シンメトリー

 

 

 

 

 

 窓の外から、下水道の工事でアスファルトを削る無神経な掘削音が飛び込んできて、騒音とヴァイブレーションとが僕の怒りを呼び起こす。その喧騒の意味、重要さを、僕は勿論熟知してはいる。だがそれでも腹立たしかった。ビシャッと窓を閉めた。音は少しだけ弱まっただけで、消える事はない。

 あらゆる雑音が、今の僕にとっては癇を高ぶらせ、苛立たせるものだった。音というものは人に伺いも立てずに耳から頭の中に飛び込んできて、許しも請わずに人の思念をムチャクチャに妨害するだけ妨害する。視覚ならば、容易に瞼を閉ざして遮断することが可能なのに、音はどこまでも図々しい。

 そして、人のコミュニケーションの大半が、音を用いる言葉に依存している。人が他人に対してどこまでも図々しくなれる必然性が、きっとここにあるのだ。

 音の侵食……。僕はため息を吐いた。窓を閉め切ったやや薄暗いアパートの一室の、雑多な家具なり机なりベッドなりが漫然と配置されている、その片隅に、横倒しになったごみ箱と、そこから転げ出た取り止めもない紙屑などのごみが、フローリングの床の上に無秩序に散らばっている。

 昨日、蹴飛ばしたままになっているわけだ。

 当たり前だけれども、蹴飛ばしたものはほったらかしておいたって自然と元に戻るはずはない。

 僕の激怒もそうなのだろう。

 激怒はやがて凪に静まり返るとはいえ、紙屑は紙屑、激怒がもっと別のものに形を変えるだけで、それ自体は何処かにか潜んでいる。静まり返った、より深刻なわだかまり。

 今日。

 最悪だった昨日の明くる日。

 僕はあらゆるものから自分を遮断したい。

 しなければならない。

 ずっと部屋に一人。

 この世の中のあらゆる運行から、この日だけは埒外に在りたかった。

 僕はアパートに篭っていた。

 外からは見えないはずだ。僕はお金によって、誰もがそうであるように、自分と世界とを隔てる四方の壁と天井とを得ている。その中に、静かに、何者にも妨げられずいたかった。

 初手からそれはつまずいた。

 道路工事。

 僕はその身勝手さを憎悪する。

 僕にはやらねばならないことがありすぎた。

 本当ならば、十日、一ヶ月、一年なりともじっと考え込むべきなのかもしれないことを、煩瑣な日々の雑事押し迫るため、わずか一日に短縮して答えを出さねばならなかった。

 つくづくくだらないことだと思う。

 僕は何よりも僕自身が大切で僕自身に忠実にありたいと思い続けているというのに、その肝心の僕自身が得るまったく自由の時間というものは恐ろしく乏しい。

 まるで、僕は僕自身の都合で生きていないようだ。

 ピンボールの球のようにバーに跳ね上げられ壁に叩き付けられ右往左往しているようなものだ。

 うるさい! その道路を削るのを少しやめろ! 

 そう、これもまた叩き付けられた僕を嘲笑うピンボールの壁。お前は死ぬまで絶えず何者かの虜であるに過ぎないと見下す、超越者の意志が形を変えたもの。

 うるさいよ。

 頼むからと、哀願したいぐらいだ。

 僕は家具調コタツの上のリモコンを取りあげた。

 音楽。

 僕を取り囲む無秩序で無遠慮で無礼な雑音から僕を守る秩序化された音律、音楽を、僕は欲した。

 入れっぱなしのCDトレイの中に何が入っているかも忘れ、でたらめに再生した。

 トラック数が表示され、音楽が始るまでの一瞬の沈黙……。きっとこれが古臭いレコードの時代だったならば、その沈黙はこもった雨音のようなノイズによって厭く事がなかっただろう。一瞬の沈黙にすら僕は苛立った。

 やがて音楽が始った。

 ……これかよ。

 つまらないイントロのシンセ、チャートを舌なめずりして窺うようなイヤらしい、俗受けしそうなその旋律。

 全く個性のないギターがそれに続く。イキがった自意識の濁りにどっぷりと漬かった下品な響き。

 ドラムスはぞっとするぐらい凡庸だ。場末の村祭りの太鼓の響きの方がまだ人を身震いさせるビートを持っていると思う。こんなんじゃ盆踊りだって踊れやしない。ヴォーカルのアイドル顔のシュガーヴォイスがへたくそな歌をうたい出す前に、僕はそれを罵るのに疲れ果ててしまった。こいつらは、僕に昨日唐突に別れ話を持ちかけた女が熱狂的に愛しているバンドだった。

 はじめてこいつらの音楽を聴いたのはどこでだったか。テレビではない。FMとかでもないと思う。多分、どこか冷やかしで入ったような、どうでもいい何かの店に有線か何かでなっているのを耳にしたのだろう。その時から嫌い、というよりも気色悪く、腹も立った。

 ぞっとする。

 こいつらには畏怖がない。恥もない。こいつらは変幻予測もつかぬ高度な16ビート・ジャズのビートを聞いたことがあるのか? 瞬間の中に高度なアドリブを凝縮するドラムスの、ビートを乱すことなくうめくような悲鳴を上げるベース音の、高度に巧緻に構築された技術の粋に絶望しないのか? 

 売れればいい? 売れたもの勝ち? 

 だったら、自分を道化と呼べ。

 アーティストなんて名乗るな。ギリギリの技術が既存の表現をミクロン単位で漸減して漸減して、ようやく金属のクズのようなアートを手にしよう、切り開こうとする、そういう人間たちに聞こえるようなでかい声で、自分をアーティストなんて呼ぶな。

 女は、チャート神話に毒されたやつだった。売れている、人がたくさん買い込みたくさん聞きたくさんうたうものにしか価値を見出さないやつだった。譲歩、僕も女に渋々合わせてこいつらのCDを買った。ほとんど似たり寄ったりの値段のつけられたCDの中で、こいつらの曲を買った。何度も聞いた。この中には、僕の気付かない、理解できない何かの良さが潜んでいるかもしれない、それが、女を理解する方法なのかもしれないと思って、何度も聞いた。フラストレーションが溜まる一方だった。

 シュガーヴォイスが歌い出す。

 思ったままに

 愛するだけ

 カタチなんて

 どうだっていい

 罵られたって

 かまわない

 アタシは

 アタシを

 裏切ってない

 へたくそなシュガーヴォイスが延々と歌い続ける。

 半永久的に音質が劣化しないといわれるCDで。

 彼らは迫る。

 陳腐で無力化している恋愛方程式を用いて、情感を数十万単位で共有せよと脅迫する。市場の論理がそこに付加される。脅迫はビジネスとなり、連中はアーティストと呼ばれる。

 女は、それに唯々として嬉々として屈服した。

 アタシは

 アタシを

 裏切ってない

 そう言い残して妻子ある中年サラリーマンに走った。

 僕は女と幾許かだけ共有した情感、音を、一切破却しなければならない。

 女の一人よがりの恋愛物語。似非アーティストが作り上げたイミテーションの環の中に取り込まれたもの。それに引きずり込まれぬため、一切の構造を破壊しなければならない。

 投げ出された携帯を取り上げ、あらためて電源を切った。女の別れの音を伝えた携帯だ。電源を切っておかなければ図に乗って、勝手にかかってきて、勝手に着信音を鳴り響かせる。女にせがまれて似非アーティストの曲にして渋々我慢してきた着信音だ。電源を切ってから、しばらくそれを手の中に置いた。もう一度電源を入れようかと思った。女のところにかける、ようなことはもう二度とない。だが女が、もし、もしも、もしかして…………。

 僕は僕を嘲笑う。陳腐な未練を冷笑する。電源を切ったまま、僕は携帯を壁に叩き付けた。携帯は傷つかない。プラスティックにひびの一つも入らなかった。そのことに僕は怒った。立ち上がった。

 コンポのイジェクトボタンを押し、トレイから出てきた似非アーティストのCDを取り出すと、ためらいなく真っ二つに折った。パキッと乾いた音が響く。いい音だ、この音のカタルシスだけは、価値として僕は認める。神秘的な七色の鏡面は二つに割れることによって化けの皮を剥し、単なるプラスティックのこけおどしに過ぎないことを証明する。力を加えれば脆くも割れる。音は死ぬ。

 道路工事の掘削音が止んだ。終わったのだ。解放だ。僕は、ほぼ完全な無音を手に入れた。壁の時計の秒針だけが目立って響くようになる。僕は笑う。そんなもの、消すのはたやすい。拳が文字盤を覆う透明なプラスティックに激しく叩き付けられる。文字盤のカバーがひび割れる。僕はその断層に指を突っ込んで、長針と短針と秒針を捻じ曲げる。歯車の作動音は完全に消える。時は止まったわけではない。擬似的に時が流れることを伝える時計の音が、聞こえなくなっただけだ。僕の周りでは相変わらず時間が経過している。そこから自由になったつもりは毛頭ない。僕は僕を身勝手に侵食する音の跳梁を許せなかっただけだ。

 僕は音楽の芸術家ではない。音を撫育し飼い慣らし、そこに秩序を加え構造を作り上げることはできない。だが、作り上げられた秩序的な構造群の中から好ましいものを選択することはできる。僕は秩序を創造することはできないが、音楽家という秩序を構築する人間の構造と同化することができるのだ。ケースから一枚のCDを取り出した。鈍く七色に光る。お前がこの無残に割れた似非と等しい媒体であるとは到底思えない。等価であるとは思えない。トレイに乗せ、再生した。

 ピアノの旋律。片手、いや指一本でキーを辿っているような、規則的な覚えやすい短いフレーズの連続。そこに左手が加わり、離れ、加わり、離れる。まるで、厳寒の空気を一枚一枚とめくっていくと、そこに大昔からずっと隠れていたような、そんな安堵を感じる必然的な旋律。

 旋律は大気を思わせた。時に雨粒となって、時に霧となって、雨粒は氷雨にもあるいは雪にも。霧は冷ややかにも、また神秘的にも。

 大河。ピアノの旋律に、胡弓というやつだろうか? 東アジアの大陸的なのびやかさ、広がり、奇妙な懐かしさを伴って、ピアノが先行する旋律を辿る。大河が海へとそそぐ。雄大さが弦の震えと共に体いっぱいに広がっていく。思念の境界線が融けていく。意識が旋律の中に融けていく。

 女の残り香。

 はっとした。旋律が僕の封印されるべき破却されるべき記憶の中からそれを導き出した。

 馬鹿な。

 ここにはない。この旋律の中には存在していない。

 女が喜んで組みひしがれた陳腐な恋愛の物語という浸透力は、その俗受けのためのけれんは、絶対に存在していないのだ。旋律は全き形而上存在で、芸術という抽象概念だ。

 何が誘発している? 

 何が引きずり出される? 

 なんで僕は女を思い涙を流している? 

 どうして情感が胸にまで迫り上がり呼吸するのにすらあがく?

 旋律が変わる。ピアノは叩き付けられるように。胡弓は切り裂くように。肺静脈を切断された心臓が鼓動のたびに鮮血をシャワーのように吹き出すように。

 やめろ! 

 僕は頭を抱える。それは僕の女への、スタティックだった虚無だったはずのものが何処かにか失せた熱い激しい絶望と、シンメトリーを描くリズム。

 いや違う! リズムとシンメトリーを描くよう、僕の情感が勝手に引きずり回されている。引きずり回されることに情感が喜悦している。

 みるみる、嘲笑すべき破却すべき僕と女との陳腐な恋愛物語が復刻する。

 陳腐な恋愛物語の鋳型の中に僕が流し込まれる。

 僕が冷笑し否定し嫌悪し排斥しようとしても、僕は三文恋愛小説の間抜けな寝取られ男という位相に構造に叩き込まれる。

 物語環の中に封じ込められる。

 悲哀が、うめきたくなるほど胸を駆け巡る。

 造物主が雲間から僕を見て失笑する。蟻よ、蟻らしく地べたにはいつくばれ。お前は音を笑いながら音から遊離することなどできない。精々、同じ蟻を見下して、己ができのいい蟻である優越感に浸るぐらいしか、蟻のお前にはできないのだ。

 やめろ! 僕は頭を抱えながら丸くなって床に転がり慟哭する。

 のたうちまわる。

 叫ぶ。

 悲鳴を上げる。

 僕の倒れた隣には二つに割れたCDが転がっている。僕と似非とのシンメトリー。隣には投げ捨てた携帯が転がっている。砕くことができるものならばハンマーでも持ってきて砕けばいいさと僕を見下す小さなオブジェ。

 最後の跳躍を終えると、旋律は失せた。

 無音、僕が望んだもの。その中で僕は震えながら、似非アーティストの陳腐すぎるメロディを弱々しく口ずさむ。それはきっと蟻の歌。僕もまた蟻であるに過ぎないことをうたう歌。自らが嘲笑しつつそこから抜け出せぬシンメトリー。