サクラチル/サクラサク



 信じられない。
 信じられない信じられない信じられない。

 足下がぐらつく感覚とは正にこの事なんだろうか。と、頭の隅でそんな事を考えながら、私は今目の前にある結果を見てまた一つ、信じられない。と胸中で呟いた。
 目の前にあるのは掲示板。張り出されているのは、今回の期末テストの結果表。
 言ったらなんだが、今回私はこのテストにかなり賭けていた。正直いつもギリギリなのは語学と数学。ギリギリというか、寧ろ赤点では無かったのは、単に運が良かっただけ。と言う程の崖っぷり。(因みに他の教科、特に芸術は放って置いても何故かいつも高得点)
 その他にギリギリなのは、苦手というか集中力がいつも途中で途切れる家庭科なのだけれど、そこら辺はまぁ。なんとか、なんとかスレスレで逃れていたので、今回テストに向けて藤井さんと遊ぶのを控え、有沢さんにも頼み込んで勉強を教えて貰い、あまつさえ葉月くんにまで頼んで動物園デートの代わりに図書館(もしくは図書室)デート。と言う事でひたすら勉強を教えて貰っていた。
 貰っていた。のに。
 のにも、係わらず。

「…………………まっかなすうじがみっつ……………」

 前から見ても、横から見ても、斜めから見ても、変わらない真っ赤な数字。
 もしかして? と思って片目を瞑ったり薄目になったりしても当然結果は変わる筈は、有る訳もなく。
 後ろから見れば!! とか思ったところで順位表を剥がして透かし見るわけにもいかないし、掲示板ごとひっくり返せるわけがない。寧ろ無理にやったって怒られるのがオチだし、事実が変わるわけでも無い。
 それでも、いまだ認めたくない赤色数字の上を見れば、あれだけ勉強した語学と数学と。そして選択教科。集中力が切れたらまるきり駄目な技術家庭科は今回まずまず。寧ろ本音はなんて事。選択教科が赤なんて、意外性にも程があるような…。ついでに頼んでもいなければ、特になにもしていない芸術は今回初めての100点。嬉しいけど他で赤点取る位なら、その点数をもうちょっと他にまわして欲しい…なんて。しょうもない事で唸ってしまう。
「……順位、でたな。」
「あ、葉月くん」
 後ろから掛けられた声に、条件反射+笑顔で振り向いたら、目に飛び込んできたのはなんとも。なんともいえない表情。哀しいというか、切ないというか………
「……? 葉月くん、一体どうし」
「…………俺。おまえはやればもっと出来る………………………と、思う」
 どうしたの? と聞こうと口を開く前に被せられた言葉。『折角あんなに勉強したのにな』とか言われるよりも、それはずっとずっと。ずっとキツくて。
 あんなに。あんなに勉強して。しかもそれに他の人まで付き合わせたり巻き込んだりして。それなのに。

 自分の不甲斐なさに うっすらと視界の端が 揺らめいた。


 今の気分は正しく、『 サクラ チル 』



 なにもこんな時に、こんなぴったりな言葉を思い出さなくてもいいのに。なんて、思ったりもした。


|



「……もぅッ。凄く嫌……!! なんで? なんでこんなに私って……!!」
 落ち着いてやってみれば、教えて貰えば、方向を与えて貰えば出来る問題を前にしながらシャーペンを走らせる。
 有沢さんに「もう一度問題をやり直したいんだけど、判らないところとか教えて貰っても良いかなぁ……?」と頼み込んで、そのまま図書室へと二人でやって来た。

 ………いつもなら、葉月くんに聞いたりするんだけど。
 なんとなく、彼には頼みづらかった。

「……そうね。……いつも一緒に勉強してるけど……どうしてこんなに悪いのかしらね……」
 有沢さんにまでしみじみと言われて更にがっくり来る。
「だからね? ここがこうなってこの公式を使うでしょう? …そうしたらこの計算式が出来るわけだけど…判る?」
「……公式を教えて貰えたら、判る…けど………」
 でも、本当はそこまで自分を導くのは、他ならない自分でなくてはならないのに。
 歯噛みをしながら有沢さんを見ると、「………そう。なら、後は問題を解くだけね」と、心情がまったく読みとれない無機質な声音と表情でこっちを見ていた。………少しは、進歩でも、しているのだろうか。なんとなく柔らかい、様な、気がする。
 最近、有沢さんと何度も一緒に勉強をしたり、模試を受けたりを繰り返している内に覚えた、彼女の微かな変化から汲み取る、その心境の機微。
 ………小さく笑うと可愛い所とか。そんな所が葉月くんに似てるんだよね………
 こんな事、当然二人には言えないけど。

「どうしたの? どこか判らない?」
 そんな事を思いながらぼんやり有沢さんを見ていたら、そう言われてしまったので、慌ててまた問題用紙に目を向けて………手が、止まった。
「……問題を解くのは良いんだけど。出来ると思う、けど」
「けど……何?」
「……本当は、コレ位一人で出来なきゃ、駄目なんだよね。葉月くんも、有沢さんも、一人でやってるもん」
 でも、私はこうやって誰かについて貰わないと、出来ない。
「…そんな事無いんじゃない? あなただって落ち着いてやれば……」
 困ったように笑いながらかけてくれる言葉。嬉しい。嬉しい、けど。
「………でも。それでも私、赤点3つも取っちゃったし。補習も受けなきゃいけないし。……折角有沢さんや葉月くんに教えて貰ったりとか、藤井さんのお誘いを断ったりとかまで、したのに」

 こんなの、泣き言なの、判ってるけど。
 でも。
 それでも。
 矢っ張り、悔しくて。

 そのままじっと俯いてたら、有沢さんが微かに眉を顰めて「……あなた、赤点を3つも取ったの? そう………」と、なんとも複雑そうな顔をした。
 なんだろう? どこか躊躇っているかのような、表情。
 そのまま、お互いに何も言う事もなく、動く事もない、完全な沈黙の後。
「…もし良かったら、その。氷室先生の補習を受けた後のノートを見せて貰え………いえ、いいわ。やっぱり。悪いし………」
 ためらいがちに呟かれた言葉に、多分。私は物凄い妙な顔をしたのだろう……と、思う。
 その時の有沢さんの表情の変化が、傍目から見ても、おかしく思える位だったから。
 かく言う私は、呆気にとられた後。心の端で、『…有沢さんって、勉強熱心なんだなぁ』とか思ってしまった。
 そして有沢さんが見たいなら別に補習のノート位幾らでも見せてあげるのに。とも思えてしまったので。
「うん。いいよ。別に。……補習だから、きっと基本的な事ばっかりやると思うんだけど……それで良ければ」

 笑顔を作ってこう答えたら、有沢さんが凄く嬉しそうな顔をしたので、これはこれでまぁいいか。とか素直に思えた。

 ………まぁ。本音は私だって好きで補習を受けるんじゃないんだけど、ね。


|



 帰り道。有沢さんにお礼を言って、そのまま一人でとぼとぼ帰ろうと図書室を出たら、廊下で氷室先生に会って「補習は明後日の週明けからだ。サボるんじゃないぞ」と、きっちり釘を刺されて。
 なんとなーくもの悲しさが身を包むような思いで、夕焼けに染まる空を見ながらのろのろ歩いていたら、後ろからためらいがちに声をかけられた。
「……転ぶぞ。そんな上ばっか見て歩いてたら」
「あ……葉月、くん………」
 なんとなく、今一番会いたくない人。
 振り返らなくても、声だけで判るけど。なのにやっぱり条件反射で振り向いてへらっと笑ってしまって。
「…その…一緒に、帰らないか?」
 静かにかけられる声の心地よさを感じながら、「…うん。いいよ。…じゃ、喫茶店でも、一緒にいかない……?」と言うと嬉しそうに微笑まれてしまって。
 現金な事に私もちょっと嬉しくなってみたりして。ああ笑って良かったなとか、誘って良かったとか。なんで会いたくないなんて思ったんだろう、とか。
 これでテストの事がなかったら。
 なんて思っていたら顔に出ていたらしい。葉月くんが「……どうかしたか?」と声をかけてきた。
「ううん。別になんでもな」「嘘、だな」
 慌てて笑って誤魔化そうとしたけど、あっさり見破られてしまう。
「……さっきもそうだけど。おまえ、すぐ顔に出る。……なに、考えてるか。ちゃんと、言え。……嫌な事とか。そういう事、全部」
 ………おまえの考えてる事、きちんと、判りたいから。
 どうやら少し傷付けて?しまったらしい。その後に続けられた「……言いたくないなら、別にいいけど」と呟かれた声音と表情を見て、なんだか申し訳ないような気分になる。


 なんだか かなわない。


 本当は言いたくなかったのに。



「………あのね。…テストの事、考えちゃったの」
 小さく笑いながら、葉月くんの袖を握る。顔を、上げたくない。上げられない。


 どうしてあんなに勉強したのに、できないんだろう。
 どうして、あんなに迷惑かけちゃったのに、叶わないんだろう。
 有沢さんにも、葉月くんにも。折角教えて貰ったのに。叶わないんだろう。
 出来ないんだろう。
 期待に応える事が、叶わないんだろう。
 それが悔しくて。不甲斐なくて。


 考えたら、思い出したら。また視界の端が微かに滲んだ。
 駄目だ。
 ここで、こんな事をするのは。卑怯だ。
 泣いちゃ、駄目だ。

 それだけは ぜったい。

 じっと動かなかった私を、葉月くんは責めるでも、問重ねる事もなく。ただ。そっと肩に手を置いてくれた。
「ああ………。おまえ、あんなにやってたのにな」
 穏やかにかけられた声に、思わず顔を上げたら、葉月くんは微かに笑ってて。
「……でも、わたし。赤点みっつも……」
「……ああ。…今回は残念だったけど。次、頑張れば、いい。と、俺は思う」
 おまえ、やればもっと出来る、筈だから………
 そう言って、また小さく微笑む。

 ………もしかして、これは……

 ぼんやりとしたまま葉月くんを見ていたら、彼は不思議そうな顔をして「……なんだ? 何かついてるか? 俺」なんて、逆にまじまじと見つめ返されてしまって。
「あ、あはは。ううん。違うの。……あのね? もしかして、慰めてくれてるのかなぁ?って、思っちゃったから」
 だから何もついてなんか無いよ―と笑いながら冗談交じりに言ったら、葉月くんは真顔のまま、首を少し傾げて
「……慰めて欲しいのか?」
 とこれまた不思議そうに言った。
「え? えー……と。そ、そう言う訳じゃ…」
「そうか」
 しどろもどろになりながら、言ったらやっぱり真顔でこう返されて、私はまた少し慌ててしまう。
「や。え、えっと。だからってまったくそうって訳でもなくて」
 それに、そんな真顔で聞かれても…ちょっと。
 こ、困ったなぁ。とか言いながら葉月くんを見たり、地面を見たりとあちこちに視線を泳がせていたら、「………結局、どうして欲しいんだ? おまえは………」とか言われて、私はますます困ってしまった。
「……うーん。だって、別に今は慰めて欲しいって訳じゃないし…」
 大体、今回のはどう考えても私の責任だし。
 これが姫城くんとかなら『け〜ちゃーん。なぐさめてー』とか言うのかも知れないけど。なーんて。姫城くんには悪いかな? でも言いそうだよね、とか。そんな事を言いながらお互いに笑みを顔に乗せる。
「茶化すな。馬鹿。……おまえ、目が赤い」
「え? …ああ。そっか。徹夜しちゃったから、かも」
 その結果が補習って言うのはまぁなんだけど―と無理矢理笑い飛ばしたらそっと頬に触れる物があった。葉月くんの手だ。…あったかい。
「無理、すんな。……おまえ、頑張ってたと、俺は思う。ずっと図書室に行ってた俺が言うんだから、間違いない。俺がバイトの時は有沢と一緒に勉強してただろ?」
「………そ、かな? でも結果に出てないよ?」
「結果なんて、別に気にするものじゃ、無いんじゃないか? ………おまえは頑張ってたんだから、それで良いと、俺は思う」
 ……上手く言えないけど………
 注釈をつけてゆっくりと手が頭に伸びてくる。そのままポスンと優しく乗せられて、続く緩やかに、撫でるように動かされるその手はとてもあたたかくて。
「……補習、頑張れ。俺、終わるの待っててやるから」
 優しくかけられた声に、大人しく素直に「うん」って応えたら「……珍しく素直だな」って言われたけど。それでも嬉しくて。嬉しくて、自然と顔が笑ってた。

「それじゃ、行くか。喫茶店。……ケーキ、奢ってやる」
「ええ? いいよ〜。悪いし………」
 あわあわと手を振り回して断ったらどうやら御機嫌を損ねたらしい。葉月くんはちょっと眉根を寄せて
「……イヤなら、イイ。じゃあ、俺。帰るから」
「ええっ?! なんでそうなるの?! 行く。行くから! ケーキもいただきます!」
「…………なら、いい」
 慌てていった私にそう言って、ニッと笑った顔を見て。「………からかったんだ……!」と思わず歯噛みをしたけど。それでも差し出された手を普通に取ったら、自然と笑ってしまって。「なに食べようかな〜」と鼻歌を歌っていたら、葉月くんも嬉しそうに笑ってくれて。
「…笑ってるな。………………よかった」
 昼間、傷つけたみたいで気になってたから。
「………やっぱり、その方が、いい。おまえは。…笑ってる方が」

 花が咲くみたいに、笑うから……

 聞こえない位小さく呟かれた言葉に、私は「ん? なにか言った?」と返しておいた。
 恥ずかしかったって言うのも勿論あるけど、その心遣いがとても嬉しかったから。

 でも、花に喩えるなら寧ろ葉月くんにこそ当て嵌まると思うんだけどなぁ。

 そんな事を考えながら、『……顔が赤くなってないといいな』なんて事も、ぼんやり考えた。


 頬に手を当てて確認するのは、恐くて出来なかったけど。


|



 ―週明け。
「……以前からずっとキミに言いたいと思っていたんだが。」
「…はぁ」
 補習中、氷室先生が神妙な顔つきで私を見据えていた。
「なんだ。その気の抜けたような返事は。……毎回思う事だが。君は授業に対する集中力が無さ過ぎる」
「……はい。申し訳有りません」
 集中力。………思い当たる節を思い出して少し遠くを見てしまう。
「何処を見ている。先刻の返事と言い………私の話はそんなに退屈か?」
「い、いえ!」
 じろりと睨まれたので、「そんな事有りません!!」と慌てて背筋を伸ばして答える。
「…よろしい。それでは、明日の授業こそは寝ないと誓えるな? 君はいつも寝ているから成績が悪いのだ」
 まったく。葉月といい、鈴鹿・姫城といい…君達はそんなに毎晩夜更かしをしているとでも言うのか?
 訳が判らない。といった体で頭に手を軽く当てる氷室先生を横目で見ながら「判りました! もうしません!!」と言ってひたすら頭を下げておいた。

 ようやく解放されて教室から出ると、廊下で葉月くんが「おつかれ」と声をかけてくれた。どうやら本当に待っていたくれたらしい。
 ……仕事で忙しいはずなのに。悪いことしちゃったなぁ。と思いながらも、やっぱり待っていてくれるのは、純粋に嬉しくて。
「…おまえ、授業中寝てたのか」
「………聞いてたんだ………」
「違う。聞こえたんだ」
 直後に、どん底に落とされたりもして。まさか「多分それが一番の赤点の原因です」とは言えずに、こっそり隠していたのに。
「……だって眠いんだもん。お昼の後の授業で、天気が良くて。ポカポカとあったかい席に座ってたら、こう…」
「………」
「……なに?」
 一寸傷付いて、ついでに一寸ヤケになって。なにか文句でもある?とか思って軽く睨んだら、葉月くんの口元がふっと緩んだ。…気がした。
「……ああ。確かに、俺も眠くて寝てるし、な」
 おまえもそうなら、仕方無いな。
 またぽすんと頭に手を乗せられた。

 ………これは、もしかして。慰めてくれている、の。かな?

 判らなくてまたじっと葉月くんを見たらぷいとそっぽを向かれた。

 ただ、耳が微かに赤かった事は隠しようが無くて。
 なんだか花が咲いたみたいだなぁ。なんて思ってしまって。
 こっそり小さく笑ってしまった事だけは、内緒にしておこう、と思った。

 喩えるなら 今の気分こそまさしく―

『 サクラ サク 』



視界に広がるのは色鮮やかな笑顔の花 一輪







―了―




マヤねーさんからのリクエストFax。ときメモGSで「落ち込んでる主人公を慰める葉月。」でした。
後、「顔アップで葉月描いて根☆」とか言われたのでそれもかいときましたよ。
本当は絵主体にして、言葉で「慰め〜」を出して欲しかったんだろうな〜とか思いつつ。

03/10/02 UP

改訂しました。性格がもろにマヤねーさんだったので。後はまぁ色々。
名前を呼ばないようにしちゃってんですけどこれはコレでいいのか悪いのか。
痛し痒しと言った心地。

03/10/18 訂正UP

Etc Menu