土曜講座 ジェンダーと家族・秋季――<男女共同参画>社会へ――

男女共同参画社会実現への一戦略

2004.11.6. 横浜国立大学 志田基与師

 

(0)   若干の釈明と全体の構成

 

(1)   バックラッシュの構図

基本的に「規範と規範との対立」である。

 バックラッシュ派の戦略は、男女共同参画に対して、「そうあるべきだ」と「そうであるべきでない」という焦点を作って問題そのものを無化しようとする欺瞞であるが、これを直接批判することは案外難しい。

 

(2)「男女共同参画」の戦略目標

こうした戦いの戦略的目標は「勝つ」ことではなく、こうした人々も含めて自分の陣営に引き込むことである。「説得したい」派対「説得されないぞ」派の対決はある意味で対称ではない。

 保守・伝統・懐古主義とどうやって戦うか。

@             まず、データが誤っている。「創られた伝統」。故意にだまそうとしている。

A             「伝統は守らなければならない」は一つの規範である。伝統は「先人の遺産」かも知れないが、われわれの創ったものもやがて「先人の遺産」になる。

 

(3)この「論争」に対処する方法

●正々堂々正論で押しまくる →「意見は意見だ」と水掛け論扱いされる。

●多数派工作をする →相手と同じような「姑息な手段」はいやだ。

●「規範としての妥当性」を検証する →本日の試み。

 

(4)「規範」というもの

バックラッシュ派は、「男と女とは違うのだから、男と女とは違ってあるべきだ」と主張する。

「事実」が異なっているということは「あるべき姿も違っているべきだ」ということを意味しない(自然主義的誤謬)。規範のレベルでは「(にもかかわらず)両者は同じくあるべきだ」と述べることができる。

 第二に、しかしながら、ある「事実」がある「規範」と結びつくことによって新たな「規範」が生まれることもある。「かくかくである(事実)ならば、しかじかであるべき(規範)だ」という形式の規範(非基本的価値判断という)が、そうした作用をすることがある。一つの規範を単独で評価するのではなく、それが置かれる「文脈」によって規範に対する評価は変わりうる。

第三に「男女は平等であるべきだ」という規範の否定は、「男女は平等であるべきではない」という否定形の規範ではない。「男女は平等である必要はない」が正しい。権利なのである。

 「規範」の「妥当根拠」は「決断」にあるのではなく「規範の体系としての整合性」に求められる。社会全体の規範体系がぎくしゃくしていれば、規範が社会を制御する能力は著しく低下する。

 

(5)文脈としての産業化・市場社会・資本主義

そこで、この論争点になっている「規範」の是非を、産業化・市場社会・資本主義社会という文脈の中で検討しよう。

 

(6)人類愛あるいは社会の厚生の増大

バックラッシュ派は、ちょっとマッチョぽいけれども活力にあふれた社会とバックラッシュの主張が両立すると思っている。しかし、実は活力にあふれた社会の規範はフェミニズムの規範と親和的であり、バックラッシュ派の規範は単に既得権擁護の閉鎖的で停滞した社会の規範と親和的であるだけなのである

 ●活力にあふれた社会とは、今日において「高度に産業化された資本主義社会」ということができる。

●「高度に産業化された社会」は、フェアな競争が、一方で個人を社会貢献に動機付け、他方で社会全体の厚生を高める社会である。

●フェアな競争は主として市場によって行われる。従って活力あふれる社会を実現するためには市場のルール(規範)を尊重しなくてはならない。

●市場で解決できないことがら(市場の失敗)は、政府が対応すべきであるが、これは市場の機能をより円滑にする方向で行われなければならない。

 フェアな競争は、だれにとっても明白で平等なルールを必要とする。何をすればどのような結果が出るかが、あらかじめ予想されるものでなければならない。その意味で「情報の開示」「同一労働に同一賃金」「参入規制の排除」「間接差別の禁止」「多様性・自立性による選択と責任」は、市場における競争をフェアにするための要件の一つである。

 市場の失敗に対処するために、アファーマティブ・アクション、エンパワーメントや、さまざまな子育て支援策などが考えられる。

 

(7)男女共同参画は道徳的な規範創出運動である

いくつかの古い規範はこれによって「否定」される。他方で「新しい規範」が創出される。

 

(8)家族はどうなるか?

 バックラッシュ派の主張を採用すれば、すべての家庭(女性だけの家庭はのぞく)で男性の地位は安定するであろう。しかし、@それは歴史的過去にあった家族(事実としての古典的家族)と一致はしない。A市場環境・グローバルな分業の中に家庭として維持できない。結果として、市場部門と非市場部門を直接対決させる最も大きな落差を各家庭の中に投げ込むことになる。産業化や市場という文脈の中で、家族に関する規範も変化せざるをえない。

 

(9)残された問題

 もちろんこれですべてがつきる、というわけではない。

 

参考文献:

クーンツ 『家族という神話』『家族に何が起きているのか』どちらも筑摩書房.

板東真理子 『男女共同参画社会へ』 勁草書房.

ヘア 『道徳の言語』 勁草書房.

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