記憶がひとつひとつ思い出となる度に
 彼方の輪郭が消えていくようで嫌だった。
 
 
 うっすらと朝靄が立ちこめる木の下をゆっくりと歩く。
 顔を上げれば、葉の間から見える空は真っ青で、きっと今日も暑くなるだろう事がよく判る。
(でも。)
 ボンヤリと思いを馳せる。
(あの空は)
 あの世界の空は。
(もっと綺麗だった。)
 遠い遠い。あの世界。
 大好きな世界。
 ………大好きだった・・・、世界。
 大切と言える人達。大好きな場所。大事な物。
 自分の大事な物、自分を構成した物。それらがある世界。
 
 あれから大分経った筈の今でも記憶は薄れることはなく、寧ろより鮮明に思い出す事が出来る。
 人は、辛かった事も楽しかった事も、それら全てを忘れて生きていく生き物の筈なのに。
 思い出として忘れて、笑って過ごせるようになっていく生き物と言ったのは誰の言葉だっけ?
 なのに、それを許す事が出来ないように、しがみつくように。
 思いだけが募る。
 帰りたい。帰りたい。
 でも。
 ―還れない。
 もとよりあたしには還る場所など既に無いのだから。
 
 自身のこの手で。捨てたのだから。
 
 
Z

 
 
「戦えるのか?」
 早朝。言われた時、胸が軋んだ。
「どうなんだ? 戦えるのか?」
 尚も彼は、質問を重ねる。
 否。それは彼にとって既に質問ではなかった。
「勿論。」
 正面を見て。彼の目をしっかり見据えてはっきり口にする。
「勿論よ。あたしは戦える。」
 満足そうに彼は頷く。
 そうでなければ、ならない。
 そうでなくては、ならない。
 彼にとって、これは質問ではなく確認。
 彼女がこう答えると知っていてこその、質問。
 
 これから敵の元へと向かう時だからこその、確認。
 
「だが。好きなんだろう?」
 尚も重ねる問い。
「それは……………」
 言われた少女は言い淀む。
 “違う”と言いたい。けれど何故か言えない。
 口を開けて、何か言おうとする。けれどそれさえも空に掻き消えるように。見えない壁が邪魔するように。
 言葉にならない。
 息をすることさえままならない。
 ならいっそ。
「…………………………………………嫌いじゃ。ない、よ。」
 嘘じゃない。
 そして多分。否。確実に。
 
 
 不思議な事に、一度声に出してしまうと途端に楽になった。
 あれだけ息が詰まるように苦しかった胸も、楽になっている。
 あんなに認めたくなかったのに。
 ただの一言。それだけなのに。
「……やっぱりな。」
 ゆっくりと吐かれる息。
 寄せてはいけない心。その想い。
 彼女の思惑はその透明さ故にひた隠しにさえ出来てなくて。
 自覚していようがしていまいが関係なかった。
 彼女のその感情豊かな表情から。行動から。全てが見て取れていたから。
 そろそろこちらも。見ないふりをするのが辛い時期でもあった。
「………オレ達には、お前が必要だ。」
「………うん。」
 こちらの攻撃陣の要。誓約者としてのいわば象徴。そしてその強さ。
 ゆっくりと、けれど力強さを失わない声に、彼女もそれに応えるようにしっかり頷く。
「そして向こうでも。あいつが必要だ。」
 向こうの主力。魅魔の宝玉を持つ物としての旗印。それに見合うだけの力。
「…………………うん。」
 あいつ。
 名前を言われたわけでもないそれに。
 足が僅かにふらついた気がした。
 否。実際には揺らいでいない視界から違う事はすぐに判った。
 ふらつくのは。揺らいだのはもっと別の。心。
「そして。」
「………………」
 彼女から目はそらず事だけはせずに。
 許されない。そんな事など。
「ハッキリ言う。オレ達には、邪魔なんだ。」
 この世界を滅ぼす存在である以上。
「………………………………………………うん。」
 
 助けたいと。思わないわけではない。
 けれど。彼のその存在の在り方は、もう。
 最悪のことさえ考えなければならないほどに。
 
 この言葉のひとつひとつが彼女から笑顔を消すと判っていても。なお。
 
 
 最初はただの偶然だった。
 ただ。偶然こっちに来て、偶然出会った。
 否、出会ったとは言えないのかもしれない。
 ただ見た。
 その姿を見た。その声を聞いた。剣を合わせた。
 ただそれだけ。
 けれど。
 その時には既に何かを掠め取られていた。
 
 何回か顔を合わせる度に、衝突を繰り返して。お互い時には傷を負って。
 
 それでも。
 
 それでも死に別れる位の出会いなら無い方が良かったなんてどうしても思えないけど。
 
 気付いたときは既に手遅れだったけど。
 
「大丈夫。」
 言って、緩やかに笑う。
 否。笑ったと、思った。
 顔の表情が思い通りになっていないことは自覚しているけれど。
 笑おうとすればするほど泣きたくなるのは判っているけれど。
 それでも。
 
「大丈夫。だってまだ、望みが絶たれた訳じゃない。」
 希望を捨てた訳じゃない。
「あたしが望む限り。」
 表情が思い通りにならないのなら。せめて。
「諦めない限り。道はいくらでも創れる筈だから。」
 目に意志の力を込めて。彼を見る。
 
 自分をここリィンバウムに喚んだ。その相棒パートナーに。
 
 
 
水 臼 花すいきゅうのはな

 
 

 明るい日が差す公園を、夏美はゆっくりと散歩するように歩く。
 朝の凛とした空気がなにより心地良い。
 それでもそろそろ昼間と言う時間にもなると、どんどん気温が上がってきて、こんな気分は味わえない。
 今だから。
 今の季節の、今だからこそ。
 刹那の時を楽しむために、夏美はわざわざ朝早く家を出て、ゆっくりと学校へと向かう。
 そして、ここは思い出の場所。
 始まりと、終わりの場所。
「………なんだか、懐かしいな………」
 まだ、それほど日は経っていないはずなのに。
 時計で時間を確認して、近くにあったベンチに腰を下ろす。
 まだ、時間には余裕がある。
 そうして、思いを馳せる。
 
 ここには居ない。存在しない。彼の元へ。
 
 
Z

 
 
「だから、大丈夫。」
 言って、今度こそ微笑む。
 自由にならぬ頬は諦めて。口端だけ上げて。
「…………だが、」
 ナツミの笑顔に気圧されたように、彼は。ソルは言い淀む。
 もしもの事を考えておかねばならない。
「もしもなんて。そんな後ろ向きだったら駄目よ。」
 けれど彼女は腰に片手を当てて。指をちちちと鳴らしながら自信たっぷりに言い切る。
「もしもなんて。在る筈がないんだから。」
 けれどそれは。
「そう考えていないと、駄目。」
 
 自分に言い聞かせていると言う事も自覚していた。
 
「―――だが!!」
 強気で自信たっぷりに言う彼女に、ある種の苛立ちを覚えながら。
「それでも考えなければならないだろう?! 自覚はしなければならないだろう!! 用意はしなければならないだろう!!」   
 最悪の状態を。
 そして、その覚悟を。
 頑固に言い募る彼女の意思を負かすように声を荒げて言う。
 判っている。この感情は。
 
「もしかしたら、バノッサを殺す事を考えなければいけないだろう!!」
 
 これは、嫉妬だ。
 
 
 彼の。ソルの言葉が胸に刺さる。
 確かに考えなければいけない事。
 覚悟しなければいけない事。
 
 でも。
 
「そうさせない為に、あたしがいるのよ。」
 
 例えそれが絵空事と言われても。
 
 夢と言われても。綺麗事と言われても。
 
「その為に。私はここにいるの。」
 
 
 
「だが!」
「それでも!」
 尚も言い募る彼の言葉を打ち消して口を開く。
「それでも。」
 それでも目の光は失わない。
 失わせない。
 諦めたくない。諦めない。認めない。
 でも。
「それでも。もしもその時が来たら。」
 彼がそれを望むのなら。
「―あたしが殺すわ。」
 他の誰でもない。自分のこの手で。
「誰にも譲らない。」
 それが彼の望みなら。
 
 彼の望みは 私の願い。
 彼のしたい事は 私のするべき事。
 
 彼をこの手で屠る事さえも 私の願い。
 
 
Z

 
 
「―橋本さん?」
 自分を呼ぶ声。
 それまで沈んでいた思考の海から現実へと引き戻される。
「――――あ。」
 呼ばれて夏美は、ボンヤリと顔を上げる。
「深崎、君………」
「いくら最近暖かいとは言っても、こんな所でうたた寝してると風邪引くよ?」
 目の前でにっこり笑うクラスメイトに夏美もつられて少し笑う。
 気付かなかったが、いつの間にか寝ていたらしい。
「うわ。ありがと。」
「どういたしまして。――――何でここにいたの?」
 しかも朝からうたた寝する余裕さえ有るなんて。
 疑問そのままに、深崎と喚ばれた少年は口を開く。
 生来の性癖からか。興味を持った事をそのままにしておくのは、あまり好きではない。
「ん? 一寸、ね。深崎君こそ早いじゃない。」
「僕は朝練があるからね。」
 だけに、余計に彼女がここにいるのは不思議でならない。
 朝練があるなら、さっさと学校へ行くだろうし、無ければ普通はもっと家で寝ている時間だ。
「朝練かぁ………」
 そう言えば、と。はたと気付いて夏美は顎に手を当てる。
「………あたしも、朝練があったかもしんない………」
 すさーっ。
 一気に血の引く音が、聞こえた気がした。
 
「うぁちゃー。もぅ朝練に遅刻かも………」
 時計を見て、思わずしゃがんで呻く。
「まいったなぁ。」
 どうやら、うたた寝していた時間は思いのほか長かったらしい。
 部長なのに! と自分を叱咤して、すっくと立ち上がる。
 まだ走れば間に合うかもしれない。
「ごめんね深崎君。起こしてくれてありがと。悪いけど、あたしも朝練があるし、間に合わないかもだから急いで学校行くわ。」
「ん? 別にそれは良いけど……―と。一寸待って。橋本さん。」
「―え? あ? な、なに?」
 そのまま走ろうとする夏美の腕をぐっと掴んで引き留める。
「……………やっぱり。」
 じーっと夏美の顔を覗き込んで。そして夏美の指を触って。深崎は一人納得したようにひとつ頷く。
「橋本さん。実は体調悪いだろ? 顔色もあんまり良くないよ。」
 指も冷たいし、顔色もお世辞にも良い方とは言えない。
「そう? 寝起きだからじゃない? あ。それとも、ここでうたた寝して冷えたとか。」
 へらりと笑ってかわそうとする。
 そろそろ本格的に急がないと朝練に間に合わない。
「それと。最近学校でもずっと寝てるだろう? どこか悪いのかい? それとも、家で何かしてるとか?」
 けれど、彼は誤魔化されない。
 そのまま走り去ろうとする夏美の腕を緩い枷のように掴んだまま離さない。
「うぁっちゃぁ。学校で寝てたのバレバレ?」
 しまったなぁ。と言いながらぺちんと自分の頭を叩く。
 まぁ。確かに最近よく授業中に寝ていたので自業自得なのだが。
「隣で寝られちゃぁ。バレるもなにもないと思うけど?」
「あはは。ごもっとも。でも、生憎どこも悪くないよ。」
 そう言って腕を振りひょいっと彼の手から逃れて走り出す。
「わざわざありがと。それじゃ、また学校でね。」
 そう言って手を振る。
 
「―!! 橋本さん!!」
 
「ん? なに?」
 呼ばれるままに振り向いて。
 
 そうしてそのまま。記憶が切れた。
 
 
Z

 
 
「あたしが殺すわ。」
 そう言って、今度こそ笑う。心の底から。
「えへへ。」
 ここまで言って、初めて笑う事が出来た。
 けれど目から溢れる涙は止まる様子を見せない。
 それでも、嗤う。
 自分のこの手で殺す事による永遠の独占。
 
 いっそ気が狂えたなら どんなに幸せな事か。
 
 
 確かにそう。待ち望んでいた。
 
 どうして。彼の姿だけすぐに見つかるのだろう。
 入り交じる多人数の中、見えぬ彼の声でさえ。彼の指先でさえ。彼の毛先でさえ。
 世界の色が彼一人に凝ったように光さえ放っている様に見える。
 
「待ってたぜ。はぐれ野郎。」
 言って、彼が剣を抜く。
「それはこっちの台詞だよ。」
 言ってこちらも剣を構える。
 
 もぅ。あの胸に熱く包まれる事はないのに。
 もぅ。あの腕に熱く抱かれる事はないのに。
 もぅ。あの声に熱く囁かれる事はないのに。
 もぅ。あの眼で熱く見つめられる事はないのに。
 
 覚悟は決めていた。
 この手で殺す事さえ躊躇わないように。
 最早、これでしか彼と想いを交わす事はないのだから。
 後悔の無いように。
 心の想い全てを込めて。
 
「今日で、決着が付く。」
「そうだね。」
 お互いに微動だにしない。
 微かに動く筋肉に目を凝らし、牽制を繰り返して。
 絡んだ視線はそのままに。呼吸で上下する胸にさえにも気を配る。
 二人で時を刻むために。
 
 この生死をかけた一時の逢瀬を至上の物とするために。
 
 胸が苦しい。
 切ない。
 どうしてこんな思いをしなければならないのか。
 どうしてこんな辛い思いをしなければいけないのか。
 自分ばかり。
 自分ばかり。
 いっそ逃げ出したいとさえ。
 呼吸をする事さえ。瞬きをする事さえ辛い。
 何故。生きている事にさえ打ちのめされそうにならなければならない?
 何故。訳もなく苛つく感情をもてあまし、理由無く溢れる涙に振り回されなければならない?
 
 それも全て。
 目の前にいる人物の所為。
 こいつさえいなければ。
 こいつさえいなければ。
 こんな事にはならなかった。
 自分を案じてくれる優しい心を、自分のために煩わせる事はなかった。
 自分のとった行動によって引き起こされた事象に、多数の人物が巻き込まれる事にはならなかった。
 
 こいつさえ。いなくなれば。
 
 以前の知らなかった頃の自分に戻れる。
 それなりに騒動はあれども、それなりに安定していた頃に戻れる。
 
 こいつさえ いなければ。
 
 けれど。
 柳眉を険しくして踏み出したその前に。
 彼が。
 あいつが。
 居た。
 
 鬼人もかくやと言う形相で。
 目の前にいる物全てを厭い蔑視するような眼差しで。
 今までに見た事もない程に。
 今までのアイツからは想像する事も出来ない程の。
 恐ろしい顔で。
 
 目の前の相手を見てその思いは霧散した。
 
 確かに憎いと思った。
 居なければいいと思った。
 居なくなればいいと思った。
 でも。
 確証があったわけでも、信じていた訳でもない。
 なによりその理由もない。
 
 でも。まさか、こんな顔で睨まれるとは思っていなかった。
 
 籠めていた想いは霧散した。
 ただ、哀しみだけが募った。
 ただ、涙だけが溢れた。
 目には見えぬ涙をはらはらと流し続けた。
 
 決着がついた、その時でさえ。
 
「俺を、殺せ………はぐれ野郎………」
「…………やだ。」
 もう彼は助からない。
 それは、彼自身が良く知っている事。
「殺せ。俺が俺である間に。……魔王を、押さえている、間に。お前の、手で。」
「やだ。」
 彼の身体が変わる。
 その骨格さえも、異形の物へと進化していく。
 嫌だ。
 イヤだ。
 いやだ。
 自分が望んだのはこんな事ではない。
 目の前にいる人物を傷つけるのは。傷つけて良いのは。
 自分でなければならない。
 こんな。こんな変貌していくモノに蹂躙されて良い理由など、無い。
 
「俺様の、望みでもか?」
「嫌だ!! それでもヤダ!! やっぱりやだ! 助ける! 絶対助けるんだから!!」
 あらぬ限りの声を持って叫ぶ。
 覚悟はしてた。
 彼を手にかける覚悟。
 けれどそれは。彼という器を借りた化け物を倒す為じゃ、無い。
 だから。
「認めないんだから!!」
 
 自分の手で彼を救う事さえ出来ない。
 自分の手で彼を屠る事さえ出来ない。
 
 彼の望みも、自分の望みも叶える事さえ出来ない。
 
 こんな結末など。
 
「………馬鹿、野郎が…………………………………」
 
 それが。最後に聞いた彼の声だった。
 
 
Z

 
 
 目が覚めたら、其処はベッドの上だった。
「………あれ?」
 目をしぱたたかせながら、肘をついてゆっくりと起きあがる。
 近くにあった窓から外を覗けば、空はもうかなり高い位置にある。
―シャッ。
「あ。気がついた?」
「――――――――――深崎、君?」
 不意に響いた衣擦れの音と声に、顔を向ければ其処には良く見知ったクラスメイトであり、今朝公園で会話した人物の顔。
「えー………と? 何で、あたしベッドの上にいるの?」
 そしてここはどこ?
 首を傾げながら唸る夏美に、深崎は苦笑しながら近付いて、夏美が横になっていたベッドの縁に腰掛ける。
「ここは学校。そして保健室だよ。」
「は? 何であたし保健室で寝てるの?」
「………覚えて、無いの?」
「? なにを?」
 深崎が言わんとしている事が判らなくて、更に首を傾げて頭の上に“?”マークを飛ばす。
 はっきり言ってさっぱさっぱり判りません。
 そんな夏美の様子に、深崎は小さく息を吐く。
 自覚がないのが一番まずいのでは無かろうか。
「橋本さんはね。倒れたんだよ。僕の目の前で。」
「――――うっそ。」
「本当。それで、一番近くだった学校まで抱えてきて。取り敢えずここで寝ていて貰ったんだけど。もしかして迷惑だったかな?」
「迷惑って!! そんなわけないよ。それよりもどうもお手数をおかけ致しまして………」
 記憶がないとはいえ、自分のした事に思わず渋面になって頭を下げる。
「ごめんね。重かったでしょ?」
 気恥ずかしさと申し訳なさで多少顔を紅く染めながら頬をこりこりと掻く。
 彼とて朝練もあったはずだし、かけた迷惑を考えると穴に入りたくなる思いだ。
「いや? 別に。全然迷惑じゃないよ。軽かったしね。」
 寧ろあんな迷惑ならいくらでも?
 抱えた時に感じた彼女の重さと柔らかさを思い出してにっこり微笑む。
「ん? なんか言った?」
「いや? 空耳じゃない?」
 勿論。そんな感情はおくびにも出さずに。
 
「あーぁ。朝練サボっちゃったなぁ。」
 んーっとのびをしながら夏美はボンヤリとまた空を見る。
 青い空。青い青い空。
 けれど、向こうの空はいっそ蒼いと思った。
 清廉で、純粋な。蒼。
 この世界ではもう見る事の適わないであろう。蒼。
 
 暫くお互い口も開かずにそのままでいて。
「ところで、さ。」
 深崎が口を開く。  
 気になっている事を、聞くために。
 
「ん? なぁに?」
 ふぅっと、飛ばしていた意識をここに戻す。
「橋本さん。やっぱり、どこか調子悪いんじゃない?」
「えー? そんな事無いけど?」
 ほーら。元気元気。と言いながら腕をぐるぐると回す。
「でもさ。今日もいきなり倒れたし。朝も言ったけどここの所ずっと授業中でも寝てるだろう?」
「う゛。その節はお世話をかけました。びっくりしたでしょ?」
 いきなり、目の前で倒られちゃぁ、さ。
「うん。そうだね。ビックリしたよ。」
「あぁぁ。ご、ごめん……!!」
 肯定されて、頭を抱えて低姿勢で謝る。
 自分だって、いきなりクラスメイトに目の前で倒れられたらまず驚くだろうし、その後の事考えると非常に気が重くなる。
「御免。本当に………」
「うん。だからさ。」
 その夏美の様子を見て、深崎は今日初めてにーっこりと微笑む。
 クラスの女子や、後輩達が密やかに囁いているお得意のアルカイックスマイル人畜無害笑顔攻撃
「………何?」
 きょとんとしながら、『あー。これで他の女の子とかはクラクラとかするのねー』とかうすらボンヤリ考える。
「だから、橋本さんの調子の悪い理由を教えて欲しいんだ。」
 ビックリさせた、お詫びにさ。
「僕にはその権利は、当然ある筈だろ?」
 
「…………………ぐぅ。」
 やられた。
 まさかそう来るとは。
 
 正にぐぅの音しか出ない状態で、夏美がぱくぱくと口を動かしたり顔色を白黒とさせる目の前に。
 
 してやったりとにこやかに微笑みを崩さないクラスメイトが其処にいた。
 
 
「で。何でそんなに体調が悪いんだい?」
 気付けば既に放課後だった。
(通りで深崎君がこんなにゆっくりしてる訳よね………)
 そもそも彼がここに来たのは放課後になっても授業に復活しない彼女を気遣っての事だった。
(それにしたって一日中寝てるかなー………あたしも。)
 思わず遠い目をする。
 だからあんなに空が高いのねー。とか現実逃避もしたくなるが、隣に座っている少年はそれさえも許してはくれない。
 にこにこと崩れない笑顔から、「早く言え」と無言の圧力をかけられている様な気さえしてくる。
「うー…………ん。別に、どうって事もないんだけど。」
 少し困ったように頭を掻きながら小さい声で言う。
「ないんだけど?」
 にこにこにこにこ。
「……………………うぅぅ。聞いてもつまんないと思うけど……?」
 だらだらだらだら。
「珍しく歯切れと往生際が悪いね。それを決めるのは、聞く側である僕だろう?」
 つまらないかどうかを判断するのは、君じゃなくて僕。
 そしてそれでも聞きたいのは、僕。
 だからさっさと観念しなよ。
「……………………………………参りました。」
 がっくり。
 夏美は肩を落としてベットの上で体育座りになり、そしてその膝の上に顎を乗せる。
 
「割とさ。単純な話よ。」
「単純?」
「そ。ただの代償だから。」
 
 “過ぎた力がもたらした代償って奴だ”
 
 
Z

 
 
 月さえも隠れた真夜中。
 ナツミはそうっとフラットのアジトを抜け出して外に出ていた。
 
 一番最初に、自分が訪れた。召喚術の痕跡が残る荒野に。
 
 ぼんやりと、大きな穴の縁に腰を下ろし自分が来た時の事へと思いを馳せる。
 全てはここから始まったのだ。
 新しい幸せと、深い悲しみは。
 今までの自分を塗り替えることになったのは。
 
 全てここから。
 
「…………もしも。違ってたら。」
 一番最初にこの世界へと出たのが。
 一番最初に街に入った場所が。
 一番最初にあった人物が。
 
 もしも、違っていたなら。
 
 現実逃避と。夢を見ていると判っていても。
 
(あぁ。でもそんなの…………)
「戯れ言だな。」
 物思いにふけっていたナツミの背中へと声が唐突にかけられる。
 よく知った。聞き覚えのあるその声。
 振り向かなくても判る。
「――――珍しいじゃない。」
 穴をぼんやりと眺めながら後ろの人物へと話しかける。
「こんな所まで来るなんて、さ。」
 そんな余裕なんてどこにあるというのやら。
 夜が明ければ決着を着ける為の戦いが始まるというのに。
「ねぇ?」
 
「――――――――バノッサ。」
 
 
 問い掛けられた彼は、そのままナツミの背に自信の背を合わせ、腰を下ろす。
「それはこっちの台詞だな。はぐれ野郎。何で手前ェがわざわざこんな辺鄙な所まで来てやがる。」
「別に?あたしはただ何となくここに来ただけよ。」
「―ッは。感傷に浸りにか?」
 先程の戯れ言のように逃げる為か。
「…………………違うよ。うぅん。少しはそれもある事は否定しないけど。
 ―でも違う。」
 ずっと穴を見つめているのにも飽きて、今度は顔を上げて星を見つめる。
 自分の世界と違ってとても綺麗にハッキリ見える星。
「フン。どう願った所で時間が巻戻る事なんざ絶対に有りえねぇぜ。」
 どれだけ望もうとも。願おうとも。
 時の三女神が廻す糸車が戻る事など。
「バノッサも、時が戻ったらいいとか思った事、有るの?」
「あぁ? 俺様がか? ――――そうだな。まぁ、否定はしねぇよ。」
 多少バツが悪そうに頭をぼりぼりとかきながらバノッサが言う。
「うわ。どしたの? 今日は珍しく素直じゃない?」
 絶対に「そんな訳有るか」とか言うと思ってた。
「るッせぇ。そう言う手前ェも、今日は割と大人しいじゃネェか。」
「んー。良いじゃない別に。何となく、そんな気分なのよ。」
 くすくす笑いながら、足をぱたぱたと動かす。
 なんだろう。
 久し振りに会った様な気がする。
 何度も顔を合わせていたのに。
 それこそ最近は、何回も顔を合わせていたのに。
 
 こんな穏やかに話すのが凄く久し振りだからだろうか。
 
「そんな気分、ネェ。」
 バノッサが含みのある声で小さく笑う。
「? なによ?」
 背中越しに感じる感触に、ナツミは少しムッとしながら。
 でもそれに一々反応をするのもどこか悔しいので顔は上を向いたまま次の答えを待つ。
「いや? ただ、また抱かれる事でも期待してるのかと思って、な。」
 
 問題発言受理シマシタ。
 思考ヲ一旦停止シマス。
 動作終了シマシタ。再開シマス。(ガガピー)
 
「―っ゛な゛ぁ゛??!!!!」
 脊髄反射で顔をぐりっと彼の方へと顔を向ける。
 その顔は夜目でも判るほどに、朱い。
「あ、あれはアンタが――――――っ!!」
 そこまで言って、脳裏に浮かんだ映像に更に赤くなり、声を詰まらせる。
 思い出されるのは、唯一度きりの逢瀬。
 ただの成り行きと勢いの結果。
「オレが、なんだって?」
 手前ェも抵抗しなかったろーが。
 ニヤニヤと嗤いながら口をぱくぱくさせているナツミを眺める。
 そしてそこまで言われて初めて。からかわれたと言う事が判って。
「………………抵抗、させなかった癖に…………」
 やっとの思いで反論する。
「ったりめーだ。」
 けれど、「当然」と言い切るバノッサをむーっと口を尖らせながら上目使いに睨む。
 悔しい。
 はっきり言って、かなり悔しい。
「言っとくけど? あたし別にアンタなんか好きじゃないんだから!」
「それもこっちの台詞だな。」
 胸も尻も足りなければ色気も足りぬ。とるに足らない小娘など。
「なぁんですってぇ?!!」
 あんな事までしておいて何をいわんや。失礼な。
 そのまま勢いに任せて彼に掴みかかろうとして、初めて気付いた。
「――――――バノッサ?」
「あぁ?」
「―なんで、今日はなんの装備もしてないの?」
 鎧もなく、マントもなく。剣さえも帯びていない。
 普通のズボンとシャツのみ。
 そして。
「なんで? 何で魅魔の宝玉も持ってないの?」
 
 それは彼にとって何よりも求めた力の結晶。
 
「別に? 何となく、だ。」
 それこそ手前ェと一緒でな?
 言いながら、ナツミの格好をしげしげと見る。
「手前ェだって、今日は剣を持ってねぇじゃねぇか。―サモナイト石さえも、な。」
「あ、あたしは。………だって。別に散歩に来ただけ、だもん。」
「わざわざこんな遠くまでか? 丸腰でご苦労なこった。」
「それはバノッサだって同じじゃん。」
 掴みかかろうとして空を切った手をそのままバノッサの肩に置き、正面から向き合って話す。
「俺様はいいんだよ。」
 フン。と鼻で笑いながらバノッサはナツミの額をピンッと指で弾く。
「―った!! 痛いじゃないの! それに何でアンタはいいのよ?!」
 赤くなった額を片手で押さえながら、ナツミが叫く。
「そこらのはぐれに素手でやられるほど柔じゃネェよ。それに、もぅあまり長くもないしな。」
 彼のその一言で。時が止まった気がした。
 
 
「――――――――――――え?」
 一瞬か。それとも数秒か数分か。
 どれくらいの時間かさえも判らないまま、ナツミはやっとの思いで口を開けた。
 
 モゥアマリ長クナイ?
 誰ガ?
 
「何言っ――――」
「酔狂でも冗談でもねぇぜ? 生憎とな。」
 けれど、彼の表情は変わらない。
 何事もなかったかのようにそのままで。いつものままで。
 いつもの表情で。
 笑う。
 
「ど、うし………」
 声が震える。
 手も。足も。身体全体が震えている事が判る。
 視界が揺らぎそうになるのを支えているのが不思議な位に。
 
「別に? まぁ。過ぎた力がもたらした代償って奴だ。」
 今まで使え無かった力を一足飛びに手に入れた代償。
 世の中はそんなに甘くは出来ていない。
「まぁ。俺様の場合、元々素地はあったようなんだが。一気にデカイ力を使った反動らしいな。内臓の方にガタが出始めてやがる。」
 例え見た目は変わらなくとも。
 
「そんな………」
 淡々と告げる彼の肩に手を置いたまま。ナツミは震えた声で思いを紡ぐ。
「そんなになってまで!! なんで?!! なんで力なんかを手にしたの?!!」
 どうして死に急いでまで。
 ぐっと腕に力を込める。
 でないと自分を支えていられない。
 今ここで涙が出ないのが不思議なほど。
「さぁな。その理由だけは手前ェに言わねぇよ。」
 笑みを浮かべたまま、バノッサは肩に置かれたナツミの手に自身の手を添え、そっと外す。
 まるで壊れ物を扱うように。
「………どう、して……?」
 疑問。
 理由を言ってくれない事と、優しく扱ってくれる事に対する問い。
「るっせぇな。言わねぇよ。知りたきゃ自分で考えな。」
 そもそもまず人に答え求める前に自分で努力しな。
「―――バノッサが、言う事じゃないと思う。」
 むうっと少しむくれてナツミが反論する。
 力を手に入れる為に目の前に出された魅魔の宝玉に手を出した癖に。
「馬鹿か手前ェは。」
 呆れたように、バノッサが立ち上がりながらナツミを一瞥する。
「望んでいた物が目の前に転がり込んできて、手をださねぇ阿呆がどこにいる?」
 それまでに色々な事もした。考えもした。それでもどうしても得られなかったものが向こうから転がり込んできた。
「一緒にすんな。」
 安易に目の前にいる人物に答えを聞こうとするな。
 物事には時としてその過程さえも望む事もある。
 それは確かに正しい事。
 けれど。
「…………………でも。でもさ。それで身体壊してちゃ。命を無くしちゃなんにもならないよ?」
 命あっての物種。昔の人はよく言った物だ。
「確かにな。それもあるだろうよ。」
「じゃあ………」
「だがな。」
 肯定されて、少し表所を明るくして話しかけようとするのを彼自身が遮る。
「怠惰に生きていくよかずっとマシだ。」
 自分の願いさえも忘れて。
 日々の生活に埋もれて。
「手を汚さずに飼い殺しにされるのと、剣で殺されるのとに何の違いがある?」
 どれも結果は同じ。
「そんなの………」
「それと同じだ。」
 バノッサを見上げながら、紡がれる言葉をゆっくり咀嚼する。
 
 ただ凡庸に生きていく生になんの意味がある?
 いつもと同じ事をして。いつもと同じ事しかしないで。
 平穏と言えばそれまでの。
 けれどその中に自分が生きたという証はどこにあるのか。
 
「でも。………でも!! そんなのは自分で見つけていくものでしょう?」
 例え平穏の中でも。
 それは其処にしかない安らぎがきっとあるはずで。
「生きてく意味なんて! 長い人生の中で見つけていくものでしょう?」
 だから人は生きていけるんでしょう?!
「―まぁ。別にそれについても否定はしねぇぜ?」
 自分も前はその平穏の中に身を沈めていたから。
「じゃぁ……!!!」
 言われて、ナツミも腰を上げる。
「じゃあ、まだ間に合うかもしれないじゃない!!」
 勢い込んで、ナツミがバノッサの前に回り込みながら言う。
「無理だな。」
 けれど彼の返答は素っ気ない。
「判ってんだろう? 手前ェも。もう手遅れだ。お互いが既に引けない所まで来てるし、俺様もまだ引くつもりは毛頭無い。」
「それで死んでも?!!」
「死んでも、だ。そもそも、魔王を召喚しようと言う時点で命を賭けにゃならねぇしな。」
 それこそ手前ェの相棒ソルのように。
「そう、かもしれないけど………」
 ソルの姿を思い出して。言葉を思い出して。ナツミは顔を俯ける。
「それに。」
「………それに?」
 
「俺様は。まだ望んだ物を手に入れてないんでな。」
 
 
 もっとも。それだけは絶対に目の前にいるこの少女にだけは言わないけれど。
 
 
 
「………じゃあ。どうしても。戻る事はない、の………?」
 顔を以前俯けたまま、ナツミが小さな声で問う。
「あぁ。」
 答えるバノッサの声は堅い。
 平行線な思惑。決して交わる事はない。
「………判った。」
 言って、ぱっと顔を上げる。
「じゃあ無理矢理にでも連れ戻す!!」
 
 直後に目を丸くしたバノッサを見て。少し胸がすっとした気がした。
 
「ガキか手前ェは……」
 手で額を抑えながら呻くようにバノッサが言う。
 心なしか、肩も震えているようにも見える。
「しっつれいな。だって、あんたが戻る気無いなら、あたしが戻すしかないじゃない?」
 そしたらほーら。あたし的に万々歳!!
 掌を肩のあたりまで上げてヒラヒラさせる。
 意見がずっと平行線なら、無理矢理捻っちゃえばいいのよ。
 自信たっぷりに言い切る。
「其処に、オレの意思はなくてもか?」
「無くても。」
 言って、にっこり笑う。
「あたしね。我が儘なのよ。」
 だから。
「だから。助けるよ。絶対。」
 そう簡単に、死なせてなんかやらない。
「そんで、絶対『あぁ生きてて良かった。人生長くて良かった』って思わせてやるんだから!!」
 
「―ッハ……!!」
 握り拳をつくって力説するナツミを呆気にとられたように見て。
「ハーッハッハッハッハッハッ!!」
 腹を抱えて笑う。
「な、なによ?」
 いきなり笑われてナツミはどうして良いか判らずに、少したじろきながら蹲って笑っているバノッサを覗き込む。
 ハッキリ言って、彼がこんなに笑っている事さえ見た事が無くて。
 色んな意味でビックリだ。 
 
「――――ッハ。好きでもない相手にわざわざご苦労だと思って、な。」
 自分だって死ぬかもしれないと言う危険を孕んでいる事に気付いているのかいないのか。
 やっと笑いの波が過ぎたのか。バノッサが僅かに顔を上げてナツミを見つめ返す。
 けれど、目尻には笑いの後の涙がうっすらと浮かんでいる。
「は? だって。」
 言われてナツミはきょとんとしながらさも平然という風に口を開く。
「あたし。アンタの事好きじゃないけど。嫌いじゃないもん。」
 生きてて欲しいし、出来れば幸せになって欲しい。
「だから。別に嫌いじゃないよ。」
 あったりまえじゃん。
 ナニ言ってンの? と言いながら頬を少し膨らませる。
「嫌いじゃない、ねぇ……」
「―なに?」
 その言葉を聞いた途端、バノッサが少し不機嫌な表情になった気がするのは気のせいだろうか?
 なんか余計な事言ったかな? と思って彼の顔をまた覗き込む。
「じゃ。我が儘な手前ェにこっちもひとつ我が儘でも言ってみるか。」
 言って、バノッサは名案が思いついたとでも言うようにニヤリと頬を緩めて覗き込んでくるナツミの顔を逆に見つめ返す。
「―――変な事じゃあ、無いでしょうね?」
 我が儘と聞いて、思わず身を少し引いて警戒する。
 過去の経験から考えると、すぐ変な事しそうでイヤなんデスケド。
「誰が手前ェなんかにするか馬鹿。―別に。簡単な事だ。」
 その態度を見てバノッサは更にムッとした顔をする。
「あ。そうなの?」
 その「なんか」に変な事したのは誰だとか思いつつも、良かったーと言おうとして。
「ただ。俺様の止めを刺すときは手前ェの手で。ってだけだからな。」
 今度こそ、ナツミの時が止まった。
 
 
「その代わり、手前ェの止めを刺すのは俺様だ。傷を付けるのも、俺様だ。」
 ニヤリと酷薄に頬を歪めて淡々とバノッサが言う。
「―ナニソレ。」
 冗談でしょう?と言おうとして、声が出ない。
「手前ェだって、俺様の意思を無視しようってんだ。なら、俺様も我を通したっていいだろう?」
「そんなの―」
 嫌だ。と言おうとして言えなかった。
 彼が。バノッサの目が。真剣だったから。
 恐いくらいに。
「………………………手前ェ。忘れてネェか?」
「………何をよ……」
 その真剣な目が嫌で。そんな我が儘認めたくなくて。
 顔を背けて視線から逃れたいけど動けない。
 まるで金縛りにあった様に。
「まず。俺様は手前ェの敵だ。」
「………そんなの、知ってる。」
 本当は認めたくないけど。
 なんでか認めたくないけど。
「第二に。俺様は先刻も言った通りにどうせ長く無い。」
「………それも、判った。」
 本当は助けたいけど。
「第三に。コレは俺様の人生だ。好きに生きて何が悪い?」
「…………………我が儘じゃんか。それって………」
 好きに生きて、人に色々迷惑をかけるなら。
「あぁ。手前ェと一緒でな。」
 望んでもいない救いを与えようとしている奴が言う台詞ではない。
 
 望んでも居ない救いを与える行為は所詮偽善かお節介にしか過ぎない。
 只の自己満足と言う名の我が儘。
 
「あたしと一緒………」
 どちらも同じ。
 ただ、我を通したいだけ。
 
 ナツミは「生きていて欲しい」という我を。
 バノッサは、「最後は彼女の手で」という我を。
 
 どちらも相手の意思は無視してでも。
 
「………一緒、なんだね………」
 反芻して、ナツミがへらりと笑う。
「一緒だ。」
 バノッサも笑う。微かに。
「じゃあ…………」
 
「どっちが我が儘を通すか。競争、だね。」
 
 互いの生死をかけた。
 
 
 
 今更ながらに判った事がある。
 今更ながらに自覚した事がある。
 
 きっと。彼が居なくなれば死んでしまう。
 きっと。コイツを手に入れなければ死んでしまう。
 
 身体ではなく。
 
 心が。
 
 その思いの果てはきっと。
 
 
「そろそろ、夜が明けるね。」
「あぁ。」
 白んでくる水平線の向こうにある空を見ながら、ナツミがぽつりと呟く。
 もっと気付くのが早ければまた違う事になっていたのだろうか。
 そんな事を考える自体逃げと判っていても。考えずには居られない。
 
「………隠してても仕方ないし、アンフェアだから言うけどさ。」
「あぁ?」
「あのね。夜が明けたら、皆でそっちに行くから。」
 この日が昇ったら。
「―っは。ピクニックにでもおでかけか?」
 揶揄を含めてバノッサが笑う。
「茶化さないでよ。判ってる癖に。」
 言いながら、ナツミも少し笑う。
 こんな時でも笑っていられるのがなんだか不思議な気分だ。
「決着を着けるんだろう?」
「そうよ。決着を着けるの。」
 お互い冗談めかして笑う。
 まるで恋人同士がじゃれ合うように。
「だから。全力で迎えてね?」
 お互いの我を通す為に。
「手前ェも、手を抜くんじゃネェぞ。」
 後悔の無いように。
 
「勝負だしね?」
「勝負だからな?」
 言って、どちらともなく拳をかざしてがつんとぶつけ合う。
 
「「―手加減無しで。」」
 
 
Z

 
 
 暑い日差しが窓から差し込み、穏やかに吹く風がカーテンを緩やかに動かした。
「………代償って……?」
 一体、君に何があったんだい?
 穏やかに穏やかに。深崎は夏美へと問い掛ける。
 逸る心を抑えながら。
「―なーんってね。」
 にぱーっ。
 乗せていた膝から顔を上げて夏美はそんな擬音が聞こえてきそうな勢いで笑う。
「本当は、最近夢見が悪くてあんまり寝てないの。」
 だから。それが原因。あえて代償というなら夜更かしの事。
 えへへーと言いながら目を丸くしている深崎少年に夏美はしてやったりと微笑む。
「そ、それだけ………?」
 つつつーっと冷や汗をたらしながら深崎は夏美に詰め寄る。
「うん。それだけ。」
 わざわざ心配してくれたのに、ごめんね―?
 からかうような真似をして。と夏美は深崎に手を合わせて謝罪する。
「それは良いんだけど………」
 元々夏美をはめるように原因を聞きたがったのはこっち。
 そもそも、彼女は最初に言っていた。
 「つまらない」と。「単純」と。
 成る程。それは確かにその通りで。
「………でも、一体どんな夢を見るの?」
 夢見が悪いと言う事は。一体どんな物なのか。
 聞いた後で、少し後悔した。
 
「…………………………深崎君の、えっち。」
 オトメのクチからそんな事言わせないでよー。
 
 あからさまに冗談と判る態度で彼女がニヤリと笑いながら言ったから。
 
 
 
「御免ってー。怒らないでよ深崎君。」
「別に怒ってないよ。」
 
 ただ、意趣返しをされるとは思わなかっただけで。
 それは怒ってるとは言わないのデスカ?
 
 二人で廊下を歩きながら話す。
 外を見れば、グラウンドに大勢の生徒が出て部活をしている。
 深崎も、これから剣道部への方へと顔を出す。
 夏美もバレー部の方へと行こうとしたが、流石にこれは深崎に止められたので大人しく鞄を取りに行く為に教室へと向かう。
「あー。なんか一気に時間が出来るって変な感じ。」
 部活やるつもりだったのにどうしよう。
 自業自得とは言え、苦笑しながら教室に入り自分の席を目指す。
「空いた時間で、素直に寝たら?」
 深崎も笑いながら夏美の隣にある自分の席においてあった荷物をとる。
「玄関まで一緒に行くよ。どうせ僕も部活有るし。」
「ん。ありがと。でもこんな昼間に寝たらまた夜が眠れないよー。」
 どうしよう? と笑いながら教室を出ようとして。
 
 ゴォォォォォォオオオオオオンッッッッ!!!!
 
 文字通り轟音が鳴り響いた。
 
 
 
 まるでゴム板のようにたわんだ床に二人で投げ出されてしたたかに身体を打ち付ける。
「…………約束したろ?」
 どこから出たのか。教室の真ん中から煙が立ちこめ教室の机も椅子も。あちこちに散乱して匆々たる有様で。
「お前の側から、離れないって………」
 煙の中から声が聞こえる。
 少年の声が。
 そして手が伸びてこっちの腕をぐっと掴む。
「もぅ絶対に、お前の側から離れないからな………!!」
 ハッキリした口調で告白する。
 
「……………ソル…………」
 夏美は煙の中から出てきた自分のかつての相棒に、多少頬を染めながら話しかける。
「あの…………」
 側にいる深崎は何が何だかさっぱりワケがわからない。
 が、ソルと呼ばれた少年が言わんとしている事は何となく判り、逆にこっちが少し恥ずかしくなる。
 
 そしてソルが掴んでいる腕を揃って見て。
 
「その掴んでいる腕。あたしのじゃないよ。」
「………えーと。君は、誰?」
 
 やっと煙の晴れた教室で。
 間違えて深崎籐矢の腕を掴んで。
 更に告白までしたソルが綺麗に固まった。
 
 
 
 乱雑している教室で。
 しらけた空気の中。
 3人顔を見合わせて誰からともなく笑う。
「――――っく。」
「―ははっ。」
「あはははははははははっ!!!」
 お互い煙で薄汚れて。
 お互い髪も服もぼろぼろのよれよれで。
 コレで笑いが出て来なかったら嘘になる。
「ヤダもぅソル!! …………感動的な再開の筈なのに!!」
「うるさいな!! オレだってまさか間違えるとは思ってなかったよ!!」
「と言うか、いきなり男に告白みたいな事された僕はどうしたらいいのかな?」
「どうもしなくて、―あはは。良いんじゃない?」
 涙を流しながら3人揃って腹を抱えて笑い転げる。
「それでさ。えぇと。」
 深呼吸してやっと笑いを落ち着かせて、深崎が涙を拭きながら口を開ける。
「んー? なぁに?」
 夏美もはひはひ言いながら目尻に溜まった涙を拭く。こんなに笑ったのは久々だ。
「この、僕の目に前に居るのは一体誰?」
 急に出てきたみたいだったけど。
 
 直球ストライク。
 
「…………誰って…………」
 言われて夏美は視線をうろうろさせながら、ついでに指もぐるぐるとせわしなく動かす。
「…………なぁ………?」
 ソルも、少し困ったように胡座をかいて声を詰まらせる。
「は、話せば長い事ながら?」
 なんと言っていいのやら。
 自分が体験した長い長い話を。
「もしかして。それが最近夢見の悪い原因?」
「なんだよナツミ、夢見悪かったのか?」
 今度は二人して夏美の顔を覗き込む。
「う〜………………」
「なにかあったの橋本さん?」
「なにかあったのかナツミ?」
 そして隣にいるこの人/コイツは一体誰?
 
「………よし。」
 ひとつ頷いて夏美はすっくと立ち上がる。
 
「取り敢えず、教室でよう。」
 この惨状が誰かに見つかる前に。
 
「「…………そーゆー問題なんだね/なのか…………」」
 
 
 
 あれだけの音がして、教室はあれだけの惨事だったのにもかかわらず校舎の中は至って静かだった。不思議な程に。
「まぁ。元々普通に何かを召喚するときも煙くらいは出るしな。今回は力の加減が掴めなくてその余波が振動と轟音となったんだろ。多分。」
「ふーん。召喚術って色々あるものなんだね。」
 サイズの合っていない深崎の服を借りたソルが、呑気にお茶をすすっている深崎に説明をする。
 彼の服は既にぼろぼろだった事に深崎が「それなら目立つよ。」と部活用に持っていた体操服とTシャツの替えを渡してくれたのだ。
 そしてそのまま、夏美の家へと訪れていた。
 最初は夏美も「深崎君は部活があるんじゃ?」と言って逃げようとしたが、いつの間にか息の合っていた二人が揃って「僕はまだこの人の説明を聞いてないよ?」「オレもまだこいつの話を聞いて無い。」と言った為に深崎は部活を休み、そして現在に至る。と言うわけである。
「でも、異世界か………。本当に、そんなものがあるんだね。」
 そんなゲームや絵本と言った夢物語みたいな事が。
 長い話を掻い摘んで聞いた後。
 深崎が居間で出されたお茶を飲みながら口を開く。
「なんだよ。オレが生きた証拠だろ? えぇっと………ふ、深崎?」
 しみじみと遠い目をしながら言う深崎にソルも少し膨れながら出されたお茶を飲む。
「『トウヤ』で良いよ。その代わり僕も君の事『ソル』って言うから。」
 そんな二人をボンヤリ眺めていて夏美が一言。
 
「………………て言うか。何でそんなになじんでいるのかな? キミタチ。」
 
 一瞬の沈黙。
 
「なじんでるって言うか………なぁ?」
「だって。見ちゃったものは信じなきゃいけないしね?」
「だな。」
「そ、そーゆーものなの?」
「そーゆーもんじゃない?」
「そーゆーもんだろ。」
 二人してつらっと笑い飛ばしながらまた会話を始める。
「世の中もっと柔軟に生きないと疲れるだけだぜ?」
「そうそう。あ。ソル? 君、今日はどうするの? これから。」
「そうだなぁ。ひとまず、来る事が出来るのは判ったわけだし。また戻るのも一興かもな。」
「あ。行ったり来たりとか出来るんだ?」
「一応、標を置いてはおくがな。話すと結構長いんだが、基本的には最初に来た術の逆算をしてだな………」
 いつの間にか深められていた?友情に、夏美は何となく所ではない疎外感を感じずには居られない。
(嘘よ………誰か嘘だと言って…………!!)
 こんな漫画みたいに都合のイイ話があるものなんだろうか。
 目の前でいきなり友情を深められても。
 
「………あたし。服、着替えてくる…………」
 そう言って。ふらふらと立ち上がって自室へ戻るだけで精一杯だった。
 
 
「―行ったな?」
「行ったね。」
 夏美がふらふらと居間を出ていくのを確認して二人で顔を突き合わせて小声で話を進める。
 別に近づけなくても良いとは思うが。まぁ気分と念の為と言うところか。
「一応最初に断っておくけどな。この世界に来たときに言った言葉は。アレはナツミに言ったんだからな。」
 思い出して、自分の間抜けさに少し顔を染めてソルが苦虫を噛み潰したように言う。
「判ってるよ。と言うか。僕も男に告白されたなんて思いたくもないし。しかも初対面の人にだよ? 思い出すだけで気色悪い。」
 次に同じ事したら問答無用で簀巻きにして「生きててスイマセンでした」と泣いて叫びたくなる位な事はするからね。
 笑顔でえぐい事をさらっと言い返す。
「……おっまえ。実は結構性格悪いだろ?」
「そう? 言われた事は、無いけどね?」
「――嘘だろ? じゃあ皆騙されてんのかよ…」
 うっわと言いながらソルは更に渋面になる。気付かれていないなんて更に質が悪い。
 
「まぁ。そんな事はどうでもいいんだよ。」
「………オレ的にはどうでも良い訳でもないが。まぁたしかに本題は別にあるな。」
 
 その為に。自分達は感情を押し隠して仲の良い“フリ”までしているのだから。
 
 その本題とはズバリ。
 
『目の前にいる人物と、橋本夏美との関係は如何に?』
 
 まずは敵の認識そこから。
 
 
 
「そもそも。君、橋本さんのこと好きなんだろ?」
 深崎が念の為の確認としてソルを指差しながらお茶に口を付ける。
「でなきゃ、わざわざ告白なんてするか? そう言うオマエはどうなんだよ。」
「僕? 何で一々言わなきゃいけないの? わざわざ君に。」
「テメ……!! 本気で性格悪いぞ、オマエ。」
「別に君に好かれたって嬉しくないしね?」
 にこにこにこ。
 
 第一印象。最悪。
 第二印象。底と思えた所は実はまだまだ浅かった。
 
 対戦勃発。
 
「………まぁ、良い。どうやらナツミの様子から見て恋人って訳でもなさそうだしな?」
 落ち着きを取り戻させるようにソルも一口お茶を飲む。
 仮に恋人だ「った」としても。彼女の性格だ。そう簡単にアイツのことは忘れられないだろう。
「どうかな?」
 けれど深崎も負けはしない。
「もしもそうだとしたら。どうする?」
 にっこりと笑いながら応じる。
「それはないだろ。」
 けれどソルもそう簡単に誘いには乗らない。
「アイツの性格からして、有り得ないな。アイツならまず。恋人、もしくはそれなりに仲が良かったらオマエの事を『トウヤ籐矢』と呼ぶはずだ。」
 だから有り得ない。
 ニヤリと笑いながら椅子に肩肘を置いて深崎を指差す。
「…………かもね。」
「だろ?」
「でも。君も彼女と仲は良いみたいだけど。あの様子からして………そうだな…精々親友くらいかな?」
 以前笑みは崩さずに穏やかに口を開く。
「彼女の喜び様だと、どう考えても君は『恋人』って感じじゃないな。そもそも、それなら彼女は君がここに出てきた時に飛びついて喜んでも良いはずだしね。」
 それもなく、けれどそれなりに仲は良いみたいだから良く見て親友。
 でなくても友人。
 恐れるに足りない。
 
「そもそもさ。ソル。君は何でここまで彼女を追いかけてきたの?」
「はぁ? なんでってオマエ……そりゃ。ナツミに会うためだろ?」
「その為だけに?」
「………………無い事も無いがな。オマエにだけは言いたくないな。」
 
 一触即発。
 
「………フフフフフ……」
 深崎が静かに笑う。
「………ハハハハハ……」
 ソルも静かに笑う。
 
 心の中ではお互いに「コイツとだけは仲良くなれなさそうだ」と思いながら。
 
 着替え終わったナツミがのこのことやって来て「わー。本当に二人とも仲が良くなったんだね。」としみじみと呟くまで。
 
 
Z

 
 
 そうだ。言えるわけがない。
 自分が、なんの為にここに来たかなど。
 
 彼女の、事情など。
 
 
「なぁ。ナツミ?」
「ん? なぁに?」
 あれから暫くして。深崎が帰るのを玄関で見送った後で。
「――オレが、本当はなんの為に来たのか。判ってるんだろう? 何となくでも。」
 ソルが意を決したように真剣な顔で口を開く。
「………判ってるよ……」
 彼とは視線を合わせない為に。背を向けたまま夏美が答える。
 そうだ。薄々気付いてはいたのだ。
 もっとも、それには目を瞑ってただけで。
「本当はな。来るだけなら早く来る事が出来たんだ。来るだけなら、だ。」
「そ、うなんだ………」
 真剣に言うソルの声を聞いているだけで。なんだか泣きたくなる。
 一体ここまで来るのにどんな苦労をしてきたのだろう。
 それは想像する事さえ許されないようで。
「それでも、オレはすぐには来なかった。………何故だか判るか?」
 静かに問い掛けるソルの声が胸にいたい。
 
「おまえを。助けたいからだ。」
 助けに来たんだ。
 
 今になって。バノッサの気持ちが良く判る気がした。
 
 
 人はどうして。諦められないんだろう。
 利己的に、己の望みを追いかけるのだろう。
 
 全てが遅すぎたと判っていても。なお。
 
 
 
 
 思い出されるのは、あの時交わした言葉。
 今でも、鮮明に。ハッキリ覚えてる。
 
 
「ナツミ!! 行くな!!」
 蛍火の様に小さく暖かな光が緩やかに周りを。世界を満たしている時。
 ふわりと浮きかけたナツミの手をソルが掴んだ。
「ソル………」
「行くな!! 行かないでくれ!! ………約束、しただろう………?」
 ずっと側にいると。
 すっと一緒にいると。
 離れないと。
「オレに、約束を……違えさせる気なのか……?」
 語るその目はとても真摯で。見ているこっちが痛くなるほど純粋で。
 
 でも。
 
「違う……違うんだよ。ソル。」
 緩やかにナツミは頭を振る。
「何がだ?!! 送還術の方式の所為か?!! それなら……!!」
 いっそ、送還なんて。しない方が良い……!!
 目の前にいる彼女を失うくらいなら。
 例え、彼女の心に自分が住んでいなくとも。
「違う。違うの。………うぅん。送還術の方式は確かにあたしも逆らえないけど………」
 それでも。ナツミは悲しそうに頭を振る。
「本当は。送還術を発動させなくても良いの。結界を、張り直すことも。出来るの。」
 ただ、その方法だと確かに皆が自由に行き来できるようにする事は出来ないけれど。
 以前と変わる事のない。喚ばれたら喚ばれっぱなしの。還る事も出来ない世界になるだけだれど。
「でも。その方法だと世界は救われないの。変わらないのよ。」
 結局、同じ事繰り替えすだけ。
 またいつかは結界が緩み、世界が崩壊の危機にさらされる。
 
「だが……!!」
 それでも。
 そうだとしても。
 納得は出来ない。
「世界が滅んだって構うものか……!!」
 オマエがいない世界に何の意味がある?
 自分に世界を与えてくれたのは、目の前にいる君なのに。
 
「哀しい事、言わないで………」
 切なそうにナツミが目を伏せる。
「…………………………」
 そんな彼女の様子を見て。ソルは失言だったと歯を噛みしめる。
 
 ソルを見ていると、彼の。バノッサの気持ちが今になって良く判る気がする。
(ねぇ………あなたも。こんな気持ちだったの…………?)
 問い掛けても、答えは返ってくる事は無いけれど。
 そして。言わなければいけない。伝えなければいけない。
 彼の心を少しでも軽くする為に。
 
「御免ね? ソル。」
「………何がだよ………」
 依然腕を掴んだまま放そうとしないソルに、ナツミはそっと呼びかける。
「御免ね。約束を違えるのはあなたじゃないの。ソルじゃないの。」
 そう。彼は何も悪くはない。
 悪いのは、約束を違えるのは。
 彼ではなく、自分。
 
「仮に、あたしがこの世界に残ってもね。どっちにしても、ずっと一緒には居られなかったの。」
 穏やかに。穏やかに。ナツミは言葉を紡ぐ。
「……? 一体、どういう………」
「気付いたのはさ。本当につい最近なんだけどね。」
 あたしも結構鈍いって自覚はあったんだけど。
 まさか今頃気付くなんて。
 そんなナツミの声に、ソルも幾ばくか気を落ち着けて次の言葉を待つ。
「―一緒なの。バノッサと。」
 思い出すのは、彼の言葉。
 “モゥアマリ長クモナイシナ”
 ―ねぇ。あなたが言った時に笑った気持ちが。今なら何となく判る気がするよ。
「あたしね。もぅどうせ、長くはないのよ。」
 気付いた時は既に遅すぎたのだけれど。
 “過ギタ力ガモタラシタ代償ッテ奴ダ。”
 結局、自分も同じ道を辿っている。
 あんなに道が交わる事はないと思っていたのに。
 
「?!! 何故………!!」
 あぁ。ソルも前にあたしが感じた気持ちと一緒なのかな?
 あのね? と穏やかにいっそ微笑みながらナツミは続ける。
 まるで、何か楽しい秘密を打ち明ける様に。
「過ぎた力の、代償なの。」
 
 今まで無かった大きな力を手に入れた代償として。
 
 考えれば単純な事だったのだ。
 彼が、バノッサがそれまでになかった大きな力を手に入れた代償で身体がボロボロになったというのなら。
 一介の女子高生に過ぎなかった自分ではどうなるかなど。
 
「だからね。御免。」
 どちらにしても。君と一緒にいる事は出来なかった。
 
 これが自分の我が儘エゴなのは判ってる。
 自己満足だと言う事も判ってる。
 目の前にいる人をもしかしたらもっと傷つける事になるのかもしれない。
 
 けれどどうか。
 
「そんな…………」
 それでは、もしも自分が…………
 ソルの顔がさっと青ざめる。
「―ソルの所為じゃないよ。」
 穏やかに告げる。
 確かに、自分を喚んだのは目の前にいる彼かもしれない。
 ここに来なければ。こうはならなかったかもしれない。
 でも。
 そうしたら哀しみも。そして喜びも。
 人を好きになると言う事さえ知らないで過ごしたままかもしれなかった。
 それだけはハッキリと言える。
「これは。あたしが選んだ道なの。」
 だからどうか。
 願いを笑顔と言葉に籠める。
「幸せになってね。」
 自分の分まで。
 彼の、分まで。
 
 残されるのは苦しいし、残すのだってこんなに辛い。
 
 心の底から願っているのに。
 
 幸せにすると約束出来ないのはなんて悲しい事なんだろう。
 
 
 
 
 長い沈黙が降りた。
「………助けるって…………?」
 やっとの思いで夏美が口を開く。
「そのままだ。オマエはもう長くないと言った。だから、それを助ける方法をオレはずっと探してたんだ。」
 だから。自分はここに来たのだ。
「そこに。あたしの意思はなくても…………?」
 恐る恐る夏美は口を開く。
「………本気で言ってるのか?」
 静かにソルは問い掛ける。
 それでも。
「…………そうだな。例えそこにオマエの意思はなくても、だ。」
 
 
 本当は。
 
 自分の命も長くないって判って。
 少しも嬉しくなかったなんて言えば、嘘になるんだ。
 だって。そしてら彼に会えるかもしれない。
 彼の元へいけるかもしれない。
 
 実際は、そんな事にはならないって判ってる。
 ただ灰になるだけで彼には二度と会えない。
 だって死ぬってそう言う事でしょう?
 
 判っていながら、そんな感傷に捕まった。
 そんな自分に少し酔った。
 
 なの、に。
 
 涙が出てきそうになる。
「あ、たし…………は………」
 なんて恵まれているんだろう。
 なんて愛されているんだろう。
 こんなにも。
 
「だから。一緒に帰ろう。」
 さしのべられる手。
「あたしは…………」
 彼に背を向けて。そして手で瞼を押さえる。
 
 涙が出てきそうになるよ。
 
 これ以上なくすものなんて無いと思ってた。
 彼が居なくなって。
 この手で、殺して。
 これ以上失って恐いものなんて無いと。
 そう思っていた、のに。
 
 最低だ。
 
 涙が出てきそうになるよ。
 
 それでも 気持ちは未だ彼の元にあるなんて。
 
 それでも 死に別れる位の出会いなら欲しくなかったとだけは、どうしても思えないなんて。
 
 そしてそれでも。涙は出てこないなんて。
 
 
Z

 
 
 「じゃあね。」と別れを告げて。
 ナツミはみんなが待つであろうフラットへ。バノッサはオルドレイクが居るであろう迷霧の森。その先へと帰ろうとして。
「オイ。はぐれ野郎。」
 バノッサがナツミに声をかける。
「ン? 何?」
 何か用? ときょとんとしながらナツミは振り返って。
 視界が真っ白なもので埋め尽くされた。
 それが彼の髪と気付くのに数秒の時間を要した。
 
「ん……んんッ…………っふ」
 苦しい。
 息が出来ない。
 それでも、無理矢理押さえられた手足を力任せに動かして身体ごと引きはがす。
「……ッ………な、にを………」
 息も絶え絶えにつきながら彼を。バノッサを睨む様に見る。
「何で………こんな……こんな…」
 口付けを。
 
「………別に?」
 小さく口端を歪めながらバノッサが口を開く。
「別にって………!!」
「るっせぇな。言っちまえば………そうだな。ただの、戯れだ。」
 ただ無意識に手が動いた。
 ただ。無意識に身体動いただけの。
「―――戯れだ。別に其処に心がある訳じゃない。」
 
 だから。気にするな。
 
 言い放って。バノッサはさっさと歩き出す。
 
「戯れって…………」
 本当に身体はぼろぼろなのだろうか? と思うほどの早さで立ち去るバノッサを見つめながら、ナツミは呆然と立ちつくす。
 口に手を当てて、先程の行為の意味を考える。
「…………何で。」
 心が無いなんて言うなら。
「なんで、そんな事、するのよ…………!!」
 涙が出る。
 嫌だ。
 こんな所で認めてなんかやらない。
「なんで…………」
 言いながら、先程の感触を思い出す。
「なんで………っ!!」
 かなしい。
「なんで。それならこんなに哀しいキスをするの……………?」
 間に、スカーフを挟んで。
 布一枚隔てただけの。キスを。
 
「どうして…………っ!!」
 涙が溢れて止まらない。
 
 言葉をくれるわけでもない。
 言葉を望むわけでもない。
 
 けれど
 
 こんな。
 
「どおしてよぉ………………」
 
 先が無いと判っているが故の。行動。
 
 それでも。
 
 それでも死に別れる位の出会いなら無い方が良かったとだけは、どうしても思えないが故の。
 
 
Z

 
 
 途切れてしまう未来は 絶望を穿つ程に苦しくて。
 
 それでも。
 
 それでもオレは。
 それでもあたしは。
 
 例えそれが自分の我が儘エゴだとしても。
 
 ただ 君に笑っていて欲しかったのです。
 
 
 
 柔らかい日差しが降り注ぐ青空の下。
「………もう終わった?」
 穏やかに、深崎がソルに問い掛ける。
「………あぁ。」
 ソルも穏やかに応じる。けれど、顔は俯けたまま。
「………笑ってたね。橋本さん。」
 最後の最後まで。
「………あぁ。」
 まるでもう満足だというように。
 
「……結局、君の手は取らなかったんだね。」
 近くにあった石に腰を下ろし、深崎がぼんやりと呟く。
「………あぁ。」
 
 
「だから。一緒に行こう。」
 手を出してそう言った。
 一緒に行こうと。助けると。
 一緒に、生きようと。
 けれど、彼女はその手を取らなかった。
「駄目だよ……………」
「?! 何故――――?!」
「駄目、駄目だよ。だってあたしは………あたしの気持ちは………」
 まだ、彼の元にあるから――――――
「―――っ!! それで。それだけで、自分の命はいらないとでも言うのか?!!」
 激高し、ソルが拳を作りドン!! と壁に叩きつける。
「………違う。うぅん。違わないかもしれない。
 ………でも。でもあたしは………」
 そんなソルの様子に、ナツミは自分の身を、心を守るように両手で自分を抱き締めて、緩く頭を振る。
 本当は逃げたくなんか、無い。
「あたしは。」
 腕を降ろし、きちんとソルの方を向いて。
 顔を上げて。しっかり彼を見据えて口を開く。
 でなければ、彼に対して失礼だ。
 
 でなければ、きっと伝わらない。
 
「あたしは。この結果が力を行使した代償だというのなら。きちんと受け止めたい。」
 逃げたくなんか。無い。
「彼も。バノッサも、逃げなかった。」
 最後まで。ちゃんと手を抜かずに戦ってくれた。
 本当はどんなに恐かっただろう。
 どんなに辛かっただろう。
 今なら自分でも判る。
 だって死ぬと言う事はこんなにも恐い。
 でも、彼は最後まで泣き言なんか言わなかった。
「あたしは。」
 そんな彼のように。
「最後まで、潔くありたい。」
 
 人一人の命を奪った結果の代償が、自分の命だというなら甘んじて受け入れなければならない。
 信じてやいないけれども。
 
 それが運命というのなら。
 
 
「…………どうしても………?」
 小さくソルが問い掛ける。
「………ごめんね…………?」
 嘘ではない。
 でも、それだけが信実でも、無い。
 
 本当はね。
 逃げたくないと言うのも、本当。
 でも、哀しかったというのも、本当。
 
 好きで好きで好きで。
 後から気付いても、もう遅い位に心が痛んで仕方なかったのに。
 なのに、段々とその輪郭をぼやけさせていってる自分が其処にいた。
 一日が過ぎる度に、日々の重みが彼の上に積み重なって。
 段々と思い出となっていくのが嫌だった。
 
 まるで自分のこころが死んでいくようで嫌だった。
 
 もっともそれで死を選んだという訳ではないけれど。
 
 それで彼方の元へいけると思ったのもまた揺るぎない事実。
 
「………ごめんね…………?」
 だからといって、目の前にいる彼を傷つけていいという法なんて無いのに。
「………ごめん………」
 結局、2度も彼を傷つけている。
「謝るな……」
 呻くように、顔の半分を片手で覆いながらソルが言う。
「謝らないでくれ………」
 謝られる事の方が、ずっと辛い。
「…………結局………」
 
 
 
「―結局。オレは2回もナツミに振られたというわけだ。」
 深崎の隣にソルも腰を下ろし、二人揃ってぼんやりと空を見上げる。
「―――一緒に生きようという気にさせられなかった。」
「………でも、彼女はきっと君に会えて嬉しかったと思うよ………?」
 最後の最後で、自分が『相棒パートナー』と呼んだ人にもう一度会う事が出来たのだから。
「……だと、いいけどな………」
 言って、目の前に鎮座しているただの御影石に目をやる。
 ここに、彼女の心は無いというのに。
 あるのは、ただの灰と骨だけだというのに。
「本当はさ。絶対墓参りなんかしてやるもんか。って思ってたんだけどな。」
 苦笑しながらソルが口を開く。
 ここにあるのは、ただの感傷だけで。
 見れば辛くなるだけの所になど。誰が来るかと。
「でも。橋本さんなら来てくれて嬉しいと言うと思うけど?」
 そうであって欲しいと、自分が思っているだけなのかもしれないけれど。
「……さぁな………」
 だと、いいんだけどな。
 言って、それでも自分は。とソルはバノッサを思い出す。
「それでも。オレはオマエよりは幸せだ………………」
 小さく小さく呟く。
「―――え? なんだい?」
 何か言ったかい?と深崎が聞き返してくる。
「―――いや? なんでもないさ。」
 軽く笑って、立ち上がってズボンの砂を払い落とす。
「―そろそろ行くかい? ずっとここにいるのもなんだし。」
 日射病になっちゃうよ。
 深崎も立ち上がって、笑いながらソルを促す。
「―だな。」
 誘われるがままに、二人で墓所から立ち去っていく。
 
「なぁ。どうでもいいんだけどな。借りたこの服。随分と首の辺りとか窮屈なんだよな。いい加減ボタン外してもいいか?」
「―良いと思うけど。もっとも、その前にネクタイ緩めないときついままだと思うよ? そもそも君、変にしっかり締めすぎてるから首がきついんだよ。」
「――なっ?! なんだよ早く言えよ。そーゆー事は。………オマエやっぱり性格悪いな」
「何を今更。」
 そんな他愛ない会話を交わしながら。
 
 
 
 
 薄れて 揺らいでも
 想いが消える事だけは きっと 無くて。
 
 …ねぇ 君が本当に すきだったよ?
 
 どうしようもない位に。
 
 
 
「それでも。オレはオマエよりはずっと幸せだ………」
 彼女の最後を、看取る事が出来たのだから。
 
 
 それでも、死に別れる位の出会いなら欲しくなかったとはどうしても思えない程に。
―了―


くっらいなぁ!!(ぎゃんすか

つーか馬鹿でしょうソル!!
おいおいまさか告白する相手間違えるかね?とか思いながら書いてました。エヘ☆(ォィ
籐矢は何だか妙ーに腹黒さん?ポイのに詰めが甘いですねぇ。要精進。(私が
そしてどうにも暗いですね………。こりゃこりゃ。
ネタ的には、ふと思いついて書きたいーとか思い場所をだれだれ書いたモノなので、
話的にはまだまだですね。ギャフーん。
いつも長いものが更に長くなってしまいました。スイマセン。
020603 UP

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