日本地図の原点は・・・

日本の地図の歴史的な原点と、地理的な原点を調べてみました。

 (2008年11月)
 (2018年10月 一部修正&加筆)



(画像をクリックすると拡大できます)
     

 日本地図の原点といえば・・・、時間的、歴史的には伊能忠敬による「大日本沿海輿地全図」 であると思います。
 伊能忠敬は、江戸時代の後期に下総国香取郡(今の千葉県香取市佐原)で商業(造り酒屋)を 営んでいました。江戸に出て幕府天文方暦局として測量・天体観測を始めたのは50歳を過ぎてからのことです。 最初の測量は蝦夷地(現在の北海道)でしたが、一部宗谷付近については弟子の間宮林蔵に任せています。 そして足かけ十数年、71歳にいたるまで全国の海岸線や街道をめぐって測量を進め「大日本沿海輿地全図」を 完成させました。(実際に完成したときにはすでに世を去っていましたが弟子たちによって作業が続けられ、 1921年7月10日に江戸城大広間にて完成しました。)
 「輿地」というのは「大地」というようなことを意味するもので、史上初の実測に基づく日本地図 ということになります。別名「伊能図」ともいわれ当時としては国家機密に相当する重要なものでした。 シーボルト事件というのがあって国外に持ち出そうとしたことが発覚し処分されています。
 国立国会図書館のホームページで公開されているので一目見てみることをおすすめします。
 ちなみに伊能忠敬は当時深川に住んでおり、測量の旅に出かける前には必ず富岡八幡宮にお参りして 安全祈願をしたということで境内に銅像が建てられています。




 次に地図の水平方向、つまり緯度・経度の基準点と、垂直方向、つまり標高・海抜の基準点についてです。
 全国に点在する三角点の総元締めが「日本経緯度原点」であり、この基準点を基に三角測量をして水平方向の 位置を求めています。
 港区麻布台のロシア大使館東側の路地の突き当たりに国土交通省狸穴(まみあな)分室があり、 その一角に「日本経緯度原点」があります。もともとは東京天文台のあった場所です。

 測量法という法律にも測量の基準について、位置は「経緯度及び平均海面からの高さで表示する。」とあり、 原点は「日本経緯度原点及び日本水準原点とする。」とあります。つまり原点を基準に測量せよということであり、 その原点についても政令で定められ、
【日本経緯度原点】
地点:東京都港区麻布台二丁目十八番一地内日本経緯度原点金属標の十字の交点
原点数値:次に掲げる値 
経度:東経百三十九度四十四分二十八秒八七五九
緯度:北緯三十五度三十九分二十九秒一五七二

と記されています。


 左の画像の花崗岩の台座の中心に、真鍮製の金属標 がはめ込まれています。この十字の交点が日本経緯度原点そのものです。



 一方、標高の基準点についても次のように定められています。
【日本水準原点】
地点:東京都千代田区永田町一丁目一番地内水準点標石の水晶板の零分画線の中点
原点数値:東京湾平均海面上二十四・四一四○メートル二十四・三九〇○メートル

 この水準原点のある場所は国会議事堂正門前の憲政記念館隣り洋式庭園内にあります。 住所表示は永田町1丁目1番地で、政治の中心のようなところです。小さいながらも威厳のある構造物があり、 上部に菊の紋章と「大日本帝国」の文字があるローマ神殿風の建物は「日本水準原点標庫」 (東京都指定有形文化財)といいます。そして中央の「水準原点」とデザイン文字で書かれた下の菊の紋章 のある扉に中に原点を標した水晶板が納められているそうでが、通常見ることはできません。
 

 当時この場所は国土地理院の前身である参謀本部の陸地測量部があったところです。
 しかしなぜ24.4140という中途半端な数値かというと、設置当初の数値は24.5000m であったものの関東大震災によってほんの少し地盤が沈んでしまったからということです。 ちなみにその24.5mという半端な数字のもとは、この水準原点ができた日が明治24年5月 だからなんだそうです。

 (注:東日本大震災によりさらに24o低くなったため、2011年10月21日 に24.3900mとなり、今はこの数値が使われています)
 ということで幾多の震災や戦火をもまぬがれた明治期の貴重な近代洋風建築ということになります。


 そして「平均海面からの高さ」ということですが、これは東京湾の平均海面を元にしています。 ちなみに東京湾の平均海面からの高さを「標高」といい、そうでない場合でも平均海面からの高さは「海抜」 といえるようです。
 東京湾の平均海面は明治6年からの6年間の平均水位を測って求めたといいます。 その場所は「霊岸島水位観測所」といって隅田川の河口に近いところです。 左の画像の施設は最近のもので当初はここより約36m上流にありましたが護岸整備のため(平成6年) この場所に移っています。 元の位置には銀色の柱(奥は中央大橋)が残されています。
 この観測所ですが、土木の設計図などで高さを表す逆三角形をかたどっており、 しかもこの位置の東経139度47分にちなんで一辺の長さを13.947mとしています。 観測室がまた変わっていて、斜方十二面体という形で川に沿って視点を移動していくと正方形、正六角形、 八角形と変化して見えるものです。
 しかし現在では東京湾の埋め立てにより隅田川の水の影響が大きく、平均海面を決めるということに 適さなくなってしまい、その機能は三浦半島の油壷験潮所に移っています。

【霊岸島とは】
 隅田川と亀島川、そして日本橋川に囲まれた江戸時代からの埋立地です。 現在深川にある霊岸寺がかつてあったところからこの名前がつきました。

 
メニューに戻る

ホームページに戻る