氷川丸


 氷川丸は1930年(昭和5年)に三菱重工横浜造船所(当時の名称は横浜船渠株式会社) において建造され、北太平洋を横断する客船として活躍しました。戦争中は病院船としても使用され、 終戦後の復員輸送にも従事しました。そして1960年(昭和35年)に現役を引退し、 生まれ故郷のこの地に係留されたのです。


 船内の見学コースに入るとすぐにエンジンルームへと案内され、左右一対のデンマークB&W社製エンジンを上層、 中層、下層階の三層構造で見ることができます。


 「アール・デコ」調といってパリ万博で発表された二十世紀のモダンを象徴する新装飾様式が この氷川丸にも採り入れられ、船内客室のいたるところに優美な飾り付けが施されています。 

 ちなみに「氷川丸」の名の由来はさいたま市にある「武蔵一宮氷川神社」とのことで、 艦内操舵室には氷川神社から分祀された神棚がまつられていました。つまり「和魂洋才」の造りなんだそうです。



 しかしこの氷川丸も寄る年波、というよりも観光入場者数の減少による経営難のため、 横浜マリンタワーとともに12月25日をもって営業を終了することになりました。

 氷川丸は元の所有者の日本郵船に売却されるらしいが、見た限りではあちこちで劣化が進み もう動くことはできないでしょう。保存船としてどこまで維持できるのかが気になります。

 (その後、日本郵船によってリニューアルされ一般公開されています。)
 

(2006年11月)



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