこしをするケースが多い。
「私は、村の議会の連中を信用していない。彼らはいつだって会議だけだ。何も行動に移そうとはしない。だから、私はひとりで、いいかい、ひとりでだ。たったひとりで私は努力してきたんだ。」
ロウジンは熱弁をふるっていたが、正直、僕はあまり信用していなかった。僕は村のあちこちを見て歩いたのだが、村おこしをやっている雰囲気はどこにもなかった。僕は皮肉をこめて聞いてみた。
「具体的には、どのような取り組みをしてきたんですか。」
ロウジンは、よくぞ聞いてくれたというように鼻を鳴らした。
「取り組みというよりは、作ってきたという方が正しいかもしれないな。そして、今日。遂に完成に至ったというわけだ。」
ロウジンの自信に満ちた態度に、僕は少々驚いた。「作った」と言っていたが、何を・・・?僕は大声で聞いてしまった。
「どれですか。それはどこにあるんですか。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。目の前にある。」
ロウジンはそう言って、ホームにある電車の車体をバシンバシンと2回にわたって叩いてみせた。
「この電車が、それだ。」
「これですか。」
「そうだ。」
僕には、普通の電車にしか見えなかった。形も変わったところはない。車両は5両編成で、黒い車体の横に銀色のラインが入っている。見たところ、車両の年式も古い。
「僕にはどこにでもある普通の電車にしか見えませんが。」
「そうか。」
ロウジンは僕の発言に怒った様子もなく、ただ微笑を浮かべていた。やがて、ひとつの質問を僕に浴びせ掛けた。
「証拠を見せるには、覚悟が必要だ。君にも、そして私にも覚悟が必要だ。覚悟はあるかね。」
僕は何の覚悟を決めたらいいのか良く分からなかった。だが、ロウジンが冗談で聞いているのでは無いことだけは分かった。老人は僕の目を見据えて、また聞いてきた。
「覚悟は、あるかね。」
僕もロウジンの目を見据えて答えた。
「あります。」
「そうか。」
ロウジンは、それっきりしばらく黙っていた。しばらくというのは間違いかもしれない。なぜなら、僕はロウジンが黙っている間に2回もトイレに行ったし、3回もコーヒーを飲む事ができた。ロウジンはその間、1歩も動かなかった。ロウジンは僕が3回目のコーヒーをちょうど飲み干した時に言った。
「乗りなさい。」
それだけ言って彼は、運転席のドアを開いた。僕はてっきり座席に座るものだと思っていたから驚いた。
「いいんですか。」
「かまわんよ。」
僕が乗ったことを確かめると、ロウジンは赤いボタンを押して運転席のドアを閉めた。ゆっくりと見まわしたが、車体と同じ様に見た目は普通の運転席に見えた。全体がくすんだ緑色に塗られ、様々なボタンが並んでいる。広さは2人が入っても少しまだ余裕があるくらいだ。ロウジンは白い大きめのボタンを押した。すると、車体が細かく震動し始めた。僕の体にも電車の鼓動が伝わる。それとともに、何かが起こる、という予感めいたものも伝わってきた。それが良いことなのかどうかは分からなかった。僕はいつの間にか、背中にひどく汗をかいていた。
震動が始まってから1,2分ほどがたっただろうか。今度は黒いレバーを手前にゆっくりと引いた。キキイイキイイイイイイイという高音を立てて、電車はゆっくりと動き出した。足元でプシュウという、空気の抜けるような音がした。ロウジンは前方に視線を固定させたまま言った。
「運転席の窓を開けなさい。間違ってもドアを開けてはだめだ。窓だけ開けなさい。窓は横に引けば開くから。」
僕は言われた通り、窓だけを開けた。とたんに、冷たい風が窓からビュンビュン入ってくる。外の景色を見回しても、今のところ特に何も起こっていなかった。
「最高速までスピードを上げないと危険なんだ。だから、まだだな。」
何が起こるのかは分からなかった。しかし、ひとつだけ分かったことがある。明らかに、普通の電車よりスピードが速い。僕は着々と不安になってきた。
「もしかして、このままスピードを上げてどこかにぶつけるんですか。ちょっと、それはやめた方がいいと思うんですが。」
ロウジンは少しだけ笑い、鼻を軽くこすった。
「そんなことはしない。私もそこまで馬鹿ではないよ。」
少しほっとした。ロウジンの目つきは、僕にそこまでの想像をさせるほどに厳しかった。ロウジンは速度計をチラ見して、言った。
「そろそろだ。窓の外を見てみなさい。窓から後ろの車両を見てみなさい。」
急いで窓から外を見た。僕の背後で、ロウジンが何かスイッチを押す音がした。そして、車体に変化が起こり始めた。
「君は、さっき言った。シルバーのラインが入っている・・・と言ったね。」
確かに言った。車体の横に太さ30センチほどのラインが入っている。材質は、鉄だろうか。丁寧に磨かれているからか、光り輝いている。そのラインに変化が起こった。ガチャッリという大きな音とともに、ラインが電子レンジの扉のように開いた。そして、ゆっくりと、とてもゆっくりとラインが飛行機の翼のように横に開いていった。僕はそれを、口をあんぐりと開けて見ていた。
完全にラインが開ききると、横に翼のように出ているラインは100メートルほどもあった。5両分の長さだ。それは、ラインというよりも横に構えたカタナのように見えた。カタナが風を切るヒィイイイインヒィイイインという音が耳に響いてくる。僕は聞かずにはいられなかった。
「これは、翼ですか・・・・。飛ぶんですか、この電車。それとも・・・・。」
「それとも・・・何だね。」
僕はできれば聞きたくなかった。答えを聞くのが恐かった。
「斬るんですか・・・。」
「そうだ。これはカタナだ。全てを斬る。」
何てこった。僕はまた窓に駆け寄り、外を見た。カタナは曇り空にもかかわらず、鋭く光っている。線路の近くの民家は、すでにどんどん斬られていっていた。家がまっぷたつに斬られていくのを見たのは、当たり前だけど初めてだった。斬られた民家の上の部分は一瞬ではるか後方へと吹っ飛んでいった。気が付くと、大きな電力会社の鉄塔が近づいてきていた。
「大丈夫なんですか。」
ロウジンは涼しい顔で答えた。
「問題ない。」
確かに問題なかった。鉄塔はあっさりとスッパリ斬られた。電車の車体はびくともしなかった。斬られた鉄塔は電線をぶらさげたままオクトパスのように吹っ飛んで行った。あまりにもスッパリ斬れるので、まったく現実感がわかなかった。まるで遊園地のアトラクションを見てるみたいだった。きれいだった。カタナは次々と、電柱、駅、木、ビルを斬り裂いていった。僕はだんだん、恐くなくなってきた。斬り方があまりにも爽快だった。
「あの、この電車はどこに向かっているんですか。」
ロウジンは、極めて機嫌よさそうに答えてくれた。
「とりあえずは・・・・。トウキョウかな。」
トウキョウ・・・。とんでもないことになるのは分かっていた。だけど、僕の顔はなぜか笑顔になっていた。このままトウキョウに行けば、僕の行きたかった大学もある。斬っちゃってほしい。全部斬っちゃって欲しい。そんな風に思うようになっていた。みんなもこの電車に乗ったら絶対にそう思うようはずだ。僕は狂ってなんかいない。だけど・・。ひとつ疑問が浮かんだ。
「これって、村おこしになるんですか。」
ロウジンは煙草に火を点けた。煙をゆっくりと吐き出し、頭をかきながら言った。
「いいかい。いつか私は聞かれると思う。『どこから出発したんですか』とな。その時、私は村の名前を答える。そういうことだ。」
そういうことか。そんなことを話している間にも、カタナはいろんなものを斬っているんだろう。こんなことを考えている間にも、いろんなものを斬っているんだろう。ふと顔を上げるといつのまにか晴れていた。空はめちゃくちゃに青い。今、ビルの破片が電車の前を吹き飛んでいった。うん、爽快だ。
完