山梨県の林道トンネル(T)



「笹子隧道」

 笹子峠旧道のトンネルで、トンネルコレクションのきっかけとなったところです。
 大月側からは現甲州街道の新笹子トンネルに入る手前で旧道の山道を登っていきます。 峠にはこのトンネルがあり、表情にはとても威厳があります。 洒落た面構えになっていておでこのあたりには「道隧子笹」と書かれています。

 大月から甲斐に抜ける笹子峠は甲州街道最大の難所でしたが、 今では鉄道を含め6本のトンネルが掘られています。 このトンネルはその中の最古のもので1938年(昭和13年)に開通しました(長さ240m)。 1958年(昭和33年)に下の国道が出来る前は頻繁に往来があったのでしょうが、 現在ではすっかり忘れられた存在となっています。なお、大和村側坑口はこのような造りにはなっておらず地味です。
 (1997.3.21)


「追分トンネル」

 同じく新笹子トンネルの手前から黒野田林道に向かうときの笹子側にあります。この画像は黒野田側で、 以前はさらに手前のGSのところの追分バス停から川沿いの沢道を登ってこの場所に合流しました。 笹子ダム建設予定とやらでこのトンネルで迂回するようになったので比較的新しいものです。
 (2000.11.11)


「御坂隧道」

 県道河口湖御坂線の峠にあるトンネルです。
 新御坂トンネルが有料であった頃はそれでもかなりの交通量があったのですが、 無料開放となった今ではもうほとんどありません。トンネル手前の右手には太宰治で有名な天下茶屋があり、 近くには記念碑もあります。ここからの富士山と河口湖は絶景です。このトンネルの正面、 つまりおでこの所には「天下第一」と、そして反対側坑口には「御坂隧道」とそれぞれ右から左に書かれています。
 1931年(昭和6年)の竣工です。トンネル自体は中ほどが高く弓なりになっていて、 直線であるにもかかわらずそれぞれの入口から出口は見えません。全長約400m弱。
 (2003.12.7)
「新鳥坂トンネル」

 東八代郡八代町と芦川村を結ぶ県道の峠にあります。
 上の画像は芦川村側からの新鳥坂トンネルで、長さ479m、菊の花の飾り模様があります。 この左手に旧道が伸びていて舗装路を300mほど進むと突き当りには旧の「鳥坂トンネル」(下の画像) があります。既にコンクリートで塗り固められていて入れません。

 一方、八代町側は少し下ったところにゲートに閉ざされた旧道の入口があり、 こちらは坑口までの距離が少し長いです。新鳥坂トンネルのこちら側のポータルにはスズランの飾り模様があります。
 (2001.4.28)


「文化洞隧道」

 南都留郡足和田村の河口湖−西湖間の峠にあります。 河口湖側(上の画像)からは文化洞トンネル手前の左手にかろうじて旧道であったことを示す石組みがあります。 今は十二ヶ岳登山道となっていて、 ここを登ると新トンネルの真上あたりにふさがれた旧トンネルの坑口を見ることができます。 木や草が生い茂っていて近づくことはできません。

 西湖側(下の画像)はもっとはっきりしていて、新道を通りながらも旧トンネルのあるのがわかります。 新トンネルの長さが164mであることから旧トンネルもそれより少しだけ高い位置で短く掘られていたようです。 なぜ“文化”という名前になったのかはよくわからないのですが、旧トンネルの西湖側には右から「文化洞」と 書かれた扁額がありました。
 (2002.6.22)




「天目トンネル」

 大和村天目山温泉の手前にあるトンネルで、温泉側(北側)から見て左手に小さい 旧のトンネルを見ることができます。この画像の小さく光っているのがそれで、 国道側から上がってくるとトンネル手前右手に大蔵沢林道の分岐があリ、 すぐのところに旧トンネルの入口があります。
 入ることはできるのですが抜けることはできません。
 (2001.4.28)   
「大蔵沢林道のトンネル」

 大和村天目山温泉の天目トンネル手前の分岐を右に行くと大蔵沢林道になり、 入口から登り始めてほどなくしたところに真っ暗なトンネルがあります。
 (1997.12.20)

 林道を米背負峠に向けてさらに登って行くと下の画像の峠のトンネルに着きます。 現在工事中でどこに抜けるのか良くわからなかったのですが、 最近、入口の表示に「林道大蔵沢大鹿線」となっていたので大月側の大鹿沢あたりかと思われます。 なお、大鹿沢側も工事中でした。
 (2000.9.9) 


「本栖隧道」

 本栖湖の東側、国道300号線上に「本栖トンネル」(上の画像はその北側)がありますが、 この湖側には普通にはまったく気付かれないようにしてガードレールや交通標識とともに旧道があるのです。 木や草が生えてしまっていて近づくのに苦労しますが少し歩けば旧トンネルになります。 コンクリートで塗りこめられていますが扁額は「本栖隧道」となっています。
 南側からも同様にして湖側に旧道の存在が確かめられます。 そして気になるのがこちら側からの旧トンネルの扁額、 右から「山秀水○」となっていてこの○が何であるのかわからないことです。
 (2005.12.30)
 
 後日、林道仲間の方から「山秀水清」(山ひいでて水きよく)ではないかとコメントをいただきました。


「旧中之倉隧道」

 国道300号線、本栖みちにある中之倉トンネルの本栖湖側は富士山のビューポイントでもあります。 千円札の裏側のデザインとして有名です。
 この場所を少し左にそれていったところに売店(浩庵荘)がありますが、 その裏側に旧トンネルの坑口が見られます。倉庫か何かの裏側で見にくくなっていますが、 脇のほうから覗かせてもらうとコンクリートでふさがれた坑口の上に「境佳麓岳」と書かれた扁額が見られます。

 旧本栖トンネルと同じく右から見れば「岳麓佳境」となるのですが、その意味を辞書を引いてみると 【岳麓(がくろく)は山のふもとをいい、特に富士山のふもとをさしている。佳境(かきょう)は興味深い所、 おもしろい場面】とありました。 つまるところズバリの表現でした。 なお、反対側の坑口については確認できません。
 (2006.12.28)
 


「旧宇の岬トンネル」

 精進湖西側のほとりには宇の岬トンネルがありますが、 その湖面側に一回り小さい旧トンネルがあります。塞がれている上にこれといって名前などを示すものはありません。 上の画像は南側からのものであり右手奥に旧トンネルがかすかに見られます。
 北側からは営業をやめてしまった精進ホテルとともに廃な姿をさらしていますが、 精進ホテル入口というバス停だけが健在でした。
 (2006.12.28)


 
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