夢想

 

 夢を見た。体育館。全校集会。壇上には校長先生。そして、体育館内には在校生が大勢。その全員が僕を見ている。気がする。が、実際に僕を見ているかどうかは分からない。僕は、皆の視線が恥ずかしくて視線を床に落とそうとしているから。でも、全員が僕を見ているのが分かるということは、僕が結果的には視線を落としていないということの表れだろう。羞恥心が限界を超えた僕は、そこからできるだけ早く、仮病を使ってでも逃げ出したいと思うだろう。火事場の馬鹿力という言葉にもあるように、追い込まれた僕は凄い速さで逃げ出すんじゃないかと思う。体育館を揺るがすような震動も無く、要するに音もなく速やかに体育館の外へ脱出する僕の姿が見える。そんな行動を思い浮かべる僕の顔は、今現在、かなりニヤけているんじゃないかな。カジキマグロを釣り上げた漁師は、その一匹だけで大金を稼ぐと言われている。その漁師の、笑顔。今の僕の笑顔とシンクロする部分があるんじゃないかな。一方、鮫を釣り上げた漁師はどうだろう。鮫のヒレはフカヒレにも使われるくらいだから、やはり大金を得るのだろうか。鮫は頭を切り落とされても一時間は生きていると聞いたことがある。頭だけの鮫に腕を噛まれた漁師もけっこう多いのだという。そう考えると、漁師の恐怖感は皆に見つめられる僕の恐怖感と、少しはシンクロする箇所があるんじゃないかな。頭を切り落とされた鮫。それが、こう腕にガブッと。

 僕は、漁師の腕に噛み付く鮫の姿をリアルに全身で再現しようとしていた。僕を見つめる人達は大笑いしているんじゃないかと恥ずかしくなる。しかし、どうやら誰も笑っていないようだ。僕の耳に笑い声は入ってこない。ということは、僕は微動だにしていなかったということなのだろう。そもそも、本当に僕は皆に見られているのだろうか。よく考えてみれば、元々僕は人と目を合わせることなく生きてきた人間だ。本当に、皆が僕を見ているなんてきちんと確認したのかい。どうせ、いつもの虚言癖が口をついて出ただけじゃないのかい。嘘をつくと許さんぞ。ちょっと軍人口調でおどけてみる。あれ、軍人口調だって。声に出して言ってしまったのか、僕は。いやいや、そんなはずはないさ。そんな度胸はないさ。ほら、ごらんよ。だれも、笑っちゃいない。笑いを堪える者すらいない。皆、口をぎゅっと結んでただ僕を見ている。そんな気がする。僕と同じクラスの、僕の前に立つ友人。彼も僕を見ている。君くらい、何かを言ってくれてもいいんじゃないのか。そんな気持ちで、僕は彼と目を合わせようと試みる。まぁ、試みるったって実際にやるつもりはない。僕は皆と目を合わせているから。友人だけを優遇するつもりはサラサラないんだ。皆に見られているのが分かる位置に僕は立っているんだろう。そうでなくては、皆に見られているという確信を得られることはないはずだ。何だろう、この確信は。僕は背中に目がついている訳でもないのに、なぜ背後の人間まで僕を見ていると、これほどの確信が持てるのでしょう。そんな能力を持つ妖怪だろうか。僕が妖怪だから皆が見ているのだろうか。このいかんともしがたい哀しさと虚脱感はそのせいなのですか。僕の頬を伝う涙はそのせいですか。なんてね。泣いてないよ。鳴いてないよ。啼いてないよ。ははははは。笑ってもないからね、いちおう補足として言っておくと。


 あぁ、全校集会。合計5ヶ所のバスケットゴール。その全てにダンクシュートをかましたら、皆は拍手喝采だろうか。僕の哀しみは、NBAへの道へと変貌するのかしら。ダムダムダムダム、ガコン。駄目だな、僕の背じゃ届くはずもない。脳内シミュレーションしたけども、板にボールを当てるのが精一杯だ。よく考えたら、バスケをしている場合じゃないし。けっこう病弱だし。あっ、分かった。僕は例年通り、校長先生の話の最中に貧血で倒れる生徒なんだ。だから、皆は何が起きたってな感じで僕を見てるんじゃないかな。でもなぁ、意識あるんだよな。それに、倒れたとなると、校長先生の顔も見られない位置にいるはずだ。駄目だな、捜査はふりだしに戻っちまった。僕は苦い気持ちで本日7本目の煙草に点火する。ラッキーセブンの7本目。でも捜査は進んでないからアンラッキーセブンの7本目だね。その時、僕のつまらないギャグに、壇上の校長先生の顔が少し笑顔になった気がした。僕は少し救われたような気分だった。たとえ、それが勘違いだったとしてもいい。僕は満足だ。この凍りつくような体育館内の空気を何とかしたかったんだ。微量でもいいから、皆がもっとユーモアを解する気持ちがあれば、もっと体育館はあったかくなると思うんだけど。ただ勘違いしないで欲しいのは、僕が本当に面白いと思ってあのギャグを言ったのではないということ。君ら、在校生のレベルに合わせたつもり。これで笑わないというのは、君らの頭がどうかしてるか、もしくは僕が実際には何も言っていないということ。校長先生が笑ったのも気のせい。でも、そんな結論はあまりにも哀しすぎるから、僕は目をそらすよ。君ら在校生の頭がどうかしているという方向でいくつもりだ。わがままな僕をどうか許して欲しい。

 初めてラスベガスに行った時に、カジノに飽きてしまった在校生が、もう店を出ようと僕を促しても、僕は聞き入れずに、ずっと賭けポーカーをしていた。結局はそこで有り金の8割をすってしまった。いつでも、僕は自分のことしか考えていない。今まで、一度でも在校生を思いやったことがあるだろうか。考えなくたって分かる。あるわけがない。そりゃあ、皆が僕をじっと見つめたって、文句を言える立場じゃないや。でもね、校長先生は別。あんたに借りはないぜ。
僕は目の前の校長先生の襟首を掴んで、そんな感じに罵ってやりたかった。・・・・ん。あれ、目の前に校長先生ですか。ということは、僕がいるのは壇上ですか。なぜですか。あっそうか。でも壇上にいるから皆の視線に気付くのか。そうかそうか。手の平がかさかさするのも、乾燥のせいではなくて卒業証書を手にしているからですか。そうかぁ。なるほどなぁ。卒業かぁ。卒業式シーズンだものなぁ。切ないんだろうな、卒業ってのは。そんな夢想にふける僕は、本日8本目の煙草を口に咥え、ヤニで黄ばんだ天井を見上げる。

                                         

目次に思いを馳せる