静岡県の林道トンネル




「旧天城トンネル」(正式名称は「天城山隧道」)

 国道414号線、いわゆる下田街道を下って有料の新天城トンネル(すでに無料化されています) 手前を左側の旧道に入るとあの踊り子一行が歩いたという文学的な道とトンネルがあります。 トンネルは明治35年に築造された長さ445.5mの石組のトンネル(切り石を積み上げた総石造り)です。 平成13年に国の重要文化財に指定されました。ただ、幅は4.1mとやや狭いので車のすれ違いはできません。 照明は天井ではなく両側面にあります。
 明治32年生まれの川端康成は19才の時(大正7年)に伊豆に旅行をしています。 小説「伊豆の踊子」はその時の体験をもとに作られたとのことです。 トンネル内から南側出口を見るとこんな感じになります。
 (1998.12.5) 
「三津坂(みとざか)隧道」

 伊豆長岡町、内浦三津の県道伊豆長岡三津線にあります。上の画像は内浦湾側からの坑口で、 この右手に細い道がついていますが旧道と旧トンネルは未確認です。
 反対の伊豆長岡側からはトンネルの300mほど手前左手に旧道があり、 直進するとラブホのところで道は消えます。そこから藪の中に細い道と旧トンネルの坑口が見えます。

 やや不気味な感じがするのですが、近づいて見るとトンネル自体はかなり小さく、 車の通行を前提には作られていない感じです。直線で出口まで見えますが、中はビチャビチャで入る気はしません。 石組の坑門は旧天城隧道と同じであるもののそれより前の明治29年に竣工しているとのこと。 延長175m、幅3.6m。なお、こちらは井上靖の小説「しろばんば」にゆかりがあるようですが、 それにしてはお姿が何とも…。
 (2003.12.27)






「田子の素掘りトンネル」

 西伊豆に田子漁港がありますが、そこの造船所のある突端に向って細い道を進むと二つの短い トンネルが現れ、手前が「地頭田隧道」、奥のほうがこの素掘りのトンネルです。 地頭田隧道は扁額に隧道名とともに「昭和九年二月竣工」と右から書かれていました。
 このトンネルを取り上げたのは付近一帯がかつての田子特攻基地であって、 特攻艇(震洋)を格納するいくつもの洞窟があったその場所に通じる道であるためです。このような洞窟は 36本あったということです。ベニヤ製の船体の前部に炸薬を積み込んで敵に体当たりしました。
 (2008.7.27) 



「湯之奥猪之頭トンネル」

 山梨県身延町下部と静岡県富士宮市猪之頭を結ぶ「湯ノ奥猪之頭林道」の峠にあります。 長さは500m位。このトンネルの猪之頭側は富士山撮影に絶好のポイントです。 
 (1998.5.16) 



「井川雨畑林道のトンネル」

 井川雨畑林道の井川湖側にある唯一のトンネルですが、名前らしきものは特にありません。
 (2005.10.1) 



「田代第1トンネル」

 井川湖の北の端から畑薙ダムに向かう最初のトンネルです。このあと第2、第3、 第4・・・と続きます。
 (2000.11.4)  
「夏焼隧道」

 水窪町、飯田線大嵐(おおぞれ)駅の近くにトンネルがあります。 もともとは鉄道が走っていたようで佐久間ダムにより水没するため、水窪経由へと付け替えられたときに不要となり、 その後県道として利用されたものです。その旧線のトンネルは2本あり、 1本目(上の画像)は短いのですが2本目(下の画像)は1.2kmの直線で夏焼隧道と名前があります。 県道自体はトンネルを出たところで閉鎖されていて通行できません。 でもなぜか照明があるのはトンネル出口に夏焼という集落があるためだと思われます。

 ところで、この大嵐駅そのものは静岡県にあるのですが、 日本で1か2の小さい村として有名な愛知県富山村の最寄り駅であり、 駅舎は愛知県側で建てたものとのことです。雰囲気的には似つかわしくないおしゃれな駅舎です。
 (2005.4.30)



「宇津ノ谷トンネル」

 国道1号線で静岡市から岡部町に入るところに宇津ノ谷トンネルがあります。
 それとなく通り過ぎてしまうのは平成・昭和のトンネル(上の画像)で、 実はこの峠には大正のトンネル(中の画像)と、明治のトンネル(下の画像)があるのです。 静岡側からは道の駅の隣の旧道を上っていくと大正のトンネルにたどり着き、現役で通行できます。 明治のトンネルは寂れたラブホの間の狭い道を進んでいくと案内広場の先にあります。 明治9年に掘られたわが国初の有料トンネルだったそうです。長さ223mで、人の通行料が6厘、 馬はその倍額。現在は車止めがあり歩行者自転車専用となっていて時代がかった照明もついています。

 余談ですがこれらのトンネルの上には旧東海道の峠もあり、豊臣秀吉、 徳川家康らの戦国武将もこの峠を通っていて、その名残を残す宇津の谷の集落も現存します。

 (2005.4.30)



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