借景

 

 仄かに光を透く真白の障子戸を開け放つと、梁と桟を額縁とし現(うつつ)の画布に描かれた庭が、永春の病床を置く一室に隣していた。

 清爽、早春の空気は凍える。明け方の雲は漸く去り、空高く蒼藍が突き抜ける好天が訪れていた。

 風の温びるにはなおいささかの時節を要し、昂ぶらぬ日差しの穏やかなるは徒に光を撒き散らしながらも周囲を暖めず、色淡い萌え出ずる若芽のか細きは白露を宿し震え、しなりながらそれを零した。

 苔生す石が雫を受けて、濡れ乱れ黒く沈む。

 不如帰の春を囀るに躊躇い、静寂。殊更に円池、水面に波紋を浮かべる。

 此方の築山。傍らに梅花。老枝広げ丹紅を点ず。

 永春は己が屋敷の庭の模様を、寝巻きの単で老いた痩身を儚く包み込んだだけで、傍目には窺い知れぬ虚ろな眼差しで見つめていた。

 彼方には白頭、残雪未だに拭い払えぬ宝珠山が屹立している。

 山は晩秋に先駆け己を朱に彩り、瞬く間に白装束となる。此方の里が静謐、冬の最中を息を潜めて過ごし、やがて冷気の定置が寒暖を繰り返す日々に転じて、待ちわびた春訪れる頃に至ってもなお、山は寒に拘泥し己を白く染め続ける。

 庭は、その宝珠山を借景している。

 永春は山と庭とを凝視し、やがてただそれだけで疲労困憊し、おぼつかぬ足取りで床に戻った。病巣は内奥を食い散らかし、得体の知れぬ悪寒が目の前を覆う黒い帳のように、定かならずゆらめていた。

 

 

 

 幾日か置きに、病身の永春を客が見舞う。

 常日頃の古友、睦びた知人等の粗方は、既に鬼籍に入り、客に永春と歳月の長きを分かち合い来た者は乏しかった。

 今が盛りの者の多さ。生気を見せ付けんばかりの善意温顔。己が懐を覗き込めば、崩れ落ちんばかりの骨身に張り付いている、干からびた土気色の皮膚。まとわりついた死病の実感。

 客はそれを見に来る。永春の死期を見定める。それを決して悟られぬよう取り繕う。だが永春にはわかってしまう。

 彼らは、部屋の出入りの都度に庭を眺め、得心して大いに頷く。

「成る程、先生の遠山図がある」

 それはまるで、永春の生涯を締めくくり、その総括に値する画を規定して謳い上げるに等しかった。

 人は、得々として、永春が土に還った後に思いを馳せるはずである。絵師の永春は遠山図の主題を追い求め、晩年宝珠山を借景した庭を飽かず眺め生涯を終えたのだと。

 永春は病床の中で、その光景も見通している。

 そのことに憤り、是非を言い立てる気力は最早尽きていた。

 病ゆえ体力奪われ、気力までも萎えたのではない。客の驕慢な善意を肯ったのでもない。

 億劫であった。もののわからない者に何を言っても仕方がない。何を告げても、何も解することはないだろう。孤独に脅え、貪るように解されることを求めたところで、何がもたらされるであろう。

 返答にも、会話にも鬱してくると、永春はどうにか身を起こし、床の傍らにある盆の上の急須を取って、震え乱れる手つきで薬湯を注ぎ、ぎこちなく黙々と口に運んだ。生薬の搾った汁の痺れる苦味が口中に広がった。薬師はこれが永春の只今の生命をつなぎとめるものと語っていたのを脳裏に思い浮かべながらも、永春はその言葉を信じてはいなかった。強いて思い当たる効能といえば、薬湯の思わず顔をしかめる臭いに来客が辟易し、死の臭気を嗅ぎ取り、永春の病身を慮って早々に退出してくれること程度であった。

 やがて、影のまとわりついた病床の一室に、ひとり。

 彼方の宝珠山が屹立する。掃天を背負い、白く凍てつく。

 永春は瞳を閉ざし、床の上で半身を起こしたまま首を左右に振った。

 閉ざされた瞼の、洞穴の内壁のような暗幕に、宝珠山の姿が浮かぶ。

 それは実景ではない。一幅の画であった。

 戦慄と、懐かしさと、代わる代わる兆しては、老い干からびた永春の心を鈍く突き刺す。

 過去への追憶。胆汁の苦味。か細き今の肉体からすればその苦味すらも心に甘美に響く。さざめかせる。だがその肉体に及ばぬはずのほんの震えですらも、老いさらばえた永春の枯れ木のような肉体に、荒縄で捕縛したかのような鈍重な痛みと不快感をもたらすのだった。永春の肉体は、永春が人間らしく物思いをし憂えると、その都度痛覚を発揮して永春に冷ややかな視線を向けた。

 そうあれは、曙光が白々と山間より出で、山腹を照らし、光と影とがひとつに同居する、永春が見た中で紛うことなき至上の美であった。数十年の時を経てそれはいささかも色褪せず、追憶の中で惰眠をむさぼるでなく、今なおありありとあの瞬間の邂逅の鮮やかさを宿し続ける。

 それが己の手より生み出されたものならば……。追憶が鮮明であるほどに、胆汁の苦味もまた等しくあり続ける。

 巡り巡る見舞いの客。過ぎるとの実感もなくただ過ぎ去ってゆく日々。そのなかで磨耗していく永春の残る歳月。

 やがてまた来客があった。

 次の間での弟子らとの談笑が、気忙しい早春の薫風と共に伝わってくる。永春はそれを疎ましく思う。やがて来た。

 嫁いだ娘であった。

 三十路になお暫くの暇ある盛りの、牡丹の広やかに花開く有様に似た、やや薄作りの唇に眩い紅を引く面差しは、どことなく死んだ妻に似ていると永春は思った。幾度も、上目づかいの視線の中に宿された氷塊のような冷ややかさに怯み、打ちのめされた、あの面差しだった。娘は微笑している。だがそれは、親愛故と言うよりも、永春の心のうごめきを全て知り尽くした上での嘲笑であり憫笑であるように永春には思えてしまわないこともない。

「子を、置いてきたのか」

「子は置いてまいりました」

 そうか、永春はそっぽを向いた。

「お加減はよろしいのですか」

「……今日は大分いい」

「そうですか。泊まっていきます。そのように言い残して参りましたので」

「……好きにしろ」

 永春は布団を引き寄せ横倒しでうずくまり、娘のほうを見ないようにした。

 程もなく、足音がした。大またの、大ぶりの、堂々たるものだった。それだけでその足音の主が誰であるか、見ずとも永春にはわかった。

 総髪姿の、恰幅のよい長身の男ぶり。四十半ばほどの容貌には、多くの門弟を統御する威と、笑み絶やさず人好きする目尻の緩みとがある。白皙豊頬、よく通る声色にも寂びと甘みが帯び、堂々たる態度は何者をも後ろめたいとは思わぬであろう男盛りの驕慢さに似た自信で包まれている。

 勝手知ったる様子で永春の病室にやってきた。部屋に入る際に流石に永春に一礼しはしたが、軽々しく、慇懃で鄭重には遠い。

 それが、弟子の探山であった。

 ふわりと、やはりぞんざいめいて腰掛ける。

 それから探山は、永春の娘に一礼した。

「ご苦労様でございます」

 娘も探山に答礼した。

 そのあといかほどか、二人の間で取り留めのない世間話が交わされる。若様はおいくつになられた。ああもう三つでございますか。月日のたつのは早いことで。手前の娘は十になるというのにまだまだ童女(こども)じみていて……。

 永春は床の中でこの弟子に舌打ちをした。

 探山は笑み絶やさず、永春の弟子の筆頭として、一門の代表として、数多くの門弟を、配慮や恩讐で統御している。他所の愚か者はその外面ばかりを見て、永春殿の門下は全く安泰だと吹聴している。だが永春はそれがやり切れなくてならなかった。永春の目には、探山は劣って見えた。それならばどうしてこの男を一門の総帥の立場に置いてあるのかとの反駁もあろうが、それはただ単に他の門弟が湛山よりさらに劣って見えるに他ならない。探山は、露骨に言えばただ単に他よりまだましという男であった。真実、一流を興した永春の跡目を次ぎたいと欲するならば、何よりもまず画をもって挑み、永春を越えねばならない。永春は、探山は、絵師である。絵師にとってその人格であるとか器量であるとかは二の次でしかない。一門を破綻なく上手く統御していくなどというのは、究極的にはどちらでもいいことなのだ。いさかえばいい。血を流せばいい。それで画境が昂ぶるならば何をしてもいい。ただそこに秩序が必要であるならば、画力をもってその高低で定めればいい。永春はそう思う。

 探山の画は、程よくまとまっている。無骨なばかりで絵心などさらさらない武家であったり、俄か出頭で成り上がった商人などが、いかにも画らしい画を求めるという要望に、過不足なくこたえることができる。障壁画、何曲かを一双とする屏風、或いは掛け軸、無難といえばこれほど無難なものはない画題、構図、色合い。依頼主らはそれが部屋を彩る瞬間だけは多少とも相貌を崩したが、程もなく見向きもしなくなる。体裁がよければいい、見栄えがよければそれでかまわない、真実、心の底から画を愛好しているのではない、そういう彼らにとって見れば、画を求める心境などはほんの一過性の、つまりは気紛れであるのだった。

 自分にとって魂を傾倒し、生命の躍動をほんの僅かな画布に宿らせるという志を持った絵師にすれば、それは屈辱以外の何物でもない。相手を呪い、それでいて己の至らざるを悔恨し、唇に血潮をにじませ目を血走らせながら、前の轍は踏むまいと新たな画に己を込めようと必死になる。

 絵師もまた生きねばならない。自身と妻子眷属の糊口を凌いで行くには、屈辱を腹底に押し込んで、慣れもせず似合いもしない笑顔を取り繕って、求めに応じ画を描かねばならない時もある。その屈辱すらも糧として、己の画境の高まるに向けて邁進する。それが絵師である。永春はそう思う。

 が探山はそうではない。この男は全て承知の上で、衆に迎合することをこそ絵師の無二の本分としている。画をわからぬ者にはいかにも画らしい画を、世を斜視するへそまがりの好事家数寄者には、ふたつみっつばかり奇を衒った画を、器用な腕前で描いてしまう。

 技量は長年永春の門下で培った。単純に筆走りというだけならば、或いは永春との間に遜色などはさほどになかったかもしれない。ただ一点、だが最も根幹であるところの、己は何によって画を描き、何を衆生に向けて表明したいのかという絵師としての志において、探山は全く劣っていた。門下に入りたてで丁稚働きをし、あかぎれの手を息で吹いて温めながら画への羨望に目を輝かせる小僧らのほうがまだ志を持っていた。そして、探山はそれがないということに何の後ろめたさも引け目も感じておらず、それを持つということに対して冷笑と侮りを、温顔の中に隠し持っていた……。

 永春は人知れず嘆息した。

 娘と弟子とのささやかな会話は、途切れず続く。

或いはこの酷評は、この男に対する邪推であり嫉妬かもしれないと、床の中で永春は思う。この男の才気に対して嫉妬するのではない。この男がなおこの世に生き続けるということに。俗塵にまみれ続けるということに。

 永春は、娘と弟子とにろくに声もかけず、まどろみ、やがて昏々と寝入った。現はまるで夢との境目を失っているようにも感じられた。 

 曖昧模糊とした夢間に宝珠山の画が蘇る様に浮かんできた。

 

 

 

 

 追憶。その画と出会ったのはもう、随分と過去の彼方のことである。

 当代一の絵師たる山楽に二人の弟子があった。

 ひとりが慈愈。いまひとりが永春である。

 山楽は己の跡目を継がせ、一人娘を嫁がせる一番弟子を選ばんとしたが、眼力いずれかを定めるに至らず、思い立って絵合わせを所望した。

 永春にとって負けるわけにはいかぬ勝負となった。師の門弟中第一位の地位もまたそうであったが、山楽の娘を長らく永春は狙い定めていた。永春にとって第一等の絵師になることと、師という目前の障害を越えてゆくことと、師の娘の肉体を開きそこに情欲を注ぎ込むこととは混然として一なるものであった。

 夜もなく、昼もなく、永春は一幅の画に執念を燃やし続けた。慈愈もまたそのようだった。慈愈の様子は、永春の様子が向こうにわからないのと同じくよくわからなかった。師がそうせよと明確に断を下したのではないが、二人は隔たってそれぞれ密やかに画に没頭した。少なくとも永春に於いては、その当初は紛れもなくそうだった。

 だがそのうちに、永春の心底に不安が兆した。夢中になっている間は良かった。墨痕鮮やかに棚引き、金泥色艶やか、辰砂の惑乱するが如く色添える己の出来栄えそれ自体の世界に引きずり込まれていた。だが、やがて夢から醒めるように永春は自分の画を冷ややかに見つめた。何か脈打つものが永春の中から去った。後に残るのは、無残な形骸であった。そのようにしか永春の目には見えなかった。

 人は、或いはそう見ないかもしれない。だが永春の中で確実に何かが失せた。これ以上を、求めることはできないという断念がすぐさま失望に取って代わった。そうなるとすぐさまに、慈愈の出来栄えが気になりだし、また恐ろしくなった。

 仮に慈愈に破れたからといって命をとられるわけではない。一門第一等の栄誉と師の娘は奪われるだろう。だが、絵師の名声はその肉体が消滅しても作品が残り続ける限りは失せることはなく、そして世の半分は女なのだ。冷静に平明に考えれば些事であり、そもそも勝ち負け云々というよりひたすらに己の画を追求すればそれで絵師たる者は満たされるはずなのである。だが、永春にはそう思うことができなかった。

 永春は、どうしても慈愈の画を知りたくなった。

 悪意が、偶然の姿を借りて、笑みを浮かべながら永春に擦り寄ってきた。ひとり盗賊が侵入した云々と騒ぎがあり、それが屋敷に火を放っただのというまことしやかな虚報が悲鳴と共に叫ばれ、慌てて表に飛び出した慈愈と入れ違いに、永春は慈愈の作業場に入り込み、先程まで彼が手を触れていた、半ばほど完成したと思われる一幅の画に見入った。

 永春は絵師として絶望し、そして絵師として歓喜した。そこには遠景に宝珠山が描かれてあった。旭日匂う空の高みに、清浄な白雪を冠に頂く宝珠山の鋭鋒が、まるで慈愈そのもののように清廉で、慈愈そのままの如く生気溢れた様子で描かれている。永春は唖然とした。それはそれまでの慈愈の為せる画ではなかった。それまでの慈愈をあっけないほどに凌駕していた。そしてそれは、それまでの慈愈と甲乙つけがたくあった永春自身をも越えてしまっているものであった。到底自分の勝ち得るものではないと、永春は希望を失った。そしてその虚無の中でただその画の美があらん限りの歌をうたっていた。陶酔のような戦慄する歓喜が、涙落つ重苦しい絶望の中を駆け抜けていった。

 永春は慈愈の画を手放し、ふらふらと部屋を出た。

 どこを歩いているのか、自分でもわからなかった。絶望も歓喜も、共に失せたわけではない。それは永春の心中の内壁に刻印され、印影からは血潮が滴り、赤くただれめくれあがった傷痕は、皮層の奥底の肉まで露呈していた。

 何方とも自覚なく、ただ逃れるように歩くその一歩一歩の都度に、傷はうずいた。痛めば痛むほど、歓喜はその鮮やかさはそのままで、雲井の向こう側に遠ざかってしまい、絶望という無明の檻が永春を取り込もうと迫り寄せた。

 慈愈の画は、遥か天の高みに達し、卑小な永春を睥睨し高らかと笑っている。そうとしか永春には思えなかった。

 気がついた時には、宝珠山の麓まで来ていた。そこに持仏堂が雨露に荒れ軒の傾いだ無残な姿をさらしていた。

 飛び込むように、永春はその中に入り込んだ。

 敗北感、いまやもうただそれだけがどす黒い染みとなって永春の思念を満たし続けていた。

 暗闇の中で、膝を抱えてうずくまった。血滲むほど歯噛む。奥歯が軋む。

 暗がりの中で、ふたつの瞳が切り裂くような危うい光を浮かべる。

 漸くにして、慈愈への憎悪が兆す。あの神々しいまでの光に満ちた宝珠山の鮮やかさが自分にではなく、ただの慈愈に宿ってしまった宿命に呪詛を向ける。

 突如、永春は立ち上がる。立ち上がって吼える。暗がりの中、無茶苦茶にふたつの腕を振り回す。朽ちた柱にかじりつく。蹴る。

 堂内に一仏もない。荒れ果てた持仏堂から仏は、盗賊の手によって去った。神も仏もない。永春は叫んだ。発狂したように叫んだ。叫び、天の不条理と冷酷さを罵った。

 力の限り叫び罵り、やがて虚脱したように力を失ってその場に倒れ込んだ。そのまま寝入った。やがて目覚めた。どれほど寝たのか、幾日も寝たのか、まるでわからない。だがひとつだけはっきりとしていたことがあった。その短くまた長いまどろみの中で永春はひたすらに宝珠山の遠景を見せ付けられ続けた。

 そしてそれは目覚めても同じだった。常に脳裏に宝珠山がある。ふらふらと己の小屋に戻り、まぶたを押さえつけるように閉ざして寝入っても、浅い眠りの中で浮かび上がるのは宝珠山である。目覚めてもそれがある。

 永春は気が狂いそうになった。やがて、それが三日も続く頃にはいっそのこと小刀で我が両目をふたつとも貫いて、ふたつながら潰してしまおうかとさえ思った。どうせ絵師として先はない。日輪は慈愈の頭上にあり、栄光の全ては慈愈が手に入れるだろう。そんな中で生きていても仕方がない。とさえ思った。

 四日目の朝、宝珠山はやはり失せなかった。永春は決断した。宝珠山を追い出すには、宝珠山を描くしかないのだ。

 描いた。一刻持たなかった。叫び、画布を引きちぎる。

 描いた。また駄目だった。自分の筆が生み出す姿は薄汚れた山でしかなかった。また引きちぎる。

 描いた。

 描いた。

 描いた。

 描いた。

 心に兆す風景を画として表現する。その一連の行為に永春は没頭し、己の腕の織り成すその姿に永春は絶望を繰り返した。どうあってもあの神々しい姿が描けぬ。どうあってもあの透徹しているとしか形容しがたい彩色を行いえぬ。ただ山を描くにしても及ばず、山のまとう空気、側を行く風の音、旭日の昇る一瞬の時の凝固ではなく、白々夜が開け行く刻限の移り変わりを感じさせる時間の幅、目に見える具象物を超越した様々な描き得ぬ、がそこに紛れもなく存在する何か、そういうものを捉え、離さず、画布に宿す、最早神韻としか称せぬまでの何事かを写し取っているかのようにさえ思える慈愈の画を前にして、己はただひたすらにみすぼらしく、貧しく、そして卑しいと永春は思った。

 それでも描き続けた。描けぬならば死ぬしかないと思った。

 描いた。死ぬしかない。

 描いた。死ぬしかない。

 描いた。描いた。死にたくない。

 死にたくない。生きたい。

 描きたい。

 描きたい。誰より高く。誰より遠く。この世のありとあらゆる者より、慈愈より、ずっと遠くへ。

 飛翔のための両翼が、未だ地に足をとどめる不甲斐無さを弾劾する。足も胴も翼それ自体も、共にひとつの体としてその苦しみを分かち合う。

 描けぬ。

 永春は嗚咽した。それでも描いた。嘔吐した。

 絵合わせの日がやってきた。

 永春は、疲労困憊し、禍々しい化粧のような隈取を目の下に浮かべながら、おずおずと、恐れ怯む脱兎の如く己の画を師に差し出した。

 その場には師と慈愈と、そしてこの三人に続く一門の高弟が数名同席していた。

 師たる山楽はそれを眺め、ちかとだけ目を光らせただけであとは無言だった。山楽は数名の高弟を呼んでそれを見せた。皆、硬い表情をしていた。

 堪えきれなくなったのか、やや無作法に身を乗り出し、慈愈が永春の画を見た。

 永春は、その時の慈愈の横顔を食い入るように凝視した。額には脂汗が浮かんだ。鼓動は破裂せんばかりに膨縮を繰り返した。

 その永春の視野の中で、慈愈の相貌は、やがて凍りついた。目に見えて血の気が下がり青褪めてゆく表情。やがて、怪鳥のように一声叫ぶ。それを契機に、慈愈は己の画を抱え、その場から逃走した。

 十里も先の湖の水際に溺死した慈愈の遺体が打ち上げられたのは、それから十日ほど後のことである。指が食い込まんほどにして握り締めていた慈愈の画は、欠片すらも残らずに何処かに消失してしまっていた。

 師山楽は、永春を絵合わせの勝者とし、一門の棟梁とし、己が娘を永春に嫁がせた。

 数年後、山楽も身まかった。隠居の最後の贅沢にと我儘を言って建てさせた、庭を望む離れの一室に居を移してすぐだった。

 今際に、山楽は奇妙なことを永春に言い残した。結果としてそれは遺言となった。

「そなたに、この部屋を譲る」

 不思議な言葉であった。永春は師から一門を委ねられ、譲られた。師が生きているうちは憚りもあるので己が裁量で自由に事を為すというわけにはならなかったが、それであっても名目上は立派に全てが永春のものだった。まして、師が死んだとなれば一切は名実共に永春の手に収まる。譲るも譲られるもないのだ。

 永春は、内心では師の死を待ち望んでいた。

 自分の行動を妨げる重石、憚りのせいもある。がそれ以上に、師の慧眼があの日あの時の永春と慈愈の絵合わせについて、いつか見抜く日がくるのではないかということに脅えているというのが大きかった。

 永春はあれ以来怖れというものから解放されずにいた。些細なことで激昂してしまうことが増えた。心中の余裕のなさが気の過敏さを生んでいた。

 あの時、慈愈の顔色は見る見る青褪めた。慈愈の血の気の引かんばかりの思い、その所以は、画題の重複にこそあったのではなかろうか。

 画題、宝珠山。己が画の根幹であり、己が跳躍を為しえた境地である。それと同じものを競う相手が有する。神さえ唖然とする偶然がもたらされたのか。いや、違う。そんなことはありえない。画を描かんと己を突き動かす魂が等しく、またその魂が近似の表現を求めるなどというのはありえない。では、どうして類似が。

 永春は、己が画を盗み見たのか。

 いや、いや、仮にそれがあったとて、それはいい。それだけならば。だがそうではない。永春はそれだけをやったのではない。永春は己が画を盗み見、それに留まらず、己が画題さえ転写してしまったのだ……。

 永春は、慈愈の青褪めた表情の中に煩悶を見、そのことに自ら煩悶した。狡猾にも画題を盗み取ろうとした意図は永春の中にはなかった。ただの偶然が永春に慈愈の画を垣間見せただけだった。だがその画は、哀れなほどに永春を支配した。永春は自身を圧倒した宝珠山の姿に憑かれ、そこから脱却するには焼きついたその姿を自身の画として吐き出し、乗り越えるしかないのだった。故に脅え、苦悩し、筆をおいてもなお恐怖し続ける苦痛の只中で描いた。

 出来上がった画は、満足も何もあったものではなかった。そのような平明客観的な視点を、永春は己の分身に向けることができなかった。そして、自分の中で振幅し続ける恐怖心を見抜かれることも怖れ、また出来栄えの拙さを非難されることも怖れた。何よりあの時慈愈の画に感じた神韻が到底己に宿らぬ事実に打ちのめされてさえいた。

 その中で描いた画を見て、慈愈は顔色を失って飛び出し、そして入水してしまった。絶望は盗用ゆえか。盗用を結果として行ってしまった永春の厚顔に対する絶望でもあったのだろうか。

 そして、師山楽は、そのことに気づいているのではないだろうか。

 確証も得られぬうちに、山楽は静かに息を引き取り、香華の薫香を隔てとして彼岸の向こうに旅立った。雑務法要が折り重なり、やがてその煩瑣さも漸く終わりを告げ、疲労と幾許かの安堵に包まれ、永春は師に与えられた一室にゆるりと座り込み、見るともなく庭を見た。

 叫んだ。

 狂ったように、口角から飛沫の飛ぶのをかまうことなく。

 そこには、庭があり、庭は宝珠山を借景していた。彼方に宝珠山が、まるで永春の罪業をとどめる碑のように屹立していた。永春は、師が死期を悟り慌ただしくこの離れの一室を建てさせ、そしてそれを己に譲り渡した意図を、漸く察した。

 全て、知っていたのだ。

 

 

 

 

 永春は、赤裸の身に焼けただれうずく傷痕に似た負い目を抱え、しかしそれを所以とし自ら命を絶つ勇猛さを持つことかなわず、傷痕を幾重にもくるんで隠し通す道を選ばざるを得なかった。それでいて、傷痕は癒えたわけではなかった。慈愈も師も死んだ。だが慈愈も師も知っていた。その恐怖を忘れることも乗り越えることも永春にはできず、ただ平素そのことに忘れたふりをし、厚顔を装ってそっぽを向くしかできないのだった。

 家庭の中は、絶えず冷ややかな風が吹き抜けていた。師の娘、己が妻とは、永春は心を重ねがたかった。権高な女であった。だがその気位の高さは師の娘である以上に、永春の心底を全て見透かしたがための軽蔑が生み出しているように、永春自身には思えてならなかった。そしてその態度は永春に対する弾劾として露にされているのかもしれないと永春は思った。

 そんな妻の態度を責める心地にはなれず、また許容するには冷ややか過ぎた。夫婦として、男と女として、睦みあうことはあまりに乏しかった。

 宝珠山は以前ほど執拗さを失いはしたものの、相変わらず永春を支配し続けた。その支配の合間合間で、永春は別の画題に挑み、それに楽しむことができたが、だが間欠的に襲ってくるあの日の恐怖はその悦楽の中に永春を没頭させはせず、再び己の下に永春を引き寄せるのだった。

 憑かれたように、その都度永春は宝珠山を描いた。

 いつしか永春は宝珠山を好んで描く第一等の絵師として広く知られるようになり、栄誉は雲霞となって永春の周りを取り囲むようになった。一門は栄え、永春はそのしつらえられた最上の席で多くの弟子にかしずかれた。賞賛も金穀も充満した。それらを一切浮世の浮華と退ける心地には永春にもなれなかった。だがそれらの一切が浮世の浮華であるという冷ややかな視線を、永春は死者と生者から向けられている心地を味わっていた。

 その、繰り返し。

 やがて永春は老いた。老いて病んだ。妻はとうに死んでいた。娘が妻に取って代わった。

 

 

 

 

 

 不思議なものだと永春は思った。夢とも現ともつかぬ狭間で、浅い眠りに身を浸し続け、それでいて寝ても醒めても病身がもたらす不快感が当たり前のように続き、決して失せないのが当たり前だと思っていたが、どうもそれがおかしい。

 ぼかり、目を開ける。

 周囲には闇がまとわりついている。だが、部屋の一方を領する障子戸が微かな光を透いて白くぼんやりと浮かび上がるように光る。

 昼の調子とは違う。蛍のような仄かな発光。

 夜陰深い刻限であることはわかる。

 床から体を起こした。羽毛のように体が軽く、何の妨げも、さび付いた鉄鎖のような病の苦痛もなかった。不思議だった。

 病身は爽快というのではなく、ただ何か圧迫感や抵抗を感じない。平癒でないことは芯にこびりついた違和感の暗がりがなお失われずあることでよくわかる。それでいて体は奇妙に動く。白日には永春の病はその肉体をひたすらに縛り付けているものが、その戒めを闇の中では奇怪に解き放っている。

 裏切り。意外な、そしてなんとも心地よい。

 立ち上がった。歩いた。足取りはややふらつき乱れたが、身動きできないわけではなかった。

 音を立てぬよう、そっと障子戸を開いた。震え乱れるいつもの手は、静まり返って意のままに動いた。

 扉が左右に退くと、真円を描く月が浮かび上がり、柔らかな光で地を照らしていた。

 月光。真夜中の太陽。穏やかに、優しく、闇横たわる世界の一切を浄化し、豊穣の慈しみを注ぐ。

 刺すように硬い深夜の外気。凍星の輝きが身を貫く。冷ややかな、かくのごとく暗いというのに目もくらみそうなほど瞬く星。病み衰えた痩躯には骨身にまで響く冷ややかさであるはずが、身が引き締まる思いで心地よく感じさえする。

 視覚も聴覚も、均衡を欠くほどに鋭くなっていた。眼前の横たわり続けた靄が拭い去られたかのようだった。微風に庭木の葉が揺れるのを闇と月光の入り混じる向こうに見、幽けきその音を聞く。真昼は新緑の緑葉の、月影に陰り、闇になお影を塗り重ねる。その揺れる。音。闇。

 浄暗。そうとも思う。体は動く。縁の床板も軋まぬ。

 やがて、世界は永春の前途を閉ざす。そのことはもう永春にはわかっている。おそらく体の中を巣食う病は、立ち去ることなく永春と共にあり続けるだろう。だがこの闇の何と豊かなことか。美しいことか。静寂に孤独を感じず、しじまに恐れを抱かない。

 ふと、永春の中に宝珠山の姿が兆した。

 生涯をかけての宿願であった。宝珠山、永春の心を奪い去ったあの美、刻印されたあの姿を、どうしても画布の上に記してみたかった。

 だが穏やかな闇は今、宝珠山と永春とを隔てている。そして永春は、最早絵筆を取ることはかなうまい。だがそのことをさして悔いてもいない。終焉近しく、闇がある。だが宿願さえ融解し終えた闇がかくのごとく豊かであるならば、幾許かの生の残滓を貪って闇と共にあるのも悪くないと思える。

 そうか。

 月が永春の老いと病とで衰えた、そしてその晴れ晴れとした相貌を静かに照らした。

 ただひたすらに静寂がある。その中に神韻がある。神韻の中に戯言が聞こえる。わかっている。永春はうなずく。何の心、乱れることもない。

 戯言は睦言である。密やかに、忍びやかに、男と女の肉塊が同衾する只中から漏れ出る。情欲を搾り出し、情欲をすすり、相手の肉に擬した情欲を食い千切る、刹那の奔騰と果てしのない虚無との繰り返し。

 男の声。女の声色。声を殺してもわかる。わかっている。永春は瞑目する。豊かな闇は瞼を隔ててもなお永春に続いている。

 男の声の主は、探山である。女の声は、嫁いだ永春の娘に相違ない。

 抑えに抑えた嬌声。甘やかな吐息。殺伐とした息遣い。

 娘は、探山に溺れながら、探山を嘲笑していることも永春は知っている。湛山の巌の如き肉体にしがみつきながら、蕩ける思念の中で、画力を以って師を乗り越えることをせず、衆望をして師の死を待ちわびる探山を冷笑している。そしてその冷笑は永春自身にも向けられていることを永春は知っている。このような弟子しか持ちえぬ永春を憫笑していることもまた。

 探山もまた肉体を放埓に持て余す永春の娘の内腑までをもひきずりだして愛でる情動に取り付かれながらも、娘を侮蔑していることを永春は知っている。様々な言い訳を他者にも己にも言い重ねながら、夫に背き子を忘れ、奈落の闇の深遠で芳しい泥濘にまみれることを選ぶ女。快楽を得るために泥濘に体を浸すのではない。泥濘に体を塗れさせることが快楽である。そのために危うく脆い橋を渡り、彼岸の肉欲に手を伸ばそうとする。そんな女を弄びながら、そんな女を探山は侮蔑する。女だけでなく、こんな女を娘とする師の永春にも侮蔑を向ける。そして腕の中にあるのが侮蔑の肉塊であるからこそ、この上ない悦楽がその中の蠕動と蠕動の触合いから湧き出る。それも永春は知っている。

 浄暗。それさえもまた本態であり、またその有様を闇が覆い隠しもする。闇は罪業の一切を吸い、豊かにそれを隠蔽する。そう、永春自身のそれもまた。

 

 

 

 

 翌日、永春は探山を己が部屋に呼んだ。

 探山はいくらか常より畏まっていた。昨夜の痴態が、よもや知られているわけではないと思いつつも、多少の後ろめたさが師たる永春に対して謹厳な態度を取らせるのかもしれない。

 永春は上座にあった。戸は開け放たれたままだった。下座の探山の恰幅のいい座姿の向こうに庭があり、そして彼方には宝珠山があった。

 永春は多少しわがれた小さな声で、時折語尾をかすれさせながら探山に告げた。

 それでいて表情は柔和である。

 永春は告げた。

 お主に、この部屋を譲ると。