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第6話
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15 Nov, 2002
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タイトル
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ルーマニア・ハンガリーの旅
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2/3
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旅の主催
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朝日サンツアーズ
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旅行の日程
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2002年 10月 5日〜16日
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| マラムレシュ
( Maramuresu ) の自然
ルーマニア北部の山村を回って興味深いものをいくつも発見。その代表的なものが「つるべ式の井戸」や蔓で編んだ農夫の背負いかごなど、その昔日本でもよく見かけた懐かしい器具だった。洋の東西、何れが元祖かは定かでないが自然発生的な生活の知恵なのかもしれない。 はじめは全く気にとめていなかったが、バスの車窓から稲叢(いなむら)のようなものが目につくようになった。
現地ガイドのダン氏に訪ねたところ家畜用の干し草の叢であり、「フン」と呼ぶとのこと。ときには放牧されている牛馬がフンに近寄って直接干し草をはんでいる光景も目にすることができた。しかし、どうしてもその仕掛けがよくわからない。偶然バスが休憩のため停車した近くで道路脇のフンを見つけ、更にフンの心棒を車窓から撮影することもできた。(右下の写真)
自然そのものの風景とはやや趣を異にする如何にもカラフルなオブジェをジゥレシュティ( Giulrsiti )村で発見。枯れ木の梢の先端に色とりどりのバケツ・ヤカン・鍋などをかぶせたもの。不釣り合いとの見方もあるかもしれないが立ち寄った農家で「取材」させて頂いたところ、整然と片づけられた井戸端にそれがあり、家としての意思表示と理解できた。その歴史や趣は比較にならないが、ブルサナ村の立派な門構えと共通するパフォーマンスなのかもしれない。
この写真は話題のオブジェの農家を訪問し、井戸端とオブジェを撮影させて頂いた後、日本から用意していった手作りの「ミニ日本傘」を可愛いお嬢さんにプレゼントした時のもの。あの「コマネチ」を思わせる美少女にミセス・八重子も思わずポーズ。
ゾルタン氏が運転するバスはバイアマーレを後にして、首都ブカレストに向けてひたすら南進。ゆく程に自然の気配が薄れていく。上に掲げた写真は未だ自然の真っ只中を実感させるもの。シギショアラからブラショフに向かう途中で見かけた羊の群れ。羊飼いはだだ一人、ゆったりと100頭程の羊を移動させていた。アスファルト舗装された道路を、これもゆったり2頭立ての馬車が薪を満載して通り過ぎていく。嗚呼、良きかな!ゆっくりズム。
バイアマーレから道路距離で152km、昼食休憩のためクルージ・ナポカの街に入る。この街は中世のハンガリーとドイツの影響を受け、まさに「ヨーロッパ」の印象が強い。現在でもハンガリー系の住民が多いという。そのためか市長は町中にルーマニア国旗を掲揚するように指導しているとか。右の写真にもあるように随所に青・黄・赤のルーマニア国旗がはためいていた。
ビエルタン( BIERTAN ) の要塞教会 10月10日シギショアラの街が間近となった夕方、ピエルタンの要塞教会に到着。1520年に建てられたこの教会は、オスマントルコの侵攻に対し当時の商人が結集してこの寺院を住民の避難場所として要塞化したものだという。内部をくまなく見学することはできなかったが、迷路があったり避難場所などがある。尖塔の形はマラムレシュで見た木の教会に似てはいるが、ここでは石造り。
シギショアラ ( Sigisoara ) 10月11日 シギショアラの旧市街へ。12世紀にザクセン人の移住民によってこの街が開かれ、13世紀から14世紀の街並が石畳とともに残っている。中でも圧巻なのが時計塔を中心にした丘の上の街全体を城郭が取り囲む城塞都市だ。
時計塔への坂道を上っていくと、やがて城郭にポッカリとあけられたれたアーチにたどり着く。数百年の歴史を経たこのアーチだけでも十分に絵心が騒ぐ。城郭の中は中世そのままの家並みが続く。下に掲げた写真は、左側がレストラン カーサ・ドラキュラ( Casa Dracula )前のスナップ、右側が時計塔から入口方向を見た景色である。
時計塔の城郭から降りても、この街の家並みは右の写真のように素晴らしい。バスの出発時間までの20分でこの家並みを早描きしてみたが、いわゆるジプシーの少年たちが入れ替わり立ち替わり迫ってくるのには、些か興ざめしてしまった。
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