浦賀湾沿いの燈明堂へと続く道から離れて坂道を300mちょっと登ると、 土塁を切り開いた石積みの門があります。入った正面には小さめの土塁があり、足元には井戸もありました。 (ここの受付でパンフと、LEDライトが渡されました) |
この土塁を回り込むと少し下り気味に地下空間になり、その先は隧道や露天空間が繰り返されます。 |
これらの空間を塁道といい、その左右には弾薬庫、弾薬揚弾室、砲弾脇通路トンネル、棲息掩蔽部、 貯水所等の諸施設があります。貯水槽の中を除くと驚くほど透き通った水がありました。 貯水と排水の設備が充実していたようです。 |
隧道には露天空間が2か所あり、地上への階段があります。 また塁道の壁面は凝灰質礫岩の切石による縦・横・縦のブラフ積み、及び煉瓦積みです。 ここでの煉瓦はすべてオランダ積み(一段ごとに小口列と長手列がある)となっています。 ちなみに猿島はフランス積み(横一列に小口と長手が交互に並ぶ)です。 オランダ積みとイギリス積みの違いは終端角の処理だとか。 |
さらに煉瓦積みについては雨の当たるところとそでないところは明らかに異なるものが使用されています。 雨が当たる部分については高温焼成により撥水性を高めた焼過煉瓦(やきすぎれんが)が、 そうでないところは普通の煉瓦が使用されています。 さらにこれらの煉瓦はすべて葛飾区小菅にあった東京集治監(刑務所)で焼かれた囚人煉瓦だそうです。 その証拠となる平面に打たれた桜の刻印が たった一つだけありました。余談ですが、猿島の場合は明治維新で禄を失った士族が作ったという 士族煉瓦が使用されたとのことです。 |
煉瓦積みに関してはもう一つ珍しいものがあります。塁道の南端、 右翼観測所への出口が通路に対して斜めに切られていて、これに沿って煉瓦も斜めにねじったように積まれています。 斜架拱(しゃかきょう)またの名を“ねじりまんぽ”という特殊な積み方だそうです。 なお、この場所の鉄柵は民有地との境のもので民有地側から見ています。 |
隧道部分には弾薬庫があり、奥の部屋からは地上へと弾薬を釣り上げる揚弾井(ようだんせい)がありました。 弾薬庫のわきには兵員が行き来する通路と階段があって砲座へと続いています。 |
砲座は3基あり、それぞれやや掘り下げたところに2門づつの二十八糎(センチ)榴弾砲が置かれ、 海方向に向けて横一列に並ぶようになっていました。海上からは見えないようになっていますが、 打ち手からも敵艦は見えないため方位や仰角は左右にある観測所の計測により伝声管を使って伝えられたそうです。 |
二十八糎榴弾砲の置かれた砲台の一つがきれいに発掘されていましたが、 きれいな八角形の中に大きな石を組んで重力に耐えられるようにしたそうです。 |
塁道の南端、斜架拱のある場所の先はすでに民有地ですが、そこには右翼観測所及び 陸正面砲台がありました。ほかにも換気塔とその下部に地下施設があると思われます。 観測所の丸いテーブルの上には武(ブラッチャリーニ)式測遠機が置かれていたとか、 そして測定結果は伝声管で砲座まで伝えたそうです。なお、 反対側の左翼観測所は発掘されたもののここまできれいには再生できなかったようです。 |
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