2001年11月7日(水)

新宿紀伊國屋ホールTHE・ガジラ『ある憂鬱』終演後

鐘下辰男さんのトークセッション、ゲスト。

偶然選んだ日で、トークがあるなら聴こうかなという位の
気持ちで観に行ったら、なんとゲストが佃さんでした。

約一時間、いろんなお話聴けて面白かったです。
下記に覚えていることをまとめてみました。

佃さんFANなので、佃さんのこと中心で。

文中は名前や敬称略、ご容赦願います。

 

※ 悔しい

佃 「芝居を観てからのトークって困るよね。つまんない

芝居だったら困るし、(出来が良くて)悔しい!と思う

芝居でも困るし。今日もソワレがあるならそっちを

観ようと思ったんだけどなかったから。」

鐘 「どうだったの?」

佃 「悔しい!と思ったよ」

※ 紀伊國屋ホール

トークなんて慣れていないから緊張するよね、という話から

佃 「それに、俺は今“紀伊國屋ホール”の舞台に立って

いるんだなと思うとね〜()

ちょっと意味は違うけれど()、感慨ぶかげ。

鐘下さんも「そうだね〜()」と相槌をうっていました。

紀伊國屋はやっぱり目標みたいな感じなのかな。

※ 佃さんが初めてTHE・ガジラを観た時の話。

10年位前、東京大塚ジェルスホールで上演された時代劇もの

『ワンスアポンア…』。(タイトルはっきり判らず)

そのとき、千葉さんを観てなんてすごい人だと思い、途中で

突然「にょほほほほ〜」と登場する鐘下さんを観てこんな役しか

貰えない人なんだな〜と思った。(真似してみせる佃さんも変;)

そしてクライマックスには号泣した。

(そのシーンと号泣する様子も身振り付きで再現。)

帰りにどうしてもパンフが欲しくなり、駅の改札を「忘れ物を

とりに」と言って出させてもらい、劇場へ買いに戻った。

(当時は4折で三百円位)

そのパンフを読み、千葉さんも鐘下さんも自分と同い年、

そして鐘下さんが鐘下さんであることを知って驚いた。

※ 鐘下さん作『tatsuya 最愛なるものの側へ』

 流山児★事務所の公演で佃さんは三代目タツヤを演じている。

佃さんはその公演を鐘下さんが観ていないと思っていたが、

鐘下さんは「観たよー」と言っていた。

その稽古を観に来たときの鐘下さんのコメントをあとで

流山児さんにきかされ、佃さんはがっかりした。

(そのコメントが「役者として良いから劇作はやめれば」だったか

「役者はいいから劇作だけやれば」だったかが聞き取れず;)

初代の濃い兄弟はとても似ていたという話もでた。その中の

タツヤ(有薗さん)と次兄(大鷹さん)は、『ある憂鬱』にも出演。

もう少し佃さんのタツヤについて鐘下さんの感想が聴きたかった。

意外に思ったのは、佃さんは流山児さんを“流山児”と呼び捨て;

あの流山児さんを()嫌な感じじゃなく、ごく普通に。

竹内銃一郎さんのことは“竹内さん”と呼ぶのに(笑、笑)

※ ワープロ

二人とも今は戯曲を書くのにワープロを使用。

手書きのころ、“作家は腕力”というのは文章の力ではなく、

本当の腕力が必要だと思い知った。

 ワープロだとわからない漢字を辞書で調べなくて済むが、

自分でもあとでなんと読むのか躊躇することがある…。

戯曲コンクールの審査員としてワープロ作成の応募作品を読むと

妙な変換がされている事がよく目に付く。

ちなみに佃さんが使用しているワープロでは“フランケン”が

“腐乱犬”に変換されるそう。

手書きならではの伝わり方もある。

たとえば“だーーーっ!”と書かれたのと“だーーーっ!”

と書かれたのでは違う。(ここは声のトーンで表現してました。)

※ 佃さんは漢字が苦手

 佃さんが『審判〜ほろ苦きはキャラメルの味』で受賞したときの話。

 受賞の報せがバイト先に電話で入る。

「佃先生でいらっしゃいますか?」

佃さんは(先生だってよ〜)と照れながら応対したものの、

「先生の原稿に、多分“虹”だと思うのですが…“虫”の左に

“工”となっていますが、これは“虹”でよろしいでしょうか?」

「…“虹”です。」

 というちょっと恥ずかしい思いをされたそうです。

思わず笑ったけれど、漢字については私も人にとやかく言えない^^;

※ ト書き

佃さんが読んだ鐘下さんの戯曲には、冒頭から十数ページがト書き

というのがあって、驚いたそう。

でも鐘下さんは、これからはト書きや句読点も減らそうと考えている。

※ 子供の名前

佃さんも鐘下さんも二児の父。

佃さんは二人ともベストの字画を考えてつけた。

鐘下さんは考えてつけた名前の漢字を一画間違えていて役所で指摘された。

※ 鐘下さんの高校生対象のワークショップ

佃さんが見てズルイなーと思った事

 鐘 「友達のいない孤独な君が、唯一心の拠り所にしている大切な猫がいなく

なってしまった。その猫の名前は?」

高 「ミーちゃん」

鐘 「ミーちゃんがいないと君は耐えられない。さぁ探してみよう」

高 「ミーちゃん!ミーちゃん!!」(必死になって叫ぶように猫を呼ぶ演技)

佃 (はめられてるぞー、鐘下にはめられてるぞー。

猫を探すなら呼びかけて、返事を聴かなきゃいけないだろー)

 鐘下さんの演出の誘導が上手いってことかしらん。

なんだか再現してみせている佃さんが楽しそうだった()

 

大まかではありますが、トークセッション本編はカバーできているかと。

しかし脳内メモリーがいっぱいいっぱいで、そのあとにおこなわれた

会場からの質問コーナーは、おぼろぼろ…。

 

 Q 戯曲を書いていて、登場人物が動かなくなってしまった時は?

 A 佃 「自分はワン・シチュエーションで書くタイプなので、

そのシチュエーションを見直します。季節はどうなのか、

暑いのか寒いのか、雨が降っているのか、とか…」

(鐘下さんの答えは忘れてしまいました;)

 Q 佃さんが『ある憂鬱』の役を演じるとしたらどの役?

   佃 「(あまり悩まずに)

大鷹さんの役(主人公の夫の弟)。かっこいいよね。

本当はどっち(主人公の夫役・有薗さんと)が年上?

ときどき(兄弟の設定が)逆の気がして訂正しながら

観ていた。…大鷹さんは出身地が一緒だしね」

   鐘 「うーん、もう出来上がってる芝居で、もしどの役を

やらせたいか?というのは難しいね。

ちょっと考えられません。まっさらな状態でなら

考えられるかもしれないけど…」

 Q 『ある憂鬱』では客席に背を向けて台詞を言うところが

   多かったように思いますが、その意図は?

 A …;;;

鐘下さんが「スなんちゃらシステム」というのを引用?して

答えられていたのですが、私にはよく判らず。

佃さんは “関係性の距離感”というのを挙げて、先ず両手を

人物にみたてて、普通片方が動いたり向きを変えたりすれば

もう一方もそれに合わせるのではないか、と説明。

次に佃さんが鐘下さんの方に顔を寄せていってある距離になると

相手がひく(距離を保つ)のを見せ、人と人の間の許せる距離は、

その二人のその時の関係によって変化するということを説明。

 そういや舞台上の席についたとき、テーブルの上にすでに

セッティング済のマイクを二人して引き離していたっけ。

あの距離は近すぎたのね()

 

最後に今後の予定をきかれて、

 佃 「1月に名古屋で『ヨーゼフと言う名前の亀 2002稿』

というのをやります。今朝、書きあがりました。」

 鐘 「寝ないで来てくれたんだよね」

 

うーん、曖昧ながら文章に出来るのは、こんなところですかね。

 

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