【多摩のちょいスポット:023】
 

関戸城跡(天守台)

関戸城跡(天守台)

 聖蹟桜ヶ丘駅から南に大栗川を渡ると“いろは坂”になります。ここを上りきったところが関戸城(天守台) のあったところです。(この付近はジブリアニメ「耳をすませば」のモデルエリアです)
“いろは坂”

 近くに金比羅宮(琴平社)がありますがこの付近一帯の山を「城山」といいました。 多摩川を見下ろし、その先の武蔵野台地を一望できることから鎌倉時代以降、天守台つまり見張り台、 物見台としての役割があったようです。ただ、関戸城跡とされているものの山頂は削られ地形も 変わっているためたしかな痕跡はないようです。金比羅宮ももとの位置は現在「霞ヶ関緑地保全地区」 となっているところであるとされています。
 この場所と向いの丘陵に挟まれて乞田川がありますが、鎌倉時代にはここに「霞ノ関」という関所と 宿場がありました。そして鎌倉幕府と新田義貞が大激突した「分倍河原の合戦」に続く「関戸の合戦」は ここで繰り広げられ、幕府滅亡の原因ともなったのです。この戦で幕府軍を圧勝した新田軍は鎌倉に攻め寄せます。 そしてわずか6日後に150年近く続いた北条一族の鎌倉幕府は終わりました。
 関戸城は鎌倉幕府がこの新田軍を監視するために造られたものでした。現在の多摩市関戸の旧鎌倉街道で 観音寺のあたりに北の木戸があり、熊野神社のところに南の木戸がありました。 そしてこの間には奉行(代官)屋敷やお役人の住まいがあったようです。

 ちなみに多摩川にかかる関戸橋は「霞ノ関」に由来します。昭和12年に関戸橋ができるまで、 ここには「関戸の渡し」(=「中河原渡し」)があり、鎌倉街道の中河原村と関戸村を結んでいました。 また、京王線の「聖蹟桜ヶ丘駅」が開業したときの駅名は「関戸駅」でした。関戸橋 ができたと同じ年に 「聖蹟桜ヶ丘駅」と改称されましたがこのときはまだ高架になる前の小さな駅でした。

 (2010年4月)



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