清澄庭園

 清澄庭園のあるこの場所は江戸時代の豪商、紀伊国屋文左衛門の屋敷の跡といわれています。 その後、1878年(明治11年)に三菱財閥の岩崎彌太郎により、社員の慰安や貴賓を招待する目的で 大泉水・築山・枯山水を持つ「廻遊式築山林泉庭園」として整備されました。


 もともとは隣の清澄公園を含めての「深川親睦園」であったのですが、 関東大震災や東京大空襲をきっかけにしてこの地が防災のために優れていることを知った岩崎家により 約半分が東京市に寄付されたのです。

 この庭園の特徴は全国各地から取り寄せた奇岩名石をいたるところに配していることです。 例えば伊豆式根島石や伊豆網代磯石、生駒石、秩父青石、紀州青石、伊予青石などが木製表示板とともに 置かれています。他にも幻の石といわれる佐渡赤玉石や相州真鶴石、備中御影石、加茂真黒石、 京都保津川石、讃岐御影石なども置かれいるといいます。


 当初、西側の公園地域にはジョサイア・コンドルによる西洋館があったそうですが関東大震災により 焼失し、今はありません。
 一方、東側には日本館があったのですがこれも関東大震災により焼失して存在しません。 代わってここには大正天皇の葬儀に用いられた「大正記念館」が建てられたのですがこれも東京大空襲により 焼失してしまいました。現在のものはその後に再建されたもので、数寄屋造りに全面改修されています。


 池の中に張り出したお座敷を持つ建物は「涼亭(りょうてい)」といい、 岩崎家が1909年(明治42年)に来日したイギリスのキッチナー元帥を歓迎するために造られたもので、 現在は一般にも開放されています(予約制)。
 この日本情緒のある「涼亭」は大震災と大空襲の2度の厄災を免れて焼け残った貴重な建物です。 (全面改修はされていますが構造外見は往時の姿をとどめているとのことです)
 

(2008年6月)



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