・・・ 遊歩道になった鉄道トンネル ・・・

 廃線跡のトンネルが遊歩道となった例としては信越本線横川駅先の「アプトの道」が有名ですが、 昨年(2007年8月)、中央本線の甲斐大和〜勝沼ぶどう郷間の廃トンネル「大日影隧道」が 遊歩道として整備され、蘇りました。

   新宿から八王子まで伸びていた甲武鉄道は1903年(明治36年)に甲府まで延長されました。 笹子トンネルを抜けた中央本線は初鹿野駅(今の甲斐大和駅)から再び鶴瀬トンネルと深沢トンネル、 そして大日影トンネルを抜けて勝沼駅にたどり着きました。当初、勝沼駅は存在せず、 単なる信号所であったものの1913年(大正2年)に勝沼駅として開業し、 現在は勝沼ぶどう郷駅となっています。
 複線化されたのが1968年(昭和43年)のことでそのとき以降、 大日影トンネルは下り線専用のトンネルとなりました。その後、 時間短縮等のためすぐ隣に新トンネル(新大日影第二トンネル)が完成し、大日影トンネルは閉鎖されました。 しばらくはほっておかれましたが隣の深沢トンネルとともにJR東日本から地元に無償譲渡され、 ワイン貯蔵庫や遊歩道に活用されることになったものです。

(2008年6月記)

 【大日影トンネル遊歩道】
 

 勝沼ぶどう郷駅の駅前広場を甲斐大和側に進むと、保存されている電気機関車と整備中の公園の脇を抜けて 線路側へと上がる階段があります。 上りきるとすぐに遊歩道となり現用の下り線路の隣に大日影トンネルが見えてきます。

 トンネル入口上部には「大日影トンネル遊歩道」と記されたパネルが埋め込まれていますが、 これ以外は建設時のままの石組みです。とがった形の石が積まれているのも特徴のようです。

 全長1367.8mのトンネルは直線で甲斐大和側に向ってやや上り勾配になっていますが、 出口側を見通すことができます。また、線路の両脇は歩きやすいように砂利の上が固められています。

 レールは当時使用されていたものがそのまま残されています。入口及び出口付近については 遊歩道を整備するときに付け足されていますが、これも隣の深沢トンネルから移設されたものということです。

 トンネルに入るとすぐに黒い煤が付着しているレンガ積みの壁が目に付きます。 電化されるまでに走っていた蒸気機関車から出た煙によるものです。ちなみにこの路線を走る蒸気機関車の写真が トンネル内でパネル表示されていましたが、普通に見るのと違って後ろ向きでした。 運転手が煙くならないようにするためにとられた方法でしょうか。

 建設には大量のレンガが必要になるため、近くの牛奥村(旧塩山市)で地元の土をつかって焼かれました。 レンガの積み方はほとんどの鉄道構造物でも用いられているイギリス積みです。 (一段ごとに縦と横を交互に積む方式で、これに対して縦横が一列に並ぶフランス積み (正しくはフランドル積み)があります。)

 トンネル内には保線作業員用の待避所が大中小3種類36箇所あり、中には休憩できる大きいものが2ヶ所、 木製のベンチまでおいてありました。いずれもライトが当てられていい味を出していますが、 そのうちのいくつかには中央本線や大日影トンネルの歴史を紹介したパネルが展示されています。

 ほかに中間地点を示す看板や勾配標(甲斐大和側に25.2パーミル、 勝沼側に25.0パーミルであることを示しているもの)、東京駅からの距離標などの鉄道標識、 連絡用電話機が設置されていました。

 中ほどあたりにレンガが花崗岩の石積みに変わるところがあります。 これは断層によって岩盤が弱い箇所を補強したものです。 また中間地点から甲斐大和側にはレール間に水路が掘られていて湧き水を排水しています。 ただ鉄分が多いためか水路も黄色に変色していました。

 普通に歩くだけであれば約30分で深沢側の出口にたどり着けます。その場所が冒頭の画像にになるのですが その対面は旧深沢トンネルで現在ではワインカーヴといって貯蔵庫に流用されています。

 深沢トンネルも大日影トンネルと同時に造られ、約1.1kmの長さがあります。 トンネル内は温度変化が少ないためワインの熟成に最適なのだそうで、業者や個人のワンセラーが並んでいました。

 当時、中央本線の開通はぶどうやワインの輸送に大きな影響を与えました。 1913年(大正2年)の勝沼駅開業によっても地域の産業経済に革命をもたらしたとのことです。


 【勝沼ぶどう郷駅周辺】
 

 冒頭にも触れたように当初は勝沼駅はありませんでした。しかしぶどうなどの出荷に不便であったため、 地元の請願により1913年(大正2年)に開業しました。ただし本線上は勾配がきつく、 一旦止まった蒸気機関車は出発できないためスイッチバックで引き込んだところにホームが造られました。 現在整備中の駅前広場のちょうど機関車が置いてあるあたりにホームがあったと思われます。 この機関車は勾配のきつい線区用で、貨物の牽引に使われました。
 (なお、その後周辺の整備が完了し、旧駅のホームが再現されています)

 大日影トンネル遊歩道へと続く階段の右下にスイッチバック引込線の終点と思われる コンクリート構造物がありました。

 その場所は小さい川(大久保沢)が流れていて、階段の真下に当たる位置に河川隧道があります。 深沢側にも同様な河川隧道がありますが、大日影トンネルの工事により掘られた土砂により谷を埋め、 そこに水路を通すために鉄道トンネルと同じ材料、工法によって作られたものです。

 そして駅の塩山側にはこれまたレンガ造りの菱山道路隧道(通称:菱山ガード)があります。 このトンネル、面白いことに奥に向かって登り勾配になっていてしかも天井が段違いの2段になっています (下の画像:奥側からふり返って撮影)。
 これは2つの隧道が連結されているからで、奥の方が中央本線開通時(1903年:明治36年)に作られ、 その後スイッチバックの引込線を造るとき(1913年:大正2年)に手前側が造られたためです。

 したがって奥の方(右の画像では手前)が明治のレンガ、手前が大正のレンガということになります。 複線化工事のあとスイッチバック駅はなくなり、隣に広いトンネルが造られたりして廃道となっていましたが、 大日影トンネルの遊歩道と同時に復活しました。なかなか味わいのあるトンネルで、 これも貴重な鉄道遺産といえます。

 (参考資料:甲州市観光課「大日影トンネル遊歩道」パンフレットより)


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