勝鬨(かちどき)橋

 隅田川に架かる26の橋のうち、一番河口に近いのが勝鬨橋です(注)。そして、 永代橋、清洲橋とともに重要文化財に指定されています。
 紀元2600年の記念イベントとして月島で開催が計画された国際博覧会に合わせて建設されました (昭和15年竣工)。勝鬨橋は上流側にある造船所に出入りする船舶などを通すため跳ね上げ式の可動橋(跳開橋) となっています。しかし交通量の増加や造船所がなくなったことなどにより開く必要性がなくなり、 昭和45年を最後に閉じたままとなりました。

 (注)2018年(平成30年)に築地大橋ができています。

 築地側の橋のたもとには「かちどき 橋の資料館」があります。この建物もかつては勝鬨橋を開閉するために 電力を供給する変電所でした。橋の開閉には直流モーターを使用していましたので、 ここで交流電動機により直流発電機を回していました。2セットありますが通常は1セットで運転し、 他は主として予備機となっていました。

 橋にはかなり太目の橋脚が2つあり、両側のアーチ橋に挟まれて中央にハの字型に開く開口部があります。 開口部はロックピンによって固定されているため合わせ目が車両などの重量によりずれることはありません。
 開口部を開く際、支点を中心にバランスを保つためのカウンターウェイトがあります。 そのカウンターウェイトが収納されるようにするため橋脚が太くなっています。

 橋脚の上には運転室、見張室、宿直室などの小さな部屋があり、ここで運転操作が行なわれました。
 そしてこの小屋の下には橋脚に入るための垂直のハシゴがあります。そのハシゴを降り、 さらに階段を下るとすでに水面より下の橋脚内部に入ることができます。((財)東京都道路整備保全公社の ご好意によりヘルメットとハーネスを着用しての見学です。)

 変電所からの直流電力は橋脚内の2台の125馬力モーターに供給されました。 通常は1台でしたが強風時や降雪時には2台が使用されました。 (125馬力モーターとは普通自動車のエンジン並で、思ったほど強力ではないようです)
 そのモーターの回転は4段の歯車によって減速され、5段目でピニヨンからラックに伝えられます。 その結果、950トンの橋桁を最大角度70度まで70秒で開くことができました。

 勝鬨橋ができる以前、月島への交通は渡し舟に頼っていました。明治38年に日露戦争で勝利したことを 記念して新たに「かちどきの渡し」が設けられ、現在の橋の名前の由来となっています。 ただ、実際の渡し場はこの橋の位置より約100mほど下流にあったようです。
 あと勝鬨橋は通常“かちどきばし”と発音していますが、 正しくは“かちどきはし”と橋の欄干表示にあるとおり濁りません。 清洲橋なども同じですが、これは濁点をつけることで“川が濁る”ことを嫌ったためとのことです。
 小学生のころ、遠足のコースになっていたこの勝鬨橋で開いた姿を見たことがあるような気もしますが 確かではありません。開かなくなってからすでに30数年ですが、最近、再び跳開させてみようとの動き はあると聞きました。しかし機械物ですから錆びたり歪んだりしているでしょうし、 また電気系統もおそらく全てを新品にする必要があると思われ実現させるのは夢のような話だと思います。
 
(2009年11月)



戻る