「坂本隧道」
横須賀市の坂本町から東逸見町に至る峠道にあります。内部はレンガ積みですが天井は保護されています。 長さは120mほど。 「このトンネルは、横須賀市営水道創設事業の一環として逸見配水池から 不入斗陸軍重砲兵連隊(現不入斗中学校)を経由、上町および汐入方面に至る配水幹線布設のため、 水道トンネルとして大正8年12月に造られたものです。水道局によって造られたトンネルで現在に至るまでの長い間、 通行に利用されているものは、市内に数多くあるトンネルのうちでは唯一のものです。 昭和61年3月 横須賀市水道局」 (トンネル内部の説明版より、原文のまま) (2006.3.19) |
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「猿島の要塞トンネル」
横須賀市三笠公園の沖にある猿島は幕末のころから明治、 昭和とずっと海を守る軍事施設として利用されてきました。明治17年にはロマネスク様式、 フランス積み煉瓦造ボールド構造という要塞が造られ、幹道、兵舎、弾薬庫などがあります。 弾薬庫や兵舎は島の中央部を貫く露天掘りの幹道に沿って存在し、約90mのトンネルで結ばれています。 (現在公開されているのは幹道とトンネルのみです) フランス積みのトンネルというのは珍しいものらしく、ここを含めて国内に四ヶ所しかないようです。 トンネルといっても要塞内の通路であり、そのトンネルの壁沿いに塞がれてはいますが弾薬庫の入口も見られます。 このような構造のため、この要塞は島の外からまったく見えません。 猿島について詳しくはこちらで。 (2004.3.21) |
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「観音崎、砲台跡のトンネル(1)」
観音崎も古くから東京湾の守りについた場所でした。北門第一砲台、第二砲台、三軒家砲台と いくつかの砲台跡があります。 この画像のものは北門第三砲台に続くトンネルです。 いわゆる「レンガのトンネル」で観音崎トンネルのほぼ真上にあります。 50mほどですが内壁一面はフランス積みの赤レンガ造りです。 少し登り加減になっていて出口には北門第三砲台跡や弾薬庫跡があります。展望台も併設されています。 (2006.3.25) |
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「観音崎、砲台跡のトンネル(2)」
同じくこれは、北門第二砲台に続くトンネルですが、突き当たりは東京湾海上交通センターになります。 南側の一般道路からかなりの勾配を上がってきた出口側の画像です。画面の左手に北門第二砲台跡があります。 また崩落の危険ありとのことで通行禁止になっていますが、内部はやはりただのトンネルではなく、 砲台につながる通路跡もあるようです。 (2006.3.25) |
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「観音崎の砲台跡のトンネル(3)」
海上自衛隊警備所前の一般道路から海辺の遊歩道に抜けるトンネルです。入口は素直ですが、 出口側は要塞らしくなぞの構造になっています。このあたりには北門第一砲台跡があります。 トンネル内部はこんな感じです。 (2006.3.25) |
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「油壺、諸磯湾の素掘りトンネル」
ちょっとわかりにくい場所ですが、油壺湾と諸磯湾に挟まれた小さな岬にあります。 岬に向って細い道を入っていくと長さ数十mの素掘りトンネルがあります(上の画像)。 出口側は船会社のようなところで行き止まりです。 このトンネルの入口に向かって右手直角方向にもう一つのトンネルがあったのですが、 フェンスでがっちり固められ入れません。長さや大きさともに同程度ですが、 どこに行っているのかよくわかりません。 (2006.3.25) |
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「久里浜、千駄ヶ崎の旧トンネル」
東京電力横須賀火力発電所の近くにあります。元々は千駄ヶ崎の砲台に向う軍用トンネルだったそうです。 そのためか霊感の強い人にはそれなりだとか。1926年(大正15年)竣工で長さは100mちょっと。 コンクリートで上塗りされていますがトンネル内部は右の画像のようになっていて、 レンガ造りであることがわかります。 (2006.5.3) |
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「走水第一、第二トンネル」
二連のトンネルで国道16号線の走水から旧道の馬堀海岸駅方向に向って一方通行路になっています。 これは馬堀側の第一トンネル出口で、モルタルが吹き付けられていますが石積みとレンガ積みが古さを出しています。 (2006.5.3) |
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「比与宇トンネル」
JR田浦駅から海側の旧海軍引込線跡にそってベイスターズ練習場に向かう所にあります。 鉄道と車道の共用になっている珍しいトンネルですが、すでに鉄道のほうはアスファルトで埋められています。 この引込線は「旧海軍軍需部比与宇弾薬庫引込線」と言われ近くには旧軍の火薬庫などがあり、 かつてはこのトンネルの中で弾薬の積み下ろしをしたとされています。 (2006.5.3) |
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「米海軍横須賀基地内のトンネル」
この米海軍横須賀基地は旧日本海軍工廠や横須賀鎮守府のあったところです。 基地内にはいくつかのトンネルや防空壕の跡があるのですが、 これはその一つで旧砲術学校への道にあるものです。当時のエリートたちが胸を張って通ったといいます。 基地内のドックや艦船などを見学する機会があったのでコースの途中から望遠で撮影しました。 (2006.5.21) |
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「平六トンネル」
追浜東町にある浦郷小学校通学用のトンネルです。高さは2m程度でいかにも小学生専用という 小さなトンネルです。直線で約90m、さすがに照明がしっかりしていて明るいのですが、 たぶん車の通行は無理でしょう。このトンネルは平六という人が一人で掘り進んだもので、 昭和14年に完成したとのことです。 (2007.4.1) |
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「日向隧道」「榎戸隧道」「追浜隧道」
京急田浦から夏島方面に向うバス通りに煉瓦で飾られた3本のトンネルがあります。 旧海軍航空廠が浦郷地区に設置された翌年の1933年(昭和8年)に3本そろって完成しています。 したがって見た目はいずれも同一です。 (2007.4.1) |
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「梅田隧道」
船越町にある日向隧道の旧道にあたるトンネルで、横須賀市内で民間人によって掘られた最初のトンネルです。 つまり海軍基地に働く人々の通勤のために険しい山道を越えずにすむようにと、 地元有志によって私財を投じて2年をかけ掘られたものです。自力でやり遂げ、 ボランティアの先駆けでもありました。直線で約200m、1888年(明治21年)の完成です。 (2007.4.1) |
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「筒井隧道」
榎戸隧道の近くにあります。「トンネル内先入車優先」とあるとおり狭いです。 なのになんでこんなに背が高いのでしょう? トンネル越えの勾配を緩くするために後日掘り下げた結果なんだそうです。 1905年(明治38年)に造られたトンネルです。近くには1911年(明治44年)に造られたという 深浦隧道もあるのですがこちらはこれといって特徴はありません。 (2007.4.1) |
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「浜見台隧道」「第二浜見台隧道」
形としてはごく普通のトンネルですが、2つのトンネルが互いに直角に対面しているということで 取上げてみました。京急追浜と田浦の中間、浜見台にあります。 (2007.4.1) |
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