***** 青梅の吹上トンネル3本 *****

 普通の地図を見ている限り、青梅市の成木街道には新吹上トンネルと旧吹上トンネルがあるだけですが、 実はさらに明治時代に作られたという第3のトンネルがあるのです。

 Rev.1 2001年 2月
 Rev.2 2012年 6月 追記


(画像をクリックすると拡大できます)


新吹上トンネル
 青梅市内から成木街道を北上すると「新吹上トンネル」に入りますが、その手前右手方向に 旧吹上トンネルへの分岐があります。この画像の向かって左側が新吹上トンネルで長さは約600m。 平成元年竣工でいわゆる平成トンネルです(供用開始は平成5年)。 そして右側が旧トンネルへの分岐ですが残念ながら車止めがあって入れません。
旧吹上トンネル
 その車止めから約100m程度で旧吹上トンネル「吹上隧道」になりますが、 歩行者および自転車はこちらを利用するようで天井灯も点いています。 このトンネルは昭和28年の竣工です。いわゆる昭和のトンネルです。 長さは200mちょっとでこの旧トンネルを抜けると旧道であった成木街道がカーブしながら数百m続いたのちに 新トンネルの出口に合流します。

 ここまでは普通どこにでもある光景ですが、この旧トンネルの上にさらに旧旧トンネルがあります。 先のトンネルの手前を青梅側に約200m戻り、黒沢というバス停から細い道を上がっていきます。 「この先通行止め」と表示されてはいるものの舗装もされていて車でも入れそうですが、 実は奥のほうに民家があるためです。その民家を右横に見て舗装の切れた先をさらに奥に歩いていくと 旧トンネルの真上あたりの位置を越えたあたりになんだか怪しげな雰囲気の廃屋が現れます。
旧旧吹上トンネル
 屋根と柱だけになった廃屋で、左手前には外トイレらしきものもあります。とにかく荒れていて いかにも出そうな薄気味悪いものですので深入りしませんでした。
 そしてその廃屋を左手に見ながら行く手を見ると、そこに第三のトンネル、 いわゆる「明治のトンネル」があります。なんだかあたり一面鬱蒼としていてこの季節だから良いものの 夏場だったらちょっと不気味です。明治37年の竣工だそうです。
旧旧トンネル内、ふり返ってみています
 近づいてみるとさすがにきれいな煉瓦のポータルを持っていて少し感動します。トンネル入り口には 金網の柵があったのですが特に鍵があるわけでもなく、開いていたので入ってみました。 真っ暗で水たまりがあり、ぽちゃぽちゃと水の滴る音が響いています。
旧旧トンネル出口
 およそ100m位だったと思いますがトンネルを通過して反対側に出るとこちらはもっとひどく荒れていて、 ここから先の下りの道は半分消えかかっていました。細い獣道のような所を下っていくと 旧の昭和トンネルの出口から来る成木街道に合流しました。この後、 ヘアピンカーブの先で新吹上トンネル出口と合流します。

  旧々吹上トンネル

 旧々吹上トンネル、いわゆる明治トンネルはとても重厚な造りでした。このトンネルの上には 吹上峠があるといいます。そして江戸の昔から青梅のこの地(成木)で取れる石灰を江戸城に運ぶため この峠を越えたそうです。石灰石を焼いて作られた消石灰は“御用石灰”といわれ城の白壁の材料として 大量に使用されました。いわれてみれば現在でも石灰の採石場がいくつかあります。 そしてこの道が成木往還、後の青梅街道となったのです。現在はその一部が成木街道となっていますが、 やがて明治時代になってこのトンネルができここを通って数々の荷駄が通ったものと思われます。 廃屋になってしまったものの峠には茶屋もあったのです。

 2012年6月
 現在のこのトンネルの状況をいくつかのサイトで確認したところ民家の先にはゲートができて 立入ができないようになっているそうです。さらにトンネルの入口は鉄製の扉で頑丈に封鎖されてしまい 出口側も同じようです。トンネル内が崩落する可能性があるということですが、 一方で心霊スポットといっておかしな探索をされ迷惑をかけていることもまた原因のようです。 ちなみにトンネル入口の廃屋は資材置き場になっているようです。

 昭和トンネルができるまでの約50年はこのトンネルが使われたわけですから往年の成木街道を 代表する歴史的建造物としてもっと大事に扱われてもよいともいます。 ただ隧道構造としての要石(キーストーン)や笠石、帯石はあるものの扁額や銘板などが見当たらなかったことが 弱いかも知れません。


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