江戸東京たてもの園ビジターセンター
(旧光華殿)


 小金井公園にある「江戸東京たてもの園」の入口となっているビジターセンターの建物は旧光華殿といって 1940年(昭和15年)、つまり紀元2600年の記念式典用に皇居前に建てられた式殿なのです。 翌1941年(昭和16年)には現在の小金井公園に移築され、長いこと「武蔵野郷土館」として利用されていました。
 そして1993年(平成5年)の江戸東京たてもの園の開園のときにビジターセンターとして改修されました。 ちなみに園内には江戸時代から昭和初期までの建物が移築復元され、現在27棟が建ち並んでいます。


 (園内の各建物についてはいろいろなサイトで紹介されているのでここでは省略し、少し違った観点で 昭和の路地の雰囲気と内部の調度品を取り上げてみました。)

 さて、“紀元”についてですが、皇紀(こうき)、皇暦(こうれき)、神武暦(じんむれき)、 神武紀元(じんむきげん)などともいわれ神武天皇即位の年をもとにしたものです。

 建国記念日(2月11日)の祝日は神武天皇即位の日となっていますが歴史的根拠はあまりないようです。 例えば2006年(平成18年)は神武暦、つまり紀元でいうと2666年となりますが現在では使用されることは ありません。ちなみにゼロ戦など軍用機の名称に見られる数字は皇紀年号の下二桁からきておりゼロ戦 (零式艦上戦闘機)は紀元2600年に制式採用されたからです。



 小金井公園西側に、貴婦人とも呼ばれていた蒸気機関車C57−186がスハフ32形客車を連結した状態で 静態保存されています。3月〜11月までの日曜、祝日、都民の日に無料公開、 それ以外はフェンス越しの見学となります。

 蒸気機関車だけの静態展示はよく見かけますが、客車と連結された姿は貴重です。 この客車は主に中央線で活躍しました。ドアが手動式で、機関車の動きに合わせて連結の衝撃が伝わってきた記憶が あります。

 数年前に見たときは保存状態があまりよくなく、錆びや塗装の剥げなどかなりの荒れ模様でしたが、 最近になって改修工事がなされ(アスベスト対策?)、見違えるようにきれいに変身していました。
 

(2006年12月)



戻る