囚人のジレンマと自由主義のパラドックス

2005年8月6日オープンキャンパス

横浜国立大学教育人間科学部国際共生社会課程:志田基与師

 

1.導入:素朴な疑問

 

・地球温暖化や環境破壊は個々人の心がけで防げるか?

・「他人のことは他人が、自分のことは自分が決めればいいじゃん」。他人の自由に口出ししなければ問題は解決する?

・全員一致はいつも正しい?

 

2.目的:理解してほしいこと

 

・社会には自由や善意では解決できないことがある。よい社会の仕組みを考えよう。

・「合成の誤謬(ごびゅう)」:一人一人に当てはまることと社会全体に当てはまることは正反対のことがある。

・数学を使うと世の中が見えてくることがある。

・ノーベル賞クラスの仕事も案外簡単に理解できるものである。

 

3.囚人のジレンマ Prisoner`s Dilemma Tucker )

          A

    

          C1

 

 D1

 

  

       C2

@

 

   x

 

    z

 

 C2

 

       D2

 

 

     y

 

    w

    @

 D2

 

     C1

 

     D1

 

 

           A

【ストーリー】

別件で逮捕された二人の容疑者(共犯)がいる。二人とも警察が十分な証拠を持たず、二人の自白頼みなであり、二人でしらを切りとおせば別件の軽い罪だけで済むことを知っている。そこで取調官は二人に次のように持ちかける。「相手が自白する前に白状すれば無罪放免にしてやる、相手が自白をしてお前が自白しなければ、罪はお前一人がかぶることになる」。このとき二人はどう振舞うか?

【謎解き】

・二人の人間をそれぞれ1,2とする。

・「しらを切る」をC、「自白する」をDとする。個人1にはC1D1,個人2にはC2D2のそれぞれ二つの「戦略」がある。

・二人の振る舞いを組み合わせると、前頁の表の4つの状態ができあがる(xyzw)。

・それぞれの個人は、刑務所に入る年数を計算して、次のような順序付けを持つことになる(左ほど高い)。

 

1: z x w y,    :  y x w z.  

 

これにあわせて作業をしてみよう。

○ 個人1の立場になって考えるには、Aの線で折り返してみる。

 

○ 個人2の立場になって考えるには、@の線で折り返してみる。

 

【囚人のジレンマの意味】

Nash均衡、支配戦略均衡という合理的な振る舞い。パレート最適性という集団の合理性。この二つが両立しないことがある。あちら立てればこちら立たず。

・しかも、これは合理性のせいであって、利己主義のせいではない。愛他主義のジレンマ(O.ヘンリー「賢者の贈り物」)ということすらある。貧乏な若夫婦ジムとデラとは、互いに相手の幸福を思ってクリスマスの贈り物を交換する。デラは自分の髪の毛をカツラ屋に売って夫の金時計のためにプラチナの鎖を、ジムは自分の金時計を売って妻の髪の毛のためにベッコウの櫛のセットを。「プレゼントをしない」をC「プレゼントをする」をDとすれば、お互いに自分が犠牲になって相手にプレゼントをするのが最良の、相手からプレゼントをもらいっぱなしが最悪の事態であることは理解できる。その結果、贈り物をし合って、贈り物をしないときよりも不幸になるのである。

・ホッブズ的秩序問題:「万人の万人に対する闘争belum omni contra omnes」。

・東西冷戦構造とその崩壊。→「チキン・ゲーム」

 

1: z x y w,    :  y x z w.  

 

・「繰り返しゲーム」と「しっぺ返し戦略」。「覚えていろよ!」はジレンマを解消する。

・「相互査察」と「権力」あるいは「期待の相補性」。「相手の立場に立って考える」とはどういうことか。

 

 

4.自由主義のパラドックス Liberal ParadoxSen

 

 じつは「囚人のジレンマ」は次に述べる「自由主義のパラドックス」の特別な場合である。

 

【ストーリー】

 ここに一冊の本『チャタレイ夫人の恋人』があり、口に出すのも恐ろしいくらいエッチな内容である。A氏は謹厳家で、だれもこの本を読まないことを望んでいるが、好色家のB氏が読むくらいなら、志操堅固な自分が読むほうがよいと思っている。一方のB氏は、A氏がこれを読んで「勉強」することを、自分が読むよりもよいと思い、だれも読まないなどもってのほかであると考えている。さて、二人はどんな決定をしたらよいだろうか?

 

・2人の人間ABがいて,この二人の社会には3つの場合が存在する。

 

a : A氏が読む      b : B氏が読む       c : 誰も読まない

 

2人の順序付け(左ほど高い)

 

A(謹厳家): c   a  b   B(好色家): a   b   c

 

A氏にもB氏にもどうするか自分で決めてよい領域(自由あるいは権利)が存在する。

 

  A氏の権利: a    c との間を自由に決めてよい。

  B氏の権利: b    c との間を自由に決めてよい。

 

権利(自由)とはその決定を社会に押し付ける(他人に文句を言わせない)ことを意味する

 

この道具立てを用いて再び作業をしてみよう。

 

 二人の順序付けは次のとおり。

              A:       c    a   b

            B:           a    b    c

 

A氏が権利を行使すれば社会的に               

 

B氏が権利を行使すれば社会的に               

 

この結果を合成すれば                    @

 

ところが二人の共通の利益は                A

 

@とAとは矛盾するではないか。全員一致と自由主義とは両立しない!? みんなが勝手をしていたら世の中めちゃくちゃ?

 権利は大事である。人に迷惑をかけずにやりたいことができたら(他者危害原則という)どんなにかすばらしいだろう。しかし「社会共通の利益」を考慮すると、それは常に正しいことではないように見える。

 

5.まとめとさらに勉強する人のために

 

 簡単な数学を使うと、社会についてばくぜんと考えていたことに、思わぬ発見がある(数学を使わないで考えていてもおそらくわからなかったことである)。発見はさらに次の問題を生む。それは、われわれがそれぞれに幸せでありながら、さらによい社会を作っていく方法をさぐる、というものである(誰かを犠牲にしてよい−いじめの論理−ではなく)。

 囚人のジレンマも自由主義のパラドックスも一見するととても悲観的な話である。このほかにも、こうした領域には「民主主義の不可能性」とか、みんなでものを決めるときに嘘つきを排除することができないという「戦略的操作の可能性」などというトピックもある。けれども、そのそれぞれに現在までにさまざまな「解決法」が提案されている(それもやはり数学的に!)。またそうした議論を通じて社会の仕組みを考えたり、よりよい社会を設計するための理論も深まっている。

 世の中は、人々の利害や動機や善意や利己心や愛情だけで成り立っているのではなく、それをどんなふうに社会に反映していくか、という決め方(制度)によっても変わってくる。心がけも大事だけれど、そうした善意を助長して、悪意をくじいていくような制度作りがそれ以上に重要なのである。これが社会科学のおもしろさでもある。

「囚人のジレンマ」は、ゲームの理論と呼ばれる学問分野で発見された。この分野に大きな貢献をした人が2001年度アカデミー賞受賞映画「ビューティフル・マインド」(ラッセル・クロウ主演)に描かれたジョン・ナッシュで、1996年度にノーベル経済学賞を与えられた。「自由主義のパラドックス」は社会的選択理論という学問分野の研究者でインド出身のアマルティア・センが発見した。彼はこの業績で1998年にアジア人としては初めてノーベル経済学賞を受賞した。

さらに勉強したい人は、とりあえず次のような本を読んでみるといいだろう。

今日のテーマ全体についてきわめてわかりやすくまとめてある本は、佐伯胖『「きめ方」の論理』1980東京大学出版会。この分野について何か一冊読みたいという人には絶対おすすめのうえ「高校生にもわかる」という親切ぶり。もう少し「高度な」テキストはジョン・クラーベン『社会的選択理論』2005勁草書房。「囚人のジレンマ」についてはその名のとおりの、ウィリアム・パウンドストーン『囚人のジレンマ』1995青土社。ちょっと厚いがゲーム理論生みの親で現在のコンピュータの原理を作ったフォン・ノイマンの生涯にかんする読み物で、囚人のジレンマの解説もたっぷり。シルヴィア・ナサー『ビューティフル・マインド』2002新潮社は映画の原作。ロバート・アクセルロッド『つきあい方の科学』1998ミネルヴァ書房は、繰り返しゲームについての古典。「自由主義のパラドックス」については、アマルティア・セン『合理的な愚か者』1990勁草書房がよい。「囚人のジレンマ」や「自由主義のパラドックス」に直面するわれわれは「合理的な愚か者」なのである。同じ著者の『集合的選択と社会的厚生』2000勁草書房は、大学生以上向き。

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