そこに剣があれば、どうしたって振るうのが定石だろう。 そう言うとあいつが苛々したように窓を叩く音がした。 「おい」 聞こえるだろうが。 そう言おうとした俺の声を遮るように、続け様に声がした。 「………あたしは振らない」 あいつはまた窓を叩く。 思わず振り向こうとすると、鋭い叱責が飛んできた。 「こっち見ちゃ駄目」 「…………分かったよ」 そうして俺はまた、今までと同じように壁に背を預けた。 あいつがいるのはこのちょうど反対側。 きっと窓を叩いた時もこちらを見てはいないだろうに、何で俺が振り向こうとしたのが分かったのかというと、この手の中にある……正確にはいる……小さな召喚獣の所為だった。 どこだかの世界から召喚された、風船みたいな外見のそれには小さな穴が無数に開いている。ここから俺の声を拾い、そしてあいつの声がここから響くのだ。 何とも便利なもんだ。 ならこんな場所でこそこそ話さなくともいいだろうにとは思うんだが、どうもあいつは違うらしい。 俺にこれを渡してからこっち、会話はいつもこうやってある程度の距離を取りながら、けれども割と近くで交わす事が多くなった。 最初はただの気紛れと、そして何か召喚術に関しての情報が少しでも得られればと受け取ったのに、何故だかこいつは暇を見つけてはこうして話そうとする。 ……………………変な奴。 上を見ると、古びた屋根の向こうに黒ずんだ空が見える。 もうすぐ雨でも降り出すのだろう、どこの家でも洗濯物を取り込んでいるのが遠くからでもはっきり見えた。俺には関係ないが。 この店は古い割に広く、こいつが窓を少し叩いたぐらいでは周りの誰も気づかなかったのだろう、皆がいつものように買い物をする時のさざめく声が聞こえてくる。 それにしても。 「…………何も用事がないならもう俺様は帰るぞ」 「何で」 「何でって………話す理由がないのに何でここにいなきゃならねぇんだよ」 「理由ならあるでしょ。……さっきの質問」 「あぁ?」 質問? 一瞬何かと思ったが、すぐに思い出した。 ああ、そうだ。 「『そこに剣があればどうするか』か。……その答えはさっき言った」 「言ってないよ」 またガラスが鳴った。けれど今度は少しだけ、キィ、と。 空と同じように泣き出しそうな音だった。 「剣を振るって、それからどうするの」 その質問に答えようとした矢先。 ぽつ、と何かが足元に落ち、すぐにそれは幾千幾万の雨粒へと姿を変えた。 丁度いい、これで声も聞こえにくくなる。そんな事を思いながら俺は口を開いた。 「……………………………………だよ」 「え?」 予想通りの反応に僅かに苦笑して、俺は店の軒下から身体を離した。 がたん、と大きな音がした。 「………来るな」 低く、それでいて絶対の声音で告げると、手の中からかすかな声が聞こえた。 「……………また、……って、…………げるの………」 『またそうやって逃げるの』 「………………………………ばーか」 雨の中へと身体を躍らせると、召喚獣からはもう声はしなくなった。 いい天気だ。 ………胸の中のおかしな気持ちも洗い流せそうだな。 あたしが店の外に出た時、もう彼の姿はなかった。 聞こえなかったわけじゃなかった。 なのに聞き返してしまったのは、その答えがあまりにも彼らしくなかったから。 『剣を振るったら、剣を捨てるんだよ』 てっきり人を殺すとか、あたしを傷つけるとか、そんな答えが返ってくるとばかり思っていたのに。 何故彼はあんな事を言ったのだろう。 あんな一番似合わない台詞を。 でももう答えは雨の中。 この天気じゃこの召喚獣も調子を悪くしてしまって使えない。 「また今度聞くかな……………」 そうひとりごちて、あたしは雨の中を走り出した。 今度って、いつだろう。 そんな事を考えて。 その今度は、 店の軒下でも、 曇った空の下でも、 そしてガラス越しでもなくて。 「……………………答えてよ…………」 彼はあたしの膝の上。 でも重くないのは、身体がないから。 あるのはただ、彼がいつもつけていた首飾りだけ。 赤い血塗れになったそれに口付けて、 あたしは泣いた。 もう二度と、聞けない。 ---------------------------答えを、教えて。 END. |