例えば子供の頃。皆と、それこそ男とか女とかの区別もなくずっと一緒に遊んでた。
 ずっと一緒に遊んで、皆凄く仲が良くて。それは成長しても、年を取っても変わらないと思ってた。
 年を取るに従って、その「皆」という数が増えても。それは変わらないと思ってた。
 ずっと一緒に、分け隔て無く笑えるものなんだと思ってた。

 あの時までは。


―キィン!!
 青空の下、荒野の上。大地がすり鉢状にえぐられたその場所で小気味良い、金属同士がぶつかり合う音を立てる。
「………バノッサ!!」
 言いながら、腕をふるう事は止めない。止められるわけがない。気を抜いたら押しつぶされそうになるのをナツミ自身良く判っているから。
「わざわざ逃げ場のない所へ自分からやってくるたぁ、な。有り難い話だ。なぁ?」
 けれど目の前の、ナツミがバノッサと呼んだその人物はいっそ余裕の表情でナツミが繰り出す攻撃をあっさりと受け止める。
 見れば周りの仲間も彼が連れてきた仲間の相手を必死の形相でしている。助けは、期待出来ない。
「有り難いとか言うんならさ、態度で示してよ……!!」
 言いながら、一歩後ろへと下がる。彼の攻撃が激しすぎて、さばききれない。身体のあちこちにかすった剣の痕が赤い糸を引く。判っている。これはつまり。
 ギリッと奥歯を強く噛む。
「―ッ! 遊んでないで、本気でやったらどうなの?!!」
「負け犬の遠吠えだな。」
 フンとせせら笑ってまたバノッサが腕を動かす。そうして彼が動く度にナツミの身体には糸が刻まれる。嬲る様に。玩ぶ様に。
「どうした? 手前ェの力を見せてみろ。昨日俺様に見せた、あの時の様に。」
 言いながらまた笑う。判っている。手を抜いて、追いつめて。試しているのだ。目の前の彼女が真実自分の思う力を持っているのかを確認する為に。
「あたしに……力なんて……」
 依然攻撃を受けながら、ゆるく頭を振る。
 知ってる。自分の中にいつの間にかあった力。元からあったのか、それとも何か別の要因があるのかは判らないけれど、それでも昨夜自分から放出された新たな力。
 一昨日、初めてこの世界の大地を踏みしめる前までは見た事はなかった、光。

 でも。
 だけど。
 本当は。

「―っは。じゃあ、このまま大人しく俺様にやられるんだな。」
 逡巡するかの様に眉を下げるナツミを尻目に尚もバノッサは腕をふるうのを止めない。傷が、増えていく。体力も、削られていく。
 周りに目を走らせれば、皆はそれと判る位に疲弊している。
 このままでは。
「………後悔しても、知らないんだからね!!」
 キッと顔を上げてポケットから霊属性のサモナイト石を取り出す。
 確証はなかった。でも、心の中で何かが告げていた。
「もしも! もしも本当に来てくれるなら! 声が届いているんなら! あたしに力があるんなら!」
 石を握り締めて空に掲げる。
「来て! そしてあたしを助けて!」
 何故だか知らない。けれど知っていた。――名前を。
 心の底からの叫びに呼応する様に石が光り、足下には円上の光り輝く模様が引かれていく。
 そして、自分のポケットの中で何かが同調する様に光るのを感じながら。
「―――おいで! エビルナ!」


 勝負は思っていたよりも、早く着いた。
「へへっ。得意満面のわりにゃあ、あっさり負けたな?」
 ガゼルが鼻の下を擦りながらにんまりと笑う。
「大丈夫だったか? ナツミ。」
「ん。なんとか、ね。」
 心配そうに声をかけてくれるレイドに笑いながら自分の手をギュッと握る。
 目に焼き付いて離れない、先程の炎。鼻についた焼けただれる肉の匂い。耳に残る悲鳴。
 それら全て今目の前にいるバノッサから発された物で。
(………あたし…………)
 目をギュッと瞑って頭を振る。
(あたしは………)
「何を笑ってやがる?!」
 ガゼルが上げた大きな声にハッとして、ナツミは顔を上げる。
「ククク………」
 バノッサがさも可笑しいというように目を細めて笑う。今にも腹を抱えそうに。
「お前らコレを見ても俺様に減らず口をたたけるか? ……カノン!!」
「あ、出番ですか? バノッサさん。」
 彼がバサリとマントを翻し、巡らせた視線のその先に。
 ほんわかと笑う少女のような少年が立っていた。

「………誰?」
 そのあまりの周りの雰囲気とのそぐわなさに、ナツミはぼんやりと聞き返す。
「そこのお姉さんには、はじめましてかな? ボクはカノンっていいます。一応バノッサさんとは義兄弟なんですよ」
 ぺこり。
「あ。えーと。……初めまして。『橋本 夏美』と言います。」
 ぺこり。
「へぇ。えっと…橋、も…と?さんですか。宜しくお願い致します。」
「あ、えと。ナツミでいいよ。なんか言い難そうだし。」
「わぁ、ありがとう御座います。でも流石にそれは不作法なので、…お姉さんでいいですか?」
「あ。全然いいよ。大丈夫。」
 ほやー。
 ほややー。
 ほややややー。
 なんだかそんな擬音をまき散らしながら、カノンと名乗った少年とナツミはニコニコしながら自己紹介を交わす。
「今日は本当に良い天気ですよねー。」
「そうだねー。風が気持ちいいねー。」
 ねー。
 にこにこにこにこ。
 ほやほやほやほや。
 そうしてそのままのんびりと空を見上げながら世間話へと移行する。
「………カノン! 何呑気に挨拶交わしてんだ手前ェは!!」
 いい加減じれたか、それとも別の何かか。バノッサが怒りにまかせて振るった拳が盛大な音をならすまで。



 そして、新たな仲間を迎え入れるまで。


 青空の下、そよそよと風が程良く流れるで、ナツミはぼんやりと荒野にある岩棚の縁に立ち、眼下に広がる景色を下ろしていた。
「……やっぱり、ここからだとよく見えるね。」
 上から見て初めて良く判る、そのすり鉢状に大きくえぐれた大地。
 自分が初めて降り立った場所。
 そしていきなり、自分の力を見極める為に来たと言う少年と出会った場所。
 そして。
「…………あたしは………」
 小さく呟やく。誰とも無しに。
 胸に手を当て、考える。だってここには誰も居ない。自分しかいない。
 自分一人しか。だから。
(………あたしは……)
 だから気付かなかった。
「こんな所までお散歩か? はぐれ野郎。」
 ―声をかけられるまで、彼が近くにいた事に。

 別に自分は彼女を追って出てきた訳ではない。
 ただ、何となく苛々していたので外に出て外道法師でも狩ってやろうかと思って外に出ただけだ。
 何より北スラムにいると自分の義弟が終始何かを言ったりするので非常に居心地が悪い。
 それに最近気に入らない事もある。
 だから出てきただけなのに。偶然見つけた。
 いつも他の仲間と一緒にいるそいつは、今日に限って一人で。そしてぼんやりと下を見ながら、矢張りぼんやりと何か考え事をしている様で。
 だからなんとなく声をかけた。ついでに確かめたい事も、有った。
「っひゃぁ!」
 ただ、飛び上がる様に驚かれるとは思わなかったけれど。

 自分の思考に没頭していた中、突然かけられた声にナツミは思いっきり大声を上げ、慌てて姿勢を正そうとして…ふと気づいた。
「はれ?」
 空が。雲が。そして自分に呼びかけた人物が。つまりは世界が。なぜか斜めに傾いでいて。
「…はれ?」
 動かそうとした片足は地面に当たることなく、当然手応えも感じなくて。更に傾いでいるのは世界でもなく。
(もしかして……あたし?)
 考えてみれば今立っている場所は高台の、いわゆる『崖っ淵』と言う場所に他ならない訳で。
 更に気づけば段々と視界は空に埋め尽くされていて。
 ――この状況は、つまり。
ぐらり。
「………はれ?」
ぐらららら。
「………………はれれれれれ?」
 よく考えなくても。
ぐららららら〜〜〜っ。
「―――――――ッ!!」
 ―――落ちる。

 ゆっくりと傾いていく景色と、ナツミは次いで来るであろう衝撃からくる恐怖にぎゅっと目を瞑る。
 それは永遠か、それとも一瞬か。
「……馬鹿か? 手前ェ。」
 バノッサが呆れた声を出すまで、ナツミはきつく目を瞑ったまま縮こまっていた。
 ―彼の腕の中で。


「………あれ?」
 きょとん、としながらナツミはふにふにと首を巡らせる。
「…………………あれ?」
 腰に回された、大きい手。
「……………………あれ?」
 首を上げれば嫌でも目に入る、その白い顔。
「―いい加減、離せ。」
 呆れた様に投げかけられる、その声。
「あ、うん…………えと、その……」
 落ちそうになったのを見て、手を差し伸べてくれたのだろう。そして自分も無我夢中で掴んだらしく、彼の身体から慌てて手を放……そうとして、彼を見上げる。
「…なんだ?」
 ぼんやりと自分を見上げる動作に、バノッサは微かに眉をひそめる。
「や、あ……の、ね。その………」
 特に不機嫌になった訳でもなく、ただ疑問を投げかけられただけなのに、ナツミは何故か居たたまれなくなり、取り敢えず手を放して俯く。
「なんだ? 言いたい事があるなら早く言え。」
 その様子にすぅっと目を細めて、剣呑な空気を纏わりつかせながら腰に帯びている二本の剣に手を近づける。
「それとも死にたかったのか? それなら…」
 この手できっちり息の手を止めてやる。いますぐにでも。
「違……!! ……やっぱいい。なんでもない。」
 突然物騒な事を言われ、ナツミは些か腹を立て、思い切り顔を横に逸らす事で抗議を示す。
ただ、なんでもないと言うその声は限りなく小さかったけれど。
「なんでもないってツラか? あぁ?」
 そして、彼も誤魔化されない。
 蚊の鳴くような小さな声でなんでもないと言われて、誰が信用するというのか。
「……なんでもないんだもん。」
「―ッは。嘘だな。」
「そんなことない!! …大体、なんでバノッサがここにいるの?!」
 アンタの拠点は北スラムだって聞いてたんだけど。
 て言うか昨日アレだけ打ち負かしたのになんでここにいるの。
 あまりに自信たっぷりと“嘘”と言いきる彼に、更にむっとして声を荒げる。
「何処に居ようが何処に行こうが、俺様の勝手だ。」
 けれど彼はそれさえも飄々と流し、余裕たっぷりに軽く口端を上げる。
「――そ!! じゃ、あたしも勝手にするよ。バイバイ。」
 その様子にまたむかっ腹が立ち、ナツミはくるりと踵を返す。
「ところがな。手前ェが良くても、そうもいかねぇようだぜ。なぁ? ――はぐれ野郎?」
 薄く目を細めて、ナツミの行く先を見据えながらバノッサが酷薄に顔を歪める。歪な、けれどとても愉しそうとも取れる………嫌な嗤い顔。
「なにが……………」
 言いたいのか。と言おうとして、ナツミはその先を言う事が出来なかった。
 向けた視線の先に。行く手を阻む為に抜かれたのであろう、幾重にも光を反射し照らす、その剣が。ナツミの動きを止めていた。


Cage


「………なによ。本当に勝手。」
 気付かなかった。
「あたしになんの用があるって言うのよ。」
 剣を抜く音すら感じさせなかった。
 ドキドキと脈打つ心臓を必死で押さえながら、ナツミも護身用にとガゼル達に渡された短剣を手にかける。
「そうだな。取り敢えず、この状況で言ったら一つっきゃねぇよなァ?」
 ニヤリとバノッサが笑う。
 辺りを見渡せば、下卑た光を帯びた、幾つもの―――目。
「………そ、だね。」
 ナツミも笑う。けれど知っている。自分で判っている。
(………止まれ!! 手!)
 かたかたと震える手が何よりも物語っている。でも。
「どうなっても、知らないんだから………」
 本当は、知ってる。
 目の前の人物の技量。確固たる強さ。その力。昨日合わせた剣の先からそれは嫌と言うほど思い知らされた。
 本当は、知ってる。
 今の自分の力。未熟さ。そしてその不安定な要素。―召喚、術。
 それと。

 ―でも。

 奥歯をギュッと噛みしめ、両手に無理矢理力を入れる。
 躊躇ってなど、いられない。
 そんな暇も、無い。
 キッと前を見据えて剣を抜く。
 いつの間にか自分達を取り囲んでいた緑色の身体をした人外の獣と、その仲間の盗賊と思われる人間達と戦う為に。
「よぉ。そこのお二人さん。仲が良さそうで結構だが……ここら辺は俺たちの縄張りでね。できれば、幸せのお裾分けでもして貰えるとありがてぇんだがなぁ。」
 ある意味定番な、下卑た声で紡がれる言葉に、バノッサとナツミは同時にお互いの顔を見合わせる。
「仲が良い?」
「幸せそう?」
 そして同時に振り向いて一言。
「「―誰が?」」
 青空の下。荒野の上で。その声を合図に鋼の打ち合う音が高らかに響きわたるのだった。


 最初に動いたのはバノッサだった。
 ゆっくりと、緩慢とも取れる動きをしながら、彼の腕が動く度に周りを取り囲んでいた獣は、盗賊は傷つき倒れていく。
「盗賊とリザディオ風情が。俺様の相手をするには役不足だったな。」
 鼻で笑いながら軽く口端を上げ、自分の近くに居た最後の一匹を打ち倒す動作と共に、剣についた血を勢いよく振い落とす。
「―身の程知らずが。」
 どさりと崩れ落ちた盗賊の体を踏みつけながら吐き捨てる。
 見渡せば、辺りは切り刻まれた物を言わぬ―元は人間と獣人でもあった―肉片とその残滓。
「………糞!!」
 ばたばたと倒れていく仲間を見て、ただひとり残った盗賊が吐き捨てる。
 割合あっさりと取り囲むことができたのに。こちら側も襲う為に用意は万全にとり、人数も揃えたと言うのに。たった二人―否。正確には一人によってここまで追い詰められるとは。
 しかし今、自分の目の前にいるのはただ一人の少女。先程二振りの凶剣を振り回していた男とは些か距離が空き過ぎている。
 この女を倒せば。もしくは人質にでも取れば。
 仇を討つなどという殊勝な事は考えない。もとより何の縁もゆかりもない、寄せ集めの仲間。それよりも大事なのは自分の命。
 目の前にいる、少女さえ。
「お前さえ……」
 倒せれば。
 呟くのと同時にぎゅっと武器の柄を握り締めて前に出る。けれど恐れをなしたのか、少女は表情を見せぬまま動かない。
「うおぉぉぉぉぉっ!!」
 声を張り上げ、気合と共に切りかかる。けれど。
「……………」
 無言のまま、表情も見せぬまま、少女は渾身の力で繰り出した攻撃をすい、といとも簡単に避ける。
「……くっ……」
 勢いを殺せずに盗賊はたたらを踏むが、その間に少女がゆらりと動いたのが視界の端にうっすらと残る。そして今。自分の背中には―隙が、ある。
 しかし。
「……………」
 それでも少女は反撃してこない。なにやら小さくぶつぶつと言ってもいる様だが、それはこちらまでは聞こえない。判るのは。

 これが好機だという事。

 ナツミは必死だった。
 盗賊の動きは見える。剣の動きも遅い。避けられる。攻撃力も大した事はない。別に無理な相手では、無い。
 でも。だけど。
……………て…………き………ない……
 言い聞かせる。自分に言い聞かせる様に。自分に暗示をかける為に。
目の前にいるのは敵。敵は倒さなきゃいけない。目の前にいるのは敵。敵は倒さなきゃいけない。目の前にいるのは敵。敵は倒さなきゃいけない。目の前にいるのは敵。敵は倒さなきゃいけない。目の前にいるのは……………
 襲い来る盗賊の動きをスレスレでかわしながら呟き続ける。
 そうだ。目の前にいるのは敵で。敵は倒さなきゃいけなくて。その為には攻撃しなければいけなくて。攻撃方法は――――手に握られている、この剣で。
 そうだ。自分は。
 斬りつけなければ、いけない。
 一度だけ、ギュッと力強く目を閉じて開ける。
「はあぁぁぁぁぁぁああああああっ!!」
 叫んだのは盗賊か。それともナツミか。どちらだったかはナツミ自身良く判らなかった。
 けれどその身体を後ろから袈裟懸けに大きく分断され、地面に大きな音を立てて倒れたのは―
 盗賊の、方だった。


 最初に、何か温かい物が頬に当たった感触があった。
「…あ……」
 小さく呟きながら最早物を言わぬ、言う事の叶わぬ盗賊の体が地面に吸い込まれていくのを、ナツミは呆気にとられた顔で見つめていた。
 そうだ。彼は盗賊。自分を襲ってきた。敵。だから攻撃した。それは悪くない……筈。
――――筈、なのに。
「――何をへたり込んでやがる、はぐれ野郎。」
 バノッサが吐き捨てる様に言い、剣を勢いよく降ろして新たについた血を振るい落とす。
「……え…………?」
 ぼうっとしながら顔を上げて、いつの間に来たのだろう。目の前にいたバノッサに目をやる。
 言われて気づいた。彼がいた事も、自分が地面にしゃがみ込んでしまっていた事も。
「………あ………れ…」
 おかしいね。と小さく言いながら顔にかかり落ちた髪を耳にかけようとして、ぬるりとした感触に気付いて手を広げる。
 広げたその手は赤い。
 そして、その赤が徐々に紅くなり、黒ずんでいくのがなんとなく判る。
「………あれ………?」
 頬を触る。ぬるりとした感触が手に当たる。下を見る。その地面は濡れて黒く染まり始めている。
 酸化した、血の色に。
「………あれ………?」
 可笑しいね。とまた小さく呟きながらナツミは小首を傾げて不思議そうに目を微かに見開く。
 だって自分の剣は彼の身体の中心にめり込んで。中心に……そうだ。中心に…………
 ぼうっと自分の手を飽きる程見つめているナツミに、バノッサが苛々して声をかける。
「手前ェ。さっきから見てりゃ、何を呆けてやがる。そもそも攻撃されても防御だけで、一向に攻撃に移ろうともしねぇ。わざわざ俺様が他の敵を相手にしてやったっつーのにその不甲斐無さはどうだ? あぁ?」
 取り囲まれた時に、わざと戦力を分断させてこちら側に来るように仕向けた。その方がずっと愉しめそうだし、なにより最初に会話していた時点で。周りの気配に気付いていない様子から盗賊相手はともかく、緑色をした獣人は少々彼女にはキツイかと踏んだから。
 それにしても。
「俺様はまだ手前ェに用がある。簡単に死なれちゃ困るんだよ。」
 だから、手助けをした。後ろから袈裟懸けに切り込んだ。その結果として盗賊はいともあっさり分断され、倒れた。
 もっとも本来はこの程度の敵位、それこそ簡単にいなして欲しい所なのだが。
 そもそも何度も手合わせをし、何度も自分達を追い返している彼女の実力からすれば、この程度の敵位訳も無い筈なのだ。
 なのに、この体たらく。
「―まぁでも、この三流野郎の腹に剣を埋めた事位は誉めてやろうか?」
 もっとも、手前ェが入れた時にゃ、既に死体だったけどな。
 舌打ちをし、ボリボリと頭を掻きながらバノッサが吐き捨てる様に言う。
 けれど。
 その言葉を聞いてナツミはびくりと肩を震わせる。

―死体。

 そうだ。自分は襲ってきた盗賊に。敵に。剣を沈めた。だって彼は敵だった。敵は倒さなきゃいけない。敵は倒すべきだ。だから。

――――だから。

 思考の海にその身を沈めながら、ぼんやりと自分の手を見る。血溜まりにへたり込んだその姿は手だけではなく、服を介して身体中を染め上げ、ドス黒い。
「……あ………」
(………うそ……………)
 かたかたと震える手で自分の頬に触れる。指先にあたるぬるりとした感触。まるでそれは現実だと。逃げる事は許さないと示すかのように。
「…………おい? はぐれ野郎………?」
 不意に怪しくなってきた雰囲気に、バノッサがナツミの方へと手を伸ばす。
「………っあ………、あああああああああああああああ………っ!」
 ナツミは両手で身体を抱き締める。まるで何かを拒絶するかの様に。
 がちがちと歯が鳴る。震えが止まらない。込み上げる嘔吐感に逆らえずに、堪らず吐瀉する。
(…………嫌。)
「おい! はぐれ野郎!!」
 誰かの声が聞こえる。
(……こんなのはもう嫌………)
「聞いてんのか?!! おい!!」
 息が出来ない。
(……あたしは………)
 目の奥が熱い。
「………ぃ……や……」
 鼻の奥がツンとする。
「………ぃや………」

―こわい。

 慣れぬ血の臭いも、それにまとわりつく死の臭いも、命のやりとりも、剣を振るう事も。
「いや!! いや! いやぁぁぁぁぁぁぁああああっ!!!」
 逃げたかった。今すぐここから。
 消してしまいたかった。この身に付く血の痕など。まとわりつく腐臭など。
 だから。
「………おい! はぐれ野郎!!」
 バノッサがナツミの肩を掴み、ガクガクと揺する。
 けれど。
「……っ! ぅあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああっ!!」
 叫ぶ事を止められぬナツミの身体から真白い光が溢れ出て、辺りを包み込む。
「―っ、なぁ?!」
 そして彼女を中心に亀裂が走り―

―ゴバァ!!

 光が止み、辺りが静寂を取り戻した時には。大地が大きく口を開いて二人を飲み込んだ後だった。


 ――――あれはいつだったっけ。小さい頃? うぅん。そんなに小さくもない……そう。確かそれほど前と言う程もない程度に昔………
 夕暮れ時。放課後。教室の中で、数人の女の子が集まって話をしてた。
「なになにー? 何の話してるの?」
 にこにこしながら笑いかけた。一寸前まで、クラスの何人かの男子と遊び倒して。教室に置いた鞄を取りに来た帰りだった。
 廊下では、どうせ途中まで一緒だからと何人かの男子が自分の帰り支度が終わるのを待ってる。
「………あぁ。橋本さん………」
 輪になって話してた女の子の一人が少し言い難そうにこっちを見る。
「? なぁに?」
 その雰囲気に何だろう? と首を傾げながらも矢張りにこにこと笑う。
「何でもないわ。別に。特に大したことなんか話してないし。」
 長い髪を耳に掛け直しながら、苦笑する。
「そんなの聞いて見なきゃ判らないじゃない? 教えてよ。」
 それでもやっぱりにこにこ笑いながら内容を催促する。
 だって自分達は小学校からの繰り上がりの生徒が多くて。昔からの仲良しで。当然、皆仲が良いと思ってた。隠し事とかなんて、無いと思ってた。
 だから。判らなかった。
「……気配りが出来ない人ねぇ……」
 折角こっちが穏便に済まそうとしているのに。馬鹿な人。
 諦めた様に溜息をつきながら、けれど笑みを浮かべながら口を開く。
 先程とは違う。苦みの混じった物ではなく、いっそ強気に。自信に溢れた、笑み。
「…………あなたにだけは、言いたくない・・・・・・・ ・・・・・・わ。そう言っているのよ。どんな話だとしても、ね。」
 他の誰でもない。あんたにだけは。
 ―苦虫を潰した様な顔、というのはこんな顔なんだろうな。と思った。
 その時初めてはっきりと心に刻まれた。嫌悪と言う名の感情。
 まるで汚らしい物を見るかのような、冷たい目。
 なのに薄く笑みを象っている、口元。

―後ろで微笑んでいる女の子達の顔が、能面みたいで恐かった。

 心の中に何か黒いわだかまりみたいな物が広がって。凄く嫌だったのに。
 何故か、その時のあたしは。やっぱり笑ったままだったんだ。



 薄暗い闇の中。奥深い穴の底。
 閉じたままの瞼の下を、ほろりと通った気がした。
 頬を伝うその生暖かい感触と、それを優しく払う感触。
…たし…………し……いで………
 ぼんやりと呟きながら、ナツミはゆっくりと目を開ける。
「………お目覚めか? はぐれ野郎。」
 自分のすぐ下。寝そべっている身体の下から聞き慣れた低い声が聞こえた。

「?!!!!!」
 吃驚して、ナツミは取り敢えずガバッ!!と盛大な擬音をつけて起きあがる。
 が。そのままへロリと元の位置へ逆戻り。身体の動きが鈍くて、節々が悲鳴を上げる。
「え……? な……? ………っあー……………」
 それでも元気な口だけをぱくぱくと動かして、今までベットにしていた人物を指差しながら見る。
 身体が動かない。
 ついでに頭も回らない。
「な、な、な……………あー………」
 何か言いたい、でも何を言えばいいのか判らない。そもそも何でこんな事になっているのかも判らない。
「おい。」
「え? あ? はははは、はい?!!」
「気が付いたんなら取り敢えずな…………」
 混乱し、声までも裏返るナツミに、バノッサは半ば呆れた様に見上げながら面倒臭そうに口を開く。
「―邪魔だ。さっさとそのクソ重てぇケツをどけろ。」
 ………………………………
「―――――っ!!」

 その時盛大に響いたのは一体何の音だったのか。

 後には顔を真っ赤にして小さく小さく座り、地面に何かを描くナツミと、頭から地面に轟沈したバノッサがボロ雑巾よろしく、蟠っているだけなのだった。



「……………………」
「………おぃ………」
「…………………」
「………おい……」
「………………………なによ。
 むくれ顔をしながら、それでも小さく返事をする。
「………いい加減にしろよ。手前ェ………!!」
 その様子に、ただでさえ自分の気は長くないと自覚しているバノッサは今にも殺ると言わんばかりの勢いで声を荒げる。
 もっとも。今すぐ動こうにも、積み重なった衝撃が大きすぎてしばらくは動けないのだが。
「……なによ。そっちが悪いんじゃない。」
 ぷうっと頬を膨らませながらナツミが抗議する。
 なにも女の子に「クソ重たい」はないのではなかろうか。
(………あたし………そんなに太ってるかな…………?)
 恐くなって、こっそり頬の肉を触ってみる。手の下に感じるふよふよした手応え。
(………………)
 試しに再度、頬をみーっと引っ張ってみる。
(………………………………………………………)
 ふよんふよんふよよよよよん。
(……………………………ダイエット、しよ…………………)
 どこか遠くを見ながらひっそりと決意をする。ひとまず、過去の感触の違いには敢えて言及しないでおこう。とも思う。
「……何一人百面相してやがんだよ。手前ェ。」
 大体、こんな薄暗い所に落ちたのは誰の所為だと思ってやがる!!
 相変わらず苛々しながら、バノッサがビシッとナツミを指差しながら突っこむ。
「ぅ…………痛い所を………」
 指差されてナツミは息を詰まらせながらおたおたと上を見る。
 落ちてきた穴は簡単に手が届く様な高さではなく。
 そしてその落ちる原因となる穴を作ったのは他ならぬ自分で。
 更に言えば。その際にバノッサを下敷きにしてしまい、バノッサは今現在動けないでいる。
 もっとも、動けない原因の大半は先程ナツミが繰り出した拳が強烈にヒットした所為でもあるが。
………ぎゃーらくてぃか、まーぐなーむ。
 小声でしょうも無いことを口にする。
(……あたし、ついでに世界狙っちゃおうっかなー………)
 ついでに、物凄く他愛の無い事も、考えてみる。
 思い出すのは、先程の拳の感触。うん。あれは良い感じだった。自分でも。
「…なにぶつぶつ言ってやがる手前ェ。」
「は! …………やー。でも、よくもまぁ。こんな穴底まで落ちちゃったもんねぇ。」
 けれど胡乱気に向けられた視線に引き戻される現実は変わる事もなく。
 ぼんやりと穴から見える、果てしなく小さい空を見上げながら呑気にナツミが言う。
「……この辺は、昔堀広げた坑道があちこちに有りやがるからな。ここもその一つだろ。」
 誰の所為だ。と思いつつバノッサは壁を指差す。
「そこに灯りを置く場所があんだろ。それがその名残だ。」
「っへぇー。そうなんだ。………あ。じゃあ、きっとどっか外に繋がってる道があるって事だよね?」
 現金にも手を合わせながらにこにことナツミが振り向く。 
「………別に、捜せばいつかは出られるだろうとは思うがな。」
「ホント? 良かったー。どうやって帰ろうかと思ってたんだよね。」
 あんまり遅くなると、リプレ達が心配しちゃうしー?
「それも良くわからねぇ暗闇の中じゃ、いつになるかは見当もつかねぇな。それよりも、手前ェの召喚術を使えばさっさと上に昇れるんじゃねぇのか? あぁ?」
 フン、と鼻で笑いながらバノッサが言い捨てる。
「………え?」
「―ッは! 何呆けた顔してやがる。まぁ別に、手前ェの力なんざあてにしちゃいねーがな。」
 それでなくても、この程度の岩壁。自分の体力が完全に回復さえしたらどうって事もない。
 だからこそ、じっと動かずにここにいた。下手に動く方が今は馬鹿馬鹿しい。
 ただまぁ。ロッククライミングよろしく岩壁をよじ登る自分の姿はあまり想像したくはないのだが。
 流石に一寸。それは。

「別にあてにされても困るんだけど…。あぁでも、………そうだね。……召喚術………」
 けれどそんな彼の内的葛藤には気付かずに。先程の明るい様子とは対照的に、今度はうってかわって沈んだ声音でナツミは指を軽く噛む。

 実は、考えなかった訳ではなかった。

 もしかしたら。自分でも良く判っていない、この不思議な力なら今の状況をどうにか出来るのではないか? と頭によぎらなかった訳では、無かったのだ。

 けれど。

 頭に残っている。新しい仲間の―ソルの、声。
『お前の召喚術は、言うなれば我流だ。決められた法則に従っている物ではない。あんまり多用すると、危険な事になるぞ。』
 それに、目の前の人物は。バノッサは。敵で。敵は倒さなければいけなくて。

 でも。

「………ねぇ。」
 しゃがみながら、ナツミは口を開く。
「………何で、あたしを助けたの?」
 あたしは敵なのに。
 崖から落ちそうになった時も。多分、自分が作ってしまった穴から落ちた時も。
「…なんで…?」
 そして多分。その所為でバノッサは今、動けないでいる。

 あたしは敵でしょう? 敵は、倒さなくちゃいけないんじゃないの?

「………………俺様は、手前ェに用がある。」
 どこか呆けた様にこちらを見つめるナツミの言葉に、バノッサは気怠げに口を開く。
「……用って……どんな……?」
 その為に怪我までしても良い用事なんて、あるのだろうか。
 依然呆けた瞳のまま、小首を傾げながら問いかけてくる。
 その様子は、まるで。
「…この前は、聞きそびれたんだがな。手前ェは召喚術士か?」
「………何だ。そんな事。」
 何故だろう。バノッサの答に少しがっかりしながらナツミは近くにあった小石を指で弾く。
「――――答えろ。」
「そんな事………あんたには関係ないじゃない…………」
 小さく。けれどよく通る声でハッキリと促されて、ナツミは更につまらなくなる。自分は別にこんな答が欲しいのではなかったのに。
(……あれ……?)
 ふと思う。

では、どんな答が欲しかったのだろう。


「…………別に。関係がない訳じゃねぇよ。」
 ぼうっと考えに沈みそうだったナツミを、バノッサの声が掬い上げる。
「……?」
 急に思考の海から引き上げられて、ナツミは更に呆けた瞳でバノッサを見つめる。
 先程と同じ。恐らく癖なのだろう。小首を傾げ、無言のまま近寄り問い掛けてくるその様子はあるものを思い出させる。
「関係が、無い訳じゃねぇ………俺様に、召喚術を教えろ。」
 そうしたら、今までの事も綺麗サッパリ全部流してやる。
 ゆっくりと手を伸ばしながら、その頬に触れそうで触れない所でぴたりと動きを止める。
 指に、皮膚に触れる事はないのに。空気を介してその体温だけは伝わる位置で。
 どこか苦しそうに口を開く。
「……俺様の、元へ来い……………」

 そうしたら、きっと。


 戯れだと、思った。
 恐らく唯のその場しのぎ。名も知らぬ世界から来たという、召喚術を使う少女に対して、自分が取るべき行動として理由をつけるとなれば、それしかなかった。
 なのに、何故。
 こんなにも。

 あと少し。ほんの少しで自分の頬にその手が当たると言う所で、ナツミはゆっくりと目を閉じた。
 そのまま、ピタリと動きが止まる気配を感じる。手の熱が伝わりくる程に近い位置。
 けれど触れない。その位置でかけられた言葉を反芻しながら、ナツミは閉じた時と同じようにゆっくりと目を開ける。
「…………………それは、出来ないよ………………」
 恐々と。でも、しっかりとバノッサの目を見ながら返事をする。
「………でき、ないよ…………………」
 御免、と。出そうになった言葉を無理矢理飲み下す。
 自分にはきっと、その資格はない。謝罪して、許しを請う資格など、あろう筈がない。
 出来ないというのは嘘ではない。でも。
 ソルが言った言葉が心に刺さる。
 自分の力は自分だけではなく、周りの人さえも危険に晒してしまうかも知れない。
 そもそも、この新しい力は自分では全く制御が効かなく、魔力の制御や術式の維持に使う為の詠唱や、大がかりな魔法陣さえロクに使わない。否。使えないのだ。この世界の文字や言葉など、まったく理解出来ていない今の自分では。
 そしてそんな自分では、人に物を教えられる訳などなく。
「…………どうあっても、か……?」
 小さな声で紡がれる最後の砦。
 それでも。
「…………あたしには、できない。できないよ…………」
 教える事の出来ない自分は、きっと彼の役には立たない。立てない。それでなくとも。
 緩く首を振って、少し後ろへと下がる。
「………あんたとは、さ。ほら。敵同士だし。………あたしには、フラットの皆は。裏切れない、よ…………」
 小さく笑う。
 だってフラットの皆は自分を助けてくれた。エドスやカゼルなんて、自分が傷つけた事があるにもかかわらず、一応でも『仲間』だと言ってくれた。
 レイドには最初から助けて貰いっぱなしだし、リプレは温かく微笑んでくれた。
 初めてこの世界に来て、右も左も判らない自分に色々この世界の常識を教えてくれた人達。
 元の世界に戻りたいと願う自分の為に色々と力を貸してくれた人達。
 だから。
「…裏切れないよ……」
 頬に手を添えながら言葉を紡ぐ。

 まるで先程まであった体温の代わりをさせるかの様に。


「……そうか。」
 その返事を聞いて、バノッサは差しだしていた自分の元へと戻してギュッと握り締める。
 まるで先程まで感じていた温もりをしまい込むかの様に。
「それが、手前ェの意思なんだな?」
 ナツミを見ようともせずに、自分の戻した手を見つめて小さく確認する。
 何故だろう。本来の自分はこんなまだるっこしい方法はとらない。答は常に是が否かで。そして自分の意にそぐわない者は全て殺してきた筈なのに。
 なのに、今の自分はどうだ。
 まるで何かに縋るかの様に質問を重ね、確認を取る自分は。
「……うん……」
 そしてまた。そう答える彼女に対して殺意が沸かない自分は。


 とても。


「…だって、あんたは敵なんだもん。………仕方、ないじゃん…………」
 言い訳をするように、ナツミは小さく呟く。けれどバノッサは見ない。見られない。何故だろう。見るのが怖い。
「あんたはオプテュスで、あたしはフラットで。だから。」
 その物言いに、何となくバノッサはむっとする。
「だから? だからなんだってんだ。」
「なにって。敵同士でしょう? それ以外に何があるのよ。」
 どことなく語尾がきつくなったバノッサの物言いに、ナツミもつられて少々眉根を寄せて、強気で応える。
「俺様は、それが手前ェの意思かって聞いたんだ。」
「だから。『敵同士だから』って言ってるのよ。」
 頭の悪い返答にバノッサはすっくと立ち上がってナツミを見下ろす。
「それは手前ェの意思じゃねぇだろう。現実から来る事象に逃げてるだけだ。」
 吐き捨てるように言い渡す。
「………な………?!!」
 誰が! と。勢いに乗って立ち上がり、口から言葉が出かかった所で動きを止める。
「逃げてんじゃねぇよ。敵だとか味方だとか、理由作ってんじゃねぇ!」
「………逃げてない!」
 強く咎める言葉に、ナツミは目を強く閉じて否定する。
「あたしは逃げてない!! だってそうでしょう? 事実じゃない。どうしようもない、事実じゃない!」
 敵は倒さなければいけないし、敵対する者同士は相容れる事はない。でないと……………
「事実だから何だってんだ!」
「事実だから言ってるのよ! でないとあたしは!!」
 そうだ。そうでなければ自分は。
「でないとなんっだってんだ!!」
 勢いにのってバノッサが言い募る。けれどナツミははたと気付いて、口元に手を当てて、慌てて俯く。
「でないとあたしは…………」

ここでもまた。ひとりになってしまう。



 自分はいつも、一人だと思っていた。
 ずっとずっと、一人だと。
 そして、それは今でも変わっては居ない。

 例えどんなに周りに人が居ようとも、
 例えどんなに他人を好きになろうとも、

 どう思っても、結局自分は一人でしかないのだ。


「でないとなんだっつーんだ!」
 突然俯いたナツミには構わずに、バノッサは尚も声を荒げて詰問する様に問いつめる。
 腹が立ったのだ。ただ、無性に。
 自分は、目の前の人物の状況から来る判断など聞きたくはないのに。
 別にそんな事自分でも判っているのに。
 なのに当の本人は的外れた答えしか言わない。

 ―苛々、する。

 本当に聞きたいのはこんな答えではない。
「答えろ!!」
 本当に聞きたいのは、彼の人物の、

 ―心からの。



「……………ぅるさい…………」
 顔を僅かに俯かせたまま、ナツミがぽつりと小さく呟く。
「あぁ?」
 その掠れた返答に、バノッサは不機嫌そうに眉を上げる。
 否、実際不機嫌なのだが。
「―――五月蠅いって言ったのよ!!」
 勢いよく。
 顔をきっと上げて、目の前の人物を睨み付けながら怒鳴りつける。
「ンだと? テメ………」
「五月蠅い! 五月蠅い! 五月蠅い!!」
 眉をつり上げ、大声を上げかけた所に更に被せる様にナツミが遮る。
「煩いのよ!」
 聞きたくもない。
 目の前の。彼が一つ言葉を発する度に自分は一々考える。
「苛々するの!」
 そして考える度に、段々と心に負荷がかかっていく。
「嫌なの!」
 バノッサがなんでこんな事を言うかなど自分には全く判らないけど。
 判らないけど。判らないから。
 言われる度に考えて。心に何かが降り積もって。それでも答えを探し出せなくて。おろおろしていると沈めていた物さえ浮かんできそうで。

「――――――キライ。」

「―あぁ?」

「アンタなんか! だいっきらい………!!」

 見るのも嫌だ。
 彼を見てると、言葉を聞いていると。在る事を思い出させる。
 沈めていた気持ちが。浮かんできて。
 思いを。言ってしまいそうになる。
 言ってはいけない言葉を。


 言葉が自分の心に突き刺さる。
 刺さる棘は抜かれることもなく、そしらぬ振りをすることで常に誤魔化して。刺さったことさえ忘却して生きてる。
 だってホラ。そしたら段々と慣れるでしょう?
 刺さっていた事さえ普通になって忘れられるでしょう?

 だからお願い。思い出させないで。

 突き刺さった棘を動かして、痛みを思い出させないで。



 突然俯き、押し黙ったナツミを見て、バノッサは小さく眉をひそめた。
 どうにもおかしい。腑に落ちない。
 先程まで大きく口を開けて口論していたかと思えば、突然小さくなって押し黙る。
 それでなくとも、今日はどこか様子がおかしかった。
 ふっと、小さく溜息をつく。その途端、ナツミがぴくりと小さく肩を震わせたので、またひとつ。但し今度は聞こえない様に心中で。
 そして自分の肩口に手をかけながら、依然地面しか見ていない、こちらの動きの一つ一つに反応しながらも、自分の方は決して見ようとしないナツミへと近づく。
 そしてナツミも、彼が近寄っていることに気づきながらも顔を上げない。上げたくない。上げられない。
 けれど近づき来る足音に、どうしようかと焦り始めた時、突然視界が真っ暗になった。
 そして次の瞬間、思いっきり首に重しがかかる。
「―――ぬぁ?!」
 その重みに耐え切れずに、もんどりうって転びそうになるのを、慌てて両手を地面についてなんとか耐える。
「の? あ? …………なに、コレ?」
 とりあえずそのまま自分の視界を塞いでいる物を取り除こうと、頭に手をやれば大きな布の感触。
「―寝る。」
 そして至極あっさり投げかけられる、短い言葉。
「……………………………………は?」
「俺様は、今滅茶苦茶疲れてんだ。」
「…………はぁ…?」
 いっそ尊大とも取れる声音でいわれた言葉に、ナツミはひとまず頭から彼のマントを被ったまま、動きを止めて彼の言葉を待つ。
 もっとも、『突然の展開に頭がついていけなくて、動けませんでした。』と言うのが正解なのだが。
「そもそも今日は朝からいい事も特に無かったのに、散歩と称して外道法師狩りに出掛ければ、手前ェと会うし。しかもやっと襲ってきたと思った盗賊共はたいした歯応えも無いから余計にすっきりしねぇし。おまけに何の因果か手前ェの開けた大穴に落っことされるし、挙句の果てには手前ェにはのされるし。」
「………最後のは自業自得じゃんか。」
 ぶつくさ語られる文句に、ナツミも憮然とした心持ちで反論する。
「るっせぇ。とにかく俺様は今、非常ーに疲れてんだ。」
「……はぁ。」
「だから寝る。30分程経ったら起こせ。」
「――はぁ?!」
 マント越しに告げられた要請に、ナツミは思わず素っ頓狂な声を上げる。
「ちょっと! あたし時計なんか持ってないんだけど!!」
 どうやって30分とか計れって言うのよ!
「じゃあ手前ェが30分経ったと思う辺りで起こしやがれ。」
「さらりと無茶苦茶な事言わないでよ!」
 どうやってそんなの判れっていうのよ! と言いながら頭から被せられたマントを下ろして直に文句を言ってやろうと躍起になってみる。ただ、躍起になれば成る程、彼の身長と体格に合わせた大きい布はなかなか小柄な自分の身体から離れてくれなかったのだが。
 もっとも、しゃがんだままだからこそ一層取り辛いのだが。頭に血が上っている今の状態では、全く気付かない。
「あぁ。マントはそのまま被っていていいぞ。横になって汚れたらまたカノンに文句を言われるしな。」
「あたしはコートの衣紋掛けかなんかか!!」
「上手い事言うな。その通りだ。」
 小さく笑っている様な声音で簡単に言われてナツミはムッとする。
「見てなさいよ。絶対にこれ取って逆に頭から被せてやるんだから! あぁもぅここに水でもあれば盛大に濡らしてひっ被せてやるのに!! 惜しい!」
 そしてそのまま酸欠の苦しみを味わうといいんだわ!
 大きな布の中でそんな事を言いながら手を忙しなく動かす。
 むかつくむかつくむかつく。
 そんな風に怒りにまかせてたから、気付かなかった。
「だから、しばらく被ってろ。」
「なんでよ。一寸待ってなさい今すぐこれ突き返してやるから。」
「それは手前ェの気分が落ち着いた時にでも返せばいい。」
「…………は?」
 先程までとは少し違う、事実だけを淡々と告げられた言葉に何故だろう? と思い、頬に手を当てて気が付いた。
 それまで気付かなかった。
「…………………あれ?」
 突っ張った様な肌の感触。覚えがある。これは。この感触は。
「―――っ!!」
 カァッと頭に血が上る。羞恥で目の端が潤んだのを今度こそ自覚する。
「手前ェの気が済んだ時にでも、起こせ。」
 かけられた、優しくもなんともない。ただ淡々と告げ、感情をまったく映していない声が。
 それは 今の自分には 酷く。



「―――――――――っ」
 顔をぐっと上げて目の端を乱暴に拭う。乱暴にした所為で敏感になった皮膚が少し痛みを訴えたけど、それは無視して、勢いよく立ち上がり、身体全体を被っていた布を無理矢理引き剥がす。やっと開けた視界で前を見てみれば、宣言どおりに横になって寝ている人物が一人。
 なんなんだろう。と思った。どうして自分にこんな事するのか良く判らなかった。そして自分がどうしてこんなに振り回されなければならないのかも、判らなかった。
 何よりも、振り回されるのは屈辱だと、思ったから。
 そして頭には血が上ったままだったから。
「あんた。馬っ鹿じゃないの」
 とりあえず思いついた言葉を言ってやった。

「それともあたしの事を馬鹿にしてんの? ふざけてるの?」
 もしくは嘲笑いたい? わざわざこんな事までして。
 それともそうしてまで召喚術の力が欲しい?
「だったらお生憎様。」
 あたしはあんたが思うほど、馬鹿じゃないし、義理堅くもない。
 はっと吐き捨てる様に鼻で嗤う。
「大体、なんだって言うのよ。」
 最初から。いきなり助けたり、下敷きになったり。かけられたマントも非常に居心地が悪く、不快にしかならない。

 不快にしか、させない。

「むかつくわ。」
 苦々しくに相手を睨む。言われた当の本人は相変わらず横になったまま、じっと目を瞑っている。
 その態度がまた腹立たしい。
「なによ。まさかもう寝てるとか言わないでしょうね……………」
 苛々しながら近寄って、その顔を覗き込んで。
「…………………………………………………………」
 無言で地面に手と膝を着く。


「……………………………………………てゆうっかさぁ…」
 しんみりとしながら呟く。目的の人物は矢張り微動だにしない。
 まぁそれはある種辺り前なのだ。
 だって、本気で爆睡していたのだから。
「―――――――――――――……………」
 ―がくり。


「あぁもうなんでこの状況で寝てるかなコイツはサー。」
 ぶす腐れてすかこか眠りこける人物の髪の毛をツンツク引っ張ってみる。
「しんっじられない。」
 この状況で。こんな場所で。
「眠っちゃう? フツー。」
 しゃがんで、そのままぺたぺたとあちこち触ってみる。微動だにしない。
「………狸寝入りじゃ、無いよね?」
 もしかして?
 けれどそう思っても矢張り微動だにしない。
 いっそ蹴っ倒してやろうか。
 だって先刻彼は言っていた。『手前ェの気が向いた時に起こせ。』と。

 それはつまり。

「……………どうしよう………………」
 このやり場のない怒りも。
 今の状況も。

 それと、自分も。

「どーしよー…………」

 組んだ足に顔を埋めて小さく呟く。

 彼は余計な事ばかりする。自分にとって。
 自分が気に入らないと言ってフラットに押し掛けて喧嘩をふっかけたり、その住人であるフィズを人質に取ったり。
 余計な事ばかり。
 そんな事ばかりされたらいつかリプレ達に『迷惑だから出ていけ』と言われるかも知れない。
 レイドやガゼル達だって付き合うのも嫌になってくるかも知れない。

 本人達には言えない不安。

 言える訳がない。こんな事。

「いいかげんにしてよ。」

 囁く様に呟かれる言葉。

「よけいなこと、ばーっかり。」

 今の自分の場所を揺るがしかねない事をする癖に。なのに、自分を気遣ったりなんかして。庇ったりして。

「……どうしよう………」

 やめてほしい。ほんとうは。

「………ほんと。どーしよう…………」


 こえをかけないで。
 こっちをみないで。
 じゃまをしないで。

 あたしはひとりなの。

 だから
 やさしくなんか、しないで。


 棘がまた。動いてしまうから。


すがってしまいそうに、なるから。





 最初に来たのは感触。
 それまでゆらゆらと夢の中を漂っていた感触が一気に引いていき、不躾に触られる不快さに微かに眉を顰める。
 そして次に来たのは。
「――――痛い痛い痛いいたいイタいいああ嗚呼アタタタたたっ!」
 みょーんと引き延ばされた頬から走る激痛。


「あにすンのよ!!」
 真っ赤に染まった頬を押さえてナツミが口から炎をまき散らさんばかりに訴える。
 目尻にはうっすらと浮かぶ涙が与えられた痛みの度合いを示すかの様だ。
「―30分後に起こせッつっただろうが。」
 けれど引っ張った本人はそんな事は気にも留めずに、つらっと言い返して上を指差す。
「は? 上がな………………」
 指差されたまま上を見上げて。天井に見える小さい穴からかいま見える風景を見て。
「……………阿。」
 小さくしまったと口の中で呟いた。


「…………どーしようねぇ…………」
「別に。」
「リプレ。きっと怒ってるよねぇ………」
「さぁな。」
「弱ったねぇ………」
「知らねぇな。」
 ――むか。

「ちょっと! そんな言い方しなくてもいいんじゃない?」
「俺様は『30分』と言った。」
 なのに。
「そのまま寝転けた手前ェが悪いんだろーが。」

 一緒に。
 隣で。
 ぐーすかぴー。

 気付けばお空は真っ暗よ。
 30分なんて、とっくにですよ。
 ついでにお月様とお星様も添えましょう。

「えーだってー。」
「だってじゃねぇ。」
「アンタだって一緒に寝てた癖にー。」
「俺様は『起こせ』とは言ったが『寝ろ』とは言ってねぇ。」
 返される言葉に指をぐるぐる動かしながら『だってアンタからアルファー波が出てたんだもーん』なんてしょうも無い事を言う。

 まぁ確かに。一寸迂闊だなーとは思うけど。
 でも気付いたら寝てたのだから、仕方ない。

「しかも俺様のマントを下にしやがって。皺だらけじゃねーか! クソ!!」
「うわー。バノッサってばココロせまーい。」
「るっせぇ」
 ぶつくさ言いながら、それでもきちんと装備し直して。勢いよく翻して皺も伸ばす。
 もっとも。それ位では落ちる様なモノではないのだけれど。

「つー事でオラ。出るぞ。」
「――はい?」
 伸びきらない皺に少し眉を顰めて情けなく思いながら、バノッサはナツミに声をかける。
「抜けた声出してんじゃねぇ。一眠りしたから、ここ出るんだよ。」
 そもそも自分は、最初からそのつもりで大人しくしてたのだから。
「―………どやって?」
「阿呆か。」
 首をこっくりと曲げて尋ねてくるナツミに呆れた視線を向けながら。
「昇るんだよ。」
 この崖を。

 ……………………………………………………………………………………………………

 恐らく、その様を想像したのだろう。
「………………………………………………………うわ。格好悪。」
 長い沈黙の後、ぽつりと呟かれた言葉にバノッサはひっそり涙した。
 ひっそりと。こっそりと。


「ッあー。つっかれたー。」
 おーそとー。
 でりゃぁー。と叫びながらナツミはうーんと力一杯伸びをする。
「………誰が一番苦労したと思ってやがる………」
 その横で、肩で息をしながらバノッサは荒目の呼吸を繰り返す。
 まずは自分だけ昇って。その後で彼女を引き上げようかと思っていたのに。
 縄もない。なにもない。かといって一人にしたら絶対自分を置き去りにするに決まってると叫いたナツミを、ここまで抱えて昇ってきたのはこの自分だというのに。
「うん。あっりがとー。」
 けらけらと手を振って感謝の意を示す。その仕草からどれだけの気持ちをくみ取るかは、目の前で怠そうにしてる彼次第なのだが。
「………手前ェ………」
「あ。感謝してるヨー。ホントホント。でもさぁ。アンタにとって、コレ位訳無い事かもだよねー。そしたら感謝なんてしちゃ、いけないっかなー?」
 きゃらきゃら笑いながら、それでも確実にツボを押さえてくる。
 言外に言ってのけられた言葉。
『貴方程の方なら、この程度の事でお礼を言うのは失礼に当たりましょう?』
 短い付き合いの癖してこちらのプライドをきっちりと刺激してくる。
 その態度が酷く癪に障った。
 だから。
「………確かに、大した事じゃ、ねぇな。」
「あー。そう? お礼したかったのに、残念〜。」
 ころころと笑うナツミの言葉を聞いて、
「だが、そんなに残念なら受けとらねぇのもやぶさかじゃ、ねぇぜ?」
 ニヤリと口元を歪めるバノッサに、今度はナツミが頭を抱えて『しまった』という顔をする番だった。



「…………お礼って、何をするのよぅ〜。」
「知るかそんなん。自分で考えやがれ。」
「わっかんないから聞いてんじゃないー」
 ふみーっと言いながらマントの端を掴むナツミに一瞥をくれながら、バノッサは心中でしてやったりという顔をする。
 言質は取った。
「そうだな…」
 けれど焦りはしない。ことさら思わせぶりな態度で考える振りをしながら勿体つける。
「な、なによ。」
 その空気になんとなく不安を覚えながらナツミは汗を垂らしながら小さく後退る。
「………まさか、また召喚術教えろとか言うんじゃないでしょうね?」
「―――よく判ってんじゃねぇか。」
 言いながら、クッと口端を上げる。
「―無理!」
「あぁ?」
「無理無理! 駄目! 絶対駄目!!」
 て言うかしーつーこーいー!
 ぎゃーっと叫きながら、ナツミは間髪入れずに拒絶反応を示す。
「だってアンタ敵側じゃん! 駄目駄目それは。ぜーったい無理。却下!」
 その態度に、またしてもバノッサの眉尻がぴくりと上に押し上げられる。
 またそれか。と思った。
 そして至極むかついた。だから。
「なら手前ェがこっちくりゃ良いだろーが!」


 びくりと。大きく身震いをしてナツミが動きを止めた。
「敵で駄目なら手前ェがこっちくりゃ良いだろうが! 俺様の元へ来い!」
 けれどそれに構わずにバノッサは続ける。
 腹が立った。
 一々『敵だから』と言うその態度も。その言葉も。そのくせこちらに向ける視線も。全部。
「…っい、いけない。よ………」
 怯えた様に返されたその言葉も。また。
「来い!」
 低く、よく通る声で弱い反論を跳ね返す。
「……だって。だって。リプレ達……裏切れ、無い。裏切れないよ!!」
 手を振ってナツミも応戦する。バノッサの声の大きさにつられた様に。
「裏切れない!!」
 もしも。
「裏切れないよ!!」
 フラットの皆を裏切って。オプテュスに。バノッサの手を取ったら。

 あたしは。

あ た し は こ こ で も 、 い ば し ょ を な く し て し ま う の ?


 さわらないで。
 ふれないで。

 そのままにしておけば、いつかわすれてしまうでしょう?
 うごかさないでおけば、いつかわすれてしまうでしょう?

 だから、うごかさないで。

ふれられたら そこにとげがささっていたこと おもいだしてしまうから。



「………っざけんな………」
 低く低く。腹の底から無理矢理押し出されたような声に、ナツミは顔を上げる。
「………え?」
「ふっざけんなって言ってんだ!!」
「っ……!」
 怒号のような声に、ナツミは思わず両手で自身を抱き締めた。身体がビリビリする。
「そんな目をして! そんな顔をして言う台詞か!!」
「……な、なに……?」
「やかましい!」
 言われた言葉の意味も掴めぬまま、目を瞬くナツミに構わずにバノッサは続ける。
「嫌なら嫌って言やーイイだろうが!」
 戦うにしても。
「ムカツクもんなんざ、全部捨てっちまえばイイだろうが!」
 召喚術を使うにしても。
「恐ぇなら逃げりゃーイイだろうが!」
 人を傷つけるにしても。
「泣きたい癖に! 泣くのを躊躇ってんじゃねぇ!!」
 自分で涙を流しているのさえも。気付かずに。
「手前ェで逃げ道作って置いて! 自分で塞いでンじゃねーよ!」
 縋るような。捨てられた獣のような目をこちらに向けて置いて。
 そのくせ自分でそれを否定する。
「隠そうとすんじゃねーよ!」
 腹が立つ。
 それらを隠そうとする事も。
 『裏切れない』と言いつつ居場所だけを求めている事も。
 独りが嫌だと言って、常に誰かを求めている事も。

 たったひとり。
 だれもいないばしょで。
 きずをかかえて。
 とげをかかえて。

「手前ェが弱い事なんざ! とっくに知ってんだよ!!」

 ほんとうは、だれもしんじていないくせに――――!


―パァン………!

 怒濤の勢いで紡がれたその叫びは
 乾いた、とても軽い音で遮られた。


 そこに映されたのは怒りの目。
 唇を噛みしめ、片手は強く握られたまま。未だもう片方の手は勢いよく払われた形のまま中空に鎮座されている。
 大地を踏みしめる足は真っ直ぐで力強い。

「………ッハ。気に障ったか?」
 叩かれた頬を歪めつつも、動じないその声に自分の眉が上につり上がるのを感じる。
「――――ったりまえよ………!!」
 激情のままに振るわれたその手は痺れて感覚がない。のにも係わらず、飄々と笑う目の前の人物を見てると更に腹が立つ。
「誰が―――――!!」
 弱いと。
 隠していると。
 嫌だと。
 泣きたいと。
 逃げたいと。

 すがって、いると。

 腹が、立った。
 目の前で怒鳴る彼がとても理不尽に見えた。勝手に人を決めつける彼がとても不躾に思えた。
 なによりも。

 見透かされた自分に腹が、立った。



 思えば自分は。あの時からいつも笑っていた。
 誰かを不快にさせないように。誰かを傷つけぬように。
 自分が、傷つかぬように。
 中学の頃。刺さった棘は未だ抜けずにじくじくと痛む。

 それでも、自分は笑っていた。
 だから、自分は笑っていた。

 刺さった棘に、気付かぬ振りをする為に。

 でも。気付いてしまった。
 気付かされて、しまった。

 それなら、もう


「………アンタなんか、キライ。」
 眉間にこれでもかと縦皺を寄せて、声を絞り出す。
 怒りでどうにかなってしまいそうだ。
「そりゃ、こっちの台詞だな。」
 対してさらりと返される言葉。
「アンタなんか、顔も見たくない。」
「まったくもって同感だ。」
「ムカツクのよ。」
「苛立つんでな。」
「ダイッキライ。」
「虫唾が走る。」

 だから。

「あたし、アンタの所になんか。絶対行かない。」
「こっちも、手前ェみたいな弱ェ奴なんざ、願い下げだ。」
 互いに睨み合ったままで、視線は逸らさずに。
「お礼なんか、絶対にしないんだから。」
「誰が欲しいと言った?」
 手を戻して抜いていた力を戻して。ナツミは背を向ける。フラットへ帰る為に。
「次に会う時も、こてんぱんにのしてやるんだから。」
「やれるもんならな。」
 バノッサも首を巡らす。自分のねぐらへと戻る為に。


「じゃあ。またね。」
「あぁ。またな。」

 次に会う時は、戦場で。



 フラットに戻ったら、目を鬼のようにつり上げたリプレが待っていたけど、自分のボロボロの格好を見たら慌てて傷の有無を聞いてきた。
 ガゼルにも物凄く怒られて。エドスには頭に手のひらを置かれて、「無事ならそれで良い」と言われた。
 レイドには「心配したんだ」と静かに言われて。怒られるよりもずっとその方が辛かった。
 ソルも、所在なげにこっちを見て眉根を寄せていた。
 昨日会ったばかりなのに。心配、してくれてたみたいで。
 みんな。みんな優しかった。暖かかった。
 嬉し、かった。


 それだけに、痛かった。


 今までずっと、見ないふりをして。無い振りをしていたのモノに気付いてしまったから。
 気付か、されてしまったから。

 気付いてしまったなら、抜かなきゃいけない。
 同化する事のない棘は、抜かなきゃいけない。

『嫌なら嫌って言やーイイだろうが!』
 嫌だよ。
 人を傷つけるのなんて。傷つくのなんて。
 殺すの、なんて。
『ムカツクもんなんざ、全部捨てっちまえばイイだろうが!』
 腹は立つよ。
 いきなり与えられた力なんて。望んでないモノなんて。
 それで災厄が招かれるのなら尚更。
『恐ぇなら逃げりゃーイイだろうが!』
 恐いよ。
 本当は凄く恐い。こんな世界にいきなり飛ばされて。
 恐くない訳が無いじゃない。
 逃げない訳が無いじゃない。
『手前ェが弱い事なんざ! とっくに知ってんだよ!!』
 そうだね。あたしはきっと弱いね。
 だからいつも、笑ってた。それを隠そうとする為に。
 なのに見透かされてちゃ、ざまぁ無いよね。


 気付かなきゃ、進めないよね。
 気付かなきゃ、治らないよね。

 心からの声を聞きたいと言った貴方に。
 心を込めて。



 次にあう時は。


 その日。部屋の中でこっそりと。少しだけ。

 ―泣いた。


―了―


久々?でもないか。文字話更新。つかナゲェ。
これ、かなーりうっちゃりで放って置いた話を今頃書き足したので
途中からかなりオカシイです。いつもの事です。
て言うか最初の部分(寧ろ約4分の3位は)10〜11月の頃ですよ!ぎゃぁ。
でもいつも以上に訳が判らなく、かつ何が言いたいのかワカランチン。
最初は多分「弱々ッ子ナツミさん」を書きたかったんだと思うんだけどな。
ハッハ。鼻で笑うよ地が出たヨー。てな感じ。
気が向いたら直し入れたいです。どうかなー。

題名は鬼束ちひろから。好き曲。ネタ無くて適当に。(おい


030306 UP
Sunnom Night-SS Menu