「……誰がそんな事望んだ! はぐれ野郎!!」 込み上げる想いのままに叫んだ。 自分はそんな事望んだ覚えはない。こんな結果は自分の意図する所ではない。こんな筈ではないのに。 なのに、あいつは好き勝手。自分勝手にやりたい放題、言いたい放題言って帰りやがった。 まるで自分の物は何一つ残さないと言う様に、髪の毛一筋さえも残さずに。 想いの残滓だけを残して。 ―愛のままに我が儘に僕は君だけを傷付けない―
「…………ふ、ん。」 暗闇の中。ぼんやり浮かぶいくつもの小さな光の珠を覗きながら、顎に手を当ててぽつりと呟く。 何故だろう。よく知っている……そう、あまりにも身近に感じる人物の筈なのに、誰か判らない。顔も、見えない。 そのまま、他のよりもずっと小さい、けれど少しだけ他より明るい光を放つ珠をつ…と指でなぞりながら面倒臭そうに彼は溜め息をつく。 そこまで考えて初めてあぁ、そうだ。この人は「彼」なんだなと間抜けな事をぼんやり思う。 「これだな。」 指の動きを止め、その珠を手で掴むのを見て、何となく嫌な気分にさせられる。 「―今の状況は、俺にとっても非常に不本意でな。」 ………やめて。
誰に言っているのか判らないその言葉を聞きながら。なんとなく嫌な予感がして、力一杯叫ぶ。「力はまだ満ちてねぇ所に、身体も万全じゃねぇ。」 非道く面倒くさそうに彼は呟く。けれどあたしはそんな言葉など構っていられる余裕など、なくて。 やめて。やめて。おねがい。
「こっちの都合から考えると、これはもしかしたら邪魔になるかもしれないんでな。一応、消させて貰う。」それに触らないで。そこに触れないで。 何故か、非道く不安になった。 非道く怖かった。 あの虹色に光る珠がどんな意味を持つかなんて知らない。 判る理由もない。 でも、 大切なものだ。と言うことだけは判ったから。 あたしは音の震えない喉を必至になって使って、訴えた。 いや。やめてやめてやめて。さわらないで。
あなたが何を望んでいるのかなんて知らない。 あなたが何でそれを邪魔に思うかなんて知らない。 でも。 こ れ を 消 さ れ て し ま っ た ら 、
あ た し は 死 ん で し ま う 。 「じゃあ死ね。」 気怠げに呟いたその言葉が、頭の中で響いた最後の声だった。 *
Pi・Pi Pi Pi・Pi Pi Pi・Pi Pi Pi・Pi………… 目覚まし時計が電子音を出して起床時間を告げる。 「うーん………」 もう朝? と思いながら夏美は無理矢理体を起こす。何故だろう。あまりよく寝た気がしない。 それに。 「………なんか、まーた変な夢見たなぁ………」 欠伸を噛み殺し、もそもそと着替えながら、ここ数日間続けてみる妙な夢を少しでも思い出してみようかと、寝ぼけた頭で記憶を探る。 けれど何も思い出せない。残っているのは夢の内容から来たのであろう、もどかしさと。……切ない残滓。 何だか、大切な………大切な人がいたような。夢…… (……うわ……) 考えて、なんとなく恥ずかしくなって頬が朱に染まる。別に夢の内容はこれといって覚えてやしないのに。 (………欲求不満なのかな……? あたし………) 頬に手を当てて、赤くなった顔をじんわりと冷ます。今まで誰も好きになった事など無いのに。 心に誰かなんて。居るわけがないのに。 “………って来い………!!” 「え?」 誰かの声が聞こえた気がして、何となく振り返る。けれど視界に入るそれは、自分の部屋でしかなく………… 「?」 首を捻りながら、気のせいだと納得させる。だってここは自分の部屋で。おまけに自分しか居ないのだから。声など聞こえる筈が無いのだから。 ―ぐぐぐぐぐぅ〜〜〜っ 唐突に自分のお腹が餌を与えろと自己主張を始める。時計を見れば既にいい時刻。 「―さ。御飯御飯。遅刻しちゃう。」 それを合図にうっしと一つ気合いを入れて、気分も入れ替えて。鞄を手に取り朝食の待つ居間へと急いで向かう。 「橋本せんぱーい。おはようございまーす。」 後輩である少女の呼び声が、朗らかに晴れた空に響き渡った。 *
「………クソ……!!」 苛々と舌打ちをしながら、ガツンと地面を思い切り殴る。けれどそれで地面の一部が歪んでも、自分の気が治まると言う事はなく。 「……うるさいぞ。バノッサ。」 同じ様に苦虫を噛み潰したような顔をしながら、ソルが宥める為に口を開く。 「ンだと……? クソガキの分際で……」 「何もお前ばかりが苛ついてる訳じゃないんだ。少しは落ち着いたらどうだ。」 全てが終わった。否、無理矢理終わらされた儀式の跡地で。美しい月と、星空を皆でぼんやり見上げながら。けれどそこにいる人々の顔はその美しさとは対照的に晴れやかな物ではなく、寧ろ悲しみに沈んでいる様に見て取れた。 「……あの野郎………約束が、違うじゃねぇか。」 忌々しげに、ガゼルが拳をバシッと叩き合わせる。協力してやれば彼女は解放すると言ったのに。 「アネゴ〜〜〜〜〜」 ジンガが泣きそうな声を出す。大好きだった。強くて明るくて。いつも笑ってた。 「もう、会う事は出来ないのかしらね………」 セシルが目を伏せながら寂しそうに言う。彼女のお陰で自分達は新たな道を見つける事が出来たのに。 「……ふざけるなよ………」 ギリギリと奥歯を噛みしめながらバノッサが絞り出すように声を出す。 「俺様は! まだアイツに用があるんだ!!」 「だからなんだって言うんだ!!」 間髪を入れずにソルが反論する。そのまま勢いに任せて彼の首元から下がっているチョーカーをぐっと掴んで近くにあった柱に押し付ける。 「いいか。今の状況は物凄くヤバいんだ。世界の意志(エルゴ)の認めた、代行者たる誓約者(リンカー)だと思っていたナツミは去った。しかもこの世界の結界を維持していた要の一つである、霊界(サプレス)の意志(エルゴ)は既に失われているんだ。この意味が、判るか?」 柳眉を逆立てながら、いつになく怒気を孕んだ口調で吐き捨てる。 けれど自分で言っておきながら、その言葉は胸の奥に小さい棘を突き立てる。何故なら、その要を失うきっかけを作ったのは他ならぬ自分だから。 大切にしたいと願った、側にいたいと約束した彼女を手放すきっかけを作ったのは他ならぬ自分自身だから。 それは自分の行動に疑問をもちながらも、止める事の出来なかった自分の罪だ。 けれどそんな思いを表に出す事はしない。悲嘆に暮れるのも、罪の意識に苛まれるのも。後で良い。 絶対に見せない。せめて目の前に居る、男の前でだけは。 「それがどうした。」 けれどバノッサは常にない怒気を含んだソルの様子など歯牙にもかけない。 どころか、渾身の力で首元を掴んでいた彼の手をいともあっさりと払いのけて、睨み付ける彼以上の力を籠めて吐き捨てる。 「――ッ!! 判らないのか?! 他世界の侵略者を阻めていた結界がこのままでは消えるんだ! しかもただでさえ脆くなっていた結界に、無理矢理行った魔王召喚の儀式は結果的に成功している――結界は、例えば今この時。いつ消滅してもおかしくないんだ!!」 そして消滅したが最後。虎視眈々とこの世界の豊富な魔法力を狙って次々と他世界からの侵略が始まるだろう。今は遠い、昔の様に。 どこまでも自分を馬鹿にしたようなバノッサの態度に、ソルは苛々しながら怒鳴りつける。 一度は父の元に居て召喚術を学んだ筈なのに。判らない筈などないのに。何故。 「―それは、本当の事なのか?」 ソルの言葉を聞いて、レイドが近くにいたギブソンとミモザに詰め寄る。 「………………」 「………恐らくは、ね…………」 言い辛そうに顔を俯けるギブソンの代わりに、ミモザが答える。 「……ナツミさんが、本当に最後の砦だったんです……」 「結界ヲ支エル要ノ一ツガ消失シテイル今、早急ニ手ヲ打ツ為ニえるごノ試練ハ発動サレタノダ。」 言い辛そうに元はエルゴの守護者であったカイナとエスガルドが口を開く。 「じゃあ、もうどうしようもねぇってのかよ!!」 ガゼルが拳を握り締めながら悲痛な声で叫ぶ。 「だから、それがどうしたってんだ。」 辛そうに項垂れる面々を見ながら、バノッサは目をすっと細めて口を開く。 「結界だとかなんだとか。それがどうしたってんだ。」 そんな事より重要な事が今の自分には、ある。気になる事がある。もしも自分の予測が正しいというのなら、なによりそれは自分の誇りが許さない。だから。 「いいかげんに理解しろ! ナツミはもう…………」 戻ってくる事はない。どうあっても。彼女は魔王に囚われたままなのだから。 ソルがいっそ悲痛とも言える目でバノッサを睨み付ける。 「だからどうした。」 結局、お前は何がしたい。 皆に向かって一瞥をくれ、鼻で笑いながら言い放つ。 「来ねぇなら、喚べばいい。戻せばいい。その為の力だろう。」 そして軽く屈みこみ、地面に落ちていた魅魔の宝玉の欠片を拾い上げる。 「―な?! そんな事したら、結界が今度こそ崩れるぞ!!」 何を考えている、と言おうとして。ソルは動きを止めた。 否。止められた。 強く強く自分を射抜く、その視線に。 「どうなろうと関係あるか。」 結界が壊れるとか。それがどうしたというのか。 この世界も、この身体も。もとより最初から全てを消し去ろうとしていた自分にとって、何の執着もありはしない。 だからこそ、もしもこのままだったらと思う事の方がバノッサにとって何よりも屈辱的だった。 今の自分はどこかおかしい。自覚している。それが何より腹立たしい。 この感覚は、あの魔王に、もしくはあのはぐれ野郎に。今まで固執していたものを奪われたからなのだろうか。 だとしたら。 *
それは不思議な夢だった。 夢だと判っていた。この時点で何か変だな? と思ったけど。夢ならそれもまぁいいか。とも思った。 そこはとても空気が澄んでいて。空も高くて蒼くて気持ちが良くて。見た事のない景色を見ながら色んな人と行動を共にした。 それから。夢の中に彼が、居た。 彼は何か声をかけたんだろう。でも何故か彼だけ声が聞こえなくて、顔も口元以外よく見えなくて。聞こえなければ当然返答も出来ない自分に、何となく苛々した様子を見せながらじっとこっちを見てた。 時折小さく、もしくは怒鳴る様に大きく口を動かしていたけれど、それでも何を言いたいのか判らない自分はどうしたらいいか判らなくて。 「聞こえないよ。」 何度かそう言ったけど、彼には届いていない様子で。相変わらずなんだか苛々していて。 段々、彼の側にいるのが居たたまれなくなってきて。 仕方なく「バイバイ」と手を振って別の場所へ行こうとしたら、それでも彼は追いかけてきて。 ずっとこっちを見てた。 何処へ行っても、何処まで行っても。ずっとずっと強く、真っ直ぐな目でこっちを見てた。 「………なんか………ちょっと恐い、かも……」 なんでずっとこっちを見てるの? そう思った時に気が付いた。 多分、振り向いて彼をよく見なければ気が付かなかった。 だから思わず、彼の頭を上からゆっくりと抱き締めた。 抱き締めながら、泣いた。 ……ごめんね。あたしは守れなかった。 抱き締めた先の、白くパサパサした髪が腕に馴染んで心地良かった。 「んー………っ」 心地良い風が窓から入る麗かな放課後。夏美は思いっきり伸びをして、授業中に固まった身体を軽くほぐし、ついでに大きな欠伸をして目尻に浮かんだ涙を拭う。 「なんだか随分熟睡してたね。橋本さん。」 不意に、隣に座っていた男子生徒に声をかけられる。 「あー。深崎君……てへ。やっぱバレてた?」 「ばれるもなにも。隣で頬杖付きながら一度も動かなかったじゃないか。それで寝てないなんて言ったら嘘だと僕は思うけど?」 「や。流石は生徒会役員様。鋭い洞察力です。」 「そんな事を引き合いに出されてもね。」 へへーっとノリで拝む夏美に、深崎は苦笑いをしながら手早く授業道具を纏めて、そうだと口を開く。 「―あ、先刻の授業。次は小テストをするって。」 「ぐげ。」 その言葉に夏美は思わず机に突っ伏して蛙が潰れた様な声を出す。 「はは。自業自得かも知れないけど…誰かにノートを見せて貰うと良いと思うよ。じゃ、僕はこれから部活だから。」 「んー、じゃぁ多分また明日ー。教えてくれてありがと。」 潰れたままひらひらと手で返事を返した後に、夏美ものろのろと授業道具を鞄に詰め始める。 (………それにしても。あたしはまた変な夢をー…) 見たなぁ。とげんなりしながら、少しだけ思い返そうと躍起になってみる。けれど記憶の手応えは矢張りと言うか。殆ど感じない。 (んー………まぁ。夢だし。) それよりも、次回にあるという小テストの方が現実的且つ重要で。おまけに自分はもしかしたら重要な授業だったかも知れない時間を、夢まで見る程に熟睡をしていて。 (やっばいなぁ………ノート、ねぇ。) 頭をぽりぽりと掻く。もっともそれで現状が変わる訳はない。 「せんぱーい。部活行きましょうー。」 「あー。ちょい待って待って。今行くー!」 (ま。悩んでも仕方無いっか。) 周りを見れば、クラス内には既に自分と同じバレー部の人は誰も居ない。 「…………」 ふっと小さく溜め息をつく。そして、まぁこんなものか、とも思う。 別にこれはいつもの事ではない。自分と同じバレー部の生徒ではなくても。自分に声はかけられない。でも視線と声だけははっきり聞こえる。嗤われるのも、いつもの事。 「せーんぱーい。」 「ぅあ。はいはいはいはい。」 焦らすように廊下からかけられた後輩の声に。夏美は慌てて机の中身を鞄の中に詰め込んで、ぱたぱたと廊下へと駆けていった。 *
「……なぁ、バノッサよ。少しは落ち着いたらどうだ? ソルもだ。」 それまでただ話を聞いていたエドスが、バノッサの肩に手をのせる。 「仮に、だ。喚ぶとしても、どうやって喚ぶと言うんだ。ナツミは名前も知らない異世界から事故で飛ばされてきたんだろう?」 『事故』。この言葉にソルは胸の奥が痛くなるのを感じ、服の裾をギュッと握り締める。 元々自分が引き起こした偶然だけに、何気ないこの言葉はまた、ひっそりと彼の心に暗い影を落とす。 けれど、それに気付かずエドスは尚もバノッサに話しかける。 「ここにいる誰もが、ナツミに会いたいと思ってると思うぞ…?」 勿論自分とて、あの元気一杯に笑う少女にもう一度会いたい。しかし、もしかしたら霊界に還ったかのも知れぬ魔王を。その身体を乗っ取られたナツミを。どうやって喚ぶと言うのだろう。彼女がどこに居るのかさえ特定ができないと言うのに。 「………るせぇ………」 置かれた手に目をやりながらバノッサが苦い顔をして唸る。 「お前だって、魔王の力の欠片に乗っ取られそうになって大分疲れただろう? 今日はひとまず戻って休んだ方が良いと思うぞ? カノンだって心配そうに見てるじゃないか。」 名前を呼ばれて、それまで後ろの方で見ていたカノンがおずおずと近寄ってくる。 「……バノッサさん…………」 「―カノン。」 「帰りましょう……? サイジェントに。」 小さく声をかける。自分達が今まで住んでいたスラムには居場所はもう無いかもしれないけど。それでも、自分達の帰る街はあそこしかない筈だから。 「帰りましょう? バノッサさん…」 「駄目だ。」 再度繰り返して、ゆっくりと伸ばされた手を見ながら、それでもバノッサははっきりと異を唱えた。 「バノッサさん…!!」 静かに否定された声に、カノンは悲痛な声で彼の名前を呼ぶ。 この上、まだ何かあるというのか。 「駄目と言ったら駄目だ。この場所でなけりゃ、意味がないんでな。」 今。この時この場所で。機会をを逃したら他には。 「何故です?! ここに何があるって言うんです!」 バノッサの低く、けれどよく通る声ではっきりと言われて、逆らう様に、彼の威圧に負けない様にカノンは語気を強くする。彼にとって、今は義兄の身体の方が何よりも心配だというのに。 「気付かねぇのか? お前ら。ここには全部の条件が揃ってやがるって事に。」 忌々しげに唾を吐き捨てながら、バノッサは握っていた魅魔の宝玉を、皆に見せつける様に前に出す。 「………そうか! ここは元々魔王召喚の儀式を行っていた場所だ。」 「なぁるほどー。おまけに召喚の媒体に使ってた魅魔の宝玉も割れたとはいえ、まだ使えるだろうし? しかも今ならもれなく魔王召喚用魔法陣もついてくるって訳ね。」 バノッサの言葉と魅魔の宝玉に、召喚術士であるギブソンが手をポンと打って相槌を打ち、相棒の言葉にミモザも頷いて同意を示す。 「そうだ。だが、だけじゃネェ。」 「そうか……!!」 肯定しながらも、まだ何かあると呻く様に言ったバノッサの言葉を聞いて、ソルはハッと気付いて顔を上げる。 「ここは、召喚の為に魔法力をより効率よく集められる様にしてある筈だ。それに、父上…オルドレイクがこの日、この夜にやろうとしたのも、多分今夜が一番この場所での条件に合っているから……」 恐らく迷霧の森の障気でさえも彼は計算に入れていた筈だ。自分が父と呼んだ人物は、確かに気は触れていたのかもしれないが、その実、非常に計算高く、効率よく物事を進めるだけの頭脳はきちんと持っていた。 「それと、お前らは気付いてなかったかも知れねぇが。まだあの魔王が放出した魔力の残滓がここに残ってやがる。魔王の片割れだか知らねぇが、力を召喚した時の霊界の門(ゲート)もまだ閉じきっちゃいねぇ。」 そして。別段言う必要がないと思うので敢えて言わないが。自分の中には魔王が回収しきれなかった膨大な魔力も、ある。 今なら。それらを媒介に利用して喚べるかも知れない。 ………それでも、儚い望みである事は自覚しているけれど。賭けてみる価値はある。 賭けてみなければ、他に好機はない。 否。恐らく今を逃したらもう叶わぬとさえ思わせる程の説得力が、ここにはある。 「―お前らは勝手に帰れ。だが、俺様はここに残る。」 バサリとマントを翻して、バノッサは召喚魔法陣の中心へと向かう。 (はぐれ野郎が………) 虚空を強く睨み付けながら目的の人物へと憎しみを募らせる。 だから気付かない。気付く余地もない。 絶え間なく誰か一人の事を憎み続ける、考え続ける。 この 想いの 在り方は。 *
部活も終わり、家に帰り着くなりぽすん、と夏美は着替えもせずに自室のベットに寝転がりながらむーっと眉をよせて、何となく窓から見える満月を睨みつける。 「うーん………」 おかしい。何だか今日はおかしい。 朝の夢見の悪さも今日は格別だったし、授業中の夢もあまり良いとは言えなかった気がした。 もっとも。内容は両方ともろくに覚えていないのだが。 (あたし、本当に欲求不満なのかなー。) ごろごろと転がりながら、ついそんな事まで考えてしまう。夢は自分の内面の暗示だと聞いたことがあるような気もする。だから余計に気になる。 バノッサは、砕けた魅魔の宝玉を掴み、ありったけの霊属性のサモナイト石を掴み、彼女が残したサモナイトソードを魔法陣の中心へ力任せに刺し穿つ。 「……はぐれ野郎………」 小さく呟く。握りしめた手から、微かに血を滴せながら。 「………なんでだろー…」 枕を抱き締めながら小さく呟く。たかが夢。そう割り切ってしまえばいいのに、何故か割り切れない自分が居る。なんとかして思い出そうとしている、自分が居る。 夢を。その中身を。忘れたままではいけない気がする。 ─でも、何故? 誰か判らないのに。どこか知らない場所なのに。記憶に無いのに。何故か懐かしいとさえ思った。 夢だから。なんでも有りだとは、なんとなく思いたくなかった。 何よりも、感触が。夢の中で抱き締めた温もりが。 如実に思い出される。記憶は無いのに。無い筈なのに、感覚の残滓だけは残っている。 掘り起こす。彼女と係わってきた記憶の全て。 最初にあった時。二回目。三回目……どの時も彼女と剣を合わせた。 偶に街であった時にも、お互い小競り合いを繰り返した。 「う〜〜〜〜〜っ」 枕に顔を思い切り押し付けて、低く唸る。 何故だろう。顔も声も知らぬ筈の彼を。想いだそうとすると、考えようとすると涙が滲んできて仕方がない。 泣きたくなる。泣きたくなるのに。 ───もう会えない。 そして何故。そう思うのかも、判らない。 そう言えば、一度彼女に「自分の元へ来い」言った事があった。あの時は彼女自身の言葉で返答も聞かぬまま、いきなり暴発した彼女の力―今思えば、恐らくは魔王の力の暴走―によってのされてしまった。 ふいに、嗤いが込み上げる。 「なんでぇ………っ」 視界の端が滲む。どうしよう。堪えられない。会いたい。会いたいのに。でも会えない。 知っている筈なのに知らない、判らない自分がもどかしい。 だから会えない。資格がない。 だって自分は、とうに無くしてしまっているから。 でも、何を無くしているかも判らない。判るのは気のせいとも取れる今の状態が、酷く不快だと言う事実だけ。 知っている。割と楽天家で、勝ち気な目をする癖に、その癖どこかで一人になる事を怯えている。 そしてどこかで疎んでもいた。自分が女である事を。 「なんで………?」 何かに縋りたくて手を伸ばす。でもその手は虚空を切るだけで何かを掴む事はけして無い。ただ、空気が手からこぼれ落ちるだけ。 そうと判っていても、手を伸ばす。 この手が何かを掴めたなら。強く強くそう思う。 自分の周りに魔法力(マナ)が集まる。地面が、空気が、魔法陣が。発動を促されて光りを放出し始める。霊属性の証でもある、紫色の光。 彼女を知っている。お節介である事も。 だからこそ今。それが許せない部分でもある。 だからこそ、用がある。 何かを取り出そうと必死になる。涙は既に堪える事を止めた。そんな事に気力を使う位なら思考の海から取り出したいモノがあった。 「どうか………っ」 判っていて、願う。知っている筈なのに知らないあの人に。 強いほどの視線で射抜く癖に、どこか哀しい目をするあの人に。どうか。 何かが動く気配を感じて視線を横にやる。見るとそこには召喚に使う杖を掲げたソルの姿。 「……お前を手伝うって訳じゃないからな。最初にナツミを呼びだしたのは俺なんだ。アイツの召喚主(マスター)は、俺なんだからな。」 憮然とした表情で小さく呟く。 「ソルはどうだかしらないが。私達はナツミに会いたいからな。少々癪だが、手伝うよ。」 「……そんな訳あるか!!」 自分だってナツミに会いたいと。ソルが口を大きく開いて抗議すると、ニッコリと人を喰ったような笑顔を浮かべて、ギブソンも魔法力の放出を始める。 気付けば、他にも霊属性の資質を者達が数人。契約が成されていないサモナイト石を握り締めている。 「…………勝手に、しやがれ……」 ムスッとした顔で呟いて、目を閉じる。手応えを感じる。 ―いける。 隠そうともしない涙をぼろぼろと零しながら窓から覗く月に手を伸ばす。この方がより近くなる気がして。 「あたし、あたし。なんにもいらない………なんにもいらないから…………」 例えば。 自分には友達と呼べる人物は一人も居ない。いくら部長と言ってもそれは先輩達に指名されたお仕着せのもので。同学年の娘達と自分はイマイチそりが合わない。 彼女たちの感情が、気持ちが判らない。正直、後輩のべたべたしてくる付き合い方にも偶に面倒とさえ思う。 学校には親友と呼べる人は居ない。少なくとも自分はそう思っているし、それは当たらずとも遠からずだろうと思う。 家族ともあんまり顔を合わさない。両親は忙しく働いている。だから話もしない。 それよりも、何故だか自分の心の中にはもっと大事な人が居るような気がしてならない。 大事なモノがあるような気がしてならない。 それがもう一度。この手の中に入るというのなら。 「…………いらないから。」 家族も。この世界も。自分も。なんにも。すべて。 いらないから。どうか。 力の放出が一番激しい中心で、バノッサは自分の中に残っていた魔王の欠片が燃焼し始めるのを感じながら呼びかける。 (……聞こえるか……はぐれ野郎……) もしも聞こえているなら、否。聞こえている筈だ。術に手応えが感じられる。 ぐっと力強く目を見開いて虚空に浮かぶ満月を介して、忌々しげに舌打ちをする。 自分の今のこの感情の変化が、憎しみとかそう言った感情がすっぽり抜け落ちたこの心境が。もしも彼女の手によるものだとしたら。 (誰がそうして欲しいと頼んだ………!) 自分の気持ちも。想いも。何もかも。これは自分だけの物で、自分を構成していた物で。勝手に奪われて気分が良い筈がない。 しかも、文句を言おうにも当人は今ここに存在しない。 (ふざけてんじゃ、ネェぞ……!!) 奪うだけ奪っておいてトンズラとは良い度胸だ。盗られた物は倍以上にして盗り返す。それが自分の流儀。 (……俺様を、返しやがれ…!!) 自分の心。自分を形作っていた一部。自分の今までの全て。感情の記憶。 過去を掘り起こしても何の潅漑も浮かばない。あれだけあった憎しみも、何もかも。ただ「そんな事があった」という記憶として残っているだけ。 感情を伴わない記憶は唯の知識と変わらない。彼女か、もしくは魔王かは知らないが。自分が奪われたのはつまりそういったもので。 それを取り返す為に。もう一度。 もう一度。 「逢わせて…………!!」 「―――来い!」 だから。 ―やれやれ。面倒な事をさせやがって。 だが…言質は取ったからな―
「?!!」 ―ドォン!!! 胃の腑にまでに響く様な聞き覚えのある声が聞こえたと思った時には。 既に目を開けていられない程の眩しい光が周りを包み込み、弾け飛んだ後だった。 *
目の前が真っ白になった。 光に包まれて、でもそれは不思議と目を差すような痛みを伴う光ではなく、ただ真白い視界に囲まれながら、一生懸命手を伸ばした。声の方へと。 (………何処……?) (………何処だ…?) 伸ばして届くなんて保証はない。そもそもここは何処なのかも判らない。でも確証があった。何故だかあった。絶対に側にいると思った。 そして、向こうも同じ様に自分に向かって手を伸ばしている事も。 (…!) 指先に感触があった。それを頼りにお互いの手を掴んだ、気がした。 *
一瞬か、それともどれだけの時間が過ぎたのか。周りを包んでいた光はとうにやみ、代わりに濃密な靄の様な物が視界を覆っていた。 そして、バノッサは自分が召喚魔法陣の中心に立ったままだと言う事も自覚し、そのまま無言で自分の前方。霞がかった景色を見つめ続ける。 あれは夢かそれとも幻か。触れたと思った指先を握っても、自分の手の中には誰も居ない。けれど。 確信があった。 そして声がかけられた。 「ん……」 夏美はくらくらする頭と、今にも崩れ落ちそうになる膝を抱えながら、ただひたすらに前を見た。 何がどうなっているのかなどまったく判らない。でも。 「あたし、あたしね……アンタに多分、言いたい事があるの。」 囁くように呼びかける。 「……そうか。」 聞き知った声に、バノッサも口端を上げて返事を返す。 「俺様も、手前ェに用があった。」 だから、喚んだ。 「それにね。いっぱいいっぱい言いたい事があるの。」 「こっちも手前ェに言いたい事が山程あるな。」 煙の為に辺りもよく見えぬ中、ただ声だけが交わされる。しかしそれも流れる空気に押されて段々と視界が晴れていくのが判る。 ―もうすぐだ。 ふと気付けば、夏美の身体は地面にくたりと沈んでいた。それも何時の間に座っていたのか自分でも判らなかったが、どうでも良いと思った。そんな事どうでも良かった。 ―当然だな。そんな事なんかに構ってる余裕なんざ無いな。 少しずつ薄れていく前方を見ながら、夏美は口を開く。 「……なのにね、へんなの。」 「なにがだ?」 不意に小さくなった声に、微かに眉根を寄せる。 ―いいか。これは契約だ。 「言いたい事はいっぱいあるはずなのにね……」 煙が段々と晴れていく。目の前に居る人物の輪郭が見て取れる。 もう少し。あと少しだから。 ―おまえは願った。俺はそれに応えた。 「ある筈なのに。アンタの事、なにも思い出せないの…………」 「………なんだと?」 告げられた言葉に、バノッサは思わず前に出た。そしてその一気に距離を詰められた動きの為に煙が流れ、互いの存在をその目に焼き写す。 あぁ。そうだったね。と夏美はぼんやり呟いた。 白い髪。白い肌。赤い目。夢の中でずっと会っていた人物が今、目の前にいた。 そうだね。あたしはあんたに会いたかった。 ずっとずっと言いたい事があった。 夢の中でしか会えなくて。その夢でさえも良く覚えてなくて。それでもずっと焦がれてた。 なのにごめん。ごめんね。なにも覚えていなくて。 ぽつりと滴り落ちた暖かい雫が地面を濡らす。 「………ごめん、ね………」 多分届かぬと思いながらも口に出さずにはいられない。 だってもう、逢ってしまった。 だから。 ごめんね。 「――手前ェ、今なんて言いやがっだ?」 先程聞いた、思い出せぬという言葉。そして小さく囁くように言われた謝罪の言葉。自分は、そんな言葉など望んでいない。そんな事実など望んでいない。 ましてや、その声に涙が滲んでいたと言う事など。けして。 ― さ ぁ 。 代 価 の 引 き 取 り だ 。 ─
*
厚く周囲を覆っていた煙がようやく薄れてきた時、誰かの声が聞こえた。 「おい! 答えやがれ。はぐれ野郎!!」 怒鳴る声。多分よく知ってる声。でもごめんね。あたし、あんたが誰だか判らない。 「……? どうなってるんだ? 一体。」 近くにいたらしい茶色い髪をした少年が自分の周りに張られた煙を手でどかしながら心配そうな声を上げる。 「俺達の居た所からだと良く判らなかったが、結局、術はどうなったんだ?」 成功したのか? 失敗したのか? 言いながら、初めてこっちを見て酷く驚いた顔をする。 「………ナツミ………!!」 あたしの名前を呼んで、そのまま嬉しそうにこっちに近寄ってくる。…………でも、誰だっけ? 「………残念、だったなぁ。」 少年があたしに近寄ろうとした時、誰かが口を開いたらしい。低く、よく通る声が彼の動きを止めた。 「…………ナ、ツミ………?」 信じられない、と言った顔でこっちをじっと見る。なんでこんな顔をするんだろう。あたしには訳が判らない。 「コイツの意思はまた奥底に沈めさせて貰ってる。俺が好き勝手動くにはやっぱり邪魔なんで、な。」 また声がする。でもあたしには誰が喋っているのか全く見えない。誰なんだろう? 「………魔王……」 ギリッと奥歯を噛みしめながら先程の少年があたしを睨み付ける。なんで、あたしが睨まれなきゃ行けないんだろう。それに魔王って、一体誰の事? 「なんでまだおまえがいるんだよ!」 別の方向から声がする。見れば、また知らない人達があたしを……何か汚い物とか、嫌な物を見る様な冷たい目で睨み付けている。あたしは、この人達に何かをしたんだろうか? 「なんでってのはご挨拶だな? おい。俺をもう一度呼んだのは貴様達の方だろう?」 嘲笑の色がはっきりと判る声で誰かが応える。……誰の声なんだろう? この声は酷くあたしを不安にさせる。 「………おまえの言う事なんざ、どうでもいい。」 あたしの一番近くにいた白い髪と赤い目をした人が低く低く唸る様に言う。 「俺様はおまえと話をしていたんじゃねぇ! おまえに用があるんじゃねぇ! 先刻まではぐれ野郎が居ただろう! はぐれ野郎を出しやがれ!!」 あたしに向かって、噛み付く様に言い放つ。それを見て、あたしは状況にそぐわないと思いつつも『相変わらずだな』なんて、間抜けな事を思う。 ―ねぇ。あたしさ。あんたに言いたい事があるの。
「それは無理だな。」 ―凄く凄く言いたくて堪らなかった。
「あぁ?!」 ―ごめんね。あんたの事忘れてる癖に言いたくて堪らなかった。 「コイツはこの世界に来たいと。貴様に逢いたいと願った。そして俺はそれを叶えてやった。」 ―そして、逢いたかった。
「なっ……!」 ―もう一度逢えるなら。そしてこの言葉を言えるなら。その為なら、どうなっても良いと思った。 「俺は丁度身体がなかった。まぁ、お前に憑依した体を自分で壊してしまった所為な訳だが…そして新たに身体を構成するにはちょいとばかり魔力も足りなかった。その為には、よりいっそう身体が必要だった。」 これでもな。自我を保つって言うのは結構大変なことなんだぜ? そして他の自我があると言うのも、結構都合が悪いんだ。 「だから、こいつの願いを叶える代償にこの身体を頂いた。これは立派な契約だぜ?」 ―だから言うよ。これがきっと最初で最後だろうしね。
誰だか判らない声の人が嗤う。とても近くで。 「その為に、こいつの大切なものを消したんだ。」 目の前の彼が叫ぶ。 「……誰がそんな事望んだ! はぐれ野郎!!」 そんな事をされてまで俺様は手前ェに文句を言いたかったんじゃねぇ! 「お前の望みは関係ないな。」 俺にも、こいつにも。 「そして、実際ここにはもうそろそろ用はない。俺は俺のしたい様にするだけだ。」 フワリ、と身体が浮かんだような感覚を覚える。漠然と何処かへ。ここではない世界へ移動するんだと思った。 ああ、早く言わなきゃ。早く早く。
「待て! はぐれ野郎!!」 響く大きな声さえも、あたしは無視してゆっくり笑う。 だって、あたしはこの言葉を告げる為に、ここに来たんだ。 あたしさ。あんたに会えて良かった。 きっと。多分。確実に。 ―了―
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