***** 多摩の軽便鉄道軌道跡 *****

 武蔵村山あたりの地図を見ていると、東西に細い一本の真っ直ぐな道があります。良く見ると 横田基地で分断されてはいますが羽村から多摩湖(村山貯水池)まで続いています。 この道は昭和3年から7年にかけて山口貯水池(現在の狭山湖)建設のために多摩川からの砂利運搬用に敷設された 「羽村山口軽便鉄道」の軌道跡ということです。なお、それ以前(大正5年〜昭和2年)に 村山貯水池建設の際にもこの軌道敷きは使用されていましたが完成後に一旦は廃止となり、 山口貯水池建設工事の際に復活したものです。
 当時は、ダンプカーやトラックが普及しておらず、工事用の資材を運搬するには鉄道が最も効率的な方法でした。 工事用なので旅客輸送は行われず、構造も簡単、軌間(レール幅)わずか61p(2フィート)です。
 今は野山北公園自転車道としてきれいに整備されていますが、多摩湖側にかつての鉄道を偲ぶものとして いくつかのトンネルがあるようなので訪ねてみました。

Rev.1 2001年2月 
Rev.2 2005年2月 羽村〜横田基地間を追記
Rev.3 2006年10月 画像の差替えおよび追記

(画像をクリックすると拡大できます)


 多摩都市モノレールの北の終点である上北台駅から新青梅街道を少し歩いて脇道に入り、 青梅街道を横断して赤坂池へと向かいます。「この先行止り」と書かれているところを進むと左手に赤坂池が見え、 歩道は赤坂トンネルへと導かれます。
行止りのトンネル
 ここで一旦、赤坂トンネルとは反対側の右手に進むと村山貯水池(多摩湖)につながるトンネル (第5トンネル)に出合いますが入口は固く塞がれていました。このトンネルの上は多摩湖自転車道になっていて さらに湖の外周がフェンスで囲まれているため、このトンネルの向こう側にはどうしても行けないようになっています。 覗いてみたのですが200mほどありそうでした。
6番目のトンネル
 軽便鉄道の軌道跡はこのトンネルの先で多摩湖の西の端をかすめて北側へと進み、東京都と埼玉県の境にある 県道の下をもう一つのトンネルでくぐって山口観音の下をかすめて山口貯水池(狭山湖)の堰堤付近まであったということです。 サイクリング道路の玉湖(たまうみ)神社近くに「あかまつ橋」がありますが、 その下に6番目のトンネルを覗くことができます。 このトンネルは道路の幅しかないので短いのですがフェンスによって固く閉ざされどちらからも入ることはできません。 トンネルの前後はフェンスに沿って軌道跡を短い区間ですが歩くことができます。

 元に戻って赤坂トンネルから西に向かいます。

赤坂トンネル
 塞がれたトンネル(第5トンネル)を起点に西に向かって、「赤坂トンネル」、「御岳トンネル」、 「赤掘トンネル」、「横田トンネル」と四つのトンネルがありますがいずれも夜間はシャッターが下りて 通行止めとなるようです。軽便軌道らしい小さなトンネルですが、コンクリートもしっかりしています。 ただトンネルの入口、出口の両側にはこの画像のような表示付きのシャッターがあり ちょっと景観を壊しているようでいただけません。

 トンネル内部は照明も完備されているので通行に支障はありません。いずれも板を張って コンクリートを流し込んだ形跡があります。
軌道跡の道
 軽便鉄道の軌道跡はしっかり残っており自転車や歩行者の専用通路兼遊歩道になっています。
軌道跡の道
 最後の「横田トンネル」で県道に出ますが、いずれも高い山をくりぬいたのではなく、 切り通しにしても良いような丘陵を掘り進んでいました。ちなみにこのあたりの横田という地名は昔の呼び名で、 横田基地の名前の由来ともなっています。
現在の軌道跡
 「横田トンネル」を出たところではじめての信号があり、延長線上をまっすぐ進むと青梅街道を横切ります。 そしてさらにまっすぐな道(野山北公園自転車道)へと続きますが、さくら並木のよい散歩道です。

 そしてこの道は新青梅街道をななめに横切り、残堀川を渡って江戸街道にぶつかったところで 消えてしまいます。(地図上では石川島播磨重工鰍フ工場内にもかすかに形跡が見られます。)


 2005年2月

 山口貯水池建設のために施設された軽便鉄道の軌道跡は、野山北公園自転車道を西にたどると 米軍横田基地で分断されてしまうのですが、さらにその先は多摩川の羽村堰まで直線の道が少しだけ残っています。

 あれから4年、羽村市の羽村堰側から東にたどってみました。

 JR青梅線の羽村駅を降り、西の新奥多摩街道を横切って多摩川まで下っていきます。 前回と同じく今回も2日前の雪が残っている寒い中での探索でした。羽村堰は玉川上水の取水口です。 奥多摩街道羽村橋信号から玉川上水に沿って200mほど下ると、マンションのところから 上のゲートボール場に上がれます。このあたりの石積がなんとなく歴史を感じさせるものでした。 砂利採取場からこの場所までははインクライン、つまり傾斜した鉄道(ケーブルカーのようなもの)で上がったようです。

 ゲートボール場をスタートに真東に細い道がついています。ちょうど線路一本分の道です。 新青梅街道を横切るとJR青梅線にぶつかってしまうのですが、道はその反対側に続いていて 未舗装の遊歩道となります。

 ここからは神明緑道と名前を変え、公園を横切り、団地を抜け、道路を斜め横断しながらも消えることなく しっかりと続いています。工場を横切っているのにはびっくりしました。 歩けない部分もありますが線路跡の道は現存していました。

 スタート地点から1.7kmのところで米軍ハウスのフェンスに阻まれ、道は終わってしまいます。 その先はまったく期待できないためここで調査は完了です。



 2006年10月

 武蔵村山市商工会主催のウォーキングイベントがあって、このとき当時使用されていた 機関車とトロッコが展示されていました。

「山口貯水池建設に使用する砂利等の運搬のために昭和4年、 軽便鉄道を敷設。その路線はすでに大正時代に村山貯水池に水を引くために設置されていた 羽村村山導水管上を利用することとなった。このルートは、羽村から山口までの最短距離(約12.6km)であり、 しかもすでに東京市水道局用地であり用地買収の必要がなかった。この工事には機関車28台、 鉄製トロッコ450両が使用された。」(以上、イベント用パンフレットより)  


 展示されていたのは加藤製作所製のディーゼル機関車でした。 (東京都のマークと車両ナンバーはイベント用に当日貼られたものです。)
 展示されていた場所は「横田トンネル」を出たところの横田児童遊園でしたが、 ここはもともと機関庫のあった場所とのことです。


 鉄製トロッコは「ナベトロ」とも呼ばれるようですが、これは横断面がなべ型であるからです。
廃なものメニューに戻る

ホームページに戻る