・・・ 田浦の米軍専用引込線跡 ・・・

 JR横須賀線の田浦駅近くにある廃な線路群を米軍軍用線跡として観察し、レポしてみましたが、 その後、その辺り一帯は長浦港を中心に旧日本海軍の施設がたくさんあったことがわかりました。 その線路群は海軍軍需部比与宇弾薬庫への引込線であり、付近には火工工場、倉庫、食糧庫、 水雷学校などがありました。

(画像はクリックして拡大できます)
 
(2002年2月)
(2006年5月:追記)



 JR横須賀線の田浦駅は前後をトンネルに挟まれています。このため長い編成の電車は先頭の2両が トンネル内に入った状態でドアが開きます。

 田浦駅のホームから横須賀駅側を見ると上下線用のほかに使われていそうのないトンネルが一本見えます。 ちなみに右が大正のトンネルで上り線に、中央が明治のトンネルで下り線に使用されています。 そして左が昭和のトンネルで軍用引込線専用なのです。ひとまわり大きく見えますが2本分のレールが走っているからです。

 橋上駅舎の改札を出て海側に降りて駅から少し歩くと、現在 相模運輸倉庫鰍フ所有となっているF号倉庫(もともとは旧海軍の倉庫)の前を自衛隊補給所方向に伸びている 線路跡があります。(この画像の部分は地図上にありません)

 この線路は駅前の道路端に沿って港湾合同庁舎の前を通り、吾妻川をガーター橋で渡って 比与宇トンネルに向っています。

 一方、先ほどの田浦駅の使われていなさそうなトンネルから来る線路は、曙機械鰍フ脇を通って 道の両側に二本、海上自衛隊施設に向って伸びています。

 そしてここは両者が直角に交差する珍しいポイント です。(2ケ所あります)
 正面が海上自衛隊施設方向で左手が田浦駅改札方向、右手が比与宇トンネル方向です。
 このポイントのところには信号機も存在していました。

 この近くには相模運輸倉庫の機関車が線路上に長いこと留置されたままになっています。

 比与宇トンネルに向った線路はトンネルの中に入っていくように見えるのですが、 その手前で突然消えてしまいます。消えてしまうというよりはトンネル内まで入っているのでしょうが、 アスファルトで埋められてしまっているといったほうが正しいです。もしも戦争になったら アスファルトを剥がして使うのだといううわさがあるようですが、単にスイッチバックするためだけのようです。 そして弾薬の積み降ろしは、このトンネル内で行われたといいます。
 車道と鉄道が同居する珍しいトンネルです。なお、トンネル出口側は按針塚になるのですが 横浜ベイスターズの練習場のほか自衛隊施設と米軍の箱崎燃料ターミナルがあります。

 線路跡は、今もって長浦港の岸壁や海上自衛隊施設の中、相模運輸倉庫の中の随所に見られますが、 そのほとんどは道路に埋め込まれてしまい忘れ去られようとしていました。 旧日本海軍軍需部とは砲弾、魚雷、機雷などの兵器類から軍艦で使う燃料、食糧、被服にいたるいっさいの軍需物資を 集めて保管し、軍艦や前線に送り出すところですが、これらの物資を保管する数多くの倉庫があって このような引込線で結ばれていたのです。

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