教養教育科目   伝統社会と近代社会

 火曜3限 担当:志田基与師

 11回(2011.6.28

 

(前回資料の続き)
 孟子(紀元前372年? - 紀元前289年) 朱子(1130年 - 1200年

http://www.oshi-goyukai.or.jp/50sinsyuu.html   http://www.confucianism.com.cn/html/zhexue/4804145.html


3.インド社会と仏教の基盤
 儒教と仏教とは、同じアジアの宗教でも、対極にある。儒教は「現世(此岸)」に基盤があるのに、仏教は「彼岸」を求める。

(1)インドにおける宗教者の経済的基盤:「出家(しゅっけ)」と「無一物(むいちもつ)」、「托鉢(たくはつ)」と「乞喰(こつじき)」、「袈裟(けさ)」。生産に携わることも社会的地位を求めることもない。(これは現在のジャイナ教の修行者。やや極端な例であるが)

       聖者様(ジャイナ教)                日本の袈裟              タイ

http://now.ohah.net/maha/jain.shtml    http://www.tamagawa.ac.jp/SISETU/kyouken/WebLibrary/toudaiji/index.htmlhttp://www.sawaddeejapan.com/modules/lang/index.php/20070903.html
 仏教・インドにおける「聖」者と儒教における「君子」とは、その経済基盤がまったく逆転している。その求道者と研究者的態度とは、専門の哲学者ともいえる。
cf.在家(出家ではない)信者。

(2)インドの宇宙観:すべての存在は「輪廻転生(りんねてんせい)」する。「六道(りくどう;天上、人間、修羅(有名な興福寺の阿修羅像)、餓鬼、畜生、地獄)」を生まれ変わり死に変わる(霊魂は消えてなくなる)。カストや階層もこの一環である。上の世界はそれなりに「いいところ」であるが、天上も「あがり」ではない。転生は結局は「苦の再生産」となる。それは、法(ダルマ=因果法則)によって行われる。「善因善果」「悪因悪果」であり、徹底した個人主義をとる。本質的には功徳(くどく)は他へ及ばないので「親の因果が子に報い」は仏教の教えからは誤り。上座部仏教(小乗仏教)と大乗仏教はここから分岐する。


http://www.welcome-nikko.com/adachi/09.html  http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/2009_04_24.htm

http://teishoin.net/blog/003552.html                http://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=other&colid=A10942

(3)釈迦(しゃか:紀元前463年? - 紀元前383年?)は、こうした前提の下、修行によって悟りを開いたといわれ、さらに彼の弟子たちにその教えを説いた。

       釈迦苦行像                    釈迦涅槃像

http://rosyu-toyoko.de-blog.jp/blog/2010/07/21_7c55.html  http://plaza.rakuten.co.jp/takacyan/diary/201003030000/

 

4.仏教の真髄

(1)輪廻転生からの解放:「解脱(げだつ)」と「涅槃(ねはん、ニルヴァーナ)」とが救済である。もう何にも、どこにも生まれ変わらない。輪廻転生のサイクルから離脱すること。

(2)「法」にかんする完全な理解=完全な制御(法力)が、解脱への鍵である。これは自力で探求するしかない(誰も救ってなどくれない)。しかも、救いにあずかるチャンスはきわめてまれにしかない。「盲亀の浮木」「優曇華(ウドンゲ)の花」のたとえ。

(3)修行は「解脱」のための手段であり、決定的に正しい修行法はない。すべての行いは「解脱」によって正当化される(どんな方法をとろうと「悟りが開ければOK)。これが分派に次ぐ分派を生み出す。

(4)それでは「戒律」は? 修行者集団(出家/僧伽/サンガ)の自治のために作られた(悟りを開くための勉強会の規則であって、戒律は悟りを開くための規則ではない)。「独覚」(釈迦の教えによらず悟りを開いた者)の存在(たとえば唯摩)や「前世物語(ジャータカ)」(有名なところでは、法隆寺の玉虫の厨子に描かれている捨身飼虎図など)の存在は、仏教の戒律が解脱のための十分条件でも必要条件でもないことを意味する。
外形的行動に対する曖昧な規定が宗教集団としての仏教をインドから消滅させた。→一般大衆を相手にするためには、「わかりやすく」ないといけない?


http://hectonchair.jugem.jp/?eid=31
     
http://maco4459.exblog.jp/i11/


【文献】

小室直樹 2000 『日本人のための宗教原論』徳間書店。

橋爪大三郎 2001 『世界がわかる宗教社会学入門』筑摩書房。
橋爪大三郎・大澤真幸 2011 『ふしぎなキリスト教』講談社現代新書. 

フーブラー&フーブラー 1994 『儒教』青土社。

浅野裕一 1999 『儒教ルサンチマンの宗教』平凡社新書。

加地伸行 『儒教とは何か』中公新書。

フィンガレット 1994 『孔子』平凡社。

ベック 『仏教』岩波文庫。

片倉もとこ 1992 『イスラームの日常世界』岩波新書。

岡倉徹志 1987 『イスラム急進派』岩波新書。

マックス・ウェーバー 原著1904/1905 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫)。

田川建三『書物としての新約聖書』勁草書房。

大塚久雄 『社会科学における人間』岩波新書。

丸山真男  『日本の思想』岩波新書。

川嶋武宜 『日本人の法意識』岩波新書。

新渡戸稲造 『武士道』岩波文庫。

 

 

戻る