ノリユキ


 午後8時。この時間、必ずやジョウジの父にあたるゲンゾウは酒を飲む。今日も飲む。そして本日であるが、すでにかなり酔っ払っている様子。文字通り浴びるように飲んでおり、半分以上が口に入らずにそのまま胸へと流れ落ちている。そんな状態をジョウジは「ナイアガラ」と呼び、軽蔑している。

 「いやっはぁ、今日もうまいね。俺な。思うんだけれども、海がねぇ、酒でできていたら。もし、できていたならば、俺は海で生活するよ。ダイバーだよ。」

 ジョウジは内心「じゃあ溺死しなさいよ」と思いながらも「はぁ、そうだね」などと相槌をうつ。ゲンゾウはたわ言を言いながら、コップで酒を飲むことを中止、ビンから産直で飲み始めた。あいかわらず、ほとんどは口に入らずに胸へと流れ落ちる。ゲンゾウのまわりには数分前から軽く水たまりができていた。

 「でもなぁ、あれだよなぁ。お互いな、よくこの歳まで病気もせずに育ったもんだよな。うん。ははは。」

 「あぁ、そうだよね。健康だよ。」

 「この歳って俺はまだ21だ。それに、お前はアル中だろう」と思いながらジョウジはまた適当に相槌をうつ。

 「まぁなぁ。でもあれだなぁ、思い出すなぁ。お袋に怒られながらさぁ、いろんないたずらをしたもんだよぉ。なぁ、懐かしいな。お袋、死んじまったのは、あれ、いつだったっけな。なぁ、ノリユキ。」

 「俺はノリユキじゃないよ。」と言おうともしたが、めんどうくさいのでジョウジは黙っていた。ノリユキはジョウジの叔父である。ゲンゾウの弟でもある。

 「なぁ。14歳くらいだっけかな。毎日、俺を狙ってたよな。でもな、知ってるぞ俺は。俺の視力がいいのがうらやましかったんだよな、お前は。お前はいつもメガネかけてたからな。だからだろう。あれは俺じゃなくて、俺の目を狙ってたんだよな。まぁ、時効だよ。べつに恨んじゃいない。でも、びっくりしたよな。ガーガー寝てたら、鉛筆で目玉突こうとしてるんだもんなぁ。はははは。」

「どんな兄弟だ」と思いながら、ジョウジはあいまいな笑みを浮かべて対応した。

 「ああ、そうだったね。ごめん。」

 「まぁいいんだよ。あれ以来、俺達のキズナも深まったしな。」

 そう言いながら、ゲンゾウは酒ビンを口元へ持ってきた。だが、もはやビンをくわえる行為すらできなくなったのか、自らのほっぺたに酒を浴びせかけた。ブシャアという音をたて、酒がほっぺたへ噴射された。

 「でもまぁ、兄弟ってのはいいもんだよぉ。二人で色んな事をしたよな。あれだなぁ、何だっけ。二人で最後に盗みに入ったのはどの家だったっけかなぁ。」

 「んんと、覚えてないな。」

 ジョウジは何とか答えを絞り出した。

 「あぁ、そうだ。世田谷のでっかい家だ。レンガ造りのな。ほんでな、ごっそり盗ったなぁ。1000万はあったわ。あれは、笑い止まらんかったよぉ、なぁノリユキ。」

 「あっああ、そうそう。」

 まさか、こんな秘密を暴露されると思っていなかったジョウジは少々焦っていた。今さらノリユキではないとは言えなくなっていた。しがないラーメン屋を営む父親にこんな薄暗い過去があったとは。思いを馳せる暇もなく、ゲンゾウが叫んだ。

 「嘘をつくなっ!」

 「えっ?」

 ゲンゾウは物凄い形相でジョウジを睨みつけている。目は血走り、髪は逆立ち、彼も逆立っている。

 「俺の目は節穴ではないぞ!あの盗みは、俺の単独犯だ!罠にかかったな馬鹿め!貴様、ノリユキではないな!名を名乗れ!」

 「えーっ!」

 何だか分からないが親父は激怒している。そう感じたジョウジは正直に答えるしかなかった。がんばれジョウジ。

 「ジョウジと申します。」

 「ほう。すると、俺の息子にあたるわけだな。ならば、アメリカでの学生生活の話をしてもらおうか!」

 「何を言っているんだ。俺は外国すら行ったことがないのに。」と思いながら、どう答えるべきか考える。だが、焦っているわけで、当然、気の利いた答えは出ない。

 「あのさ、俺はアメリカになんて行ってないよ。行ったことが無い。」

 「アメリカの話をしてもらう。」

 「えっ、えっっと、じゃあ、その、日曜はだいたい友達のジョンとサーフィンに・・・・。」

 「嘘をつくなっ!」

 「えーっ!」

 「貴様に、ジョンなんていう友達はいなかったはずだ。」

 
 
 ジョウジは、ゲンゾウという名の迷路に迷い込んだ。がんばれジョウジ。


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