「あたしもねぇ。昔は色々あったんだよー。」 夜中。 いつも通りに月を見る為に屋根に登ってぼんやりしていたら、彼女がひょっこりやってきて、つとこう言った。 印 度 素 馨
そもそもの始まりは、他愛のないことで。 「お前ってさー。いっつも笑ってるよな。」 昼間。暖かい光が刺す下で昼食を皆でとりながらガゼルが何気にこういった。 「えー? そっかなぁ。」 言われた本人は大して気にした体もなく、頭をぽりぽりと掻きながらまた笑う。 「そうねぇ。カシスはいつも笑っているわよね。」 「あー。リプレまでそんな事言うの? ひどーい。」 それじゃあまるであたしが脳天気みたいじゃない! ぷぅっと頬を膨らまして、少女。カシスは抗議する。 「そうだよねー。カシスはいーっつも笑ってるよね!」 「…………(こくん)…………」 その場にいたフィズとラミも同意する。アルバは御飯に集中していて口を挟めない。 「もーっ! なによみんなして! トウヤもなんか言ってよ!!」 ガーッと元気よく怒りながら自分の相棒である異世界の少年、トウヤの袖を掴み、がくがくと揺する。 「―ッと。………そうだなぁ………脳天気、ではなく………」 「でなくて?」 次の言葉がなんなのか。期待を確信でもしているかの様な眼差しでトウヤを見上げる。 その目には、星が幾つも散らばっている。 「………うん。カシスは脳天気、って言うか何も考えていないんだよ。」 それか楽天家なだけだろう? 「…………………ゃぁ」 カシスがぽつりと呟く。 静かに肩も震わせながら。 「アレ? どうかしたかい? カシス」 にこやかに笑いながら話しかける自分の相棒に、カシスはキッと顔を上げて。 「それじゃあ『脳天気』となんら変わりがないでしょーが!!」 ―スパーン。 小気味よい音を立てて、トイレのスリッパ攻撃がトウヤの頭目掛けて華麗に炸裂した。 「普通に『明るい』って言えば良かったのにねぇ。」 「て言うかトイレのスリッパなんかどっから出したんだ?」 「やだガゼル。それはお約束でしょう?」 因みにこれは。 スリッパ攻撃に沈むトウヤにその場に居たフラットメンバー達の愛あるお言葉。 Z
「あぁもう! 信じられない!」 そうして夜中。 今日も一日がそれなりに無事、平穏に過ぎ。 既に日課となっている深夜のお月見に、コレも通例となっている様にカシスが前触れもなく現れてまた文句を繰り返した。 「………まだ怒ってるのかい? 昼間のこと。」 つらっとした顔で、トウヤは見上げていた月から視線を外し、カシスへと目を向ける。 既に寝る直前だからか。彼女も自分も湯浴みを済ませ、楽な格好に着替えている。 「あったりまえよ! もー。なによ!まるであたしが何も苦労していなかったかの様にさぁ!!」 とすんとトウヤの隣に腰を下ろし、があっと元気に怒る。 コレだから。 「だって。そんな風に反応するから『脳天気』って言うんだろう? 皆も。―僕も。」 相変わらずさらりと言葉を紡ぐ。 もっとも。それでも少しは知っている。 彼女が全く苦労をしていないわけではない、と言う事位は。 少なくとも、自分ではない、何かを呼ぶ為に生け贄になっていた事位は。 それでも彼女の全てを知らない自分は、今の彼女から受け取られるイメージはやはり前述とそう変わりはしない。 ただ。 「もーっ! あたしだって、別に苦労していないワケじゃないのよ!」 ぷんすか怒る彼女を見ながら、ふと考える。 唯一つ。気になることが、無いわけでも、ない。 「うん。そうだろうね。」 何気なく。ただ思ったままに言った言葉。 けれど。彼女はそこで静かになった。 「……? どうかした?」 急に静かになったカシスを覗き込むようにトウヤは見つめる。 「………今、何て言ったの………?」 小さい声で、カシスが呟く。 「『どうかした。』」 「じゃなくて。その前。」 「あぁ。うん、だから。君が苦労をしていないワケでもないことは、知ってるよ。だって生け贄だったんだろ?」 僕にはそれがどんな思いかは想像するしかないけど。でも、やっぱり嫌なんじゃないかとは思うよ。 「……それだけ?」 「うん。だって僕は君ではないからね。」 「そっか……うん。そうだよね。」 本当は。 『僕は君ではない』というのはイコール、『君ではないから。教えてくれなきゃ判らないよ。』という意味を込めたつもりだったのだけれども。 けれど『そうだよね』と呟いたときの。カシスの顔は。 何故か。ホッとしたような感じだったのがとても印象的で。 裏の皮肉なんか割とどうでも良くなってしまっていた。 Z
「あたしもねぇ。昔は色々あったんだよー」 膝を抱えて。月を見上げて。 お互いそれ以後特に会話を交わすこともなくぼんやりしていたら、彼女がぽつりとこう言った。 「……色々って………?」 矢張りお互い視線を月から外すこともなく。 なんとなくで会話を続ける。 「そうだなぁ。…うん。色々だよ。例えば、兄妹同士で争うとか。」 「そうか……僕には、生憎と兄妹は居ないから判らない感じだな。」 「ふーん。」 「だから。姉弟が居るって言うのは少し羨ましいかもしれないな。兄妹喧嘩だって、してみたいよ。」 「そう? ―でさ。その喧嘩の結果が、魔王召喚の責任者だったりしてね。」 ころころと笑いながら告げる言葉に、トウヤは目を見張った。 「……それって……」 「うん。……生け贄をね。選ぶための……」 ぽつりと呟かれた言葉。 それはどんなに辛いものかは判るものではないけれど。 それでも。カシスは笑っていた。 いつもと変わらない笑顔で。ただ笑っていた。 Z
唯一つ。気になることが、無いわけでも、ない。 ぼんやりとしていたそれが。 今ハッキリと形作った気が、した。 「どうして……」 「ん?……え、あ。うわっ!」 その笑顔には何の感情もなくて。ただただ空虚でしかなくて。 気付いたら、思いっきり抱き締めてた。 「あ。あのさー。……どしたの?」 ペチペチとトウヤの頭を叩く。 「……どうして……」 今までいつも見てきた彼女の笑顔。 実際、自分には彼女が良く笑うという印象しかない。 それ、なのに。 今はその笑顔が、全てのモノを諦めてきた結果としか見えなくて。 人は辛いことを話す時笑うと言うけれど。 それはきっと泣いてしまいそうな自分を誤魔化すためだとか、 大丈夫だからと心配をかけさせないためだと思う。 けれど彼女は。そうではなくて。 判ってしまったんだ。 今まで何となく思っていた疑問。 カシスの。彼女の笑顔にはどこか裏がある。 自分と似通った印象が、ある。 それはつまり。他者に触れられたくないときの、 ―防壁。 淡々と笑いながら告げる事の出来る彼女のは、正にそれでしかなく。 「ねぇ。どうしたの?」 少し困ったような顔を作りながら、カシスがトウヤの頭だけではなく、今度は背中もをペチペチと叩く。 段々と力の入っている腕の所為で身動きが取れないばかりか、痺れてもきている。 「………どうしてかな………?」 「ん?」 ゆっくりと埋めていたカシスの肩から顔を上げて、彼女と向き合う。 「なにが?」 きょとんとしながらカシスはまた少し笑う。 それを見て、トウヤはまた少し眉を曇らせる。 「………僕は、そんなに信用がないかな……?」 「――――え?」 僅かに狼狽したカシスに構わずにこつんと、彼女の額に自分の額を併せて呟く。 「ねぇ。」 「う、うん?」 「………無理して笑わなくてもいいんだ。」 辛いときは辛いって言ってもいいんだ。 イヤなときはイヤって言ってもいいんだ。 諦めなくても、いいんだ。 「………だからさ。居ないふりなんてしなくても、いいんだ。」 自分の存在まで諦めなくて、いいんだ。 「例えどんなに弱くても。どんなことがあっても。君は君だろう?」 そうして。腕の中にいる彼女を。 また強く抱き締めた。 Z
「…………………」 カシスは動けなかった。 トウヤが抱き締めているのも、ある。 それと身体が少し痺れているのも。 でも。 それよりも彼の、トウヤの言葉の方がショックだった。 でも。このままでは。 目をぐっと強く瞑って、大きく息を吸う。 そして僅かに感覚のない指を動かして、トウヤの肩に手を置く。 そのままゆっくりと併せられている彼の額から自ら離れて。 「―カシス?」 少し不思議そうにこっちを見たトウヤに。 ―ごん!! 思いっきり頭突きを咬ました。 Z
ぐっと腰に手を当てて立ち上がり、自信を持って胸を張る。 真っ赤になった額と、微かに滲んだ涙は無視をして。 「なぁに言ってるのよ!」 大きく息を吸って景気よく言い放つ。 「あたしがいつどこでトウヤを信用していないって言ったのよ!」 見くびらないでよね! はんっとこれまた景気よく息を吐き捨ててすたすたと屋根の出入口の近くへと歩を進める。 「―あたしは。あたしは! 居ないふりなんてしていないんだから!!」 一度だけ強くトウヤを見てから屋根を降りる。 そして言われた当人は。 景気のいい頭突きをまともに喰らって、言葉もだせずに蹲っていた。 Z
(ビックリしたビックリしたビックリした〜〜〜〜〜!!!) 勢いよく屋根を降りて、自分の部屋へと駆け込んで。 やっと一息をつく事が出来た。 (まずったなぁ…………) 大きく深呼吸をして、あちゃぁと頬を掻く。 まさか。見透かされるなんて思っても見なかった。 今まで、誰も気付いていなかったと思っていたのに。 「………痛っ……」 ふと。走った痛みにカシスは顔をしかめる。 見れば腕のあたりが微かな痣になっている。 トウヤが抱き締めた、そのあたり。 「……っ、ふふ。あははははははは」 その痣を見て、思わず込み上げてきたままに笑う。 「やっぱり。あたしはまだあたしのままなのね。」 だってほら。自分はこんなにも痛みに鈍感だ。 痣になるほど強く抱き締められても、微かに痛いとしか思っていなかった。 「ふふ。あはははは。………はは………っふ」 お腹を抱えて声が出ないほど笑って、そのうち気付いた。 「ふ…………っく………」 思い出すのは彼の言葉。 『………僕は、そんなに信用がないかな……?』 違う。 『………無理して笑わなくてもいいんだ』 違う違う。そうじゃない。 (でも駄目………駄目なんだよ…………あたし。あたしは……………!!) 彼を。トウヤを。 受け入れることだけは、決して出来ない。 信用出来ないのは彼ではない。 本当は、自分自身。自分の過去。自分を形作っているモノ全て。 自分が信用出来ない。 だから。 「今更悔やんでも仕方のないことだけどさ…………」 過ぎ去った時間は巻戻ることはない。 今の自分を構成したモノを捨てられるわけはない。 「……あたしは強いの。まだ笑っていられるもの。」 そうして。口元に手を当てて、自分が笑っているのを確認する。 (だからお願い。見透かさないで。) 自分でも隠しておきたい。弱い自分を。 自分でも認めたくない。弱い自分を。 でなければ。きっと。 そのまま蹲って、床とキスが出来る位にまで額を地面にあてて。 そうしてカシスは。 声も出さずに静かに泣いた。 Z
「だって。判ってしまったんだよな。」 未だ屋根の上。トウヤは赤くなった額を抑えながらぽつりと呟いた。 「何が?」と言ったときに微かに見せた彼女の笑顔。 微かに狼狽えたときさえもまだ笑っていた。 アレもつまり偽りの笑顔。 弱さ辛さを押し隠した仮面。 だから、抱き締めたくなった。 力強く、思いっきり。抱き潰したくなった。 笑っていなければ壊れてしまうと思っていることに気付いたから。 そんな事無いと教えたかったから。 強さも弱さも全てひっくるめたそれ自身が、彼女だと教えたかったから。 屋根の上。膝を抱ええて顔を上げ、口を開く。 「………カシスの昔に何があったとか。まだ何かを隠してるかとかなんてさ。」 部屋の中。窓際に近付き顔を上げ、言葉を紡ぐ。 「………あたしの昔に何があったとか。まだ隠していることがあるとか。」 月を相手に見立てて。 見えないあの人に話しかけるように。 「「……もしも。秘密を知ったとしても。」」 「また言ってくれるの?」 「何度でも言えるのに。」 ―どんなことがあっても、君は君だと― Z
「こんな日は思い出すな。」 昔聞いた花の名前を。 その花がもたらすと言われているという効果を。 涙を流し続けて、傷ついた魂を癒すと言われた花のことを。 「………もしも。」 「もしも出来ることなら。僕の言葉が。」 月に願いをかけるように、トウヤは呟く。 「傷ついた心を少しでも癒してあげられればいいのに。」 そうであったらどんなにいいか。 白い可憐な花を咲かせて人々の心を癒すプルメリア。 願わくば。彼女の心が少しでも癒されますように。 ―了―
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