ある日突然。誘われるままに連れられて。

「……………」
 あぅあぅと、口をぱくぱくさせて、真っ赤な顔で震えながら指を前に突き出す。
「……はぐれ野郎? 何で手前ェがここに居んだ?!」
 バノッサが、驚いたように怒鳴る。けれど、それすらも今はどうでも良い。
「………な………」
「あぁ? なんだよ先刻から。」
 尚も口を開けたまま、なにも喋らないナツミに業を煮やしたのか。不機嫌な声音で急かす。
 そうしてそのまま、使い終わったタオルを近くにあった椅子にバサリと投げる。
「な、んで……」
「あ?」
「何で服を着てないのよ!! バノッサ――――――!!!」
 服を着てよ馬鹿―――――ッ!!
―スッパーン!!

 外は晴れ。室内なかは急転直下。
 疾風怒濤の大雨の様に、ナツミのビンタがバノッサに降り落ちた。

「手前ェ……イキナリ俺様の家に上がり込んでやがると思ったら!! ナニしやがる!」
 突然はり倒された頬を押さえながら、バノッサが怒鳴る。
「何ってそれはこっちの台詞よ!! 何で服着てないのよ!! 服着てよ!!」
 ナツミも、バノッサに負けない大声で怒鳴りかえす。その顔は、依然真っ赤なままだ。
「あ゛ぁ゛? 何だって、俺様が手前ェの指図を素直に受けなきゃならねーんだよ」
 大体今更。気にする事でもねーだろ。
 へっと笑いながら、バノッサが手近にあったソファーにどっかと座る。
 やはり上半身は裸のまま。
 ついでに、テーブルに置かれていた珈琲に手を伸ばす。
「今更でも何でも! こっちが恥ずかしーのよ!!」
 だから服着てよこの馬鹿変態露出狂―――――!!
 むーっと眉を寄せながら、バノッサに一息で抗議する。
 いくらいつもの格好が上半身半裸に近くても。
 いくらいつもエドスの上半身裸を見ていても。
 それでも、やっぱりいつもと違う格好でいつもと違う様子なのはどこか照れくさい。
 (それに………)
 それと。その首と、鎖骨の間辺りに赤い斑点がついている事にも。

 例えそれが。自分が付けたものだとしても。
 否。寧ろ、自分が付けた物だからこそ。

「誰が馬鹿で変態で露出狂だ、このはぐれ野郎。喧嘩売ってんのか? 手前ェ。どっちにしてもこっちは風呂上がりなんでな。暑いのは御免だ。」
 ハッと鼻で笑いながら珈琲を飲み、おそらくカノンが置いたのであろう。テーブルの上に置いてあった新聞にさらりと目を通す。
「大体手前ェ。何だってこんな所にいやがるんだ?」
 カタン、と珈琲のカップをテーブルに置きながら、バノッサがナツミを見据える。
 少なくとも、ここはナツミたち南スラムの人間が知っている場所ではない。

 そう。ここは北スラム。
 その中でもオプテュスメンバーさえろくに知られていない、バノッサとカノンが暮らしている場所。

「あ。それは……」
「僕がお連れしたんですよ。バノッサさん。」
 自分がここにいる説明をしようとしたナツミを庇うように、ひょっこりと顔を出したカノンが口添えをした。

 青天霹靂

「カノン? 何だってお前が?!」
「あははは。バノッサさん、意外に早く起きたんですね。まだ寝てるものだと思ってたんですが。」
 呆気にとられたようなバノッサとは対照的に、にこにこと笑うカノン。
「寝てるってお前。もう昼近いだろーが」
「だって、昨夜、ってもう今朝かな?朝方に帰ってきたじゃないですか。だから。」
 てっきりまだ寝ているものだと思ったんですけど。
 にこにこにこにこしながら、「何で遅くなったのかは知りませんけどね?」と言う。その目が実は笑っていない、と思うのは気のせいだろうか。
 そして、カノンのその言葉にナツミがわたわたして遠くの方に目を向ける。
 その顔は耳まで真っ赤だ。
「……で? それとこのはぐれ野郎と、何の関係がある?」
 カノンが笑っているようで、実はあまり笑っていない事は日常茶飯事なので、それは無視しながらバノッサがうんざりしたようにナツミを指差す。
 実際、カノンがいれば確かに彼女がここに来る事は可能だが。それにしたってくる理由が判らない。
「あぁ。そうでした。…お姉さん。失礼しました。お茶もお出ししませんで。」
 言われて気がついた様に、カノンがくるっとナツミの方を向いて言う。ついでにバノッサが投げ捨てたタオルも回収して、パタパタと部屋を出ていく。
「おい! カノン!!」
「今、お茶を入れてきますので。バノッサさん、お姉さんを苛めちゃ駄目ですよ?」
 呼び止めるバノッサに、カノンはニコニコと釘を刺して台所の方へと向かう。
「ケッ。勝手にしやがれ。」
 何を言っても梨の礫。
 カノンにいいようにあしらわれて、すっかりふて腐れたバノッサがソファーに音を立てて座り直すのを見て、ナツミが肩をすくめて小さく笑う。
 何というか、微笑ましい。
「あぁ? んだよはぐれ野郎。ナニ笑ってやがる。」
「別に? ただすごく仲が良いなぁ、って。さすがは『義兄弟きょうだい』だね。」
「………アレは、『仲が良い』とは言わねぇ気がするが……」
 ニコニコしながら言う夏美とは対照的に、やり込められた事もあって、多少苦々しげにバノッサが言う。確かに、付き合いだけは長いのだが。
「それにさぁ。この部屋も。なんだか沢山本があるよね。新聞も読んでるみたいだし。少し意外。」
「……どーゆー意味だ。そりゃ。」
 俺様が本を読む事がそんなに意外か。
「んー。やっぱりちょっと、ね。意外な感じ。」
 だって、あんまり本とか読む印象受けないんだもん。
 そういって、部屋の中を見回す。
 外から見た時は、割と古そうな印象は受けたが、中はカノンの手が入っているのか。そんなに古いとか、脆そうといった印象は感じない。
 そして、この部屋に置かれている物。
 壁に直接備え付けられている書棚には、元の家の持ち主の物か、それともバノッサが入れたのか。ぎっしりと本が詰まっているし、近くの棚を見ても、何やら見たことのない物ばかりが置いてある。
 もっとも、ナツミにとってこの世界にある物の殆どがそれまでに見たことのない物ばかりなのだけれども。
 それでも、フラットのアジトでも見たことのない、ハードカバーの難しそうな物ばかりで。
「…別に。俺様だって一応字の読み書きはできる。それに……」
「? それに?」

 それに、召喚術の力が欲しかったから。
 だから、自分は今までそれなりにできることをして来たのだ。
 とはいえ、世襲制である召喚術の事は、一般人には秘密にされており、ましてや幾ら親が召喚士とはいえ、捨てられた自分にはその力を学ぶ術はなく。
 偶に街の外へ行き、襲ってくる外法士などを倒した時に手に入る召喚術の道具や、読めもしない、また、仮に詠めても使う事もできない、役にも立たない書物だけが溜まっていくばかりで。

 それでも、未練がましくそれらの物を捨てると事も出来ない自分の、なんと卑小な事か。

「どしたの?」
「……なんでも、ネェよ……」
 きょとん?として首を傾げるナツミを見ないように、顎に手を当ててそっぽを向く。
「………そう?」
「……ッせぇ。しつけぇぞはぐれ野郎。大体手前ェ。ここに何の用できやがったんだ。」
「あ。あー………それ?」
バノッサに言われて、わたわたと手を動かし、その後でもにょもにょと指を顔の前辺りでグルグルさせる。
「あ゛? 何やってやがんだ手前ェ。」
「あ、ハハハ。あの、さー………言わなきゃ、駄目?」
「はぁ? テメ本気で何言ってンだ?」
「う゛――――――」
 ナツミが、物凄く言い難そうに口を開いた所で、
「あはははは。お姉さんを苛めちゃ駄目って言ったじゃないですかバノッサさーん♥」

―どごぉっ!

「きゃぁぁぁ! バノッサ?!! ………カ、カノン………?」
「あ。大丈夫ですか? お姉さん♥」
「え? あたしは別に何とも………そ、それよりも! バノッサが!!」
「あぁ。バノッサさんなら大丈夫ですよ。」
 きっと、こうなる運命だったんですから♥
 そうして、ナツミの窮地?を救うべくやって来たカノンに、バノッサは踵落としを力一杯喰らうのだった。

 ―合掌。

+++


 偶に、ふと思う事がある。
 この世には『運命』という物が存在するのかと。
 あがらう事など出来ない、手に入れる事も出来ない。
 そうやって、他人ひとの人生を左右させ、ふっとその存在を忘れた時に、思い知らせるかのように悲しみや喜びを連れてくる。
 そんなどうしようも無い、気まぐれで、傲慢な。

 (だから、今のこの状態も運命だと……)
「んな理由あるかぁぁあ!!」
―がばぁ!
 何かに弾かれたように、いきなりバノッサがナツミの膝から起きあがる。
「ぅわ。バノッサ大丈夫ー?」
「ったりめーだ!! それよりテメこのカノン!! お前力一杯やるたぁどういう了見だ!! お前、鬼人の力引いてンだろーが!!」
 おかげでちょっと意識飛んだじゃねーか!!
 ビシィッと指差すバノッサに、カノンは全く動じずに、
「うわぁ。それは格好悪いですね。バノッサさん。あの程度の攻撃なんて、バノッサさんなら大丈夫だと思ったんですが。まさか、それで気絶なんて格好悪い事。あまつさえ、それを根に持つなんて事、バノッサさんがするわけないですよね?」
 ―ね?
 にこやかに。笑顔の圧力で押しとどめたのだった。

「う………た、たりめーだ!!」
「さっすがバノッサさん♥」
「わー。カノンすごーい。」
 ぱちぱちぱちぱち。
 笑顔で、バノッサを言いくるめるカノンを見て、ナツミは感動し、賞賛の拍手を贈った。

「それはさておいて。」
 うやむやの内にバノッサは言いくるめられ、カノンにひとしきり拍手を贈った後、ナツミはくりっとバノッサに向き直り、
「あ? 何だ?」
 いぶかしむバノッサの額にそっと手を当てる。
 髪を掻き分け、そうっと手が髪の毛の中にまで移動し、顔が近付く。
「…っおい。はぐれ野郎……」
「黙ってよ。バノッサ………」
 言いながら、ナツミの手はなおもバノッサの髪の毛を掻き分けてゆっくりと進む。
―そして、目的の場所に手が移動した時。
「―っ!!」
 バノッサが息を飲む。

「あーぁ。やっぱり瘤になってるよバノッサ。さっきも数秒だったけど、落ちてたしね。」
 正直に言えばいいのに。素直じゃないなぁ。
 そう言って、バノッサの額にピンッとでこピンをする。
「でも、これくらいなら平気そうだよね。ちょっと切れてるけど、血も、もう止まったみたいだし。」
「テッメ……!!」
 バノッサがはじかれた額を抑えながら怒鳴る。
 心なしか、いつもよりも顔が赤い気がするのは気のせいか。
「何よー。落ちてる時は大人しかったのに。」
 ぷうっとふくれるナツミを見て、バノッサはさっきの自分の状況を思い出す。
(そう言えば、さっき起きあがった場所は………)
 勢いよく起きあがって、そのままカノンへの抗議に移ったので気付かなかったが。アレは。
 あの場所は。

「はーいはい。落ち着いて下さいバノッサさん。それと、ハイ。」
 放っておくとすぐに怒るバノッサを押さえながら、カノンがお茶を入れるついでに持ってきた物をバノッサに差し出す。
「……なんだ?」
「バノッサさんのシャツですよ。いつまで上半身裸のままで居るつもりですか? 風邪引きますよ?」
 広げたそれは、確かに自分の―白い、ワイシャツ。
「あぁ? 別にこれくらいで風邪なんざ……」
「お姉さんも。居るんですよ?」
「…判った。」

(わー………)
 静かな威圧感でカノンがバノッサを言いくるめる様を見て、ナツミはなんだか微笑ましくて笑いが込み上げる。
 なんだか、リプレを思い出すような感じはあるけれど。

 ―それにしても。
「……バノッサって。本当に白いシャツとか着るんだー。」
 しみじみと、感想を漏らす。
「あぁ? どういう意味だ? そりゃ。」
「え? やー………だって。バノッサって、もっとこぅ。黒とか、赤とか。皮とか、銀とか。後は羽根とか? そんなのが付いた服とかを着そうなイメージがあったんだもん。」

 なのに、今着ている服は、下はジーンズで上は白いワイシャツ。

「すっごい意外な感じ。」
「手前ェ……一体俺をどんなイメージで見てたんだ?」
 目を大きくして、驚いたように言うナツミに、バノッサは多少どころではなく、物凄く呆れた様に聞き返す。
「どんなって………えーと。か、顔色の悪いヴィジュアル系?」
「なんだそりゃ。」
「―て言うか公式でそんな風に書いてあったんだもん!!」
「だからなんだそりゃ!!」
 しどろもどろに答えるナツミに、バノッサは顔に「?」マークを浮かべて聞き返す。
「なのに、実は意外に本とか読んだりしてるし。服は爽やかさんだし。すっごい意外。」
「一々強調して言うな!! 大体手前ェは何しにここに来たんだよ!! 用件は一体何だ!!」
―用件。

「あぁ。そうだった。」
 ぽんっと思い出したように手を打ち、カノンが入れてくれたお茶に手を伸ばす。
「あたし、カノンが入れてくれたお茶を飲みに来たのよ。」
 にこやかに言いながら、お茶をゆっくりと飲み干す。
 入れてくれたお茶は、匂いもよく、温度も最適でとても美味しかった。
「あ゛ぁ゛?」
「そうですよ。お姉さんは、僕のお茶を飲みに来たんですよ。ね?」
「ねー?」
 いぶかしむバノッサをよそに、カノンもナツミに同意する。

(わざわざそのために、北スラムくんだりやって来たっつーのか?)

 バノッサの頭の中は、いまや不思議でいっぱいだ。

「さて。美味しいお茶も頂いたし。もうすぐ日も沈むからそろそろ戻んなきゃ。」
 パンパンと膝を叩いてすっくと立ち上がる。
「珍しい物も、見れたしね?」
 そう言って、笑いながらバノッサを指差す。
「あぁ? どういう意味だ? そりゃ。」
「んー? そのまんま、ッかな?」
「あはは。お送りしますよ? お姉さん。」
 先程の疑問そのままに、バノッサが不機嫌そうに聞き返すが、ナツミもカノンも笑って取り合わない。
「えぇ? いいよぅカノン。一人で帰れるって。」
「でも、ここから帰る道知ってますか? 行きは僕が連れてきましたし。」
 それに、他のオプテュスメンバーに見つかったら、色々と面倒そうですし。
 そう言って、カノンも立ち上がる。

 因みにバノッサは展開の早さにさっぱりついていけないのと無視されっぱなしでふて腐れ中だ。

「うーん。……御免。判んないかもしれない………」
 苦笑いしながら、頬をぽりぽりと掻く。
 自慢じゃないが方向音痴の自覚なら多分に、ある。
「ハッ。手前ェ、方向音痴かよ」
 バノッサが笑いながら指差す。
「なによぅ。自慢じゃないけど、決まった道以外はさっぱり歩けないのよ!」
 自分の住んでる所でも、ちょっと外れた道を歩くと途端に家に帰れないんだから!!
「お姉さん。それは本当に自慢になってないです。」
「て言うか。自分の住んでる所でも、ちょっと外れただけで家に帰れネェのかよ………」
 やはりにこにこしながら突っこむカノンと、額を抑えて呻くバノッサ。
 鈍臭いだろうとは思っていたが、まさかここまでとは。
「あはは。しょうがないですねぇ。ではやはりお送りしますよ。―バノッサさんが。」
「あー。どうもありがと………ん?」
 ―あれ?
 (いま、「バノッサが」って言わなかったっけ………?)

 ―沈思黙考。(ぽくぽくぽくぽく)
 ―理解。(ちーん)

「―って。え゛ぇ゛?!!」
「カノン! なに勝手に決めてやがる!!」
 ナツミがぐりっと首を思いっきりねじ曲げて驚き、バノッサもカノンの言葉に思いっきり突っこむ。
「だって。僕はこれからいままでバノッサさんが寝ていた所為で出来なかったこの部屋の掃除をしたいですし。それにはバノッサさんはちょっと邪魔ですし。僕が掃除をしている間はバノッサさんも暇でしょう?」
 ですからほーら。丁度良い。
 結構無茶苦茶な三段論法でカノンがにこやかに言い放つ。

「「あたし(俺様)の意志は?!!」」
「ハモるなんて、仲が良いですね二人とも。」
 それでは気を付けて行ってきてくださーい。
 ずるずるずるずる。
―ポイッ
 ばたん。
 正に有無を言わさず。
 ナツミとバノッサの二人は、力強いカノンに引きずられて、あっさり家から追い出されてしまった。

「……カノン……リプレ・ママ2号光臨…………?」
 そのカノンの態度に、リプレと共通する物を見いだし、ナツミはそっと涙する。

「カノンの野郎……何考えて…」
 ぽいっと投げ出された時に、軽く打った頭をさすりながら、バノッサが呻く。

―ガチャ。
「あ。それと、バノッサさん。お姉さんと一緒の所だけじゃなくて、その格好を他のメンバーに見られない様にして下さいね? 興醒めですから。それと、お姉さんを絶対に!苛めたら駄目ですよ?」
―ぱたん。

…………………………………………………

「………行こっか………」
「………あぁ………」
 カノンがひょっこり顔を出して、またぱたんと閉められたドアを呆然と見つめながら、二人はのろのろと立ち上がり、その場を後にした。
 興醒めってナァなんだ、とか。別に苛められた覚えはないんだけどな。とか心の中で呟きながら。

「はー。」
 二人が行ったのを確認して、カノンはホッと胸をなで下ろす。
 どうやら、上手くいった様だ。
「こうでもしなきゃ、お姉さんとバノッサさんが二人きりになんて、なりにくいですしねー……」
 本当は、自分もナツミの事が大好きなのだけれども。
 でも。
「でも、お姉さんはバノッサさんと一緒にいると、なんだか楽しそうだし。」
 それに、バノッサも。
 ナツミと居ると、あのトゲトゲとした空気が和らいでいるから。
 それなら。

「それなら! 僕は今の間にこの部屋を思いっきり掃除するしかありませんよね!!」
 腕まくりをして、もしもあるならおでこに鉢巻きも巻き付けんばかりの勢いで、カノンがバケツと雑巾を手に目を輝かせる。

 ―カノン。
 バノッサの義弟おとうとにして、見た目可愛いシルターンの鬼人と人間のハーフ。
 その実体は、バノッサの世話と、掃除洗濯に情熱の殆どを注ぎ込む。一風変わった17歳であった。

+++

 夕暮れの中。人通りの無い道を二人だけで歩く。
 ぼんやりとお互い言葉も交わさぬまま、ただ静かに。
 もうすぐ、北スラムの出口。
「なぁ………」
「ん?」
 なんともなしに、バノッサが口を開く。
「……何?」
 それまで隣にいたのを、てててっと小走りで駆けて、バノッサの正面に立つ。
「あぁ………」
 本当は、何か言いたい事があった訳ではないのだが。
 少し考えて、思いついた事を口に出す。
「手前ェ。本当は今日。何しにきやがったんだ?」
 その言葉に、ナツミは一瞬きょとんとして、その後はーっと溜め息をつく。
「……ンだよ。その態度は。」
 バノッサも、ちょっとむっとして眉根を寄せる。
 そもそも、わざわざカノンの入れたお茶を飲みたい為だけに、危険を犯して北スラムまで会いに来る訳がない。
「んー………と、ね。じゃあ言うけど。一回しか言わないから、よく聞いてね?」
 そう言って、ナツミが意を決した様に深呼吸をして、バノッサの顔をしっかりと見据えた。
「―判った。言え。」
 バノッサも、その言葉を聞き漏らす事の無いように、幾分か緊張して、次の言葉を待つ。
「割と単純な話よ。貴方を、見に来たの。」
「……………」
 バノッサの顔から表情が抜け落ちる。
「なんて言ったら。信じる?」
「……冗談か?」
 ムッとしたような、複雑なような。
 そんな顔。
「一回しか言わないって言ったでしょう?」
 そうにこやかに笑ってナツミは、
「もうここでいいよ。」と言って駆けだす。
 残されたバノッサは呆然と立ったままだ。

「バノッサー。またねー」
「あ? あぁ。」
 ―また。
 ぶんぶんと手を振るナツミに手をちょっと挙げるだけで返事してからバノッサも家路についた。

 その顔が、耳まで真っ赤だったとか言う噂が流れたのは定かではない。

+++

 話は戻って今日の昼間。
 中央公園にて。

「あ。カノーン。」
 ジュース片手にベンチに座っていたナツミは、荷物を抱えて歩いているカノンに気付いて、手を思いっきり振る。
「あ。お姉さん。今日和。」
「こんにちわー。うわ。凄い荷物だね? 買い物?」
 ぺこりと行儀よくお辞儀をするカノンに、ナツミも会釈しながら近付く。
「ハイ。今日は、珈琲豆と、食べ物と、それからバノッサさんの服を。」
「ヘー。バノッサの服…………」
 んー?とちょっと首を傾げるナツミ。
「どうしたんですか?」
 そんなナツミを見て、カノンも不思議そうに尋ねてくる。
「え? やー。うーん。………あのね。失礼な話だけど、それってバノッサの私服?よ、ねぇ……? あのいつも着てるゴツゴツした鎧とかじゃない。」
「はい。そうですよ? 別に、バノッサさんだって、いつも家の中であんな格好してる訳ではないですし。」
 ナツミが何で唸っているのか判らずに、不思議そうにカノンが言う。
「そうよねぇ。レイドだって家の中では鎧脱ぐし。何より肩凝るだろうし。」
「そうですよー。でも、何でですか?」
 きょとんとしながら、カノンは手近な所に荷物を降ろし、ナツミがさっき座っていたベンチに腰を下ろす。
 ナツミも同様に、また座り直す。
「……あの、ね? バノッサが普段家?で何着てるのか想像つかなくって………」
 たははと笑いながら、頭を掻く。
 いつもあの格好で見慣れているから、他の格好があまり想像つかない。
 やはり、赤褐色とか、紅とか、黒とか皮革物を好むのだろうか。
「そうですねー………ある程度の物なら、何でも着ますよ?僕が出す物に頓着してないようですし………白のワイシャツとか、ジーンズとか。」
「えぇえっ?!!」
 ナツミが驚いたようにカノンを見つめる。
「『えぇっ!』って……そんなにおかしいですか?」
 カノンも、そんなナツミの反応に、少し驚いたように彼女を見つめる。
「だ、だって……バノッサと言えば、黒とか深い紅とか皮革とか。そんなイメージなんだもん……なんて言うか。黒系?見たいな。」
「イヤ、そりゃ。バノッサさんには黒とかが似合いますけど。家の中でも皮革物って疲れませんか? それに、本当に僕が出す物に頓着してないようですよ? そのまま着ますし。」
「ッへぇー。そうなんだ。なんだかジーンズに白シャツって爽やかさんみたいだね………」
 もっとこう、そこらで拾ったような小汚い格好を好むのかと思っていたんだけど。
 古着とか着て、コンセプトは『貧乏臭く☆』で。
「……何でそんなイメージなんですか?」
 苦笑しながら、カノンはナツミに問いかける。
 地味に、ひっそりと頬を冷たい汗が流れている事を彼女は気付いていない。
「ん? 不良だから?」

「……一体不良にどんなイメージ持ってるんですかお姉さん………?」
 さらっと告げるナツミに、カノンはひっそり涙した。


「それだったら、お姉さん。バノッサさんの私生活?見たらきっと驚きますよ。」
 そろそろナツミのジュースも飲み終える頃に、カノンが笑ってこう言った。
「へ? 何で?」
 そう言えば、バノッサの私生活もあまり想像出来ない気がする。
「だって、バノッサさん。あぁみえて、意外に勤勉なんですよ。本だって沢山読んでますし。」

 ―思考停止。

(えぇっと。はいチョット待ってー。待ってー。……勤勉?)
 【勤勉】:勉強や仕事に、真面目に取り組む事。
対義語⇒怠惰。(旺文社国語辞典より)


 ―思考再開。

「………誰が?」
「バノッサさんが。」

………………………………………………

「うーそーぉぉぉぉおおおっ!!」
 思いっきりのけぞって叫ぶナツミに、公園に居た人達全ての視線が一気に集中した事は言うまでもない。



 その後、
「本当ですよ? それならいっそ見に来ます?」とカノンに誘われ、返答を渋っている中で引きずられるままに見に行ったら、いきなり上半身裸だった事には驚いたけれど。
 本当に、新聞とか読んでるし、書棚には本が一杯入っていたし。
 本当に、ジーンズに白シャツとか着てたし。
 意外中の意外だったけれども、見てみたらそんなに悪くはないような気がした。
(そう言えば、バノッサが踵落とし喰らって気絶した時に、膝枕しちゃったんだけど。バノッサ、気がついてたのかな?)
 いきなり起きあがられた時は凄くびっくりしたし、もしもしたってばれたら怒られるかな?とか思ったんだけれど。

 ―それに。
(それに、「またね」って言ったらちゃんと応えてくれたし。)

 もしかしたら、歩み寄ればお互い仲良くなれる日も来るのかもしれない。

 こんな事をフラットメンバーの皆や、ソルに言ったら怒られそうだけど。
 それでも。

 空は夕暮れ。
 昼も綺麗に晴れていたし、いまも空に雲は見えない。
 きっと夜には星と月が綺麗に見えるだろう。
 もしも見えなくても、曇っても。
 また明日がある。いつかは晴れる日が来る。

 そう思えば、頑張れる。

 歩み寄れる。

 信じられる、いつか来る。




 ―未来。





―了―


長!!
あぁもう。長いです長いですともすいませーん!
27.7kbって。27.7kbッてなに?!!普通の絵と同じサイズじゃん!
でも、まだこれは短い方・・・な、気がしなくも。(ぉぅぃ)
何だか最近どんどん文が長い傾向になりつつあるようです。たださえ駄文なのになー。
いっそ区切っちゃえば良いんでしょうけども、
ここまで長いと何処で区切って良いのやら。て事でそのまま(最悪)

さて。これは小説本「ユメノサイハテ」からの再録です。
ついでに、某所様の「ナツミ祭」にも投稿しました。使いまわーしボンバー。
でも、最初は祭用のだッたんですけど。
書き終わったらB5・2段で12頁になってたからべっくらして本が出たのです。(馬鹿だ)
本の方は、まだ続きのようなモノがあったり無かったり。(どっちだ)

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