神奈川県の林道トンネル(T)




「橋沢隧道」

 国道20号線(甲州街道)の津久井郡相模湖町と藤野町の間にあります。 相模湖の北側をくねくねと曲がっているときに現れます。ごく普通のトンネルですがあえてここに掲載したのは、 この街道の新宿−大月間で唯一のトンネルだからです。
 (2005.4.9)
「丹沢、唐沢林道のトンネル」

 今では完全に入れなくなった唐沢林道ですが、そこには2つのトンネルがあります。

 上の画像は秦野清川線側にある「火打澤隧道」(約100m)です。 唐沢林道は唐沢川を中程にして2つの峠をそれぞれトンネルで通過しています。 全線舗装、1.5車線。これといって眺望が良いというわけでもないのですが、 丹沢の山の中に深く入った雰囲気があります。

 下の画像は清川村役場に近い方の物見峠の下の「物見隧道」(約200m)です。
 (1997.5.1) 






「山神トンネル」

 厚木市広沢寺温泉の先の二の足林道にあります。
 広沢寺温泉入口を入って山の中を進むと約1kmほどで通行止めの標識があり、 なんとなく二の足を踏むような感じですが思い切って入ってみると200mほどのこのトンネルがあって、 出口の先は終点となります。
 (1998.2.28) 
「孫右衛門トンネル」と「小洞トンネル」

 犬越路林道のゲートの向こう側にあり、今となってはもう入れません。

 神之川ヒュッテの先のゲートを越えて行くと川沿いに2つのトンネルがあります。 最初が「孫右衛門トンネル」(上の画像)でカモシカのレリーフがあります。

 そして次が「小洞トンネル」(下の画像:出口側)で、 カワセミとヤマセミのレリーフが入口と出口にあるきれいなトンネルです。 このさき白いアーチ橋を渡ったところが広河原で、ここから川を離れて急な登りになります。 Uターン登りで神ノ川林道が見おろせるようなると、平坦な舗装路になり、 峠のトンネル手前のゲートにたどり着きます。
 (1997.6.15)






「犬越路トンネル」

 ズバリ犬越路林道の峠のトンネルで、足柄上郡山北町からも登ることができます。 神ノ川からはダート路を広河原まで行き、そこから旧坂を登ると上部ゲートがあってそこを抜けたところにあります。 直線で750m位です。また山北町側からもこのトンネルまでたどり着けます。 (なお、現在でははるか下にゲートができ、トンネルまでもたどりつけません。)
 この画像は津久井側ではなく、山北町側で、脇に水場のある富士見園地と開設記念碑があります。 名前のとおり富士山が少しだけ見えます。
 (1997.6.15)



「清川トンネル」

 清川村宮ヶ瀬の村道土山高畑線にあります。といっても名ばかりで未成路です。 長者屋敷キャンプ場近くにゲートで入れない大きな橋がありますが、その先が村道土山高畑線です。 ゲートから徒歩約15分でこの清川トンネルに着きます。長さ653m、直線で1995年完成。 トンネルを出た先が気になるのですが未調査です。道路は消えているらしく、 土山峠側からの道にはところどころに橋はかかっていますが接続していないよいうです。 つまり、捨てられたトンネルということになります。
 (2004.5.23)



「汁垂隧道」

 宮ヶ瀬湖のビジターセンター近くに早戸川林道の起点があります。 ここもゲートで入れないのですが徒歩約20分で汁垂(しるたれ)橋の先の汁垂隧道に着きます。 長さは数十m、いくつかの地図にはこのトンネルの手前にもうひとつトンネルがあるようになっているのですが、 実際には存在しません。
 (2004.5.23)  



「奥野隧道」

 津久井町鳥屋の奥野林道の峠にあるコンクリート製トンネルです。 何の変哲も無い寂しいトンネルですがキンキラキンの扁額だけが印象に残りました。
 (2004.5.23)



「塩水トンネル」

 清川村の県道秦野清川線の塩水橋近くにある短いトンネルです。 宮ケ瀬湖からヤビツ峠に向って南下すると塩水橋のところでヘアピン折り返しとなり、 続いてこのトンネルを通過します。見通しは悪いし、どうにも広げようのないトンネルです。
 (2004.7.3)
「半原の名無しトンネル」

 国道412号線は半原バイパスとして愛川町を貫いているのですが、 中津川沿いに旧道とそのまた旧道があります。旧々道は2つのトンネルで結ばれていますが、 現在はそのうちの1つ(上の画像)が歩行者自転車専用としてかろうじて通行できるものの、 もう1つ(下の画像)は完全に通行できません。
 (2004.5.23)

 (後日、このトンネルは戦時中に飲料水を横須賀の海軍基地まで運ぶために設けられたもの との情報をいただきました。よって、旧々道ではありませんでした。)






「東隧道」

 JR横須賀線保土ヶ谷駅の南の高台を少し上がったところにあります。長さは約170m、 1930年(昭和5年)の建築で横浜市認定歴史的建造物となっています。 また横浜水道に関わる隧道土木遺産でもあり、フランス積みにされた“焼過(やきすぎ)煉瓦”と 白の花崗岩で装飾されています。
 (2007.4.14)



「大原隧道」

 東隧道のさらに南を京浜急行南太田駅に向ったところにあります。東隧道と同じデザインですが 一回り小さい馬蹄形をしています。この両者のトンネルは関東大震災の復興事業の一環として、 横浜市水道局により水道本管を敷設するために造られたのもので同じく横浜市認定歴史的建造物、 隧道土木遺産となっています。現在でもトンネル下部に蒔田・磯子方面への水道本管が埋設されています。 1928年(昭和3年)の竣工。254m、高さは2mほどで小さく歩行者自転車専用です。

 大原隧道を下った首都高の真下に明治時代に使用されていたという「獅子頭共用栓」があります。 当時イギリスから輸入されたもので、現在完全な形で残っているものは少ないそうです。 これも近代水道の貴重な歴史的遺産です。
 (2007.4.14)



「山手隧道」

 横浜市中区の元町から本牧方面に向っては山手隧道と、それに並行する第二山手隧道があります。 それぞれ北行きと南行きの2車線一方通行トンネルです。麦田トンネルとも呼ばれるようです。 1928年(昭和3年)の竣工です。手前のコンクリートアーチ橋は桜道橋といい、 同じ年の竣工で両者ともに横浜市認定歴史的建造物となっています。
 (2007.4.14)



「第二山手隧道」

 第二となっていますが実は山手隧道より古いのです。元は本牧隧道として明治44年に完成し、 1970年(昭和45年)まで横浜市電の専用トンネルでした。横浜市電の廃止後は人や車に開放され、 このときに名前も第二山手隧道となったのです。
 (2007.4.14)



「代官坂隧道」

 横浜市中区の代官坂下にあります。信号機つきで交互通行になります。 内部の歩道側はアート・ギャラリーになっていて小学生の描いた、見慣れた横浜の絵が飾られていました。
 (2007.4.14)
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