たまには猫をかたわらに

 

 その時私の意識はひどく散漫だという自覚があった。思惟は全く霞がかって白濁としている。

 猫がにゃあと鳴いた。子猫だ。小指の頭ほどにしか見えない小さな耳がぴんと立って、ひげを垂れ下げながら、瑪瑙色をした瞳で私の顔を見上げている。

 どうした、腹減ったのか? そうだよなあ。お前はすぐに腹をすかせるんだから。そこまで思って、こいつの名前を思い出せないことに気づいた。

 あれ? お前、名前なんだっけ?

 子猫はそんな私を不思議そうに見つめ、再びにゃあと甲高く鳴いた。

 私はぼんやりとした頭を振って、猫の名前を思い出そうとした。ところがちっとも、その名前の音の断片ですらも湧き上がっては来なかった。

 私は困惑したが、その困惑には悲壮感も焦燥もなかった。冷静になって考えればこれはおかしいことだった。私の記憶がかくも脆く抜け落ちていくようであれば、到底日常生活など営めない。そのような障害が発生した人間は、認知症であるとか、アルツハイマーだとかという病名に当てはめるものだが、私のように病気に縁もなく興味もない人間でも、その症例の陰惨さの知識は持っている。むしろ事実に対して過剰にデフォルメされ、センセーショナルなかたちで刻印されているかもしれない。

 であるから本来ならばそのことに愕然とし、脅えなければならなかったが、私はちっともそんな恐怖には囚われなかった。猫の名前を記憶の中で捜し求める行為は暗礁に乗り上げたが、私は何の感傷もなく、直ちに別の思惟の活動に移った。猫の名前を思い出すのでなく、この子猫にふさわしい名前をあれこれ考え始めたのである。これも奇妙であった。しかしその時私は、この猫に名前をつけねばならないという妙な義務感をしっかり握り締めていた。

 この命名についてもスムーズでなければ、私はようやく驚愕に至ったであろうか。それはわからない。ともあれ私は悩む時間もわずかのままにひとつの名前を思いついた。

 ミーちゃん。そう、ミーちゃんだ。

 それは私にとっては何の作意もない、ごくあたりまえのものが収まるべき場所に収まったという感さえ与える、必然的な帰結というべき名前だった。そう、実家、何年も前に私は実家を出て一人暮らしをはじめたが、私がいなくなったダイニングのテーブルの私の椅子の上に私の代わりに座る直立歩行ができる白い犬のぬいぐるみが私に懇願というか命令してきたことを私は思い出したのだが、それは犬が猫のミーちゃんを探して来いというもので、どうして犬の、それもぬいぐるみのお前が、人語を解し人語を語り、いやそれはどうでもいいことだが、どうして猫のミーちゃんの人探し、いや猫探しを依頼してくるのかと尋ねると、犬のぬいぐるみはだってお前は公務員だろう、保健所に知り合いくらいいるに決まっている、ミーちゃんは野良猫でウチに時々遊びに来ていて友達になったのだけれどもおなかが大きくてこの前から姿が見えなくなったから多分保健所の悪魔みたいな連中に捕まったんだ、だから助けて来いと言う。

 私は残念なことに保健所が野犬その他の動物をどのように回収しどのように扱っているか、その法的根拠や実務的ルーチンワークも含めてさっぱり想像できなかったし、保健所の知り合いといえば同期の口もきいたこともない高嶺の花のやたらと綺麗だが綺麗過ぎて男が敬遠して寄り付いてこないふたつ年上の女性くらいしか思い当たらず、彼女にいや実はうちの実家のダイニングのテーブルにある椅子に俺の代わりに腰掛けている直立歩行ができて人語を解し人語を語るぬいぐるみの犬がおなかの大きな友達の野良猫がいなくなったから保健所に拉致されたんじゃないかと勘ぐっているので調べてもらえないだろうかと頼むのは、なかなか頼みづらい、言いにくいところがあった。いやしくも私も彼女も公僕で、公僕は私心で動いてならないのは大原則だ。いかにうちの実家のダイニングのテーブルにある椅子に俺の代わりに腰掛けている直立歩行ができて人語を解し人語を語るぬいぐるみの犬が、ぬいぐるみだから表情が変わらないくせに血相変えていなくなった野良猫の探索を命令してくるといっても、それはあくまで私の私事なのであって、いかにうちの実家のぬいぐるみの犬が自分は立派な市民の一員の自覚を持ち、選挙のある都度、自分のところに選挙会場の入場券が郵送されてこないことに憤り、市政に不満を有しているとは言っても、であるからといって正規のルートを用いずに私に私的圧力をかけるというのはやはり間違ったことであるし、私がそれに唯々諾々と従って彼女、ミタムラさん、ミタムラ女史に、原理原則は十分承知しているがどうかそこを曲げて調べてもらえないかと言い出すことでさえやはり間違っている。

 ミタムラ女史と話したことはなかったがごく真っ当な、温和な人であると常々推察していて、おそらく彼女はその穏やかさと優しさから、私の心情については十分な理解を示してくれはするだろうと思うのだが、しかし一面明哲な理性を持つように思える彼女は、道理を逸脱して情に溺れることはしないだろう。何せ私と彼女と情人の間柄ではなく、それどころか話をしたこともろくにない。たまに顔を合わせればお互い節目がちに、お久しぶりですとか、お疲れ様ですとかというくらいで、大体実家のぬいぐるみの犬はそこがわかっていないわけなのだ。だから野良猫のミーちゃんの探索は不可能であり、おそらくミーちゃんはミタムラ女史の手によってすっぱりと処分されたに違いない。そうぬいぐるみの犬に告げるとぬいぐるみの犬はハチマキを締めて箱根駅伝のようなたすきを持ち出し、そこに筆でミーちゃんの仇討ちなどと書き出したから慌てて止めたのだが、このぬいぐるみの犬はとにかく油断がならない。暴発寸前の青年将校のようなものである。もちろんこのぬいぐるみの犬の心情も察して余りあるが、私にもミタムラ女史に対する立場というものがある。

 というわけで私の板ばさみの立場から必然的に私の足元でにゃあとまた一声甲高く鳴いた子猫の名前はミーちゃんになったのだが、ミーちゃんはフローリングの床の上に敷いたミニサイズの淡いブルーのマットレスの上にセメントの塊のようなフンをして私を舌打ちさせた。ああこいつめ、なんてやつだ。まったくトイレットマナーができていない。だけれども仕方がない、ミーちゃんはまだ子猫なのだ。また飼い主である私のしつけもわるかった。もらわれてきた時からミーちゃんミーちゃんと文字通り猫かわいがりしてしまったものだから、親バカがバカな子供を作り上げてしまうのと全く同様に、好き放題、いたずら放題をして手に焼いている。全くミーちゃん、困った猫だ。せっかく実家の近所に昔住んでいたネズミ捕りの名猫にあやかってミーちゃんと名づけたのにお前かなり名前負けだよまったくもう。

 そう思って次に私は愕然とした。フローリングの床の上に、何か華やかな物体がぽんと投げ出されている。私は息を飲んだ。壁面の大きな窓は一杯に開け放たれていて、白いカーテンが風にたなびく、その向こう側にはまぶしい青空があった。その穏やかな昼下がりの殺風景な私のアパートの部屋のフローリングの床の丁度中央にその華やかな物体は投げ出されるようにしておいてあったが、私はそれを見て一瞬でそれが何であるのかおおよそわかってしまったのだけれど、それを認めたくないような、信じられないような、そんな心地に囚われて、思わず近寄ってまじまじと見つめ確認した。何度確認しても間違いがなかった。それはブラジャーだった。

 ブラジャー。私には女装癖はないはずだし、このサイズはどうも合わないような気がしてならない。それは私も凡庸な人並みの男であるからブラジャーのカップはほどほどにあると心引かれ目を奪われるものであるが、如何せんそれがままならぬことは熟知している。ままならない。人生何をとってもままならないものだ。寄せてあげてもらってもものには限度というものがある。

 しかし何故ブラジャー。それも女装癖なくサイズもちっとも合わないブラがどうして私のアパートの一室のフローリングの床の中央に置かれてあるのだろうか。

 はっとして私はミーちゃんを見た。このいたずらっ子め、お前、どこかの家の洗濯物から加えて盗んできたな。でかした。いや、違う。どうしてそういうオイシイ、いや人の道を損なうようなことをしてくれるのだ。それでもお前は人か。日本男児か。恥を知れ。大体お前、間違っているよ。このブラ、もし仮に美人で妙齢のお嬢さんのものだったならば実にナイスなストライクだ。間違いない。しかしお前がフラフラと遊びに行くエリアの中で美人で妙齢の実にナイスなお嬢さんがいったい何人いるのだ。これがもしお前、どうしようもないオバハンのものだったら救いがないじゃないか。どうしてそういうリスキーな生き方をする。マージンを取らなきゃダメだよ。いつも言っているだろう。仕事は段取り八分。段取りで出来は八割決まってしまうんだ。どうせならお前、デジカメで持ち主の顔と、できれば装着している姿を撮影した上でそれを添えてくれるとか、それができなければせめてくわえてくる時に一声かけて実物を拝ませてくれればいいんだ。

 全く困ったやつだよ、お前は。返しに行って出てきたのがオバハンだったら、ガッカリじゃないかよ。ん? ところでお前の名前ってなんだっけ?

 

 

 

 

 ……。

 ……。

 ……あ、夢か。

 道理で脈絡がない羅列だった。

 昼寝より起き出し、することも無かったから小一時間ほど夢の光景を反芻した。

 一切が夢であった。もちろん、私のアパートに猫などいない。猫なんて飼ったこともない。大体私は学生だ。何で公務員なんていうくだらない商売をやっているのだ。きょうび公務員なんてマゾヒストでなければやっていられやしない。それにミタムラ女子って何者だ。

 ブラもなかった。当たり前だ。彼女のリョウコは冗談や諧謔の妙味を解さない堅物で、珍妙な謎をかけるために寝ている隙に私の部屋に忍び込んで部屋の中央に自分のブラを置いてそっと帰るような笑える変態ではない。そもそも私のアパートは、部屋数こそ二間だが両方とも畳敷きだ。

 しかしあのブラの光景は残滓として私の脳裏に残っていた。リョウコ、あんなブラ持ってたっけ? うーん、それにしてもあのブラの色、あれはいったい何色だったんだ。赤、紫、いや違う。赤、赤系統なのは間違いがない。だけれども短絡的に赤だのなんだのということのできない、もっと微妙な、だけれども見覚えのある、うーん。

 あ、

 天恵を受けたように私はそのブラの色合いを言葉で置換することに成功し、それを誰かにどうしても伝えたくなった。

 事物と言葉とがめぐり合う、その瞬間。そこに詩性は宿る。私はそのことに感動した。駆け出した。ケータイをかけてリョウコを捕まえ、キャンパスの一角のベンチでのほほんとしているリョウコのところに急いで行った。

「リョウコ、オレ、ブラジャーの夢を見たんだ」

「……はあ?」

「そのブラジャー、そう、シャアザクの赤の色だったんだ」

 

 

 

 リョウコは唖然とし、やがて息を吸い込んで言った。「氏ね」