アルバート・アインシュタイン(Albert Einstein)の業績
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Author:Takechi Tohru(Tooru),
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1994(H6)10.21(金)朝日新聞、ロンドン20日、尾関章記者、
  今世紀最大の物理学者といわれるアルバート・アインシュタインは、その一般相対性理論を、発表より3年前につくり上げていた、とする新発見を、ドイツのマックスプランク研究所のP.ダメロウ博士らのグループが20日、明らかにした。当時のノートを「解読」してわかったもので、アインシュタイン自身、自分の理論を信じるのに3年かかった、と分析している。
  一般相対性理論は、1915年(大正4年)にドイツの科学界に非公式に明らかにされたが、1912年(大正元年)にアインシュタインがスイスのチューリヒで書きつづったノートに、すでに理論を正しく記した数式が見つかったという。
  ノートはA5版で84ページにぎっしり数式が書き込まれていた。言葉の説明は少ないうえ、両端から書き始めているために、どちらから読むべきかわからないなど難解で、解読に三年間かかったという。
  ダメロウ博士は、「アインシュタイン自身、この理論とニュートン物理学を結びつけることができないため、当初は数学としては成り立っても物理的には意味がないと考えたらしい」と分析している。


特許番号 特許のタイトル 特許年 発明者 特許譲受人
米国特許
USP2,058,562
Light intensity self-adjusting camera(自動調光カメラ) 1936(昭11),10,27 Gustav Bucky(ニューヨーク),Albert Einstein(57歳、プリンストン) ******
USP1,781,541 Refrigeration(冷却) 1930(昭5),11,11 Albert Einstein(51歳),Leo Szilard(ベルリン) Electrolux Srevel Corporration(ニューヨーク)
年   代 アインシュタインの出来事 年 齢 アインシュタインの補足事項 関連事項
1981:湯川秀樹、死去
1979:朝永振一郎、死去
1965:朝永振一郎、ノーベル物理学賞受賞
1955(昭30) 4月18、心臓病のため死去。
4月11、ラッセル・アインシュタイン声明に署名、
76歳
1954(昭29),4,14 プリンストン大学パーマー物理研究所307号室で最終講義
1950(昭25) 水素爆弾への反対を表明 71歳
1949(昭24) 湯川秀樹(42歳)、ノーベル物理学賞受賞
1945(昭20) 非対称テンソルによる統一場理論を発表 66歳 広島・長崎に原子爆弾投下、第二次世界大戦終戦。
1940(昭15) 米国の市民権を取得。 61歳
1939(昭14) ナチスに対する防衛のため原子力計画をルーズベルト大統領に進言。 60歳 第二次世界大戦開始
1938(昭13) 妻、エルザが死去 59歳
1935(昭10) ニールス・ボーアと量子力学の観測問題で論争した。 56歳
1933(昭8) プロイセン・アカデミーを脱会し、ナチス政府の反ユダヤ人政策に脅威を感じ、ドイツから米国に亡命した。ニュージャージー州のプリンストンの高級研究所の教授に就任した。 54歳 ヒットラーが政権をとり、ユダヤ人の追放を開始
1932(昭7) 小川秀樹(25歳)、結婚により姓を湯川と改めた。
1931(昭6) ベルリンへ一旦帰り、再びカルフォルニア工学研究所客員教授 52歳 世界経済恐慌拡大
1930(昭5) 米国、カルフォルニアのパサデナのカルフォルニア工学研究所客員教授 51歳 ナチス、ドイツで勢力を拡大
1929(昭4) 第50回誕生日を祝った。統一場理論を発表した後、1931,1938,1945,1949年に更に理論を展開した。 50歳 マックスプランクからマックスプランクメダルを受賞した。
1928(昭3) 統一場理論を発表 49歳
1927(昭2) 第5回ソルベェイ会議(ブリュッセル)に出席した。
1924(大13) ベルリンへ帰独。
1923(大12) パレスチナとスペインを訪問 44歳 コンプトン効果の発見、ドュ・ブロイが物質波概念を発表
1922(大11) 理論物理学の種々の研究、特に光電効果の法則の発見、により1921年度ノーベル物理学賞を受賞した。 43歳 フランス、日本訪問。国際連盟学芸協力委員
1921(大10) プラーグ、ウイーン、米国、イギリス歴訪 42歳
1920(大9) オランダを訪問 41歳 ヒルベルトが数学基礎論を発表
1919(大8) イギリスの観測隊の日食観測により万有引力・重力場内での光の進路の偏りが観測された。これにより一般相対性理論の実験的検証の一つが得られた。 40歳 2月にミレバと正式離婚し、6月にエルザと正式に結婚した。 国際連盟の成立
1917(大6) ロシア革命
1916(大5) 一般相対性理論が正式に発表された。従妹エルザと二回目の結婚をした。 37歳
1915(大4) ドイツで非公式に一般相対論が発表された。 36歳
1914(大3)〜1918(大7) 第一次世界大戦
1913(大2) プロイセン科学アカデミーの会員となった。ベルリンに移住。ベルリン大学教授、ミレバと離婚、 34歳 ワイルのリーマン面の理論、ボーアの原子構造の量子論
1912(明45・大1) スイスのチューリヒ工科大学の理論物理学教授になった。 33歳
1911(明44) 重力の光の伝播への影響に関する論文を発表。第1回ソルベェイ会議に出席。 32歳
1910(明43) チェコのプラハのドイツ系大学(プラーグ大学)の理論物理学教授になった。 31歳
1909(明42) スイスのチューリヒ大学の員外教授になった。 30歳
1908(明41) スイスのベルン大学の講師 29歳 ミンコフスキー(1864〜1909)が四次元世界の概念を発表
1907(明40) 小川秀樹、東京麻布に誕生
1906(明39) 朝永振一郎、東京に誕生
1905(明38) 光量子論、ブラン運動の理論、特殊相対性理論の三つの論文を発表した。 26歳 ポアンカレにより「科学と仮説」を発表
1901(明34) スイスの市民権を獲得、特許局に勤務、ミレバ・マリッチ(チューリヒ工科大学の学友)と最初の結婚をした。 22歳 結婚後に、アインシュタインは二人の男子を授かった。ハンス・アルベルトとエドアルト ノーベル賞が制定された
1900(明33) プランクの量子論の基礎を発表
1897〜1900 スイスのチューリヒ工科大学で学んだ。 18〜21歳 1898:キュリー夫妻によりラジウムを発見
1896(明29) スイスのアーラウのギムナジウムへ入学 17歳
1894(明27) ギムナジウムを退学し、父を追って、家族でイタリアのミラノへ移住した。ドイツ市民権放棄 15歳
1893(明26) ローレンツ収縮の仮定を発表
1889(明22) ミュンヘンのルイトボルト・ギムナジウムへ入学。 10歳 パリ万国博覧会
1887(明20) マイケルソン・モーレーの実験、ヘルツが電磁波の実験的検証
1885(明18) ミュンヘンの小学校へ入学 6歳
1879(明12),3,14 ドイツ西南のシュワーベン地方の中都市ウルムにユダヤ人の長男(2歳半下に妹マヤがいた)として生まれた。 0歳 父:ヘルマン・アインシュタイン、
母:パウリーネ・アインシュタイン(旧姓コッホ)
ウルムは解析幾何学の創始者ルネ・デカルト(1596〜1650)が生きた町である。

(売却用意中)参考文献:「アインシュタイン・自伝ノート」著者:アルベルト・アインシュタイン、訳者:中村誠太郎、五十嵐正敬、
出版社:東京図書(東京都文京区水道2-5-22)、1979年第4刷発行、当時の定価:900円
原書名:Albert Einstein Autobiographisches  in  Philosopher-Scientist  ,    edited  by  Paul A.Schilpp ,
★↑この本を2000円(送料込み)で売却することができます
購入の連絡先は、Takechi Tooru>>>こちらです(taketomo403@yahoo.co.jp)


(売却用意中)参考文献:「人類の知的遺産 68 アインシュタイン」著者:矢野健太郎、発行者:轄u談社(東京都文京区音羽2-12-21)、昭和53年10月20日第1刷発行、当時の定価:1500円、
★↑この本を3000円(送料込み)で売却することができます
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