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【鉱石ラジオの想い出】

 少年の頃に夢中になったものの一つです。

近くの模型屋さんに行っては乏しいおこずかいの中から部品を買い集めてつくりました。 エナメル線をボビンに捲いたりこのような蜘蛛の巣状にしてLをつくり、 空気を誘電体にしたバリアブルコンデンサ(バリコン)で周波数を同調させ、 鉱石(小さな筒に入ったもの、後にゲルマニウムダイオードに代わっていった)で検波して クリスタルレシーバで聞きました。後にボビンの中にフェライトを入れて同調させたこともありました。

 この後、ST管やミニアチュア管という真空管を使用した5球スーパーラジオや プッシュプルアンプなどの製作に発展します。

 電波の不思議、電子や電気の不思議に目覚めた原点でした。
【Oゲージの電気機関車】

 昔あった鉄道模型としてO(オー)ゲージのレールは3本でした。

中央の一本が絶縁されていてそこから集電し、両サイドのレールに流しています。 小学5年か6年生ですから昭和30年代で、このころの電車オタクたちの中心はOゲージで、 さらに高級感のあるHOゲージは高嶺の花でした。ましてやNゲージは見たこともありませんでした。
 しかしOゲージであっても子供のおこずかいでは一気に手が届かず、最初に買ったのが車輪2本です。 次を期待し、真鍮製の車輪だけで後生大事に遊んでいました。次が台車、そしてモーターと入手し、 この状態で組み立ててレールに乗せて遊べました。
 最後に本体を乗せ、パンタグラフをつけ、そしてライトをつけるまでにかなりの時間がかかったと思います。 特にパンタグラフの精巧さには引き付けられた記憶があります。畳の上に3本レールをつなぎ合わせ円形にして 走らせるのですが悲しいことに当時の知識ではパワーというの概念がなく、 電圧が12Vならば何でもよいだろうとその辺のトランス(ブザー程度のもの用)で降圧したのでした。 モーターは無負荷ならよく回るのに、車体ごと線路に乗せても走ってくれませんでした。 つまりパワーを供給できる大きなトランスを買うことができなかったのです。 その後は結局そのままになってしまいました。
 大人になってから鉄道模型を見るたびにこのころのことが思い出されます。
【セルロイドロケット】

 子供の頃の遊び場としては当然ながらまともな公園はありませんでした。紙芝居でさえ近所のお寺さんの 門のわきに自転車の荷台に乗せたものをおじさんが見せていました。 そういえばそのお寺さんの門の中には当時貴重なテレビがあってプロレス放送を時々流していました。 黒山の人だかりです。そしてわれわれ子供の遊ぶところは墓場かそこに隣接した山のなかでした。 お坊さんもおおらかなものであまり怒られた記憶がありません。

 さて遊ぶための軍資金ですが、まともなお小遣いはないので近所の男友達が揃って手当たり 次第に鉄くずを拾ってきては屑やのおじさんに売り渡したのです。今でいうリサイクルのビンも売れました。 けっこうなお小遣いになったのです。悪いことしたと思うのは、墓場の墓石の前においてある牛乳ビン(生花用) を売っちゃったことでしょう。

 次にかき集めたのがセルロイドです。プラスティックが珍しい頃でありセルロイドさえあまり なかったのですがわずかに下敷きや鉛筆箱、人形などがそうでした。このセルロイドを細かくきざみ、 アルミでできた鉛筆のキャップに詰めこみ、そして詰めぐちをつぶしてセルロイドロケットのできあがリです。 (これってけっこう危ないもので、まねをされると困るのですが今は材料がないのでOKでしょう)

 墓場の手すりに使われているような鉄パイプを失礼し、このロケットの発射台にしました。 ロケットを鉄パイプの端に置き、下からろうそくであぶると中のセルロイドに引火して勢いよく飛び出すという 仕掛けです。でもシュルシュル〜といってあらぬ方向にとび、そのあとにあのセルロイド特有の嫌なにおいが 周囲に残るのでした。
【「婦人会」の思い出】

 これは超ローカルな昔の話です。わかる人はほとんどいないと思います。

 17歳前後の頃ですが、住んでいたところは米軍の基地のある町でした。学校の帰りに、 何人かとつるんでは婦人会と呼ばれているところに寄り道しました。

 なんとそこは米軍のゴミタメ、廃棄物置き場だったのです。周囲には田んぼがありましたが そこだけは少しばかり高い塀で仕切られていました。入口には番人のおじさんやおばさんがいるのですが 何故か黙って入らせてくれます。中に入ると異様な匂いがしましたがそれはゴミのにおいではなく、 なんともいえないこれがアメリカなのかという匂いでした。

 われわれはあるものを狙ってきょろきょろしながら、きれいに仕切られたごみの区画を 探し回りました。つまり今でいう粗大ごみではなく家電リサイクルゴミ置き場の区画です。 実はここにはモーターやら真空管やら既に分解された状態で分別されていたのです。

 モーターは隅取コイル型の定格115Vのもので、これを持ち帰ってあれやこれやと いじくりまわして遊びました。100Vでも全然ノープロブレムです。真空管はメタルケースで ほとんど使えません。あと、回転式番号あわせ鍵(金庫の鍵のように右左に3回回転させ数字を あわせると開く鍵)ですが、これはけっこう学校の下足箱で使われて評判でした。 そのほか何があったか忘れましたが料金は目方(重量)で払った記憶があります。一山10円ッて感じです。

 そういえばあのモーターで作った傑作がレコードプレーヤーだったかもしれません。 材料として、丸いお菓子のブリキ缶のふたをターンテーブルにして中心に穴をあけて軸受けを通し、 周囲にビニールテープを貼り付けました。軸受けはバリコンの羽を取っ払って活用したと思います。 モーターの軸とは普通の糸を使って一応ベルトドライブ方式で回転させ、モーターの軸の太さを テープの巻き数を微妙に変えて33-1/3回転になるようにしました。ピックアップだけはしょうがないので 秋葉原でクリスタルのものを単品で購入しました。これらを一枚のベニヤ板に据え付けて完成です。

 暇というか、貧しいというかあまりものがなかった時代ですからこんなことで けっこう遊んでたということです。
【トランジスタラジオ】

 よく読んでいた雑誌は「模型とラジオ」や「初歩のラジオ」でした。

 私が最初にトランジスタというものに 出会ったのはこの雑誌の中で、黒い小さな三本足のものでした。

 たしか「2SB226」だったと思いますが秋葉原まで行って買い求め、AM検波出力を増幅、 スピーカーを鳴らそうとしたことを覚えています。ベーク板の代りにアクリル版にドリルで穴を開け、 ハト目を打ち込んで回路図のように平面的に配線しました。でも、そんなパワーは出ず、未熟な高校生でした。 それもそのはず、理屈がよくわからないまま雑誌の通りにプラモデル的にやったものなのでどうして 増幅できるのかなにも理解してはいませんでした。

 そしていつの間にか真空管はトランジスタに代り、あっというまにICへと代わっていき 何もかも小さくなっていくのでした。でも最初に見たあの黒い三本足は輝く未来を想像させる不思議なものでした。

 やがて社会人になり、トランジスタによるディジタルスイッチング回路やアンプによって 多くの産業機器を作り出しましたが、やがてそれらもまたIC回路に置き換わっていくのでした。
【FM実験放送のこと】

 昭和36、7年ごろ、FM放送はまだ実験段階でした。 放送内容はほとんどクラシック音楽の連続でしたが、その開始前後に「JOAKFM」のコールサインとともに シンプルなオルゴール曲がずっと流れていました。皆様の中にあの実験放送開始のオルゴール曲を聞かれた方は いらっしゃいますでしょうか?

 AM受信機はというと2バンドとかいって短波受信帯に拡張できたものの、夜間になると 遠距離が受信できすぎてフェージングや混信、雑音が多かったと思います。その短波帯でよく 飛び込んできたのが近所のアマチュア無線局の交信でした。CQ、CQ、こちらはJA1・・・とやっていました。

 そのFM実験放送ですが、雑音がない、音がいい、というそれだけの理由でとりつかれ、 さっそく受信機を造ってみる気になりました。すでに標準の回路がありましたので秋葉原に行って 部品単位で買い集めます。シャーシーの上に真空管を、5,6っポン載せたと思います。 周波数帯がキロからメガに変わった分、同調回路は小さくなって、コイルは太い針金を手巻きでつくり、 バリコンも一回り小さいものになりました。受信アンテナは竹ざおの上に1.8mの横木を取り付け そこにテレビ用のフィーダーで作ったものをはわせました。

 そして電源を入れて流れてきたものが冒頭のオルゴール音です。いつまでも聞き続けていました。

 (2019年11月) とうとう見つけました。YouTube にあったのです。 これです。 インタ−バルシグナルというそうです。

 このインタ−バルシグナルをしみじみと聞いて、さらに思い出しました。短波放送帯で流れてくる 「JJY」です。標準時刻放送で1秒ごとにピ−、ピー、ピー・・・とか、 ピッ、ピッ、ピッとか。さらに1分ごとにポーとか。そしてJJYのコールサインとともに○○時○○分JST、 ピッ、ピッ、ピッ、ポ−だったかと。飽きずに聞いたことで秒のリズム感覚がすっかり身についてしまいました。 でも、これはとうの昔に廃止されていたんです(2001年3月31日)。その後は長波帯にて運用されているそうです。
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