教養教育科目 伝統社会と近代社会 火曜3限 担当:志田基与師 第10回:歴史と伝統/宗教その1(2010.6.22) |
小レポートの課題が出ています。
本日からしばらくのテーマ:1)「伝統」と「近代」、それを分かつものはなにか?
2)「宗教」とはいったい何のことか?
T.総論
0.歴史と伝統とは対立する
前回採り上げたように近代社会は、とんでもなく「変な」社会である。それは伝統社会とはとてつもなく違っている。
伝統とは「あることがらの起源・創始者・目的を忘れること」である(これも覚えておきたい)。歴史はそのすべてを明らかにしようとする。したがって、歴史と伝統とは精神作用として対立的である(この両者は社会科学的には類義語ではなく対義語)。
であるから、起源、創始者、目的などを忘れれば、何でも容易に「伝統」となる。「伝統」と「流行」は、事実上同じ精神の働きである。
歴史がないのに「伝統」のふりをしている社会的項目を「発明された伝統invented tradition」(「発明された伝統」は覚えておきたい言葉です)という。
例:サークルでの「いっき飲み」/神前結婚式/バレンタインデー/喪服は黒/日本的経営。
ある項目が伝統になるかならないかは、それを取り扱う「心性」(心のはたらき・働かせ方)による。すなわち、伝統とはある種の精神的な態度なのである。伝統が精神的な態度であるならば、それと対をなす概念である「近代」もまた、伝統とは別の種類の精神的態度といえる。したがって、伝統社会と近代社会を区分する基準も、心性、すなわち精神的なものである。こうした心のはたらきをEthos(エートス)ともいう(覚えておきたい)。
精神に影響を与えるもっとも大きな要素は「宗教」である。科学にしろ技術にしろ、それにどう対処し、どう受容していくかは、宗教をはじめとする精神的態度に関係がある。そして、宗教(的信念)は一般には「事実」によって影響を受けることが少ない(宗教に対立するような事実が突きつけられても、信念が揺らぎにくい→究極の「先入観」「偏見」といってもよい)という性質をもっているからである(おそらく、宗教的な教えの根本に、事実で反証できない主張が含まれているからであろう)。それゆえ、宗教について考察していこうと思う。
1.伝統社会と近代社会:総論
問題その1:大規模な商業、遠距離の交易、富の集中、巨大な官僚制、高度な科学技術、産業の発展、これらは「近代社会」の指標といえるだろうか?
たとえば、19世紀のイギリス社会(産業革命終了時)は、そうした点で、現在の「発展途上国」のいくつかを下回っていたであろう(その時代の小説などに出てくる人々の生活水準を想像してみればよい)。
問題その2:お金と、教育と、科学技術があれば、先進国に追いつき、そして「近代国家」になれるのだろうか?
「伝統社会」の特徴は「昨日」の延長が「今日」であり、「今年」の延長が「来年」であることである。それにたいして、「近代」への離陸は、絶えざる技術革新、熾烈な競争、瞬間瞬間の主体的判断を求められることを意味する。この恐ろしいまでの断絶は何によってもたらされたのか。それは「宗教」によってである。
1)「近代化」の出発が、キリスト教文化圏、とりわけ「禁欲的プロテスタント」圏であった事実。これは偶然の一致なのであろうか、それとも何かの必然であろうか?
2)日本を初めとする、東アジアの近代化の特異性:上の話が真理であるなら、アジアの近代化は西欧の近代化と異なるものであるか、少なくとも異なるプロセスを要するであろう。
途中に長い長い話が挟まるが、最後はその話に戻る。
2.日本人の宗教音痴
日本の宗教人口は約2億人である。神社に初詣、キリスト教式結婚式、そして仏教の葬儀。日本人の宗教はまことにとりとめがない。
日本人の宗教観は以下のようなものだ。「苦しいときの神頼み」。あるいは、宗教とは「1)死後の面倒を見てくれる;2)神様が救ってくれる;3)個人の問題である;4)心のもちようの問題である」。こうした宗教観は正しいのか? 世界の宗教を見て行けば、これらはすべて間違いであることがあきらか。一つには、各宗教の誤解により、もう一つには宗教そのものの誤解による。
日本人の宗教音痴を作り出した原因はいくつか考えられる。
(1)日本の宗教の歴史的混乱:「○○家先祖代々の墓」はここ50〜60年くらいの現象。
孟蘭盆会(うらぼんえ)にご先祖が帰ってくる? 位牌、戒名は仏教の教義に入っている?
江戸時代、天皇家の葬儀もすべて仏式だった。→「葬式仏教」は徳川幕府の政略。
(2)国家神道とキリスト教:内村鑑三の「二つのJ」。
宗教ではなく「学問」としての「儒学」。外形ではなく「精神」の問題としての宗教受容。
(3)新宗教弾圧と戦後の政教分離:大本教。天皇の人間宣言。
3.世界の大宗教(普遍思想)
儒教、仏教(ヒンドゥー教)、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教。これらの宗教が、古代文明、都市国家、征服王朝、帝国、多民族国家の産物であることは重要。多かれ少なかれ、ある地域や慣習、伝統から離脱する傾向をもつ。
他者を説得する文体を持っているという意味では、「無神論」「科学(技術)」といえども一種の宗教である。無根拠の前提と有無をいわさぬ推論。
4.宗教を観察する視点
(1)救済の様態:その内容、その単位、その時期etc.
(2)救済のための(必要)(十分)条件
(3)戒律、外形的規制
(4)その担い手およびその心性
(5)社会的効果
U.儒教と仏教
1.中国社会と儒教
(1)「先立つ不孝をお許し下さい」、「葬式儒教」、夫婦別姓、「忠」と「孝」、「3年改むるなきは孝の
(2)「科挙」、「世界」があこがれた試験の元祖。マイルドで徹底的な思想統制。中央集権体制と家産官僚制。
(3)「中華」の思想と「文化」の思想。偉大な帝国と偉大な文化、コスモポリタニズム。
2.儒教思想の真髄
(1)「礼」:極端な儀礼主義、形式主義。外形的行動にたいする規制。行動規定、服装規定。「哭(こく)」「髪くしけずらず」「ハジカミを喰らわず」。→身分差別、「分」の発想。
(2)主君に忠より、親に孝。「ぼろは着てても心は錦」はありえない。身内の恥は本人の「不徳の致すところ」。「修身、斉家、治国、平天下」。君子、士大夫、徳のある人間が
(3)徳治主義の神義論(宗教的立場が正しいことの証明)。伯夷・叔斉と湯武放伐論。中国社会の動乱と英雄、覇者の出現。「苛政は虎よりもむごし」。王朝の交代と易姓革命。
(つづく;参考文献などは次回の資料に示します)