彼女は言った。 「私達はわかりあえる筈です。」と。 彼女は言った。 「それは、現実を知らない人の意見だわ。」と。 それでも。 「それでも、私は進む事を諦めるつもりは無いんです。」 想心魂 -オモウココロハ カノモトニ- それは劉鳳達と合流してすぐの事だった。 きっかけは割と単純で。 「ねぇ。桐生さんは、まだアルター能力者と共存が出来ると思っているの?」 彼女の。シェリスの何気ない一言から始まった。 「? はい。勿論です。 彼女の質問の意図が良く判らないまま、水守は洗濯物を干す手を止めて答える。 だって自分は。その為に本土からここ。ロストグラウンドへとやって来たのだから。 勿論、幼馴染みであった劉邦に会いたい。と言う気持ちもあったが。それとは別に彼女にはアルター能力者が虐げられているという事実や、排斥傾向にある固定観念がどうしても許せなかった。 だから。 「だから。私はここに居るんですよ。」 晴れやかに笑って答える。 「でもじゃあ。何故本部へと行こうとしたの?」 洗濯物を干す水守を見ながら。シェリスは手近な岩に座り、視線と共に質問を返す。 矛盾している。 上手く残れたから良い様なものの。彼女のしようとした行為は、ハッキリ言って自分達の足枷にしかならない行為でしかなかった。 彼女がここに残れたのは唯一つ。偶然という奇蹟によるものだ。 「それは………」 言い淀む水守に、軽く笑いながら尚も質問を浴びせる。 「本部へ着いたら、あなたはそのまま取引の材料に使われた挙げ句に本土へと強制送還されていたと思うわ。あなたのお父様の御要請によって、ね。―判っていたんでしょう?」 頭のいい貴方の事ですもの。 言いながら、内心軽く舌打ちする。 (―これじゃあ質問じゃなくて、非難だわ。) だって自分は、確信を持って彼女に話している。 「……………えぇ。」 小さく小さく。それでもシェリスから目線は逸らさずに。水守は口を開く。 そんな事は、判っていた。 自分の行動によって、今後彼らの動きを制限するだろうと言う事にも。 そして、その挙げ句に自分のしたい筈だった事さえ中途半端なままで、本土に強制送還され。おそらくその先に待って居るであろう加護の中で。一生過ごすかもしれないと言う危険性を孕んでいる事にも。 それでも。 「それでも。あの時あの場所で。私が下した決断に この村に住む人達の命と自分一人の身柄。
………迷いが無かったと言えば、嘘になります。 ―迷わなかったと言えば、嘘になる。
自分が行った所で助けてくれる保証など無かった事にも。
それに。
―でも。 自分の信念の根底は、そもそも他者との共存で。
それはつまりこの世に生まれ出たものは皆、平等で。
なにより。
私のした事は 自分一人の命とと村の人達の命を天秤にかけてどちらが傾くかなど。
―考えるまでもなかった。
―間違っていません。」 命よりも大事なものはないのだから。
†
やっぱりだ。とシェリスは内心舌を巻いた。 目の前にいる彼女は、いつだってそうだ。 いつだって前をむいて。 「そうやって。自分の事を顧みないのね。」 つい口から本音が零れる。 信念の為に。理想の為に。他者を気遣う癖に自身を顧みない。 そんな所は彼にそっくりだ。 自分の愛した、彼にそっくりだ。 「そんな………そんなつもりは、」 少し困った様に水守が俯く。 「違わないわ。」 憮然とした表情で、少し彼女から目をそらして顎に手を当てながら言う。 別にこんな事が言いたいわけでもないのに。 彼女を見ているといつもこうだ。 別に彼女の事は嫌いではない。 けれど好きでもない。 (だって私と桐生さんは―) いわば、ライバル。と言うやつなのだから。仲良くする方がどうかしている。 何より彼女を見ていて。 そしてその意見を聞いていて。 反吐が出るのだ。 お綺麗な。何も知らない温室の中で育った者だけが吐ける言葉。 あの。あの辛さを。 あの地獄を。知らないからそんな事が言えるのだ。 「貴方はいつもそうやって、理想を掲げて生きていくのね。」 だからそうやって甘い事が言えるのだ。 また、別に言うつもりの無かった言葉が口に出る。 「………理想を求めて。何がいけないんですか?」 俯けていた顔を上げて話す。 「人は。目標に向かって進んでいくものでしょう?」 「別に? いけなくはないわ。 ………でもそうね。 ―現実を、知らなすぎる。とは思うわ。」 「………そうかもしれません…………」 目を僅かに伏せながら。 それでも顔は上げたままで。水守は続ける。 「確かに私は。【桐生家】という箱の中で育てられてきました。 アルター能力者の方達がどんな偏見や迫害の中で生きてきたかは規制された字を見て、映像を見ただけの知識から想像するしか出来ません。」 「そうね。所詮、貴方は本土側の人間だわ。」 温々と暖かい布団で寝る事も。 常に背後から襲われる心配などしなくて良い住居も。 明日の分まで気にしなくて良い食事も。 笑って話せる友人も。 そして人を好きになるという感情も。 「あたしがホーリーに入る前は、地獄だった。」 全てホーリーに保護されてから得たものだ。 「貴方には一生判らないわ。判るわけがない。」 自分の気持ちなど。 †
そこまで言って。返ってきた反応は。 けれどシェリスにとって非常に意外なものだった。 彼女だったら「やってみなければ判りません」くらい言うものだと思っていた。 なのに。 「否定はしません。」 にこやかに笑いなながら、水守はこう言ったのだ。 「だって。私はシェリスさんではないですから。本当の意味では判らないと思います。」 想像するのにも限界があるし、そもそもその想像力はまず自分の経験から作られる物なのだから。 シェリスがホーリーに入隊したのは12歳。 それは水守が初めて劉鳳と出会った年齢(とし)。 その年齢まで過ごした日々を『地獄』と言える彼女は。 15歳で色々な事を諦めた様に世界を見る彼女は。 一体、どんな生活を過ごしてきたのだろう。 一体、どれだけの苦汁を舐めてきたのだろう。 けれど聞く事はしない。 それはおそらく。彼女も望んでいないから。 その代わり。 「そのかわり。シェリスさんも私の私の気持ちは判らないでしょう?」 「―は?」 呆気にとられた様な顔と声。 「心の中。読めないでしょう?」 「―あ、アッタリマエじゃない。」 あたしに心の中なんか読めるワケないじゃない。 (……イーリャンなら読めるかもだけど………) しどろもどろになりながら、呆気にとられた表情のままシェリスが一人ごちる。 「だったらおあいこですよ。」 ―ね? にこにこと畳みかける様に。水守は笑いながら言う。 「お、おあいこって桐生さん…………?」 自分は彼女に対して結構な量の毒を吐いたと思ったのに。 なのに返ってきた反応がコレだなんて。 (そんなので済ませて良いモノなの………?) 激しい疑問を抱えたまま。 シェリスは取り敢えず笑うしかなかった。 †
「―私。ずっとシェリスさんとこうやって色々話してみたかったんです。」 洗濯物を干し終わって。小屋の中に戻って一息をつこうとして。 唐突に彼女がこう言った。 「はぁ?」 我ながら素っ頓狂な声だな。とシェリスは思ったが。そんな事は今はどうでもいい。 それよりも。 「………なんて言うか………ホーリーで同年代の女性の方ってあまり居ないじゃないですか。だからずっとお友達になりたかったんです。」 「はぁぁ?」 少し頬を染めながら照れくさそうに告白する水守に、シェリスは更に妙な声をあげる。 「ナニ言ってンの? 桐生さん。」 て言うかソレマジ? 自分はあれだけ劉鳳に近付くなとか牽制までしたというのに。 自分と彼女の関係は劉鳳を間に挟んで対極にいるというのに。 なのに「友達になりたい」だなんて。 心底バカではないかとさえ思ってしまう。 「あの。冗談とかでは、無いですよ。ずっとお友達になりたいと思っていたんです…………」 小さく小さく。照れくさそうに紅くなりながら言う彼女は成る程。 (クーガーが入れ込むのも判らぬでもないかもね〜…………) ぼんやりとそんな事を思う。 「………私達。少しはわかりあう事も出来ると思うんです。」 今すぐは無理でも。 心底解り合う事は無理でも。 それでも少しづつ歩み寄って。 「―私達はわかりあえる筈です。」 しっかりこっちを見据えて。にっこり笑いながら言う。 でもそれは。 「それは、現実を知らない人の意見だわ。」 現に、今の状態で友達だのなんだのと。言っている場合ではない。 本部にはまだ本土から来たアルター使いである無情矜持とか言う奴が居る筈だし、逃げたはずの来夏木からこちらの情報などは既に漏洩していると考えてまずか間違いはないだろう。 今の状態は。本当に束の間の休息なのだ。 「判って居るんでしょう?」 「えぇ。判っています。」 そこまで状況判断の出来ない人ではない筈だ。 それくらいの状況判断は出来ている。 「だったら」「でも。」 ほぼ同時に口を開いて。 水守はにっこりと。けれど意志に溢れた微笑みを浮かべてシェリスの前に立つ。 「それでも。私は進む事を諦めるつもりは、無いんです。」 例えそれが愚かと言われようとも。 「―か、勝手にすれば?!!」 かぁっと頬を朱に染めて、シェリスは小走りで小屋のドアへと近付く。 今の自分の顔は。きっととんでもないだろうから。少し俯けて。 そうして、背を向けたまま水守へ抜かって一言。 「…………あたしも。桐生さんの事。別に嫌いじゃないわよ。」 「―え?」 「それだけ!じゃあね!!」 パタパタと小走りで走るシェリスの背に。 水守の「勝手にしますから!」という声が響いた。 †
(なによ。) 走るだけ走って。 (なによなによ。) 息を切らせて。段々苦しくなってきあたりで少しづつスピードを緩めて。 そして歩幅がとぼとぼと歩く様になった頃。 (なによなによなによなによ。) 呆然と、シェリスは水守を見つめながら瞳に込められた光を思い出していた。 (こんなの、卑怯じゃない。) あの光には見覚えがあった。 (狡いわよ。) あれは。 (劉鳳と同じ目をして言うなんて。) 「なんだか遠回しに見せつけられたみたいじゃない…………」 ぽつりと呟いた言葉は。 そのまま誰もいない地面へと吸い込まれていった。 †
夜。こっそりと皆の居る小屋を二人で抜け出して星を見る。 「……シェリスとそんな事があったのか。」 「えぇ。貴方はどう思う?」 顔を合わせる事はなく。ただ二人で星を見ながら他愛もない世間話をする。 「………そう、だな。俺も、水守が自分の事を顧みない所についてはシェリスに賛成だな。」 彼女が来夏木の元へ。本部へと行くと言った時のあの複雑な気持ちは一言では言い表す事は出来ない。 「あら。でもあの時は、あれが一番だったはずだわ。」 「だが。君はいつもいつも自分の安全は二の次だろう?」 お互い怒る事はなく、ただただ訥々と意見を交わす。 こんな事は久し振りだ。 ホーリーにいた時は意見のぶつかり合いしかなかった。 「それは………だって。そうかもしれないけど………。」 水守は持ってきたお茶を飲みながら小さく肩を竦める。 「見ているこっちはいつも気が気でないんだが?」 なにより彼女にはいつもクーガーや橘と言った他の毒虫がついて廻っている。 軽く笑いながら。星ではなく、彼女を見つめる。 「……でも、それは貴方だって一緒でしょう? いつも怪我してないかって心配なのよ? ―劉鳳。」 水守も。星を見上げるのを止め。代わりに彼を少し見上げる形で見つめる。 昔は同じ位だった背も。 今はこんなに変わってしまった。 (星は変わらずこんなに近いのに………) 流転する時の中で。変わっていないのは見上げる星だけ。 それも、本当は気付かない内に少しづつ変わっている。 「―ねぇ劉鳳?」 「なんだ?」 「………貴方も、やっぱりアルター能力者とインナーは解りあえないって、思う?」 今も、今でも。 目を少し伏せて。水守はどこか寂しげに言う。 「…………現実ではそうだな。」 それはこの村の住人を見ているだけでありありと判る。 アルター能力者と判っていない時は。記憶がなかった時は。 あんなに側に来て話をしていたのに。今では近寄る事すらしない。 「劉鳳も、そう言うのね………」 ボンヤリと。感情の見えぬ顔で水守は劉鳳を見つめながら言う。 「だが。紛れもない事実だろう?」 「えぇ。確かにそう。今は。」 言いながら、ゆっくりと唇の端を上げる。 「現実は確かにそう。だけど。」 だけど。 「でも。やれる事をしないで慌てているだけでは。なにも解決しないわ。」 なにより、まだ自分には手が残っていないわけではない。 「だから、諦めるつもりはないわ。」 自分の信念を貫き通す。 「その為に、私はここにいるのよ。」 自信を込めて笑う水守を見つめながら。 「そういう君は、まるでカズマの様な事を言う…………」 彼女の肩を抱き寄せる。 「りゅ、劉鳳…………?」 急に抱き寄せられて、水守はお茶が零れない様に少し慌てる。 「あ、貴方だって。シェリスさんみたいな事を言ったわ。」 「そんなつもりはない。現実を言っただけだ。」 「私だってそんなつもりはないわ。」 ただ自分の信念とそれから来る行動理念を言っただけで。 後ろから抱き締められて。肩口に顔を埋められて。 水守はお茶の入ったカップをどうしようかとますます途方に暮れる。 「劉鳳。あの。一寸離して………」 このままではお茶が零れて、彼が火傷してしまうかもしれない。 「劉鳳、あの………」 「………断る。」 「劉鳳!」 聞き分けのない年下の幼馴染みに。少し語気を強くして。 「水守は………俺と一緒にいるのは嫌なのか?」 けれど返ってきたのは耳に吐息がかかる距離で囁かれた言葉。 低くよく通る声に背筋がゾクゾクする。 「そ、そうじゃなくて………」 カップを持っているのでろくな抵抗が出来ないまま、抱きすくめられる。 「君が………」 「え?」 「君が。カズマの様な言葉を言った経緯を。ゆっくりと聞かせて貰うまで、離すつもりはないからな。」 覚悟してくれ。 「りゅ、劉鳳………!!」 驚いて思わず彼の方に顔を向けたら思いのほか側に彼の顔があって。 その目に見つめられて。 その声で囁かれて。 そうして水守は。 劉鳳に離して貰うまでたっぷり夜明け近くまでかかったという。 そして朝。 「…………やっぱり。あんまり好きじゃないかもしんない…………」 憮然とした表情で二人を見ながら呟いた人物が。居た。 ―了―
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